2018-02-05

フィクションに使う言語として、英語日本語より優れてる点ってあるの?

ダーリンインザフランキス4話目のキャプ公式非公式かわからないけどほぼタイムラグなしで英語字幕つきのものネットに上がっている)で、02の台詞の「ボクに乗りたいの?」が「You wana ride me, huh?」になってた。

そう、ボクっこを表現する手段英語にはないのだ。


また、02は「ボクに乗りたいの?」とは言うが「ボクに乗りたいのか?」とは言わない。一人称がボクであること以外は女の子の喋り方だ。もし「ボクに乗りたいのか?」だったら喋り方全体がより少年っぽく堅い、ひいては自己決定として少年的なそれの持ち主だということになる。「か」の有無だけでガラリと変わるこういうニュアンス英語では伝わらない。


02のような自信満々で攻撃的で実力のある女は英語圏では大人気なので02は大ヒットしているが、未だにボクっこだと気付いてない人が大勢いる(日本語音声で観てても結構聴き分けられないらしい)。もっといえば15のようなキャラニュアンスもっとからないのかもしれない。「謝らないで」と「謝るな」と「謝んな」はどれも全く違う。その一言だけでどんな類型キャラかとか16とどんな関係性かとか情報が大量に入っている。そういうのが英語翻訳するのが不可能だ。


どうも英語の会話を見ていると、そういうニュアンス表現力の乏しさは声の抑揚や顔の表情で補ってるような気がする。だから日本人だと芸能のクロウト以外はかなり一本調子の抑揚でしゃべるのに対して、英語話者は一般人でも声がかなり乱高下するし顔のジェスチャーが多い。

記事への反応(ブックマークコメント)

 
 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん