――オレハオマエダ! オマエハオレダ!
「うわあぁあああああああああああああああ!!!」
自分の叫びに驚いて目が覚める。
「……夢、か」
最悪の目覚めだった。
どんな夢だったか思い出せないが、何だかひどい夢を見ていた気がする。
「……もう全部、終わったっていうのに、な」
そう。
俺はついに最強の武器を手に入れ、ついでに邪神も倒した。
この猫耳猫世界を脅かすような存在はもういない。
あとは元の世界に戻る方法と、それからもう一度こっちに来る方法を詰めていけばいいだけ。
……それだけ、のはずだ。
もちろん、この世界に未練がないかと言えば、嘘になる。
ただ、ことは俺だけの問題ではない。
一緒にこの世界に来てしまった従妹の真希は、トラブルメイカーではあるけれどもぼっちの俺と違って社交性のある人間だ。
向こうでの生活も充実していたと聞く。
きっと毎日「たーのしー!」とか言いながらたくさんのフレンズと一緒に紙飛行機でも飛ばしたりして遊んでいたんだろう。
……いや、あいつもあれで高校生だし、流石にそこまで子供っぽくはないはずなんだが。
違和感なく思い浮かべられてしまうのが問題と言えば問題か。
とにかく、真希だけは俺が元の世界に返してやらないといけない。
と、決意をあらたにして、立ち上がる。
勢いよく身体を起こしたところで、カラン、という音と共に、ベッドの上から何かが落ちたのに気付いた。
「あ、あぶなっ!!」
あわてて俺は身を乗り出し、床に落ちたそれを、禍々しいオーラを放つ弦楽器を拾った。
「……これなくしたら、えらいことになるもんなぁ」
この楽器こそが、邪神が姿を変えた武器、『リュート・ディズ・アスター』である。
こいつだけは何があっても他人の手に渡してはいけない。
これは本当の最強の武器。
身に着けた瞬間、誰も敵わない超人になるほどのとんでもない装備なのだ。
それに……。
「これはもう、俺の武器だからな」
にやにやとした笑みを浮かべながら、そう独り言を言う。
と、そこで大事なことに気付いた。
「……あれ?」
俺は確か、こいつを冒険者鞄の中に入れていたんじゃなかったか?
そう思って机に置いていた冒険者鞄を見ると、
「口が、開いてる?」
眠る前に確かに閉めたはずの口が開き、その奥が覗いていた。
「泥棒、とかじゃないよな」
急いで中を確認するが、見た限りではなくなっている貴重なものはない。
たくさんものを入れているので全てを把握している訳ではないが、めぼしい装備品は全て入っているし、転移石のような貴重品も減っている様子はない。
杞憂だったかと笑いながら、俺は冒険者鞄を身に着ける。
考えてみれば、扉には鍵がかかっているし、この部屋には隠れるような場所はない。
俺以外の人間が、ここに入って鞄をいじることなんて出来るはずもなかった。
「気にしすぎ、だよな。……ん?」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、ふと視線を横にずらした時、見覚えのないものが目に映った。
それは、開きっぱなしになった本。
「俺、こんなもの持ってたっけ?」
首をかしげる。
黄ばんだ紙に古めかしい文字で何か書かれているが、ゲーム時代にもこっちの世界に来てからも目にした記憶がない。
「あれ、ここ……」
さらに、俺の目を引きつけたのは、ページの上部だ。
[]でくくられた中に漢数字でページ数が振られているようだが、そこを強調するように大きな赤い丸が書きこまれているのだ。
「……八?」
ざっとめくってみても、丸で印がつけられているのは、開かれていたこの八ページだけらしい。
……このページに何かあるのだろうか。
ざっと流し読みしてみるが、特に印をつけるほどの大事な情報が書かれているようにも思えない。
ただ、そのページに書かれていた一節……。
――カエサルの物はカエサルに。
という一文が、やたらと俺の頭にこびりついて離れなかった。
「…ソーマ」
「うひゃぁああああ!!」
扉を出た瞬間、隣から声をかけられて跳びあがった。
「リ、リンゴか、脅かすなよ」
考え事をしていたこともあり、つい過剰反応してしまった。
そんな俺の様子に特に意味もなくうなずいたあと、その透き通るような青い目で俺をじっと見て、リンゴが尋ねてくる。
「…くま、しらない?」
「くま? くまなら、リンゴが今抱いてるじゃないか」
急に何を言っているんだと思ったが、くまを抱いたリンゴは、静かに首を振った。
