「本当によかった。(辺野古への基地移設については)市民の皆様の理解をいただきながら、最高裁の判決に従って進めていきたい」
安倍晋三首相は名護市長選の結果を受け、こう語った。「選挙結果こそが民意だ」という声はあるが、与党の全面支援で勝利した渡具知豊氏も「(辺野古容認の民意が示されたとは)思わない」と述べている通り、沖縄県民の感情は決して単純ではない。
琉球新報社東京報道部長を務め、著書『沖縄の自己決定権』などで「沖縄人のアイデンティティ」を報じ、問い続ける新垣毅氏の緊急寄稿。
4日の沖縄県名護市長選で、同市辺野古の新基地建設を推進する政府が推す新人の渡具知武豊氏(56)=自民、公明、維新推薦=が、建設阻止を訴えた現職の稲嶺進氏(72)=社民、共産、社大、自由、民進推薦、立民支持=を破った。
渡具知氏の得票は20389票、稲嶺氏は16931票で3458票差。投票率は76・92%だった。
渡具知氏の勝因について、一般的見方はこうだ。
「辺野古移設反対を標榜し前回市長選では自主投票だった公明党が、渡具知氏を推薦し、政権与党として自民党と一枚岩の選挙態勢を築いたことが大きい。辺野古移設を進めたい政府与党は100人以上の国会議員を水面下で名護入りさせ、経済界や団体を固め、てこ入れを図った。
これに対し、稲嶺氏側は、2期8年務めた知名度を頼りに緩みが出て、支持層をしっかり固める選挙戦を徹底できず、むしろ渡具知陣営に切り崩された。
渡具知陣営は『基地建設反対を主張しても政府は強硬的に工事を進める。工事は止まらないなら経済を良くしていく』という〝諦め〟を流布する作戦が功を奏した。
一方の稲嶺氏は『任期中、基地ばかりに特化した取り組みで、経済を置き去りにした』という市民の不満を払しょくできなかった」
この分析はほぼ間違ってはいないだろう。しかし、支援態勢の枠組みや運動戦術からだけでは見えない名護市民の意識構造を注意深くみる必要がある。
琉球新報が期日前投票を含めて実施した出口調査(4054人が回答)によると、辺野古移設について「反対」は46・5%、「どちらかといえば反対」15・2%で、計61・7%が「反対」の意向を示した。
また、移設に「どちらかといえば賛成」は14・5%、「賛成」は13・4%で、「賛成」は計27・9%。無回答10・2%だった。「どちらかといえば」を含めた「賛成」の人の91・2%が渡具知氏に投票した。
一方で「どちらかといえば」を含めた「反対」の人も23・9%が渡具知氏に投票したのだ。この結果は、投票行動が必ずしも辺野古の賛否できれいに二分されていたわけではないことを物語る。辺野古に反対であっても、渡具知氏に入れた人が、反対する人々のうち、およそ4人に1人はいたことになる。
それには理由がある。渡具知氏は選挙戦で辺野古の移設の是非は示さず「辺野古の『へ』も言わない」(稲嶺進氏)戦術を徹底したからだ。
渡具知氏は「裁判の行方を見守る」と繰り返すだけだった。一方で「国にべったりとはいかない。一定の距離感を置いて基地問題と向き合う」とも話している。渡具知氏に投票した一部の辺野古反対派の市民は、政府とのパイプを使って交渉できると期待される渡具知氏に「真の解決」を求めたのかもしれない。
こうして分析すると、渡具知陣営が意図した「諦めムードの醸成」作戦は必ずしも成功したとはいえない。移設容認が反対を上回ったわけではなく、渡具知氏も「容認」を明言していないからだ。
この点を無視すれば、政府や本土の国民は名護市民の民意を見誤ることになるだろう。政府与党は選挙結果だけを喜び、市民の意識に根強い「辺野古反対」の意識をあなどることになるだろう。
とはいえ、確かに政府対県・名護市という対立構図は崩れた。翁長雄志知事が地元民意の根拠にしてきた柱である名護市民の民意が、必ずしも辺野古反対ではないという結果を生んだのは間違いない。翁長氏は、名護市長選後も辺野古反対の意思は変わらないと明言しているが、なぜ反対なのか、どう県民の理解を得るかなど政治主張や戦略の立て直しを迫られる。
一方の渡具知氏は、安易に移設を容認すれば、今回当選の立役者となった公明党県本の方針と矛盾する。公明党県本は辺野古基地建設反対を変えていないからだ。
おそらく渡具知氏としては「裁判の結果に従う」ということで政府と折り合いを付け、経済振興などの協力を取り付ける〝曖昧作戦〟を貫くとみられる。暗黙の容認を続けるということだ。辺野古容認を明言しないことで、自身に投票した辺野古反対の意見の人からの批判も回避する狙いもあるだろう。