​『デトロイト』 人があらゆる尊厳を完全に剥奪される瞬間

『ハート・ロッカー』でアカデミー賞の監督賞を受賞したキャスリン・ビグローの新作『デトロイト』。本作は、アメリカ史上でもっとも規模の大きかった暴動の最中に生じた事件を描いています。この作品から伊藤聡さんは何を読み取ったのでしょうか。

『ハート・ロッカー』('08)、『ゼロ・ダーク・サーティ』('12)などの骨太な作品で知られる映画監督、キャスリン・ビグローの新作『デトロイト』が日本で公開された。これまでも戦争やテロといった社会性の強いテーマに取り組んできた彼女だが、今回のテーマは人種差別。50年前にデトロイトで実際に起こった暴動と、鎮圧の途中で発生した「アルジェ・モーテル事件」を描いている。

事件そのものの顛末は以下である。1967年7月23日未明、無許可で酒を販売したバーにデトロイト警察が摘発に入り、その場にいあわせた黒人たちを連行したことをきっかけに、近隣黒人住民の不満が爆発。暴動や略奪が開始され、以降5日間に渡って市内の秩序は完全に崩壊した。警察、軍隊と市民とが衝突する異様な緊張感のなか、とあるきっかけから、警官による陰惨な拷問と殺人が起こってしまう。出演者に、2015年から始まった新『スター・ウォーズ』シリーズで知られるジョン・ボイエガ、『なんちゃって家族』('13)のウィル・ポールターなど。

SNSの発達で海外の情報がリアルタイムで入ってくるようになり、驚かされることのひとつに、アメリカの警官による、無抵抗、非武装の市民への暴行、殺害のニュースがある。いっさい抵抗していない非武装の黒人市民を不当に殴打する、あるいは銃殺するといった異様な映像が、日本にまで瞬時に伝わるようになった*1。警官たちはサディスティックに市民に暴行をくわえ、全く抵抗していない相手に向かって発砲してしまう。果たしてこれは本当に21世紀の先進国で起こっているできごとなのだろうかと、目を疑うような映像の連続に唖然とさせられるほかない。2016年に全米で警官に殺された黒人は300人以上だという*2。仮に日本で警官が無抵抗の市民を殺害したとなれば大問題になるだろうが、アメリカでは、殺害に関与した警官が有罪になるケースは全体の1%以下と稀であるなど*3、社会的な抑止力に乏しく、ほぼ毎日のように起こる悪しきルーティンと化してしまっている。

警官による黒人殺害に反対する「ブラック・ライブズ・マター」運動の盛り上がりもあり、黒人の権利は、いまあらためてクローズアップされ、現代アメリカの大きなテーマとなっている。2018年度のアカデミー賞作品賞にノミネートされた『スリー・ビルボード』('17)には、「私の娘は7ヶ月前に殺されたけれど、警察は黒人を拷問してばかりで、実際の事件は解決できないようね」というせりふが登場する。また、黒人のゲイ青年を題材にした映画『ムーンライト』('16)を監督したバリー・ジェンキンスが次に映画化するのは、19世紀前半のジョージアを舞台に、黒人奴隷少女の逃亡を描く小説『地下鉄道』(コルソン・ホワイトヘッド作、翻訳は早川書房)であるという。そしてキャスリン・ビグローが『デトロイト』を構想したのも、根強い人種差別、警官の暴力が横行する現実が背景にあるのだという。

1967年のアルジェ・モーテル殺人事件から、アメリカは変わっていないという鋭い告発。『デトロイト』は、50年前の事件を通して、人種差別の根深さを再確認させるフィルムである。ここまで暴力的で異様な状況が、こんにちも続いているという現実に愕然とさせられる。安心して外を歩くことすらままならない激烈な差別と、警察によって堂々と行われる暴力、殺害は、2018年になっても変わらずに行われているのだ。こうした状況を告発する物語の中心に、白人警官による黒人たちへの拷問場面がある。劇中おこなわれる拷問の恐怖には戦慄させられるほかない。常軌を逸した人種差別主義者が警官であり、彼らに銃を向けられるとすれば、これほどの恐怖体験はない。もはや助けを求められる相手はいないのだ。幼稚な顔立ちをした白人警官たちの傲慢な態度は、子どもじみているがゆえに怖ろしい。

