前回の「韓国人が目を背ける「強制連行」と「強制労働」の真実」に、引き続き日韓双方の主張が大きく異なる主な出来事のうち、今回は「慰安婦」の問題を取り上げます。

 この問題を語るにあたり最初に確認しておかなければならないのは、日本軍が朝鮮の若い女性を従軍慰安婦という名の性奴隷として集め、虐げていたという話は事実ではないということです。そう言うと「慰安婦は一人もいなかったと言うのか」などと咬みついてくる人がいますが、そういう人たちは自分たちに都合の良いように話を、すり替えているにすぎません。

 要は当時、慰安婦と呼ばれた兵士相手に春を鬻(ひさ)ぐ女性がいたことは事実ですが、日本という国が若い女性を拉致監禁し奴隷のように拷問や強姦した事実はないということです。このようなロジックは「虐殺はなかった」と言うと「戦争なのに人が死なない訳がない」と、微妙に言葉を変えて意図的に誤解させようとする悪質なもので、メディアで繰り返し聞かされると予備知識のない人たちはすぐに騙されてしまいます。

ソウル日本大使館前の少女像(中央)の周辺で
開かれた「水曜集会」=6月1日(共同)
 そもそも「従軍」というのは読んで字のごとく軍に従う人たちのことで、軍隊と戦場を共にした記者や看護婦を「従軍記者」「従軍看護婦」と呼びますが、軍隊相手に戦場から遠く離れた場所で商売している人たちに使われる言葉ではありません。「従軍慰安婦」というのは、事実に反して軍との関連性を強調するために戦後に創られた言葉で、その言葉を使うこと自体が虚偽だと言っても過言ではありません。

 彼らは、この「従軍慰安婦」に限らず、状況に応じ巧みに言葉を変えて自己の立場を正当化しようとします。例えば強制連行の嘘がばれるといつの間にか「強制売春」、元慰安婦の年齢が若すぎて辻褄が合わないと指摘されると慰安婦像から「少女像」に、慰安婦ではインパクトが弱いと考え「性奴隷」というふうに、自分たちにとって都合の良い言葉に言い換え嘘を取り繕っています。

 しかし本当は、慰安婦という言葉には別の意味で、ある思いが込められているのではないかと私は思っています。本来、彼女たちは「売春婦」と呼ばれてしかるべき存在でしたが、若い兵士にとっては初めての女性だった人もいたかもしれません。戦場に散った兵士の最後の夜の相手となった人もいたでしょう。そのように彼女たちは兵士の心の支えとなる形で、ある意味、銃を持たなくとも日本のために戦っていたのです。そのような女性たちに対して「売春婦」と呼ぶことに抵抗があったが故に、先人は「慰安婦」なる言葉を生み出したのでしょうが、残念ながらそのような感覚は日本人以外には理解できません。そこを日本に敵意を持つ人間たちが利用して「慰安婦」というのは、ただの売春婦ではなく奴隷のような扱いを受けた女性たちの呼び名であるかのように宣伝した結果、日本のことを良く知らない人たちが「慰安婦」という言葉に対して誤った負のイメージを持ようになったのです。