2018-02-08

高次脳機能障害者の介護がクソ地獄だ。

私は20代、男。

学生ときに、父が重い病気になった。

くも膜下出血だ。

小室哲哉の奥さんと同じである

病後、例に漏れず私達の家庭も「高次脳機能障害」と付き合っていくことになった。

あれからもう5年以上も経過して、父は依然として

約束(決められた時間場所にいく等)を覚えていられなかったり、

ちょっとしたこと感情が爆発してしまったり、

記憶や話の整合性が取れなかったりすることがある。


「妻が女の子になってしまった。」

小室氏の表現は、まさに言い得て妙だ。

から罵詈雑言を浴びたり、記憶の抜け落ちにより息子だと認知されなくなったりするのは、悪意がないとしても(無いからこそ余計につらいのだが)相当、精神的に堪えるものである

今回、KEIKO氏の高次脳機能障害が世の中のトピックにあがったこタイミングで、タイムリーなことに私の父にも進展があった。

決してハッピーものではないため、増田にて書かせてもらう。長文雑文になるが、どうか一読いただければ嬉しい。



当時、いわゆる夢追い人だった私は、残された家族のため(高齢祖母、まだまだ10代半ばの弟)

父に代わって、なんて格好のいいものではなく、なし崩しなのかなんと言うか、泣く泣く人生軌道修正をすることにした。

肝心な父の状態は相当ひどいらしく、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。

「生きても半身不随になるかも」

そう医者にいわれた。

わかっちゃいるが、お医者さんもすごい慣れた喋りクチだ。そのせいか、えらく事務的に聞こえる。

自分のこと、家族のこと、父のこと。私が死ぬわけでもないのに走馬灯のように色んなことが、しかも最悪の形で頭で展開されていき、

それと同時に、ただでさえパニックになっている頭の中を、物凄い情報量が通過していく。

まともに読みもしていない手術に関する合意書等、沢山の書類サインをしていく。こんどはこちらが事務的にこなす番だった。

ふと気がつけば、手術がはじまっていた。

その時になってはじめて、あんなにキライだった父のことなのに、思いきり泣いた。


手術は成功だった。

見事に父は快復。重篤的な意味で。

術前に医者から聞いていたとおり、父は高次脳機能障害とよばれるものを抱えながら生きていくことになった。

まり障害者だ。

パッと見、ちょっと痩せて目がトロンとしているくらいなのに、障害者だと思うのは不思議感覚がしたが、それも始めだけだった。

開口一番、「おまえ、誰や?」。

ああ、父の病気はまだ続いているんだと悟った。

発症から数ヶ月ぶりにコミュニケーションがとれたこともあり、必死に状況を説明してみた。

うんうんと理解したような素振りをみせたと思いきや、「なんで俺はこうなってるんだ?全部のお前のせいだ!」と怒号を飛ばされる。

悪意がない、あたまが混乱しているだけだ。と周りには慰められたが、当時まだ二十歳そこそこで、ここまで自分なりに夢や時間やと犠牲にしてきたのに、あんまりだと思った。

この段階でまた泣いた。

リハビリ施設に入って半年、父は退院することになった。

聞こえはいいが、後に詰まっている患者を入れるため、心太式に入れ替わることが制度で決められているだけだ。

要は強制退所である

怒号はなくなったが、兄弟の人数を間違えたり、架空人物を作り上げたりする父をみて、私は「これで大丈夫なのか?」と医者に問うたところ、

「これ以上の治療はできないかリハビリして現状維持するしかない」と返ってきた。

絶望だった。

もう私は一生、この現状に縛り付けられるのか?こんなあっけなく、自分コントールできないところで審判がくだされるのか?何度も自分に問いかけた。

その後しばらくして、父はなんとか勤めていた会社に復帰するまで持ち直した。奇跡的だった。

私の絶望は、どうやら杞憂だったらしい。

父は、昔みたいにバリバリ仕事はできなかったが、会社事情を汲んで軽作業仕事を与えてくれた。

うそれだけでも充分だった。やっと終われる。そう思った。

それから5年経ち、個人的にも家族的にもバタバタした時期がすぎて、なんとか人生プランを立て直す段階まできた。

そのタイミングで、また事がおこる。

つい先日、僕の電話宛に、父がいる会社社長さんから電話があった。

嫌な予感がした。どうやら5年前の絶望杞憂ではなかったらしい。

聞くと、実は1年前から仕事中だけ様子がおかしい。症状が酷くなっている。と言われた。

正直にいうと、「またか。」と思った。

もうこれ以上、振り回されたくないのが本音である

世間は、血のつながりだとか、産んで育ててくれた恩人だとか押し付けがましいことを勝手にいいやがるが、クソ食らえである

リハビリ施設からは、外来は受付してないと断られる。

ソーシャルワーカーに紹介してもらった施設は、結局のところただの相談窓口で、抜本的な解決につながらない。ガス抜きにもならない。温度間がちがう。

いまの会社では働けないのに、障害者手帳をもらうには程度が低いので認定できないと言われる。

障害者用の雇用枠では賃金が安すぎて自立した生活ができない。

基本的に周囲からは「健常者」としてみられるのだが、自分のケツをふけなくなったくせにワガママだし、仕事もできない。

この細かい矛盾が本当に納得いかない。

あんなに強かった父が、若いから「ジャマだジジイ」だなんて蔑まされてるだなんて、聞きたくなかった。

泣いてたらしいし。もうつらいです。

 
 
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