「…このこじゃ、ない。はながら、の、ほう」
その言葉に、やっと俺は納得する。
とある事件をきっかけに、くまは普通のくまと、片耳だけが花柄になったものと、二体に増殖している。
何かと有能な奴なので便利でいいのだが、たまに自分と喧嘩しているのを見ているので、本人(?)にとってはあまり嬉しくない事態なのかもしれない。
「んー。起きたばっかだからな。とりあえず、俺は見てないけど」
「…そう」
無表情な中にも残念さをにじませるリンゴに、俺は決意もあらたに言う。
「くまも気になるけど、これからのことについてきちんと話したい。仲間たちみんなに、居間に集まってもらおう」
俺の言葉に、リンゴは少しだけ寂しそうな顔を見せたが、
「…わかった」
結局はそう、うなずいたのだった。
……の、だが。
まさかの事態、と言うべきか、元の世界に戻る上で一番重要な二人、真希とサザーンがやってこなかった。
真希についてはまあ、昨日もお城に泊まっていたようだし、城の仕事が忙しいのだろう。
タイミングが悪いなとは思うが、たまにあることなので、不思議ではない。
問題はもう一人。
「まさか、サザーンが風邪とは」
馬鹿は風邪をひかないというのはなんだったのか。
いや、迷信なのはもちろん分かっているのだが。
まあ、あいつはああ見えて封印の巫女で、元は箱入りのお嬢様だ。
あいつと箱入りという言葉は全然結びつかないが、何しろ島ごと外界から隔離されていたのだから、間違いではないだろう。
それでもあんな奴でも仲間の一人ではあるし、心配でないこともない。
仕方なくさっき様子を見に行ったのだが、サザーンの部屋の扉は鍵が閉まっていて、俺が声をかけると、
「ごほっごほっ! だ、だれだ? ごほっごほっ!」
とわざとらしい咳と共に返事が聞こえたので、ちゃんと起きてはいるようだ。
いや、ほんとあからさまにわざとらしかったので、仮病の可能性もあるが、藪をつついて蛇を出すこともないだろう。
とはいえ、スターダストフレアの魔法を覚えているサザーンは、俺たちが元の世界に戻るための重要なキーパーソンだ。
気合を入れていたので残念ではあるが、今日は別のことをして過ごすほかないだろう。
「では、私と一緒にどこに探索に行きませんか?」
「ん? そうだなぁ……」
猫耳をぴこぴこさせたミツキにそう言われ、俺はしばし考え込む。
俺は魔王や邪神と戦う前に、この世界にあるめぼしいアイテムは大方回収してきた。
それでも取りこぼしはあるし、どうしても時間をかけなくては取りにいけないレアアイテムなどは手付かずのままだ。
例えば、『盆栽フォレスト』と呼ばれるダンジョンのギミックは数十日をかけないとダンジョンのボスとは戦えない。
ダンジョンの最下層に外からの光が差し込んだ空間があり、そこにダンジョン内で見つけた種を植え、同じくダンジョン内で見つけられるじょうろを使ってその種を育てなければいけないのだ。
しかもその種を育てるには何十日という時間が必要な上、一日でも水やりを欠かすと枯れてしまう。
分かるだろうか。
ダンジョンを制覇するためには、「毎日欠かさず」「いちいちダンジョンの最深部まで行って」「数十日の水やりを続ける」必要があるのだ。
あいかわらず猫耳猫スタッフは頭がおかしい。
ちなみにそのダンジョンのボスとはその数十日かけて育てた木である。
ボスとしては例外的にシードを落とさず、ストーリーにつながるイベントアイテムと、良質な木製装備をランダムでドロップするのだが、愛情を込めて育てた木をボスにするなんて、いくらなんでも鬼畜過ぎる。
俺が二度とやりたくないイベントの一つでもある。
まあ、直前のデータをセーブ&ロードでドロップが厳選出来るので、十数回ほど、倒す直前でやり直して目当てのアイテムを拾ったから、というのもあるのだが。
あるいは『四季の洞穴』というダンジョンでは、ゲーム内での暦に応じてダンジョンの構造や出現する敵が変わる。
四、五、六月に行けば春の、七、八、九月に行けば夏の、十、十一、十二月に行けば秋のダンジョンが出現する、といった具合だ。
なお、一、二、三月は冬ではなくなぜか夏のダンジョンになる辺りは納得の猫耳猫クオリティだ。
まあ、ゲーム時代はちょっとした裏技として、VRマシンの日付をいじるだけで季節を操作出来たし、季節によってはそれなりのレアアイテムがあったので重宝していたのだが、現実化した今は馬鹿正直に季節が変わるのを待つほかない。