考えてみれば、キャスリン・ビグローは拷問に対する奇妙な執着がある。『ゼロ・ダーク・サーティ』で、イスラム系の捕虜に対して行われる水責め場面の虚無感は忘れがたい。拷問をされる側の人間は、あらゆる尊厳を剥奪された動物に近い存在として扱われるほかない。『デトロイト』の主題である、人間にとって尊厳とは何かという問いが、もっともシビアに突き刺さる瞬間である。白人警官によって横一列に並ばされる黒人の姿、銃をつきつけられながらしつこく行われる尋問、拷問の場面は、アメリカが長い歴史において抱えた人種差別問題の根深さを象徴するようだ。

銃をつきつけられた者の姿は、サスペンスやアクションの定番場面として、長い映画史で幾度となく描かれてきた。そこには独特の緊張があり、どれほど時間が経っても陳腐化することがない。なぜ、銃をつきつけられた者の姿が映画において繰りかえし描かれるのか。そこには、人にとってもっともかけがえのない尊厳が奪われる瞬間の理不尽が、一目瞭然で表現されているためではないか。恐怖にかられて命乞いをする、彼ら黒人たちの姿を見よ。かくしてキャスリン・ビグローは、人が尊厳を喪失する瞬間の理不尽に着目し、このようなことが許されてはならないと力強く告発するのだ。

*1 下記のリンク先は、警官による非武装市民の暴行や銃殺をとらえた映像の一例。集団暴行や殺害場面の映像であるため注意が必要。“Police Brutality” というワードで検索すれば、多数の情報や動画が見つかる。
https://twitter.com/shaunking/status/925823613239...
https://twitter.com/shaunking/status/939014159726...
*2 『デトロイト』パンフレット内記事 p15
*3 デトロイト』パンフレット内記事 p15同記事によれば、射殺される理由のなかった非武装市民の殺害においても、警官が有罪になった例は全体の1%だという。

『デトロイト』
公開日:2017年1月26日
劇場:TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
監督:キャスリン・ビグロー
出演:ジョン・ボイエガ、ウィル・ポールター、ジャック・レイナー、ベン・オトゥール、オースティン・エベール、ジョン・クラシンスキー、アルジー・スミス、アンソニー・マッキー、ジェイソン・ミッチェル
配給:ロングライド
© 2017 SHEPARD DOG, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

ケイクス

この連載について

初回を読む
およそ120分の祝祭 最新映画レビュー

伊藤聡

誰しもが名前は知っているようなメジャーな映画について、その意外な一面や思わぬ楽しみ方を綴る「およそ120分の祝祭」。ポップコーンへ手をのばしながらスクリーンに目をこらす――そんな幸福な気分で味わってほしい、ブロガーの伊藤聡さんによる連...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

yu_llri 『デトロイト』 人があらゆる尊厳を完全に剥奪される瞬間|伊藤聡 @campintheair | 約7時間前 replyretweetfavorite

takaakishigenob 『デトロイト』 人があらゆる尊厳を完全に剥奪される瞬間|伊藤聡 @campintheair | 約10時間前 replyretweetfavorite

campintheair cakes更新、今回は『デトロイト』評です。50年前の殺人事件から、現在のアメリカを読み解く骨太なフィルムです。なぜ映画史は「銃を突きつけられた人物」を好んで描写し続けるのか? という疑問を抱きつつ、この評を書きました。 https://t.co/dQzBT9IUYt 約17時間前 replyretweetfavorite