ミシェル・ウエルベックの『闘争領域の拡大』という本だ。
容姿が醜い男が経済闘争と性的闘争という無慈悲な戦いを現代社会で繰り広げる話だ。
正直、進歩性や優位性をアピールしなければいけない文章への役には立たなそうだった。
就活が近づいてきて、人々への疑いは深まるばかりだ。
自分は容姿が醜いのだけど、「容姿」は関係がない云々と宥められる。
聞いてみたいものだ。「じゃあ、女が自分とセックスしたいと思いますか?」と。
それとこれとは別だとか、努力が足りない云々と言い訳してくるだろう。
ただ、もの売れぬ飽和の時代の第三次産業が恋愛的なものとかけ離れるとは到底思えない。
清潔感という謎のキーワードやアトピー肌のリクス姿の女性が真夏に苦悶に満ちた表情で大学内を歩いていたのはなんなのか。
嘘ついているんじゃねーかと言いたくなるものだ。
皆が羨むエンタメ系大企業の企画職に就いた二流大学三流学部OBはイケメンだった。
そして、そんな人間は自分とは大きくかけ離れた容姿をしていた。
貧しい人間が努力が足りないから貧しいと言っても信じない傾向が大きくなってきている。
いいことだ。
しかし自分の容姿で人生を非常に苦痛を伴いながら送ってきたが、それは就職や恋愛とは関係ないという言説が平気である。
そんなの嘘っぱちだし、関係あると大きく言って欲しい。
そっちの方が何か色々とやれることをやろうという気持ちになるし、自分が就職できなくても努力不足ということにはならないから。
関係があるから韓国ではあれだけ整形が流行した
実際関係はあるよね むしろそれをもっと公表してほしい それを認めたくない奴(大体はブスの親や親戚)が努力不足!!とか喚いてくるのが嫌だ