それに、季節変更の時にダンジョン内にいると、敵が切り替わりきらなかったり、ダンジョンギミックの関係で行き止まりに閉じ込められてゲームが詰んだりと色々あるし、どちらにせよ今は無視するしかないだろう。
それ以外、となると……。
「迷っているようなら、最初の行先は私が決めてしまってもいいですか?」
だが、その思索はミツキの言葉によって中断された。
「ミツキが?」
「ええ。実は、私にいい探索場所の心当たりがあるんです」
そう告げられた時、なぜだろう。
背中の辺りにぞぞぞっと悪寒が走ったのだった。
とりあえず、風邪のサザーンについてはリンゴにそれとなく気にかけてくれるように頼み、泣きながら同行を求めるレイラを泣き落とし返して説得し、俺はミツキと二人でダンジョン探索に乗り出すことになった。
「こ、ここって……」
「おや、ご存知でしたか? ヒサメ家とも縁の深い『幻石の洞窟』というダンジョンで、ここからは素晴らしい宝石が取れるそうです」
得意げに聞こえるミツキの言葉に、俺はダラダラと冷や汗が落ちるのを感じた。
何しろ、ここはミツキの結婚イベントの重要なスポット。
ここで手に入る幻石というアイテムを使って指輪を作ることが、ミツキの結婚イベントの条件となっているのだ。
硬直している俺を見て何を思ったか、安心させるようにミツキが言う。
「心配、要りませんよ。私と貴方なら、きっと素晴らしい石が手に入れられます」
「あ、あはは。……そう、だな」
むしろ、手に入っちゃうのが困る気がするのだが、全力で喜んでいる猫耳ちゃんにそんなことは言えなかった。
そして、数時間後。
俺もミツキも、能力だけならラスダンを鼻歌交じりに散歩出来るほどの能力の持ち主だ。
クリア後を見越したミツキ家のイベントの一環とはいえ、このダンジョン自体の難易度は大したことがない。
ミツキの言葉は確かに現実となったのだが、
「な、なぁ。もういいんじゃないか? それで十分だろ」
「……いえ、まだです。もっといい石があるかもしれませんから」
首尾よく幻石を手に入れたにもかかわらず、俺たちはまだ幻石の洞窟をさまよっていた。
それというのも、ミツキが手に入れた幻石のクオリティに満足していないのだ。
「そ、その石、なかなかいいんじゃないか? 大粒だし綺麗な形だし」
「……いえ、光沢が今一つです。やはり他を探さねば」
と言って、さらなる探索に乗り出してしまう。
ぼそっと「一生に一度の事ですし」などとつぶやいたミツキがなんとなく怖いと思ったりもしたのだが、それよりも、今は……。
「ね、ねむい……」
昨夜、寝つきが悪かったせいか、あるいは悪夢のせいか、どうにも眠くて仕方がない。
そんな様子に、ミツキは若干不満そうな顔を見せたものの、
「では、そこで少し休んでいてください。その間、私はもう少し、探索しておきますから」
それよりも幻石を見つけることが大事なのか、そんな提案をしてきた。
悪いと思いつつ、俺は安全地帯で少し休ませてもらうことにした。
「それにしても、綺麗な場所、だな」
探索中はじっくりと見る機会はなかったが、ここはアイテムとしては手に入れられない小さな幻石の欠片が天井や壁にちりばめられていて、幻想的な雰囲気をかもしだしている。
「こんな光景、日本では絶対見られないんだろうな」
そんなことを思いながら、俺はぼーっとそのきらびやかな天井を眺め続け、そのうち瞼が重くなり、意識も遠のいて……。
「――きて。起きて下さい」
その声に、ゆっくりと目を開ける。
「大丈夫ですか? あれからもう、二時間経っていますが」
「あ、ああ。悪い。ちょっと、寝不足で……」
言いながら、俺は目をこする。
思っていたより、疲れていたようだった。
「それより、幻石は見つかったのか?」
「ええ。とびっきりの物が。……出来れば、一緒に見つけたかったのですが」
「……それは、悪かったよ」
どう反応していいのか分からないままそう答え、俺は立ち上がろうとして、
「これ……」
足元に書かれた
線に気付く。
固いはずの洞窟の地面に、俺の足に向かって伸びた一本の線が引かれていたことに、気付いたのだ。
「……これは、貴方が?」
「え? い、いや、そんなはずは」
俺は即座に答えるが、その言葉にミツキは耳を傾げた。
「おかしい、ですね。私がここを去った時は、そんな線はなかったのですが」
今度こそ、俺の背中を本当の悪寒が走る。
