ヨドバシカメラに修理に出していたものを受け取りに行く用事があったので、重い体を布団から引きずり下ろして身支度を整え、隣駅まで出かけることにした。
昨年末からずっと体調を崩しており、まあ、例年この時期はだいたいこのような状態なので、慣れたものではあるのだが今年は酷く長引いている。ベッドから起き上がることができずに一週間以上寝込んでみたり、そうかと思えばどれだけ疲れていても3時間キッカリで目が覚めてしまい、眠れない。といったような状態が交互に続き、交感神経も副交感神経も完全に馬鹿になってしまっている。
日曜日・東京の空は良く晴れていて、40年に1度の大寒波でしつこく居座っていた残雪も踏み均されて日陰の隅に僅かに鼠色を残すばかりだ。丸々10日以上外界から取り残されていたのでうっかりマフラーを巻いて出てしまったが、駅までの短い道のりを歩いただけで不要だったと気づき、鞄の中に丸めて詰めた。
一昨日から肩凝りが酷いので駅前の薬局でボルタレンのゲルと湿布、それから歯磨き粉と一番安い目薬を4つまとめて買う。目薬を指すのが本当に下手なので、人の四倍の速さで目薬が空になるのだ。今日はスプラトゥーンのフェス(ニンテンドースイッチのゲーム)をもう少し遊びたいので、早めに家に帰りたい。ヨドバシカメラの用事は一瞬で片付いた。よせばいいのにせっかく出てきたのだから、とディスクユニオンに寄って、レコードの新入荷と邦楽CDの棚だけパトロールすることにする。
いま中古CDは本当に安い。ちょっと高めの中古レコードを1枚買う値段で、一生聴ける名盤CDが10枚は余裕で買える。今日はキリンジの棚が充実していたので、帯付きで状態のいいものを何枚か回収したかったが、流石に値が張るので今日家に帰ってから聴きたいアルバムを2枚だけピックした。音楽にかかる出費はアナログ盤と圧縮音源に限定するという暮らしを長く続けていたせいで、昔持っていたCDはほとんど手放してしまって、今はもう手元にない。中古レコ掘りがひとつの壁にぶち当たっていることもあり、決して褒められた傾向ではないが最近は手放したCDを買い戻す遊びに淫している。逃げているわけです。
結局今日買った中で一番高かったCDはNUMBER GIRLの珍NG&RARE TRACKS、1,750円。レコードなら再発の安いナイトフライが1枚買えるか買えないかぐらいの値段か。いけないルージュマジックなら余裕で5枚は買えると思う。
食欲はほとんど無いと言ってもいいぐらいだったが、煙草が吸いたくて仕方なかったので最寄り駅に帰り着いてから流れるようなムーブでいつもの喫茶店に入り、サンドイッチとコーヒーだけ注文した。日曜日なのでカウンターまで満席かもしれないと思ったが、幸い隅っこの狭いテーブル席に辛うじて落ち着くことができた。相変わらず肩凝りは酷い。
昨晩も3時間キッカリで目が覚めて、つまり朝の6時から起きているので流石に眠く(と言ってもこの時点ではまだ13時なのだが)、なんの感慨もなくサンドイッチを片付け、立て続けに煙草を3本吸ってからコーヒーを半分残し、居眠りを試みる。ただ、この席は壁がそのまま背もたれになっており、しかも、背中のちょうど真ん中あたりの位置に謎の角材の出っ張りがあり、もたれかかると背骨と干渉して痛い。座面のクッションも手前にずれていくし、早々と寝るのを諦めて、店を出る。土日シフトの店員は故障していたレジが直っていることを知らないらしく、毎度領収書を手で書いてくれるのだが、お互い時間の無駄なので左上のボタンを押すとレシート出ますよ、と教えてあげた。
年明け頃から、特に思い当たる理由もなくカラーの1枚絵を描くのが楽しくて、自分にしては珍しくひと月で結構な枚数の絵を描いた(と言っても7,8枚か)。一昨日ぐらいから、これも特に差し当たって思い当たる理由もきっかけも無いのだが、とにかく霧矢あおいちゃんの絵をたくさん描きたくて仕方なくなってしまい、たくさん描いている。仕事でも頼まれたわけでも、締切があるわけでもないのにとにかくたくさんの霧矢あおいちゃんを、とにかく早く描きたくて、半ば強迫観念、希望ではなく念慮が霧矢あおいちゃんを描かせていた。
線を選んだり置いた色の正否を判断したり、1枚絵は漫画では棚上げせざるを得ないところに時間と頭を使うことができるので、楽しい。ただ、結局液晶タブレットのペンを握るのは同じ手なので、1日8時間以上霧矢あおいちゃんの絵を描き続ける日が何日も続くと流石に疲れる。疲れたならば止めれば良いのに、手が止まらない。これは私のいつもの悪い癖だ。ペンが走り始めると、ブレーキを踏むことができなくなる。
イラストを描くためのモチーフが霧矢あおいちゃんである必要が果たしてあったのか、今の今までそんなことは一瞬たりとも考えもしなかったが、よくよく考えてみると霧矢あおいちゃんの絵でなければならないという必然性はどこにもないようにすら感じる。ただ、手に馴染んでしまっているのだろう。初めて霧矢あおいちゃんの絵を描いた時、シュシュの構造が把握できなくて上手く描くことができず、ひどく苦心したのを覚えている。今ではもう手癖で全部描ける。シュシュも、サイドテールも、足の小指の爪先まで。
