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嫌悪と標的と2
早朝の素引き(矢を番えず弓を引くだけの練習)を終えてファルセットとまだ眠気眼のクリスティーヌと共に朝食を済ませた後、街に買い出しに出た。
早朝市で保存の効く食料を買い、不足しだした日用品を揃えた頃にはもう昼も近くなっていた。
決まったものを買うのだから早く済むのではと思うだろうが、そんなことはない。
日本では技術職についていた私は、とにかく安くても品質のいいものを選ぶ癖がついているため、何かを買うにしても数件店を回って選んで買うため時間がかかるのだ。
最初こそ付き合っていたクリスティーヌは面倒だと言っていたのだが、いざ買い物をする段階になれば色々と言いだすのだから可笑しなものである。
ちなみにファルセットは観るものすべてが新鮮だと言わんばかりに目を輝かせて後ろをとてとてとついてきていた。
時折逸れたかと思っても、そもそも契約者であるクリスティーヌの所在は常にわかるし、私もファルセットが住処としていた森と関わり合いが深い事で、クリスティーヌ程はっきりとでは無いにせよ、ある程度離れた所でも存在が把握できるらしく、少し立ち止まっていればすぐに戻ってくるので何ら問題がなかった。
「そろそろお昼ご飯食べる場所でも探さないとかしら」
そう言って立ち止まった時に隣を歩いていたクリスティーヌに顔を向けたが、そこにクリスティーヌは居なかった。
周囲を見渡せば、少し後方にある店で立ち止まって、何かを見て居る様だったので、私もそこに行く。
クリスティーヌが観て居たのは普段着用のドレスだった。
旅をしている最中ではそうそう服装を変える事は出来ない。
旅ではどうしても生きていく上で必要な食料と食事をするうえで必要な道具、怪我や病気などの対策で必要な薬草などが優先されるため、衣服に置いては優先順位的にとても低くなるため、今来て居る服が酷くなってきたりしない限りは旅の間に新調する事はまず無いと、旅自体が初めてな私が、旅の準備をする際に服装について尋ねた時にクリスティーヌがそう言っていた。
事実、今は寒さを凌ぐための厚手の上着などは必要ないので、クリスティーヌも今着ているドレスの他には寝巻用のドレスと着替え用のドレスと下着ぐらいである。
流石に旅を始めたばかりの私は服を新しく購入する考えはなかったが、旅をする生活を何年も続けて居ると言う彼女は、気に行ったドレスがあったので新調したいと思ったのかもしれない。
飾ってあるドレス見れば、実に彼女に似合いそうなドレスだったので、買おうかどうかを悩んでいる可能性は高そうである。
「そのドレス、買うの?」
「今、悩み中よっ!」
値段は書いていなかったが、質が良さそうなドレスだったので、それなりの値段がしそうではある。
だが、普段のクリスティーヌの服自体も今見て居る服とそれほど大差の無い質が良い物なので、クリスティーヌの所持しているお金で支払い自体は可能そうだと見当をつけ、悩んでいるクリスティーヌの横で暫く待つ事にした。
しかし、そう待たずして、店から上品な服装の女性が現れ声をかけられ状況は変わった。
「そこの可愛いお譲さん方。そこで見て居ないでお店に入ってはどうかしら?」
「はあ……?」
思わずな状況に生返事を返した私たちを優雅なしぐさで手招きする女性には、私たちに対する悪意の色は全くなく、むしろ好奇心ある目を向けていたので、私たちは店の中に入る事にした。
「奇麗な子がガラスにはりつく勢いでドレスを見て居るのが見えたから気になっていたら、後から来た子もなかなか可愛らしい子だったので、思わず声をかけてしまったわ」
そう言って店内にある接客用だろうテーブル席に座らせられた私たちに、香りの良い紅茶を入れて差し出してきたこの女性はレオノールと名乗った。