洞窟の奥から、俺の足元に伸びる縦に長い一本の線。
それは、まるで……。
「それより、ここにはもう用はありません。早く外に出ましょう」
「あ、ああ。そうだな……」
俺が立ち上がろうとした時、カラン、と音がして、地面にリュートが落ちた。
それを、苦笑しながら、ミツキが拾おうとして……。
「――触るな!!」
自分で出した大声に、自分で驚いた。
すぐ我に返って、俺はミツキに弁解する。
「……あ、いや。悪い。なんか、突然のこと、だったから」
「いえ、私も不躾でした。危険な武器なのは分かっています。軽率でしたね」
むしろ恐縮した様子のミツキに申し訳ないような気持ちになるが、どこかでそれも当然だ、と受け入れる部分もあった。
そうだ。
何しろこの武器はとびきり危険で、とびきり扱いにくいし、何よりこれは、俺が手に入れた武器で、俺のもの、なのだから。
「……では、行きましょうか」
幸い、ミツキはその一幕を大して気にしていないようで、どこか上機嫌な様子で洞窟を歩いていく。
ウキウキとした足取りのミツキに先導されるように洞窟をあとにしながらも、俺の頭の中を占めるのはあの線のこと。
特に余計なものもついていない、まっすぐな線だったのは間違いない。
だが、もしかしてあれはただの線、ではなくて……。
――数字の1ではなかったのか、なんて、そんな荒唐無稽な考えを、否定出来ずにいたのだった。
せっかくなのでこれからすぐに幻石を使ったアクセサリーを作りましょう、と言い始めたミツキをなだめ、別の場所への探索にも付き合ってくれるよう説得した。
このリュートが完全に「おれのもの」でないことに問題があったのだ。
これが俺以外に装備出来なくなれば、トラブルもなくなる。
通常であれば、そんなことは不可能だが、幸い、と言っていいのかどうか、ここはバグの宝庫、猫耳猫の世界だ。
それにぴったりのバグ技なら、もうすでに存在している。
それは、『見えない呪いバグ』!
「見えない呪いバグ、ですか。想像出来るような、出来ないような……」
「まあ、簡単さ。ちょっとだけ、付き合ってくれ」
呆れた様子のミツキを連れて、まず訪れたのが『呪怨の館』。
ここでリュート以外を全て外した状態で罠にかかる。
すると……。
「装備品が呪われて、装備が外せない上に一歩歩くごとにダメージを食らう呪いを持つんだ。これが第一段階だな」
「一歩歩く毎にダメージがあるというのなら、どうやって移動するんですか?」
「それは、もちろん……」
にやり、と笑った俺に嫌な予感を感じたのか、猫耳を垂れさせたミツキに、俺は朗々と告げた。
「ミツキに負ぶってもらうんだよ!!」
歩けばダメージを受ける呪いなら、他人に運んでもらえばいい。
実に合理的な思考で、そこに疑問をさしはさむ余地は一片もない。
その証拠に、最初に嫌そうな態度だったミツキも、俺を背負っているうちに心境の変化があったのか、
「いえ、病める時も健やかなる時も、貴方と共にいるのが私の望みです。誓いの前払いと思えばこの程度」
「……あ、ありがとう」
なんとなく外堀が埋められていくような不安な気持ちを抱かなくもなかったが、おそらく考えすぎだろう。
実はこのためにミツキに付き合ってもらった側面はあるし、とにかくこうしなくては話が進まない。
そうやっておぶられながら、次にやってきたのは、とあるダンジョンにある『快癒の泉』。
透き通った青い水の前で、俺はミツキに言う。
「じゃあ、俺をその中に落として」
「え? いいのですか?」
「ああ。頼む」
普通の泉ならおぼれて死ぬ危険性もあるが、ここに限ってはそれはない。
何しろここは快癒の泉。
HPMPだけでなく、あらゆるバッドステータスや状態異常、デメリットのある継続効果全てを一瞬で治すという最強の回復ポイントだ。
仮に水中ダメージを受けても、即座に全快まで回復するため、おぼれることもない。
まあ、水龍の加護があるからどちらにせよ問題はないのだが。
ぼちゃん、とミツキに乱暴に泉に落とされた瞬間、俺の中から何かが消えていったのを感じる。
「よし、呪いが消えた!」
俺は即座に泉から出ると、その場を歩き回る。
継続ダメージは完全に消えていた。
「それは……おめでとうございます。しかし、それに一体何の意味が……」
これではただ自分で呪われたものを自分で解除しただけ、何の意味もないと、ミツキはそう思ったのだろう。
だが、意味はある。
