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夫婦共稼ぎが一般的だった昔の日本

2008-06-29 20:20:29 | 歴史諸随想
 最近のメディアに登場する女の文化人の一部に、専業主婦の存在をやれ時代遅れ、自立していない、日本社会の封建制…などと槍玉に挙げる者がいる。だが、近代まで一部の支配階級を除き、日本社会は夫婦共稼ぎが当り前だったのだ。サラリーマンが大衆の中心となったのは大正時代であり、サラリーマンの妻は当然専業主婦となる。ただ、これは都会に限ったことであり、地方の農漁村は相も変わらず共働きだった。

 戦前までの日本は過半数以上が第一次産業に就き、特に農家の割合が高かった。大地主ならともかく、農作業をしない農家の妻など考えられない。作家・永井路子氏は農婦を「最多の職業」と表現されていたが、日本女性の過半数以上は農婦だった。農業以外に庶民の女たちは紙漉き、機織りなど生産活動に従事してきた。他に町屋や旅籠屋のおかみさんも共稼ぎ。そんな中で専業主婦状態だったのは武士の妻くらい。江戸時代の武士は決まった禄を貰い、それで妻子を養っていくのだから、当然妻は家庭にいる。今風に言えばサラリーマンの妻だが、武士でも下層となれば家計も楽でないため、妻は内職にも勤しんでいた。

 枕草子の中に、早乙女についての記載があり、彼女らが歌を歌いながら田植えをする風景が珍しかったらしく、その動作を克明に描いている。だが、早乙女の歌を聞いた清少納言は仰天、風情を知らぬ田舎者と蔑む。「ほととぎす、おれかやつよ。おれ鳴きてこそ、我は田植(たう)うれ」がその歌だが、現代語訳すれば、「ほととぎす、おのれ奴めら。お前が鳴くから私は田植えしなけりゃならん」。当時の貴族社会ではホトトギスの初声を聞かないのは風流人の名折れであり、清少納言もこの鳥の声を聞きに仲間の女房たちと賀茂の奥まで牛車で駆けつけていた。しかし、早乙女たちにはホトトギスの声など楽しむゆとりはない。辛い田植えの季節の到来を告げるものだったのだから。

 上流階級の女たちが宮廷に女官として奉公していた日本は、他のアジア諸国に比べればむしろ異色だった。儒教圏となれば大家の夫人は家に閉じこもり、他の男に顔を見せることは論外。イスラム圏並みに女性隔離状態の上、家事は一切せず、それをすることは卑しいことと見なされた。手作業なら履を縫うことくらい。これは纏足ゆえ各自足のサイズが異なり、足型をとっては履を縫っていたのだ。
 この社会風潮を左翼学者なら、封建的搾取そのものであり、人民の搾取の上に遊び暮らしていた唾棄すべき特権階級と奴隷の関係と解釈するだろう。しかし、共産主義圏こそ徹底した階級社会であり、紅い貴族と呼ばれた共産党幹部が封建領主顔負けの権力と特権を得ていたのを左翼学者は無視、自省さえもしない。

 専業主婦が最も多かったのは実はアメリカ。それだけ豊かだったと言える。しかし、今のアメリカ中産階級は共稼ぎが当り前になっている。もはや夫の収入だけで暮らしていけなくなったのだ。専業主婦をやれるのは一部のセレブ妻のみであり、あたかも旧世界の貴族の一種のようだ。アメリカも西部開拓時代は夫婦共稼ぎ、『大草原の小さな家』原作には夫婦で力を合わせ、労働に勤しむ様子が描かれている。
 アメリカでウーマンリブが台頭したのは'60年代後半だが、この運動の中心になったのは高学歴の女たちだった。これに反対する知識人も多かったはずだが、日本では反リブ派の有識者の声が殆ど取り上げられなかったのは、実に奇妙なことだ。

 男女平等、女性の権利を高らかに謳いあげた共産圏が実はそうでなかった実情を、現代の我々は知っている。共産圏、資本主義圏問わず体制側はもっともらしい美辞麗句で人民を手なづけ、洗脳する術に長けている。所謂御用学者など古今東西ゴマンとおり、メディアに引っ張りだこの学者は曲学阿世の輩が大半だと私は思っている。真摯に学術研究をする学者なら、業界の広告宣伝の場と化しているメディアにお声もかからない。いつの時代も人間はプロパガンダに弱いもの。権威筋、有識者の声となればひれ伏す傾向が強い。政治の世界でも女性を洗脳した者が勝つと言われるが、人を疑うのを良くないと幼少から躾けられる日本女性は、かなり騙され易い性質を有していると判断せざるを得ない。

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6 コメント

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読み書き算盤 (motton)
2008-06-30 10:20:27
上流武士の妻は一族郎党の大蔵大臣ですね。平安時代から女性が読み書きできる(上流階級なら当たり前)というのは結構すごいことなんでしょう。
おかげで、大正時代に山村の農家で生まれ奉公するなど「おしん」のように育った祖母でも新聞を読みます。
自活するにはまず読み書きは必須ですからね。