なので、今、私はひどく同様している。
STAR☆ANISとAIKATSU☆STARS!がアイカツ!シリーズを卒業する。
青天の霹靂だった。
霧矢あおいちゃんの絵の続きを描きながらそれとなく開いたTwitterのタイムラインでその報せを目にするまで、私はこういう形でまたアイカツ!に終わりが来るとは思っていなかった。武道館の2DAYSが卒業への布石だったなんて、考えもしなかった。
アイカツスターズ!の終了とアイカツフレンズ!の始動、盛大な5周年企画の数々。少し考えれば、ちょっとでも想像力を働かせれば十分に思い当たるシナリオだったはずなのにも関わらず。
こんな知らせが飛び込んでくるだなんて私は一秒たりとも考えずに、呑気に霧矢あおいちゃんの絵を描き続けていた。代替わりはするけれど、少なくともあと1年ぐらいはまだアイカツ!シリーズは続くんだな、と。スターズ!はDCDを少し遊んだ程度で、最近の私はそれほど熱心なアイカツ!シリーズのファンとは言えなかったかもしれない。事実、今日どこかで何かしらの発表会があったことさえ、私は知らなかったのだ。
そのぐらい、アイカツ!が日々の暮らしに溶け込んで、いつも自分の側にあることは、私にとって至極当たり前のことになっていた。
「歌のお姉さん」の卒業が、アイカツ!にとって何を意味するかは、ここで確認する必要は無いだろう。
私は暫し呆然と絶句しながら、まるで自分に平静を促すかのように霧矢あおいちゃんの絵を描き続けていた。私の描く霧矢あおいちゃんは可愛い。とにかく動揺しないように、泣き出してしまわないように、霧矢あおいちゃんの絵を描き続けることしかできなかった。
アイカツ!が何故自分にとってこれほどまでに特別なものなのか、特別なものになってしまったのか、もう5年近く考え続けているが未だに明確な答えは出ない。
好きなアニメ、漫画、そういったものはそれこそ星の数ほどあった。でも、どれだけ入れ込んだ作品も、その作品の二次創作をやろうと思ったことは、一度もなかった。
コミティア出身の人間なら全員理解できる感覚だと信じるが、一般/成年向けの区別なく、人様の作品やキャラクターを自分の同人誌にして何が面白いのだろう、20代の初めの頃、それこそ彼岸泥棒の名義でコミティアにサークル参加していた頃は、本気でそう思っていた。というか、正直に言うと激しく中指を突き立てていた。ので、まさか自分が、アニメの二次創作を、それもアイドルアニメの、しかも女児向けアニメの、二次創作をこれだけ長い期間続けることになるとは、一秒たりとも想像したことすらなかった。
私が本腰を入れてTVアニメ「アイカツ!」の視聴を始めたのは2期の中盤頃、今思えば主力スタッフが劇場版の製作に駆り出され、本当にいい具合のゆるい作画が続いていた頃だろうか。ので、放映前から1話を録画予約していたような女児向けアニメプロパーの先輩諸氏に比べたら、とても古参とはとてもじゃないが言い難い。もちろんそれまでに当然アイカツ!という面白いものがあるらしい、というのは各方面から耳に入れていたし、DCDの方は2013年第3弾の頃に既に遊んでいる形跡がある。最終的な決定打になったのがNARASAKIの書いた「Signalize!」だったことは言うまでもないが、私のアイカツがいつ始まったのか、明確に始点を定めるのは難しいかもしれない。ので、以下便宜上、公式になぞらえた上で少しだけサバを読み、私のアイカツは「5年前」に始まったこととする(そして、勿論まだそれは終わっていないことも、ここに書き添えておく)。
これは各所で何度も公言していることだが、私はアイカツ!第2期の最終話である第101話「憧れのSHINING LINE」を、五反田の総合病院にある精神病棟のベッドの上で観た。1枚1000円のテレビカードで、10時間テレビを見ることができる。私は退院までにカードを1枚と少し使い切り、その度数の殆どはアイカツ!の視聴に充てられた。
ベッドと、シーツと、カーテンと、面白みのない景色の窓。真っ白で退屈な無彩色の時間の中で、唯一鮮やかに彩られて見えたのが毎週木曜日の18時半だった。初めて芸カに行った夏の日も、私は無理やり外出許可を取り付け、15時までに五反田に戻らなくてはならないというリミットの中、蒲田に走った。
これは別にアイカツ!で精神疾患が寛解した、とかそういう類の話ではない。自分の境遇を語って同情を買いたいわけでもないし、アイカツ!が人生を救ってくれた、などと言うつもりもない。これはそういった手垢の付いたクリシェとは無関係である。繰り返すがアニメは人生を変えてくれないし、アイカツ!も例外ではない。だが、アニメを観て人生を変えることはできる。
