青二才さん、ドヘタな小説を添削する
友人から、「文章が驚くレベルで下手な人がいる」と言われて、カクヨムの小説を読まされた。
ギャンブル学園 確定少年と薄幸少女(新橋九段) - カクヨム
本来ならお金をもらってやる文章添削を、僕は(彼に色々とおごってもらってるのもあって)彼の前でやることになった。
下手なところを全部指摘してるといじめみたいだから、この小説の1話の書き出しを例に説明する。
電車から降り、駅名に間違いがないか確認する。階段を上り、降りて出口まで向かう。改札機にICカードをかざし、通り抜ける。駅舎から出ると、雲一つない青空が僕を出迎えた。無事何事もなく目的地に着いたことを実感し、僕は安堵の息を吐いた。
面白いかつまんないかの前に一言言わせて。
電車から降り、駅名に間違いがないか確認する。
いや、降りる前に(アナウンスとか、電車内の電光パネルとかで)確認しないとアウトでしょ!
なんで、電車から降りてから目的地かどうか確認するんだよ!!
階段を上り、降りて出口まで向かう。
「上り、降りて」ってどっちよ?
「上がった後に、次の階段を降りて」とか、「連絡通路を渡って」とか、「地下通路へ下り、改札階へまた上がり」とかいくらでももっとわかりやすい描写方法があるだろ!
駅舎から出ると、雲一つない青空が僕を出迎えた。無事何事もなく目的地に着いたことを実感し、僕は安堵の息を吐いた。
小学生かよ!!(※人物の設定は高校生1年です)
駅から出ていちいち安堵するほど、電車に乗り慣れてないのもそうだし、改札出るまでその駅に来たという安心感が得られないのもおかしいだろ!!
しかも、この後の文章を読むとただ学校の最寄り駅に着いただけで、目的地は学校なので、日本語的には正しくない。
目的地という日本語の使い方もおかしいし、最寄り駅に着いて安堵するのも心理描写としておかしいでしょ。
初めての通学という設定らしいので、「まずは一安心」とか「学校を目指して歩を進める」みたいな描写があることはわかる。
でも、【目的地についた】と解釈しちゃうから、この日本語すげーおかしいんだよ。
冒頭の100文字程度の文章で、4か所も日本語としておかしい・前後の文脈が成り立たないところがある。
面白いかつまんないか以前に、もうおかしいんだよ…。
そして、何が悲しいかというと…この文章はただ通学風景。
…引用した部分に限って言えば、電車から降りて駅の構外に出るだけだから、小説としての技術以前に「正しい日本語で私生活や、それぐらい身近な日常を書くこともできない」というところがもうおかしいんだよ。
そして何より…もう冒頭の時点で退屈。
確かに、小説の冒頭シーンは「日常のリズム感を作ることが大事」という人はいる。
でも、それはそのキャラクターの個性や、癖を描写するシーンでないと、キャラクターの日常と生活感・リズム感は伝わらないんだけど…キャラの日常や心理描写を投影するシーンとして、「電車から降りて改札出るまで」を描写するのはあまりいい手じゃないんだよ。
もしもだよ?
電車から降り、駅名に間違いがないか確認する。
というシーンで主人公の几帳面さや、慎重さを現したいなら、
・「家の鍵をかける時に鍵をかけた後に引いて確認する」とか、
・「学校について今日の時間割を確認する」とか、(誰かに時間割や宿題について聞かれて、答えるとか)
・同じ通学シーンでも「人に道を聞かれて、覚えきれないほど丁寧な説明をして【真面目だね】とか誰かに突っ込ませる」とか…
いくらでももっとあるわけ。いくらだってあるわけ。
だから、冒頭文として面白くないし、センスを感じないわけ。
ちなみに、1話のほとんどを、冗長なまでの私生活描写に使っているので、僕は伝説のクソ曲「FRIDAY」を思い出した。
歌詞の日本語訳はこんな感じ。(冒頭だけ日本語訳したサイトから抜粋)
午前7時、朝起きて
元気に行かなきゃ、階段降りて
ボウル持って、シリアル食べなきゃ
全部見てると、時間が過ぎてく
ドンドン動いて、みんな急いでる
バス停に行かなきゃ
バス捕まえて、友達に会うの
前の座席に座ろうかな
後ろの座席に座ろうかな
心を決めなきゃ
私どの席に座れる?
どーでもいいわ!!
お前がどの座席に座ろうとどーでもいいわ!