なんでも、王宮仕えの仕立屋の一人なのだそうで、本店は王都にあるが、商業規模としては王都の次とも言われる程のこの街ミスティレイにもこうして店を構えて、二月に一度は店の様子を見に来ているのだと言う。
今日は丁度ミスティレイにあるこの店の様子を見に来た日だったという訳だ。
レオノールの年は三十代半ばかそこらだとは思うが、容姿こそさ程際立った容姿ではないにしろ、身につけて居る服とのバランスが良いため、とても奇麗に見える。
女性の起業家が多いかどうかは知らないが、少なくとも結婚が女性の最大の幸せであると言われるこの世界では、女性の起業家というのは結構風当たりが強いのではないかと思う。
だが、それを感じさせないほどに自信あふれるその雰囲気に、私はとても好感を覚えた。
がむしゃらに仕事をしていた自分の過去と重なって共感したという事もあるかもしれないが、やはり働く女性というのは格好いいなと思う。
「正面に飾っていたあのドレス、なかなか良いでしょう? 私の自信作なのよ」
「ええ。とっても素敵だわ」
普段は若干捻くれた言い方をするクリスティーヌが、珍しく素直に感想を言った。
かなり気に入っていたらしい。
「あなたにとても似合いそうだし、是非買っていただけないかしら? お安くしましてよ」
「おいくらかしら? あそこに値札は無かったわ」
「わざと値札は付けていなかったの。だって自信作ですもの。自信作だからこそ、似合う人に着てほしいというのが作り手である私の気持ちなの。だから値段は似合うと思った人が買いたいと言えば、その人が出せる金額に合わせて購入してもらおうと思って値札をつけなかったのよ」
「それって、かなり損する事もあるのでは?」
思わずそう言った私に、彼女はもちろんと笑って言った。
「たかだか一着のドレス、しかも普段着用のドレスだから、損をする額などたかがしれているわ。その程度、私にとっても、店にとっても、痛くもかゆくもなくてよ?」
実に堂々と言いきったところが実に清々しくて格好いい。
これは惚れる。
「そう言う訳でどうかしら? 買いませんこと? お値段は今言った通りにご相談ですけれど」
そこまで言われればクリスティーヌに迷いは無くなったようで、買うわと頷いた。
「あなたも一着どうかしら?」
「私ですか?」
まさか話をふられるとは思っていなかったので、思わず問い返せば、店に招き入れた時と同様に好奇の目を私に向けて笑った。
「ドレスが嫌なら、今あなたが着て居るような服装を仕立てても良くってよ。もちろん、お値段は彼女のドレス同様相談して決めさせてもらうわ」
わざわざ服を仕立てるとまで言われ、自分の服装を改めて見下ろしてみた。
簡単な話が、一般的な男性の服装である。つまり男装だ。
肌にぴったりとした長袖の上に半そでで太ももまであるような長いシャツを着て、そのシャツがだぼついて邪魔にならない様にするため男性の場合はベルトを着用するのだが、ベルトの代用としてコルセットを締め、さらに下には黒めのパンツにひざ下まであるロングブーツという格好である。
全体的に黒と赤を中心に色を纏めて居るのが気遣いと言えば気遣いではあるが、動きやすさを重点に置いた分、女性らしさは大分薄い。
誰かに何か言われそうな格好ではあるよなと常々思いつつも、今まで誰もそれにツッコミを入れて来なかったので気にしていなかったが、まさかここで話が出てくるとは……。
しかも王宮仕えの仕立屋であるレオノールがわざわざ仕立てると言うのである。
もっとセンスが良く動きやすい服を作ってくれるかもしれないと瞬時に思ったのは言うまでもない。
「こんな感じの服って、男装ですよ? これ」
「そうですわね。でも、ご自分で少し直されたのではなくて? 男装なのに女性らしさはちゃんと出ている格好だと思いましてよ。それに、ベルトの変わりにコルセットというのは盲点でしたわ。たったそれだけで、物凄く女性らしい格好になるものなのね。とても参考になりますわ」
「……はい?」