「いや、実はさ。こうやって呪いを解除すると、装備品を外せないフラグは残ったまんまになるんだよ」
「は?」
おそらく、強引に解呪をした結果というか、呪いの解除に関しては大してテストプレイせずに実装したために不具合があったというか。
通常は呪いを解除すると装備を外せない効果も同時に解除されるはずなのだが、この快癒の泉で呪いを解いた場合、呪いのデメリットと呪いという状態異常だけが消えて、装備品が外せない状態は継続したままになるのだ。
「しかも、呪われているって事実は消えてるから、解呪するって選択肢すら出ない! こうすれば絶対になくさないし、絶対に奪えない装備が完成する、って訳さ!」
「……理解を超える理屈で、頭が痛くなってきました。そもそも、もし外したくなった場合はどうするのですか?」
「その時はもう一度呪われてから普通に解呪すればいいんだよ。簡単だろ」
俺はドヤ顔で言ったが、本当に理解の外に行ってしまったのか、ミツキは返事すらよこしてくれなかった。
「とにかくこれで、こいつは名実共に俺のものだ。誰にも渡さない」
愛しげに、手に持ったリュートをなでる。
その瞬間、リュートの方も、赤く鈍い光を放って、俺に応えてくれたような気がした。
ただ、思わぬデメリットというか、計算外もあって……。
「やっぱり石化も解けちゃったか」
状態異常確率を上げ、状態異常が治らなくなる呪いの指輪『不死の誓い』を装備しているため、本来なら治療をしても石化は解除されないはずなのだが、ある種のイベントとして状態異常を解除するこの快癒の泉の力には抗えなかったらしい。
普通なら喜ぶところだが、俺は石化状態ではほかの状態異常にかからないという仕様を逆手に取って、常に石化状態で過ごすことによってほかの状態異常を防ぐ、という特別な対策を取っている。
これはあまりありがたい事態とは言えない。
「ストーン、っと」
とはいえ、俺は各種属性の熟練度も上げている。
石化魔法を手早く自分にかけると、ようやく我に返ったミツキが、ため息をついた。
「相変わらずですね、貴方は。それで、もう用事が済んだようでしたら……」
「いや、もうちょっと待ってくれ」
呆れた様子のミツキを手で制して、俺は鞄からポーションを出した。
そして、そのポーションの中身をその場に
捨てながら、俺はにやりと笑う。
「――エリクサーって、興味ないか?」
「いやぁ、まさか成功するとはなぁ」
俺は快癒の泉の水が入ったビンを眺めて、にやにやと笑う。
ゲーム時代にはあの水は実体があってないようなもので、いかなる方法をもってしても他の場所に持っていけないばかりか、何をやっても水嵩すら動かないものだったのだが、案の定、現実となった今ではそういう制限はないらしい。
俺は首尾よく中身を捨てたポーションの空き瓶に快癒の泉の水をくむことに成功したのだ。
……やはりシステム的にはNGな出来事らしく、ミツキは生理的に嫌悪感を覚えているようだが、まあその辺は我慢してもらおう。
何せ、この水には、HPMPにスタミナ、状態異常までも全部完全に癒やす究極の回復効果があるのだ。
「まさか、猫耳猫でエリクサーを手に入れられるとは」
猫耳猫には各種ポーションでも固定値回復のものが多く、全てが完全回復するアイテムなんてものは、基本的にない。
まあ、既存のポーションの効果が高い上に、ピーキーな戦闘バランスのせいで瀕死の重傷で踏み止まるような事態があまりないからそう出番もないような気もするが、とにかくエリクサーはある意味ロマンだ。
ただで手に入るものなので、エリクサー症候群になる心配もない。
「まあ、いいでしょう。それより、これからは少し、私に付き合って頂きます」
「……ミツキ?」
強硬な姿勢のミツキに首を傾げると、彼女は何でもないことのように告げる。
「大した事ではありません。ちょっとだけ、ヒサメ家の道場に付き合ってもらいたいだけですよ」
ミツキが向かったのは、ヒサメ道場の一角。
武器合成機などがある工房部分だった。
何でもそこに、ちょっとした細工が作れる施設があるらしい。
「折角の幻石ですし、自分で加工してみようと思いまして。大丈夫、ほんの数分で終わりますので、待っていて下さい」
楽し気にそう告げるミツキだが、俺は気が気ではない。
一体ミツキが結婚指輪を完成させてきたらどんな反応をすればいいのか。
というかこれは本当に結婚イベントの既定路線なのか。
ミツキが工房に消えて数分の間、俺は悶々としながら過ごしていた。