正直、新橋九段さんの小説、FRIDAYと同レベルにつまんない。
いや、FRIDAYの方がまだわかりやすい分、評価のしようがあるけど…日本語が間違ってるからなぁ…これ。
何が怖いかというと、クソ文書いてる本人が自信満々なところ
ちょっと読めば表現のおかしさに気づくであろうダメ小説。
でも、この人はなぜかそれをライトノベル新人賞に送りつけた。
…悪文やダメ小説を書いちゃうのは、ある程度熱心なオタクなら誰でも通る道だから…僕もやったことあるし、ネタ提供してくれた友人もやったことはある。
…だから、気持ちはわかる。
でもさぁ…新人賞に出すか!?
このクオリティで。冒頭数ページの日本語や心理描写がグズグズで、なおかつキャラクター性もきちっと出てない何一つ褒めるところがない作品。
いやいや、記念や思い出、一度ぐらいは…とか言って、出す人はいるだろう。
でもさ…この人の面白いところは、誰にでもわかるミスをさんざっぱらやらかした後で、「俺の小説が通らないのはおかしい」とのたまう文章を出してきたところだ。
MJ文庫ライトノベル新人賞の結果が返ってきた/新橋九段の近況ノート - カクヨム
それも見てみよう。
新人賞には評価シートというものがあって、自分の作品の出来不出来を知ることができるシステムになっているんですね。
で、その結果なのですがざっくりまとめると
(中略)
ラノベのくせに設定のリアリティって……半額弁当を殴り合いで奪い合うラノベとか、テストの点で強くなる召喚獣が普通に存在するラノベで育ってきたこっちとしては戸惑うばかり。
日本語が不自由な人の文章でも送ってきたら品評しないといけないなんて、ラノベの品評やる人は大変だなぁ~
注目すべきは「ラノベのくせに設定のリアリティって…」というとこ。
フィクションを批評する際に、「リアリティがない」という言葉をよく使う事があるんだけど…アレって要するに「共感する糸口がない」とか、「無茶な設定を正当化するだけの説得力が弱い」という意味なんだよ。
物語が極端な設定だったり、世界観なのはいいのよ。
例えば、「最弱のキャラが最強に勝つ」みたいなラノベがたくさんあるけど、アレって「戦い」だからリアリティがないけど、スクールカーストとか学校の成績とか…そういう自分の日常で争ってるものをメタファライズしたもんだと思えば、なんもおかしくないわけ。
バカとテストと召喚獣はよく知らないから割愛するけど、ベン・トーはああいうスポーツやゲームにお熱な人…そういうものに子どもながらに憧れてしまう人だと思えば、なんにもおかしくないわけ。
僕は「異世界転生ラノベ」に否定的な立場を取ってるけど、アレも「自分の人生が変わりだした転換期をわかりやすく切り抜くための設定の手法」「おっさんの実体験をティーンでも共感できる例え話に落とし込もうとすると、異世界が手っ取り早い」と考えたら、前後の説明を省きやすいすごくいいアイデアだと思う。
例えば、僕がブラック企業をやめてブログに本腰を入れたことで、男女問わず友達が増えて、お金も入ってきたり、僕の技術や知識が人の役に立ったり、世の中を小さく変えたりした。
…こんな話を楽しく読んでくれるのは学生と人妻だけで、ティーンな高校生にはアプローチしにくい。
でも、今の社会に絶望してた若者が、ひょんなことから異世界に転生してしまう。
異世界では援護系の魔法使いとして、女騎士やシーフをサポートしてウハウハモテモテに。
また、女騎士・シーフ・若者でパーティーを組んで、村を盛り上げると、その村からたくさんの勇者や冒険者が出てきて、今では村に行くたびに新しい仲間が入ってきたり、腕自慢に勝負を挑まれてる。
↑と、かいたら、すご~くラノベっぽくない?
ブログを異世界、ライティング技術をファンタジーのジョブに、読者の役に立つ情報の提供を女騎士やシーフのサポートに変えたら、ほら異世界ファンタジーラノベのできあがり。
フィクションなんてそんなもんなんだよ。
同じような話を何かに置き換えて話す。
例えば、「小さいからの英才教育と活躍で野球選手としての道を歩むも、その英才教育がかえってプロとしてアダになり、野球を辞めかけるも、大リーグボールを開発することで復活」とかなら巨人の星だけど、
「小さいからの英才教育と大きな期待から、一流の戦車乗りになってチームの副隊長を勤めたが、1つのミスからトラウマになり、一度は戦車道をやめるものの再び引き戻される(最初はいやいやだったけど性分で本気を出してしまう)」ならガルパンだよね?
