「つまらなかった」と感じたら「あの時のツイッターの盛り上がりを知らないからそう感じるんだろ」と言われそうだし、
「面白かった」と感じたとしても「あの時のツイッターの盛り上がりに参加できなかったのに?」って言われそう。
そう考えると「SNSでのムーブメント」込みが評価につながるって、ほんと糞だなーと思うわけよ。
いや、当時大ブームだったり当時は革新的だったというのが評価として繋がるのはいいと思うよ。
でも、ポプテピピックって一年後、下手したら半年後にはそう言われそうなほどにムーブメントに参加してたことへの意義が唱えられてるじゃん。
「SNSでの盛り上がりも含めて面白い作品だよね」という感想が自然と目に入ってくるほどに言われてると思う。
なんでこんなこと思ったかというと、率直に、自分はまだポプテピピックのアニメを見てないからなんだけど、
ポプテピピックのマンガは読んだ身として、マンガは数年後に読んでも同じ面白さがあると思うんだ。
でも、数年後にアニメを見たら、今現在ムーブメントに参加していた以上、またはそれ以下の感想になりえるのか。
「そんなことうだうだと考えるくらいなら今からこのビッグウェーブに乗れよ」という指摘は理解できる。
でも、ムーブメントに参加しないで作品に触れる自由くらいあるだろうし、結局それが作品の感想にほかの作品よりはるかに大きく左右するほど影響あるって疑問に思うわけだよ。
「ブームの渦中にいるか否か」が重要というのはわかるが、ポプテピピックのマンガに関してはそんなことないからちょっと引っかかった。
うーん、それはありだと思ってるけど、厳密にはそうかもしれない。
けど、もしもポプテピピックのアニメが今後数年以内に「シュールギャグアニメの金字塔」として語られるようになったとしたら、そういうかなりインスタントなSNSのムーブメントとそれに参加したかどうかで作品への見方が変わったかもしれないということを、どれくらい影響として評価するのかというところが引っかかるね。やっぱり。
もう一度言うけど、ポプテピピックの漫画に関しては、そんなことは抜きにした見方がなされると思っている。
SNSでのムーブメントを意識しすぎじゃない? 別にSNSなんて現実の延長でしかないし、 SNSが盛り上がったのだってこれが初めてじゃない、 それほど特別なことをやってる作品じゃないし...
しかし、ポプテピピックのアニメについて今後語られる際、SNSのムーブメントと元ネタ説明みたいな側面は必ず語られると思う。 SNSでブームになっていたというのとはちょっと違う気が...
ハピマテも今聞いたら凡庸な曲だし エンドレスエイトも今見せられたらただの放送事故だし 場の空気の影響ってのは思ってるよりはるかに大きいよ
祭りみたいなもんだろう
SNSでの盛り上がりが記録再生できればいいんだけどな