私が言いたいのは、アイカツ!が、このようにして、私だけでなく、私以外の全てのファンにとっても同じように、何らかの救いであり、憩いであり、時にある種の信仰の対象であり、その副作用として自己更新を強く促してしまう作品であった、ということである。
アイカツ!を愛してやまない人々は、それぞれの暮らしや、不安、苦悩の中で、アイカツ!という作品の中に次の自分の姿を見出した。それは我々人類が生得的に備えている、朝起きたら別人に生まれ変わっていたい、という願望の姿そのものだ。傷をつけることでしか新しく皮膚を作り変えられないように、常に代謝と更新を求め続つける、我々に与えられたたったひとつのベーシックな教養。その、繰り返される治癒と浄化のサイクルの中に、私たちはアイカツ!を組み込んでしまった。
私がアイカツ!の絵をまともに描き始めたのは退院後の2014年末だった。直接のきっかけはたけしさん(@chikuchikusuru)の描いた霧矢あおいちゃんの絵を見て。
失礼な言い方に聞こえかねないかもしれないが、たけしさんの描く絵を見て私は「あ、これでいいんだ」と思った。アニメのキャラクターの絵を描くからと言って、無理に絵柄を似せなくていいんだ、と。
たけしさんの描く霧矢あおいちゃんは本当に魅力的だったし、もちろん今も変わらず魅力的だ。たけしさんだけではない。アイカツ!の絵を描き始め、芸カで同人誌を出すようになり、作家もそうでない人も、色んな人と出会ったり別れたり仲違いしたり仲直りしたりした。こんな長文オタクポエムを書いているのも、かおす2号君のツイートに責任がある。
私は芸カで山のように買い込んだ同人誌を片っ端から読み漁って、毎回毎回本当に胸を締め付けられるような気持ちになった。そこには、作家の数だけ全く違った、けれどもアイカツ!という言葉でしか括れない自己更新の姿が無数にあった。
私にとってのアイカツ!の二次創作は自傷行為とセットになった治癒と浄化のプロセス、ある意味では瀉血のようなものでもあったが、もしかしたら芸カにサークル参加している人たちの全てが同じモチベーションで同人誌を作っているわけではなかったのかもしれない。
それでも、2016年3月に無印アイカツ!の放映が終了した後、原作の供給がストップしたアニメのオンリーイベントでみんながどんどん自分の衝動に忠実になって、素直に壊れて、楽しそうに狂って行ったのは見ていて本当に面白かった。私たちは戸惑い激しく狼狽しながらも、とにかく自分の中のアイカツ!を作り変え続けていた。
歌のお姉さんが卒業したからと言ってアイカツ!シリーズが終わるわけではないし、私にとっては無印アイカツ!が終わった時点で、既にとっくに終わっていたと言うこともできるかもしれない。幸い私たちにはまだ芸カという場があるし、いつか芸カが開催されなくなったとしても、2020年のオリンピックがビッグサイトを含む東京を全部真っ平らにするためにやってきても、紙とペンさえあればいつでも手の中にアイカツ!のレプリカを作り出すことができる。例えそれが不格好なデュープにすぎないとしても。
物事の終わりは新しい始まりの合図である。
そのことはアイカツ!シリーズが繰り返し訴え続けてきた。
私は、いつかアイカツ!に興味を失って、霧矢あおいちゃんのことを思い出しても何とも感じなくなって、やがてそうして全部忘れてしまったとしても、それでいいと思っている。
どうしてあんなものに夢中になってたのかすら忘れてしまっても、必死に集めたグッズを全部処分してしまっても、アイカツ!を通じて出会った友人たちと疎遠になったとしても、それは決して間違ったことではないと本気でそう思っている。
私たちは、突然何かに夢中になったり、突然飽きたり、だんだん忘れていったりすることができる。そのことが、私たちを何度も次の自分の姿へと作り変えていく。
アイカツ!のことなんてもうすっかり忘れてしまって、いつかまた新しい別の何か、勿論それはアニメじゃなくても何でもいい、5年という決して短くはない時間を捧げることのできるものに出会えたら、それは素晴らしいことだと思う。
その時に、懐かしいね、そんなアニメもあったね、と何もかも全部笑い話にできたら、それ以上幸せなことを、私は他に知らない。
天羽まどかは劇中で、変わるものもあるけれど、変わらないものもある、と言った。
私はそれは、間違っていると思う。
何もかも全て、変わるよ。
変わることをやめてしまったら、失うことに飽きてしまったら、生きていても仕方がない。
アイカツ!は私たちにあまりに多くのものを与えてくれた。どれだけあがいたところで、とても恩返しできるような代物ではない、クソでかいラブとしか言いようのないものを。
そして、私たちはアイカツ!を失ったわけではない。はなから、私たちは、何一つ手の中に持っていなかったのだから。ただ指の隙間を通り過ぎて、去って、忘れていく。それだけのことだ。
だから私は何度でも忘れるよ。また、思い出すために。
今、この気持を、いつか懐かしい気持ちで笑い飛ばすために。
絵は、まだ描き上がらない。
2018年2月4日
もう住み慣れた杉並区のワンルームにて