日本のマンガは世界でも親しまれています。その中でも、フランスでは他の国よりも翻訳される日本の作品が多く、その裏側ではマンガの翻訳家が活躍しています。
筆者の友人に、日本のマンガをフランス語に翻訳しているフランス人の友人がいます。名前はオレリアン・スタジェ(Aurélien Estager)。自分と同世代の三十代後半で物腰の柔らかい男。日本文化が好きで、日本人よりも詳しいかもしれない。
10年以上前、筆者が電子音楽のレーベルを手伝っていたときに知り合って、パリの家に泊まらせてもらったり東京で泊めたりしていた。ただ、仕事の真面目な話になると知りたくても気恥ずかしくてなかなか聞けなかった。
そこでインタビューする機会を設けて、まずはフランスでの日本文化についての馴れ初めから、そしてマンガの翻訳の仕事について聞いてみました。
日本のマンガを翻訳を始めるまで
──最初に通訳を始めたのはいつからなの? 日本語の勉強をしてから?
日本語を勉強してた時は、将来どうやって仕事にしようかはまったく考えてなかったんだ。勉強が面白かったし、日本の文化が面白かったし、適当に勉強してただけなんだよね。
──日本の文化で、初めて触れた作品はなにかな?
そうだね。子供の頃はアニメが日本から来たものだとは知らなかったけれど、テレビで『聖闘士星矢』『キャプテン翼』『キャッツアイ』『キン肉マン』とかをみていて。ただ『北斗の拳』は怖すぎてみれなかったんだよね。とにかくテレビっ子だったから当時やってたアニメは全部みてた。30本以上の日本のアニメシリーズをみてたのではないかと思う。今思うとSFものが大好きだった『鉄腕アトム』『コブラ』『キャプテンフューチャー』『宇宙伝説ユリシーズ31』(これは本当に最高)とかは今もよく憶えてるし、とてもいい作品だと思う。他に日本から来たものでは、特撮ドラマの『宇宙刑事ギャバン』をやっていて。子供の僕らには日本の作品だとは全然わからなかったな。テーマ曲が面白いんだ。
<フランス版『宇宙刑事ギャバン』こと『X-OR』のオープニング>
──日本人の僕も子供の頃は、吹き替えてあると『スーパーマン』も『ターミネーター』もわかんないですよ。
じゃあ一緒なんだ。ただ、『めぞん一刻』をみていた時は、違う気持ちを抱えていた気がする。当時、『めぞん一刻』は恋愛ものだから女の子がみるアニメだと思っていて、友達にはあのアニメは好きじゃないと言ってたけど、実はけっこう好きだったかも。特に町なみの風景、主人公が坂道を歩きながら見下ろす夜景がとても美しくて好きだった。年月が経つのにつれて、こんなとこ行ってみたいなと思うようになった。
単純に子供だったので、アニメが放送していたらとりあえず見まくっていた。
──日本語を学ぼうと思ったのはそれから?
アニメだけでなく、日本のマンガも好きだったな。なんとなくよく読んでた作品は『電影少女』『らんま1/2』。あと小説では村上春樹の『羊をめぐる冒険』。高校の時に北野武の映画『ソナチネ』がフランスで公開されて、同じ頃に日本からいろいろな作品が来たことが大きかったんだよね。それがきっかけで日本語を学ぶようになったかな。
──勉強し始めたのはいつから?
大学に行くための卒業試験で、美術の成績がかなり良かったんだ。ただ美術学校に行ってもやることが想像できるから面白くなさそうだと思って。逆にできないことをゼロから始めてどこまで行けるかをチャレンジしようと思って、日本のことが好きだったから大学から日本語の勉強を適当に始めた。でも、将来どう仕事にできるかは全然考えてなかったんだなぁ。
初めてのマンガの翻訳は、花くまゆうさく
──そこから仕事になったのは?
仕事になったのはけっこう時間が経ったね。大学4年生の時に、ボアダムスについて修士論文を書くはずだったのに、結局ワーキングホリデーのビザを取って日本でウェイターをしたりして、日本とフランスを行き来しているうちに、日本の電子音楽を海外に紹介するレーベルSONOREのオーナーと知り合ってて。「タダでいいから手伝いやらせてくれないか」と話をしたんだ。最初パリの大きなフェスに、レイ・ハラカミと小西康陽が呼ばれていて、そこにインタビューしてこいっていきなり言われて。その手伝いがだんだん多くなって、お金はほとんどもらえなかったんだけどフルタイムで働くようになったんだ。
──それで日本の滞在時間が増えたんだよね。それで日本語が上手になって。
そうだね。メールのやり取りをしているうちに上達して。でも、(フランスの)社会保険をもらいながら、お金をもらえない音楽レーベルの仕事をする生活に本当に疲れちゃって。限界を感じていたら、仕事で知り合った日本人の藤本サトコがマンガの翻訳をしていて、仕事を回してくれたんだよね。
──それが初めての翻訳。どういう内容だったの?