この辺のことは漫画アシスタントの日常(3) (バンブーコミックス) [ 大塚志郎 ]を 参照するといいよ。3巻は1冊かけて物語の作り方のはなししてるから。
話戻すね。
それにそれなら異世界に転生するのはリアリティがあるのかよと不服な気もしますが、どうなんでしょうか。
逆に言えば舞台設定を異世界へ飛ばしてしまうことのメリットはまさにここなのかもしれません。
リアリティの有無じゃなくて、共感しやすい形に自分の日常や成功体験を落とし込む(メタファライズする)と、異世界ファンタジーというのはすごく適当な形なんだよね。
リアリティを根本的に誤解してる人にはわかんないと思うけど。
「この学園はギャンブルで揉め事を解決する!」といっても「はぁ?」となる人は多いと思いますが、「俺が転生した先はギャンブルですべての物事を解決する異世界だった……」なら「そんなもんか」と思う人が大多数なのでしょうね。
「ギャンブルで揉め事を解決する」って設定自体が、まずギャンブルじゃないよね?
スポーツ感覚でギャンブルするならギャンブルじゃないし、レバレッジかからないなら勝負をただギャンブルって読んでるだけだから、もう「ギャンブルで揉め事を解決する」という文言自体がおかしい。
やっぱり理不尽な気もする!
理不尽も何も、文章がダメすぎるだけじゃん…。
そこを直視してない小説が落ちてるからダメ。
この人は、品評されたものを読み違えてるし、そもそもアイデアに対する品評以前の問題。
体幹ができてない人や、本質的なコツがわかってない人がプロ野球選手と同じフォームでバット振ってもホームランにならないのと一緒。
それを、上辺のアイデアだけで「あの作者もリアリティがない」とか、「ラノベにリアリティが」とか言うの、ちゃんちゃらおかしいよね…。
極めつけはここの文言。
全体的に評価が低調だったので審査員との相性が悪かった可能性も。
ギャンブル学園で行われるゲームに関してはアイデアはまだあるので、うまいこと設定を換骨奪胎してまた書きたいですね。
相性が悪かった!?
いやいや、一次審査で落ちてる時点で、物語の面白いつまんない以前に書けてるかどうか、文章が成り立ってるかどうかがダメだってなんで思わないの?
「アイデアがまだある」「うまいこと設定して」だと!?
ふざけんな!!そんなことする前に自分の文章を読み返せよ!!
アイデアや設定以前に読めない文章・何を見せたいかが伝わらない文章書いてる時点で、この人はもうダメなんだよ。
小説家ワナビーや、インターネットお絵かきマンが脱却できない人に共通してるのはね、ネタの良し悪ししか見てなくて、深いところを鍛えようとしてないところ!!
ダメなブロガーは、時事ネタに有り体の意見をダラダラ書くブログであることが多いし、
ダメな小説家ワナビーは、自慢のアイデアがいいとか悪いとかばっかりで、アイデアを出し切るだけの文章的な体力がない。
ダメなインターネットお絵かきマンは、リツイートとふぁぼばっかり見てて、キャッチーでライトなものばっかり。画力があれば、RTされることはあるが、説得力が深い所に刺さってこない人はフォロワー多くてもだいたい商業媒体に進出できてない。
深い所を鍛えるためには、アイデア考えてる時点でもうだめなんだよ。
面白いやつは、どんなお題で書いても面白いから、面白い時の感覚や、自分自身の書き物をそこに持って行けてるかどうかちゃんとチェックできてる。
できてない人はね…まず、自分なりの面白いを作ること。
その次に、それがキチッと自分の作風に取り込めてるかどうかを自分の作品を読んでチェックすること。
checkは、上っ面のネタやアイデアじゃなくて、
・読んで意味が通っているか
・表現が的確または具体的か
・情景がキチッと伝わるか
・感情が揺さぶられるか
ちゃんとそこをチェックする!!
自分でチェックできてない人が、新人賞出すのもちゃんちゃらおかしいし、出した後「審査員との相性が悪かった」なんていうのは笑止千万だよ!!
あ、そうそう。
ちなみに、この新橋九段という人は、なんと塾講師で国語を教えてます。
そんな人の文章力がこれかと思うと、教育ってなんだろうという感じですわ。
文章力があるとかない以前に日本語が不自由・面白いことや作品の構造がわかってない…そんな人に国語を教えられてる生徒がかわいそうです。
フィクションのアイデアやプロットで本気で悩んでる人はこれを読むといい。
それ以前の問題の人はともかく、本当にアイデアやプロットで悩んでる人にはちゃんと救いの手があるから。