「精神を病んで仕事もしておらず、毎日寝てばかり。一体何のために生きてるんだろう、って思っちゃうんですよね」
そんな風に思っていませんか。
私は、一時期、デイケアではなく、民間の障害者施設に通っていました。そこでは、多くの精神疾患の人たちが集まってきます。重度の方は基本的に入院中なので、社会にでられるけれど、就労まではいかない、といった階級(?)の方々がくる施設です。
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仲良くなるとみんなが「何のために生きてるんだろう」と問いだす
そこで、仲良くなるとみんな「何のために生きてるんだろう」と自問自答してることを教えてくれるのですね。何のために生きてるか。それはわからないですね。でも、個人的な考えでは、誰かのために生きてるんじゃないですかね。
親でもパートナーでも子供でも良いですし、誰もいないならハムスターを飼うのも良いのではないでしょうか。
「何のために働くか」も同様で、世のため人のため、そしてお客さんのために働けるとき、もっともエネルギーが出るもんですよ。
精神科で聞いてはダメ
しかしこれ、私が仲良くなったお友達はみんな、精神科で「私は何のために生きてるんですか?!」と聞いてしまうようです。しかしそんなことを精神科医に聞いてはいけません。
精神科医は理系の人ですよ。だから「何のために自分が生きているのか」という文学的かつ哲学的な答えは持ち合わせていません。聞いたって絶対に教えてくれないです。
自分に酔って、問いかけることそのものが目的なら別ですが、そんなことをしたら、余計に「まだ薬効いてないな」と思われて薬増やされちゃいます。
すぐに「死にたいな」に転びやすい
そして「自分は何のために生きてるんだろう」という問いかけは、「死にたいな」に転びやすいのではないかと思います。まあ「死にたい死にたいと言ってる人でほんとうに死ぬ人はいません」という言説もありますが、私の親友はそれでほんとうに死にましたゆえ、非常に危険だなあと思う次第です。
人は内面に何を抱くかで、キラキラ輝きもすれば、くすんでしまうこともあるのですね。でも、一生キラキラ輝いている必要はないのではないと感じます。転んだり、つまづいたりしながら、それでも前を向いて歩いて行く人が好きですね。
「何のために生きてるんだろう」。この問は誰も応えることができません。時間がありあまり、心を病んでいるときは、それが「死にたいな」につながりやすいので、できればダイエットでもジョギングでもクラウドソーシングでもテレビでも良いので時間をつぶして、深刻な悩みから距離をおいてほしいと思いました。
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