思わぬ言葉に目を点にする私を、クリスティーヌが何今更驚いてるのと言いたげな視線を送ってくる。。
「カレン。あなた今まで気付いていなかったの?」
「何が?」
「あなたの格好は確かに男装だけど、しっかりと女性に見えるから結構目を引くのよ?」
「え? そうなの?」
呆れたと言う様に肩をすくめたクリスティーヌを見て、未だ理解が及んでいない自分は首を傾げるしかない。
王都ではどうだかわからないが、男装自体はさほど珍しいものではない。
短いながらも旅をしてきた中で、決して少なくはない男装の女性を見かけてはきたからそれは間違いはない。
確かに若干ではあるが、女性らしさを強調する凹凸が目立たない男装は、良くも悪くも少年らしさが見えるものなのでなんとも言えない所があるが、動きやすさを考えた服装を選んでいるという点を考えれば、女性らしさなどさしたる問題では無いと思っていた。
私がコルセットをベルトの変わりに付けて居るのは、単にそっちの方が自分に合っていたからという理由だけである。
奇しくも日本ではアニメ漫画ゲームでこんな格好の女性像は腐るほどあったので疑問に思いもしなかったのだが、もしかすると、その考えがそもそもこの国では存在しなかった考えだったのだろうかと今更ながら思いいたる。
「しかもあなた、物凄く体の曲線が奇麗だし、姿勢も良いから目立つのよ。その腰の細さとか胸の大きさとか、殺意を覚えるわ」
「いや、殺意って……」
クリスティーヌだって十分スタイルが良いのに何故殺意を覚えられたりしなければならないのか。容姿だって私なんか及びもつかないほどに良いのに。解せん。
「それでどうかしら? 私が新しく仕立ててみせますから、買いません事?」
申し出は凄く有り難いが、それこそこれから仕立てるとなると、結構な時間がかかるに違い無い。
滞在は今日までと決めており、明日の朝にはここを立つ予定なので、流石に半日で仕上がるとは思えず、気持ちはありがたいがと告げればレオノールの目が輝いた。
「向かう先は王都ということでしたら、仕立てた服は王都で引き渡すのではどうかしら? どうせ私も近日中に王都へ戻りますから、丁度良いでしょう?」
どうも物凄くやる気満々のようである。
クリスティーヌが欲しがっていたドレスもシンプルながらも素敵なデザインだったので、彼女に仕立てて貰った服は、きっといいものに違いない。
お金の融通は利くということだし、いいものを着れるというのも女としてとてもうれしいものがある。そして向かう先は王都だから、断る理由はどこにもなかった。
「じゃあ、お願いしちゃおうかなぁ……」
「ふふっ! やる気が出てきましたわ!」
私はサイズを測ってもらい、クリスティーヌはドレスを包んでもらって、それらが互いに終わったところで店を後にした。
店を出る前にちゃっかりおすすめのお風呂場と食事処を聞いたらレオノールが快く教えてくれたので、まずは食事処へと向かう。
「おっふろ。おっふろ。楽しみだなぁ!」
やっぱりお風呂は日本人の心だと思う。
お風呂と聞いただけでどきわくだ。
もっともクリスティーヌはそんな私を見て「あなた、本当に変わってるわよね」なんて言うが、それも今の私は気にならない。
お風呂最高!!
店に入るときになぜか姿が見えなくなっていたファルセットは、どうやら店に入る私達の様子を少し離れた所で見いたらしく、一緒に入ろうかと迷ったようなのだが、服装については何も関われないと思って、近場の屋台をめぐっていたらしい。
彼も彼で中々いい時間を過ごせたようである。
よく考えれば、都度クリスティーヌの暴走やら何やらで慌ただしかったので、こうして穏やかな日を過ごせることが、旅に出てから初めてなんじゃないかと気づく。
だが、この穏やかな日が急変することになるとは、この時の私にはわからなかった。
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