2018年、名護市長選で思ったこと
昨日、同日開票された名護市長選挙だが、投票率は76・9%、現職・稲嶺進(いなみね・すすむ)氏は1万6931票、無所属新人の渡具知武豊氏が2万389票。結果、渡具知氏が3458票差で当選した。
率直なところ、自分には意外だった。というのは、1月21日、南城市の市長選挙、現職の古謝景春氏が、翁長雄志県知事が推す無所属新人瑞・慶覧長敏氏に65票差で敗れたことから、翁長知事支持の動向が強くなっているのだろうと想定していたからだ。余談だが、古謝氏は沖縄生活で懇意にしていだいたこともあり、個人的にだけだが、落選は残念には思った。
名護市長選をどう見るかだが、まず、非常に単純で明瞭なことがある。現職が落選したということは、前任期の施政が評価されなかったということだ。これは、どのような選挙でも言い得る原則であり、名護市長選挙でもまずその線が明瞭になった。
辺野古の新米軍基地造成の問題を抱えているとして、そこが注視されやすい名護市長選挙だが、住民にしてみると、稲嶺氏の行政は落第だったことは揺るがない。他方、僅差という以上の差が開いたものの、圧倒的な差ではないことから、逆に、稲嶺氏の行政を是としていた住民も多数いた。過去の名護市長選からもこうした、いわば基地問題を軸にしたかのような拮抗の経緯はある。
名護市ができたのは、復帰後の町村合併によるもので、当初は、革新系の渡具知裕徳氏が安定的に市政を維持し、1986年に保守系の比嘉鉄也氏となり、1995年の沖縄米兵少女暴行事件に端を発した沖縄の激動のなか、普天間飛行場辺野古移設の賛否を問うことになる97年12月の市民投票で反対票が上回ったにもかかわらず、翌年、比嘉市長は六諭衍義の言葉を添えて新米基地受け入れを表明。その代償のように辞任し、実質、当時の市助役の岸本建男氏に禅定した。
以降、岸本体制となるが、2006年2月健康上の理由で退任(翌月62歳で死去)。後任は事実上の禅定でもある島袋吉和氏となるが、この選挙では革新系の分裂もあった。そして、2010年の選挙で島袋氏は、基地移設反対を掲げた稲嶺進氏に、1588票差で破れ、今回の選挙まで稲嶺体制が続く。前回は、稲嶺氏1万9839票、前県議・新人・末松文信氏1万5684票で、稲嶺氏が票差4155票差で勝った。
前回の選挙の流れで見れば、稲嶺陣営が優勢だったように思えるし、他面、名護市では保守系基盤も強いこともわかる。
今回の名護市長選挙に関するデータで率直に驚いたことがある(ここでは引用できないがOTV報道で知った)。渡具知支持と稲嶺支持の比率が、10代から50代までは概ね6対4で、60代以降が3対7となることだった。単純に言えば、今回選挙権を持った10代を含め、勤労世代に渡具知支持が多く、稲嶺支持は60代以降が多かった(年金世代とも言えるだろう)。
この世代の亀裂は非常に興味深い。ナイチ(沖縄以外)でも革新系の高齢化が顕著だが、沖縄でも同様の傾向はあるだろう。また、この亀裂はちょうど沖縄の本土復帰の世代に重なるので、日本世(やまとゆ)の傾向とも言えるのではないかと思った。
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