だが、十分が経ち、二十分が経ち、そして待っていた時間が一時間を越えた時、流石に俺もおかしいと感じ始めた。
「……いくらなんでも、遅くないか?」
いや、アクセサリーを作ろうというのだ。
一時間で出来るならむしろ早い方という気はするが、ミツキは「数分で」とはっきり言っていた。
ああ見えて律儀なミツキのこと。
想定外に時間がかかっていたとしても、一度外に出て、俺に話をしようとはするはずだ。
「ミツキ、悪い。入るぞ」
嫌な予感を覚えた俺は、念のため大声でそう口にしてから、工房に入り込む。
「ミツ、キ……?」
その作業台があるだけの狭い部屋には、人の気配はまるでなく……。
作業場の台の上、本来あるはずの幻石も、幻石で出来た指輪もなかった。
ただ……。
そこには漢数字の二を想起させるような「=」という形の二本の線が、深く深く、刻まれていたのだった。
あのあと、ミツキの父であるアサヒさんにもミツキのことを尋ねたが、何の手がかりも得られなかった。
これは予感というか、勘でしかないが、何かしら、異常なことが起こっているような気がする。
俺は息を切らせながら、自分の屋敷に戻る。
真っ先に向かったのはサザーンの部屋。
その扉の前には、なじみの人物が番人のように立っていた。
「リンゴ!」
声をかけると、その青い瞳が嬉しそうに輝く。
その腕の間では、いつものくまがニタァと笑う。
「…ソーマ。みてた、よ」
「え?」
「…サザーンの、へや」
誇らしげに胸を張るリンゴ。
最初は何を言われているのか分からなかったが……。
「もしかして、ここでずっと見張ってたのか?」
と尋ねると、リンゴはやはりうなずいた。
「…ん。みてて、っていわれた、から」
「そ、そうか。ありがとう」
いや、ちょっと気にかけてくれという意味で、まさか部屋をずっと見張っていろという意味ではなかったのだが。
とはいえ、助かるのは確かだ。
思えば、異変の始まりは、サザーンが部屋にこもっていたことにあるような気もする。
こいつの風邪、もしくは仮病の原因が分かれば、ミツキがどうしていなくなったのかも分かるかもしれない。
「何か、変わりは?」
尋ねると、リンゴは首を横に振った。
「じゃあ、誰もドアを出入りしてない?」
「…ん」
今度は、肯定。
ということは、サザーンはまだこの部屋の中にいる、ということだ。
「サザーン! ちょっと話がある! 入るぞ!」
ことここに至っては、もう遠慮なんてしてられない。
俺はいざとなればドアを壊すつもりでノブを握って……。
「開いて、る?」
予想外の事態に、束の間戸惑う。
朝、ここに来た時には、確かに鍵がかかっていたはずなのに。
「……リンゴ。ここで待っていてくれ」
「でも……」
「頼む」
ついてきたそうなリンゴを置いて、俺はサザーンの部屋の中に入る。
思いがけず綺麗に片付いた部屋。
だが、そこには肝心なものがなかった。
「サザーン?」
風邪を引いて、本来ならベッドに寝ているはずの部屋の主の姿がそこにはなかったのだ。
何か、とんでもない陰謀に巻き込まれたような、そんな不気味な不安がのどまでせりあがってきて、吐きそうになる。
しかし、ここであきらめる訳にはいかない。
せめて何か手がかりがないかと部屋を見回して、俺は
それを見つけた。
見つけて、しまった。
「また、かよ……」
それは、鏡に書かれた、真っ赤な文字。
部屋の隅に置かれた姿見には、血のような真っ赤な塗料で「丁」という文字が書きこまれていたのだった。
どれだけ、呆然とそこに立ち尽くしていたのだろう。
ようやく自失から立ち直ると、俺はその「丁」の字を眺める。
この赤さは、本物の血……のようにも見えるが、よくは分からない。
それに、今まで出てきた文字は全て数字だったのに……と、考えて、不意に脳内でひらめくもの。
――もしかしてこれは、上下と左右を逆にした数字の「1」なんじゃないか。
そうであれば、わざわざほかのものではなく、鏡に書かれた意味もつかめる。
「い、や……。それよりも、手段の方が大事だ。リンゴはずっと、部屋の前にいたはずなのに」
それでも、片時も目を離さなかったという訳じゃないかもしれない。
とにかく、一度リンゴに話を聞いてみようと思って部屋の外に出て……。
「リンゴ?」
さっきまでいたはずの、青髪青目の少女の姿がないことに気付いた。
「冗談はやめてくれよ。リンゴ? くま?」
もしかすると痺れを切らして居間に戻ってしまったのか?