花くまゆうさくの『東京ゾンビ』が一番最初に翻訳したマンガ。その後はホラー系の日野日出志の『毒虫小僧』と駕籠真太郎の『殺殺草紙』。
藤本サトコは日本人でフランス語が母国語ではないから、どうしても一人で翻訳ができない。だから、いつもフランス人と組んで翻訳をしていて。当時の翻訳のパートナーが仕事を辞めて、私に声をかけてくれて。すぐに『クレヨンしんちゃん』の翻訳を二人でやった。そのまま、仕事が続いて、出版社が別の出版社を紹介してくれたり。
──それで仕事が増えていったんだ。
うん。いつも仕事が来る時に「いつ仕事が来るかわからないし、声をかけてもらうのはラッキーだな」って思う。奇跡だと思うけど、それが振り返ってみれば多くなっていた。というか、奇跡の連続だった。
──その姿勢がすごい謙虚。一回一回を大切にしてるんだね。
とりあえず仕事が来たら嬉しいし、次いつ来るかわからないからとりあえず受けている。あんまり作品を選ばないし、締め切りさえ守れそうだったらやる(笑)。
『クレヨンしんちゃん』のダジャレを翻訳
──『クレヨンしんちゃん』は、ギャグマンガでけっこう大変だったでしょ?
そうだね。『クレヨンしんちゃん』は、日本では大人向けのマンガだったので大変だった。だけど、フランスの出版社は、子供向けのマンガにしたい意向があったんだ。だから、汚い言い回しがあっても、子供が言ってもいい少し汚い言葉に翻訳しないとダメだった。あとダジャレも多かったな。
──あ、ダジャレは大変だよね。
大変だけど、いい感じに言葉を当てはめることができると嬉しい。奇跡が一個ずつ重なってくると嬉しくなるんだよね。もともとひどいダジャレで、フランス語訳がもっとひどくなってもとりあえずダジャレさえあればいいの。どんなひどいダジャレでも、ないよりは全然マシだから。
──きれいに訳せたから嬉しい?
もちろんダジャレはできるだけ面白くしたいんだけど、場合によっては絵と関係しているダジャレがあるからあまり余裕がない。だから、「こんなつまらないのしかできないなあ」って思っていてもそれでいいのね。まったくないより全然マシだから。だからそこは恥を忘れてプライドを捨てて、「もうこんなことしかできないよ」っていうのを覚悟した上でダジャレを当てはめてる。
──毎回当てはめるのは無理じゃない?
別のフランス語の言い回しにできたりして、無理なことは意外と少ないんだよね。ただ、どうでもいいダジャレと、ストーリーの進行において大事なダジャレがあって。大事なのはダジャレによって次の展開が変わるダジャレだね。そういった大事なダジャレを奇跡的にうまく当てはめると、フランスの出版社の人に好かれるんだよね。例え話として、ダジャレがおもちゃ箱にあるとしたら、おもちゃ箱の中に限られた数のおもちゃしかないから、なかったら仕方なく諦める時もあるんだよね。
赤裸々な距離感を言葉に。浅野いにお『うみべの女の子』
──フランスで人気のマンガ家はいるの?
客層がジャンルごとに違うんだけど、浅野いにおが評判がいいよね。ただ一般的に人気なのは『ワンピース』『ナルト』かな。青年誌はそんなに人気ないね。
──翻訳するのは青年誌の方が面白いのかな?
そうだね。まずアーティスティックな部分があって歯ごたえのある作品が多いんだよね。今まで翻訳した作品の中では、浅野いにおの『うみべの女の子』が一番面白かったかな。翻訳家として一番頑張ったのはこれかもしれない。
まず、モノローグが一切なくて、擬音語も一個とかしかない。だからドキュメンタリーみたいなんだよね。男の子と女の子の初恋をすごい近い距離で描いていて。まるで、作者が透明人間になって現場をずっとみながら描いたんじゃないかと思うくらい、こんなマンガ読んでいいのかと思うくらい、赤裸々。だから、主人公たちのすごくプライベートで秘密な話を近い距離でみているから、翻訳家として自分の存在をなるべく消さないといけないのね。
それと、主人公が若者だから、若者ならではの言い回しや考え方から生まれる空気感を壊したくない。若者の振る舞いとか空気を大切にするために理解するというか、自分もそこに馴染まないといけない。簡単にいうと、大人が訳してることを感じさせちゃいけない。そういうことをすると作品がずれちゃうから。だから一番頑張ったかもしれない。実際にはやらなかったんだけど、家の近所の中学や高校にいる学生たちの会話を聞きに行こうかと思っていたくらい(笑)。
──それくらい思わせる大切に扱いたい雰囲気があったのね。
そうだね。いつもすごい細かいところでいろいろ悩むんだけど、これが一番悩んだかな。作者に会ったら、「これが一番自分の完成系に近い作品だ」と言ってたから訳せてよかったと思ってる。
──いい仕事ができたんだ。クオリティに関してなんだけど、翻訳する時って誰かチェックするの?
うーん。出版社にほとんど日本語をできるスタッフがいなくて。ほとんどフランス語しかわからない人が翻訳をチェックしていて。そこは個人的にあまりよくないと思うんだ。例えば、作品の中で俗語や正しくない言い回しをよく使うけれど、担当者によっては文脈をわかっていないし、日本語がわからない人が翻訳をみると「フランス語的にはおかしいよ」って注意されて直される場合もあるんだ。でもそこは「いや、そこは待ってって。きれいにするとニュアンスは変わるし世界観も変わっちゃう」って伝えるね。
──では、翻訳するのが大変だったというか、思い出の場面はあるの?
1巻の終わりにあるケンカのシーンの勢いがけっこう特別で、本気で主人公がケンカしてるからリアルにしないとダメだなって。あんまり自分でケンカの経験がないから、ちょっと大変だったかな。
──他の暴力的なフランス語の作品を真似たりする?
しないね。まずこの作品はマンガでも文学でも映画でも似たようなものをみたことがないから。他の作品は何の参考にならないと思う。
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