前回書いた記事に反響をいただきました。
お祝いやメッセージを頂いて「うわすごい、色んな人がブログ読んでくださってるんだな」というのを目で実感してとても嬉しかった。
書き手って孤独だから、こうして「見てますよ」と言うレスポンスがあるととても嬉しい。会社を辞めた後、イレギュラーな不特定多数の人との日常的なふれあいが少なくなったので、様々な角度からメッセージを頂きとてもいい刺激になりました。ありがとうございます。
最近また「ブログの方向性どうしようかな」みたいに悩むことも増えてきたんですけど、もう悩むの飽きたので、とりあえず徒然と今の気持ちなど書いてみます。
先回の記事では、私の意図としては
・自分と同じように「結婚に恐怖を感じていてどうしよう」みたいな方の背中を押せるような記事を書く
であったのですが、実際のところ、読んでいただいた方から頂いたコメントは、多い順にこんな内容でありました。
✔️お祝い
✔️なんか泣けた
✔️既婚者の方で、結婚当時のことを思い出してほっこりした
✔️結婚について迷いや違和感があって共感した
✔️進退を迷っていることがあり背中を押され、進退の決断ができた
ちょっと内容が内容なので載せられないけれど、長期講座の卒業生から「ずっと迷っていたけど、みどりさんのブログを見て、新しい行動に移す決断をしました!」というLINEが一番嬉しかった。
他に頂いたコメントもLINEもメッセージも何度も読みました。全部まだお返事してないけど、ちゃんと読んでます。ありがとう。
私と同じように「結婚を控えているが名字が変わることがおセンチ」な状況下の人はメッセージを頂いた限りではいらっしゃらなかったのだが「ブログは一人の人に向けて書いた方が人の心に刺さるものが書ける」という一般論は正しいものであると再認識した。
で、色んなメッセージを頂いたのだけど、その中で
「短編小説を読んでいるみたいだった」
「今までの文章とはちょっと違って、だけどとても魅力的だった」
というコメントが複数あり、そうだ私はこういう文章の方が実は書きやすいし書けるのだよなということを思い出して。
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mixiという日本のSNSの走りになったサービスを覚えている人がいるだろうか。若い方はどうなんだろう。今現在も存在しているので記憶に残っている人は多いかもしれない。完全招待制でmixiが始まった当時、私はMSNメッセンジャーで知り合った新潟で人気のあるクラブでDJをしていた、写真を見る限り超絶イケメンの男性から誘われたことをきっかけに、mixiを始めた。友達の友達の友達をたどると、mixiの創立者・笠原健治氏にたどり着いた頃。
私はmixiでポエム日記を書いていた。パスワードを忘れてしまってもうmixiにはログインできないのだけど、一生忘れ続けていたいと思うくらい、ちょっと恥ずかしい感じのやつ。だがそのポエム日記になんと結構なファンがいた。
その時に書いていたのはこういう心情を織り交ぜた感じの文章とポエムだった。(黒歴史です)
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高校・大学受験に立て続けて論文試験が原因で不合格を食らった私は、完全な文章コンプレックスに陥っていた。(それはこの記事でちょっと書いていて、その続きだと思ってもらえると嬉しいです)
小学生の頃から作文がつまらないと言われ、読書感想文はなんとなく本の内容を半分ぐらい転記して、子供が感じそうなそれっぽい感想を並べ立てて乗り切ってきて。学校の勉強は先生の言う通りに、家では親の言う通りに、部活や習い事でやっていた複数の楽器の練習も親と先生の言う通りにしていれば平穏無事に生きれた。親の言ったこと以外のことをしたりさらにそれを失敗したりすると徹底的に罵られ、時に殴られてきたので、私は完全に頭を空っぽにして生きていたんですネ。自分の頭で自由に考えるという作業は必要なかった。
そんな自分の意見のない私にとって、論文試験で、自分の頭を使って考え、筋道の立った文章と自分なりの解を導き書くというのはかなり酷なことだったんです。
ていうか無理。考えがないので、答えもないし、論理を展開させた文章が作れない。
高校入試の時は論文試験のない一般入試で入れたし、大学入試も、第一志望の学校に落ちるくらいで済んだけど、もういい大人になりかけているのに、自分の意見がないとか、人として終わっていないか。自分の気持ちや考えを文章にできないということは同時に、他者に説得力のある話もできないということも指す。生きていく中で、誰かに言いくるめられたり、騙されたりするリスクも増すだろう。だけど文章ってどうやって書けばいいのか。当時通っていた駿台予備校の論文対策講座に出てもさっぱりわからない。レベルが高すぎた。そこで思いついたのは、まず既存の良質な文章をたくさん読むこと。大学受験に失敗した私は、浪人して暇だったので、読みやすい日本の近代文学を中心に、図書館で借りながら読み漁った。半年もたつと、いい文章というのは、読み手の頭の中に映像が浮かぶような文章だったり、リアリティのあるものだとわかり、それっぽい表現を織り交ぜながら、mixiでなんとなく自分の気持ちを表す文章を書くようになった。まるで小説家になったような気分で書いていたと思う。気がつくと、私の日記にちらほらとファンができていた。その日記がきっかけで知り合ったり、仲良くなったり、交際した男性も振り返るといた。
今考えると恥ずかしい限りだしお願いだから私の本名を知っている人も検索しないで欲しいのだけど(限定公開だったはずだから大丈夫のはず)、なんかこういうことを毎日のように続けていたんですね。
そんな感じでmixiと読書と予備校で知り合った男の子たちとの恋愛が楽しくて、受験勉強には全く身が入らず、結局その次の年も第一志望の大学には落ちてしまった(笑)全く予想していなかったけど縁のあったそ ファッションの道に進むことになったのですが、そのうち文章を書くのが怖くなくなり、文章を大量に書く必要のあった大学の論文やレポートもスルスルと書けるようになり、時々友人のレポートを代行して作成してあげたり、論文を添削してあげたり、好きだった音楽を絡めてライターのアルバイトをしていたこともあって、さらに今こうしてブログを書いているのはその時の経験が大いに役に立っています。
今回、書きながら過去を振り返って思ったのは、どんなに人生に絶望的なことが起きても、興味のあることに夢中になりながら、学び、工夫し、何らかの形で発信し続けていれば、いつしか未来で、それは生きる糧になったり役に立ったりするということ。
「文章が得意になりたい」と、文章をたくさん読み、自己流に書き続けてきたおかげで、もう一つの「思っていることを瞬間的に話せない」というコンプレックスも解消することができたし、おかげさまで今は話すことが得意になり、仕事に繋がったりもしていますし。
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私は当ブログ「よりどりみどり」で、やりたいことや興味のあることにチャレンジし、行動し、結果を出し続けてきました。
ここまでやってきたことを否定するつもりはないけど、少し飽きが来ているのも事実。
そして、見られることを意識しすぎて、新しい行動が狭まっているなと、今日、一緒に仕事をしている人と話して感じた。
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私の次の興味はどこにあるんだろう。次は何をやるんだろう。
それを探るためにもう一度書き続けてみるというのも、悪くはなさそう。
ブログってとてもいいですよ。やってない人はぜひオススメ。
そして、インターネットも大好き!
何を書いたって、何を発信したって、自由なのだし、
まだ見ぬ人と繋がれる可能性を秘めている。
文章もいろんな書き方があるから、模索しながら書き続けてみます。
小鳥遊みどり