そう思って顔を上げた途端に、向かいの壁に最悪のものを見た。
11
真っ黒い、炭化した炭をこすりつけたような模様が、そこには残っていた。
「また、数字……」
さらに目を凝らすと、その11の右にもっと小さい11の文字が……。
「どういう、ことだよ」
この小さい数字は、リンゴの腕の中にいたくまの分だろうか。
分からない。
何か、とんでもないことが起こっている、ということ以外、分からない。
「落ち着け! 落ち着けって!」
とにかく、まだ無事な仲間を探さないと。
真希だってまだ城にいるはずで……。
――本当に?
今朝は偶然、真希が城での用事につかまって、屋敷まで来れなかったのだと思っていた。
だが本当は、その時にはもう
始まっていたとしたら?
「真希っ!!」
途端、胸中に湧き出してきた不安に、俺は自然と走り出していた。
結論から言えば、真希は見つからなかった。
門衛に聞くと、真希は今日の朝、「そーまのところにいく」と言って城を出たきり帰っていない、らしい。
部屋を見せてもらったが、そこには誰もいなかった。
そして、予期していた数字も、なかった。
急いで屋敷に戻った。
その時間、レイラは屋敷の台所で料理を作っているはずだと思い至ったからだ。
結果は、空振り。
ここにもやはり数字はなく、ただその代わり、誰の姿も見つからなかった。
「そう。数字、数字だ」
最初はそう、本に書かれた八だった。
それから、地面に書かれた1。
作業台の二。
逆さになった1。
廊下に描かれた二つの11。
全部を並べると、81211111、となる。
……分からない。
一と二が多いため、二進数のようにも見えるが、そうすると最初の八だけが異質になってしまう。
あるいは、最初の八だけが関係がないのか?
それとも……。
混乱が、収まらない。
何が起こっているのか、まるでつかめない。
惑乱した俺が、無意識のうちに居間まで戻った、その時、
「あの、ソーマさん? どうしたんですか?」
俺は、天使の声を聞いた。
天使の正体は、トレインちゃんこと、イーナだった。
「あの、わたし寝坊しちゃって……。みなさんどこ行ったんでしょうか」
この非常事態の中、普通の態度を崩さないイーナは俺にとって救いだった。
「その、色々、あって、さ」
俺は、誰かに奪われないようにリュートを抱えながら、イーナに話をする。
「あの、ソーマさん、それ……」
「それ?」
「あ、いえ、な、なんでもないです。それで、一体なにが……」
「ああ、実は……」
「そんな、ことが……」
「信じられないかもしれないが、本当なんだ。いくら猫耳猫だって、こんな……」
どんなバグを使ったって、こんな状況を作ることは不可能なように見えた。
だが……。
「あ、の……。ありえない、可能性、だと、思うんですけど……」
俺が、全てを話し終えたその時、イーナは言いにくそうに俺を上目づかいにちらちらと見て、話し始めた。
「一人、だけ……。全員を、消し去れる、人が。全部のつじつまが合う犯人が、いるかもしれない、です」
そうして彼女は、まさに「ありえない」犯人の名前を、口にしたのだった。
そして数分後、俺たちの姿は、街の教会にあった。
ここまでの道中、街の人々の態度は普通だった。
誰かがいなくなったりした様子はなく、いつも通り。
だからこそ、俺の身の回りに起こっている事態の異常さが際立つ。
……だが、もしイーナの言ったことが正しいなら、それも無理ないのかもしれない。
なぜなら、イーナが口にした、その、犯人とは……。
「まさか、俺が全ての犯人だなんて……」
俺、こと、サガラ・ソーマだったのだから。
いまだに半信半疑という態度の俺に、イーナは難しい顔で頭を下げる。
「ご、ごめんなさい。でも、消えた人物は『いつもソーマさんの近く』にいましたよね。そして、これがもっと大事なことなんですが、誰かが消える直前、大抵『ソーマさんには意識の空白があった』ように思うんです」
「そう、言われれば……」
ミツキやリンゴの時は言わずもがな。
サザーンに最後に会ったのも俺だし、眠っている間のことを考えれば、真希をどうにかする時間もあった、というのは理屈の上では分かる。
「でも……」
「もちろん、わたしはソーマさんが自分の意志でそんなことをしたとは思えません。だから、怪しいのは……」
「この、リュート、か」
邪神を素材とした最強のリュート。
確かに、俺は最近、このリュートを大切にはしていたと思う。
それが邪神によるマインドコントロールだと言われれば、筋が通ることは通る。
だが、いくら素材が素材とは言え、まさか武器が人を乗っ取るなんて……。
「勘違いなら、勘違いで、いいんです。でも、一度解呪を受けて、証明してくれませんか?」
「……分かったよ」
最後に残った仲間の言うことだ。
試すだけは試してみればいいだろう。
イーナに先導され、教会の中に入った俺は、神父の前に立つ。
「じゃあ、わたしは荷物を預かっておきますね」
そう言って俺の鞄を外し、横に控えたイーナを意識の端で捉えながら、俺は神父に向き直る。
彼は優しさの中にも荘厳さを備えた雰囲気で両手を広げ、朗々と告げた。
「では、解呪の儀式を始めます」
その瞬間、なぜだろう。
手をあげたその神父の服についた十字架が、漢数字の十に見えた。
――なんだ?