PS.
纏足のエントリにコメントしたの私です。すみません。
『日本古代文学史』西郷信綱 三 女房社会 (ルイージ)
2008-06-30 11:37:48

これすごく面白いですよ。

日本の和歌と中国の詩との機能の相違や
摂政制と後宮。
和歌から散文による仮名文字の本領発揮。
女房社会の多くは中流、受領層である。
父権の支配下では私の存在である女が日本でも変わりがないが
古典古代に固有な女性の奴隷化があまり進まなかった。
女の世界に残っていた古い未開の伝統が平安中期に爆発する。
その機会となったのが後宮を中心とする女房社会の形成である。

お暇な時にでもどうぞw
封建主義者 (Mars)
2008-06-30 21:20:03
こんばんは、mugiさん。

私は、下級宮仕えの嫡男として生まれましたが、共働きが通常でした。
人は、自分の経験こそ、常識と考えるようですが、私の場合もそうで、両親の共働きが通常でした。
(ま、私の出身地のような僻地では、女性の力も強く、よく働きます)

今日も、かなり酔いどれているので、どれが正義だとは分かりませんが。でも、未だに、男女平等というイメージとは裏腹な国家や、もともと、男女平等という言葉すらない国家に比べれば、我が国の劣っていることといえば、、、(皮肉)。むしろ、我が故郷・ド田舎のように、女性も働き、強く、酒もあおれる事が可能なのも、男女平等が劣っている、我が国の証明でしょうね。

現代に限らず、政府の搾取はあるかとは思いますが、封建的搾取とは、封建的制度もなかった国にとっては、意味不明でしょうが、他国批判は、お得意でしょうね。
コメント、ありがとうございます (mugi)
2008-06-30 21:56:04
>mottonさん

日本では上流階級の女性が読み書きできるのが普通でしたが、これは平安当時の西欧は書くまでもありませんが、他のアジア諸国でも珍しいことですよ。当時イスラム世界は最先端の文明を誇っていましたが、ならば支配階級の女性は皆読み書きが出来たかと思いきや、そうでもなかったのです。昨年見た11世紀イランの『ペルシア逸話集』(東洋文庫)には、女の子には学問をさせるな、禍の元になるから、とあり、驚きました。日本とイランでは国情があまりにも違うにせよ。


>ルイージさん

本当に貴方は様々な本を読まれておられますね。まったく脱帽させられます。

和歌と漢詩では成り立ちからしてかなり違いますね。
恋愛が大半で政治を詠んだものが殆どない前者に対し、漢詩は自然や個人的政治信念、プロパガンダも謳っています。三国志の曹操の詩の一部を見たことがありますが、乱世にせよメッセージ性が強かった。日本の武人で、あのような作品を残した者はないですよ。

後宮もまた日本とシナ(または他のアジア諸国)のそれとは、全く違いますね。そもそも、日本では宦官もいない。女房制度はアジア史でも異色です。


>こんばんは、Marsさん。

仰るとおり、人間は己の体験に基づいて他人を見るので、自分や周囲の基準が中心となりがちです。
時代もありますが、私や周囲は共稼ぎは見られず、当時はそれが当り前だと思っていました。ちなみに高知女性は働き者で有名ですね。宮城県は東北の中で、男女ともに働き者と評価されたことはありません。

男尊女卑という言葉は、そもそも大陸がルーツ。現代は「男重女軽」とも表現されるようですが、大陸では昔は女は酒店に入ることも出来ませんでした。その国の価値観からすれば、男尊女卑を徹底させなかった我国こそ、野蛮な東夷の典型であり、女の子が生まれても祝うなど道理もない習慣でしょう。

共産貴族による搾取は、近代的搾取と表現するべきなのでしょうか?ならば、一揆もやれて融通が利いた封建的搾取の方がマシです。
高知 (motton)
2008-07-01 10:47:02
私も両親が共働きでした。祖母は80越えても畑仕事で家族の野菜をまかなっています。
高知は男が昼間から酒を飲んで国家とか語っているので、そうなってしまったのでしょう。ただ大分の親戚もそんな感じでしたから(怠けても飢死や凍死はしない)南国ゆえかもしれません。
北国や砂漠だと生存のために男の物理的パワーに頼らざるを得なくなるので、どうしても父権が強くなります。自衛・自活が出来ない者は権利を主張できませんからね。女性が戦争に参加する第一次世界大戦まではどこでもそうでしょう。

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日本の武人でメッセージ性というと、尼将軍の承久の乱の時の演説が思い起こされます。
日本史の転換点として、カエサルの「賽は投げられた」に相当するものと思っています。
Re:高知 (mugi)
2008-07-01 21:49:55
>mottonさん

貴方のご両親も共稼ぎの上、お祖母様も80を過ぎても畑作業をされていたとはすごい。
私の場合、周囲は都市のサラリーマン、核家族だったので、専業主婦ばかりだったのかもしれませんね。昭和一桁世代ゆえか、父は母がパートに出ることを望んでいませんでした。今なら、時代遅れの頑固親父です(笑)。
東北では秋田が酒豪で有名、何か集まりがあれば男たちは酒を飲んでいます。秋田に住んだことのある知人によれば、冬は毎日雪ばかりの天候ゆえ、どうしても酒に手が出るのだろうと言っていました。秋田女性も働き者であり、共稼ぎが多いそうですが、これも寒冷な環境も影響しているかもしれません。

尼将軍の演説は有名ですね。原稿を書いたのは弟・義時ですが、姉と弟が連携して武家政権を確立させました。教科書では幕府が勝利を収めたと簡単に書いてますが、実際は危うかったのです。

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