とてつもない違和感。
圧倒的に、何かを間違っている、という感覚。
「なぁ、やっぱり、やめ――」
原因不明の焦燥感にあぶられるように、俺が顔を上げた瞬間、
「――ごめんなさい、ソーマさん」
俺の横から、決して聞こえてはならない寂しげな、しかしどこか冷たい響きが聞こえ、
「何を……えっ?」
俺の身体に、何かが降り注いだ。
感情のない目で俺を見るイーナの手には、エリクサー、快癒の泉の水の入った、ビン。
だとすると、今、俺がかけられたのは……。
しかし、考え事をしている暇はなかった。
バン、と音を立てて、教会の扉が開く。
そして、そこにあらわれた黒づくめの姿は、消えたと思われていたあいつの姿で――
「まさか、サザ――」
だが、俺がその名を口にする前に……。
「――スリープ」
抗いようもない眠りの渦が、俺の意識を呑み込んでいったのだった。
「――サザーン!!」
自分の叫びに驚いて目が覚める。
「ここは……」
目を覚ましたのは、見知らぬ場所。
いや、見覚えは、ある。
「四季の洞穴? でも、これは……」
植生に、異常がある。
これは、春のダンジョンだ。
俺が眠る前は、まだ秋だったはずだ。
と、いうことは……。
「俺は、一体どれだけの期間眠らされていたんだ?」
記憶が、戻ってくる。
俺は教会で、イーナのだまし討ちにあってエリクサーをかけられた。
それで石化が解けたことによって、サザーンのスリープを受ける状態になってしまった、という訳だ。
「なぜ……」
いや、理屈は分かる。
これは、邪魔なNPCを半永久的に行動不能にする『とこしえの石像法』その亜種だ。
不死の誓いを装備したNPCは状態異常が自然治癒しない。
だから、スリープをかければ何ヶ月でも何年でもずっと眠り続けるし、快癒の泉の水をかければいつでも好きな時に戻すことが出来る。
それから、仲間たちが消えたことだって、それが自主的な行動なら、説明出来る。
壁抜けなんて必要ない。
ただ転移石さえあれば密室から消え失せることは簡単だ。
一番の謎は最初の俺の部屋の本だが、あの時、閉めたはずの冒険者鞄は口が開いていた。
あれは、中にいたくまが外に出て、本を仕込んでどこかに隠れていたのではないだろうか。
幻石の洞窟の線だって、ミツキなら俺に気付かれずに洞窟の固い床を削ることだって可能だろう。
全て、仲間たちが自主的に姿をくらませたと考えれば、説明はついてしまうのだ。
「でも、何のために?」
呆然とつぶやきながら足元を見ると、そこに数字の1が掘られているのが見えた。
「また、数字……?」
やっぱり、これだ。
これまでのあらゆるものが、全て、ここにつながっている。
「謎の答えは、全て、この、中に……」
俺は、必死に考えた。
今まで、手がかりすらつかめなかった。
だが、この1を見たことで、これで全てのピースがそろったような、そんな予感がした。
もう一度、初めから考えてみよう。
最初は、数字の八で……いや?
その時、俺はやっと自分の勘違いに気付いた。
あれが、『八』じゃなかったとしたら。
いや、その言い方も正確じゃない。
そう、『八』だけじゃなかったとしたら、というのが正しいのか。
丸で囲われていたのは、『八』だけじゃなかった。
その両脇にあった[]も含まれていたと考えると、全く違ったものが見えてくるんじゃないか?
閃きに促されるまま、俺は地面に這いつくばると、今まで出てきた文字を、順番に書き出してみる。
[八] | = 丁 11 11 十 1
ああ、そうか、分かったぞ!!
これは……。
つまり――
「――今日は……
四月バカの日だ!!」