ファルマが自宅に戻り、真っ先に向かったのはブリュノの部屋だ。
ブリュノはちょうどベアトリスと、深刻そうな話をしていたところだった。
ベアトリスがファルマの入室に気付き、悲哀を取り繕ってほわっとした笑顔を向ける。
「あら、ファルマ。おかえりなさい。どうしたの、顔色が悪いけど」
「父上、母上、ただいま帰りました。屋敷の簡易補修が済みましたので明後日、ブランシュたちを迎えに行こうと考えています」
ブリュノは雪を頭と肩に乗せたままやってきたファルマに、頭を払うジェスチャーを送った。
「そうか。私は手が外せないが、行ってきなさい」
「私も一緒に行くわよ。ブランシュったら、寂しがっていやしないかしら」
「では、母上もご一緒にまいりましょう」
表向きの要件を話しながら、ファルマは書類に目を通し続けるブリュノの神脈を診る。
ブリュノの神脈の反応が非常に弱い。
キャスパー教授の言う通り、神脈の枯渇が迫ろうとしている。こじ開けてしまうことはできなくもないが、禁術の呪いにあらがうことができるとは思えない。むしろそれが契機となってブリュノの命を奪ってしまうかもしれない。
ファルマの瞳の色が変化しているのを、ブリュノが察知した。
「私の何を量っている!」
「失礼しました。神脈を診ておりました」
「なぜだ」
「キャスパー教授のところに行ってまいりました。そして、父上の使った禁術についてのお話も伺いました。儀礼的ではなく厳密な意味でお伺いします、ご体調に変化はありませんか?」
どうやら概要を知ったらしいと汲み取ったブリュノは白状した。
「その顔は、聞いたのだな。たしかにあと一回神術を使ったら私の命はない。だが、禁術系列を使って即座に命を持っていかれないだけましというものだ」
ベアトリスは発言を控えているが、驚かない。
どうやら、ブリュノから聞いて話を知っていたようだ。
「そうですか。父上は私に、禁術を教えてはくださらなかったので存じませんが、禁術系列とはそんなに悲惨なものなのですか」
「子や弟子に望んで禁術を教えたいと思う者はおらん。禁術は本来、人間のための術ではなく守護神らの術であり、神々が使うべき術なのだ。それを人の身で扱うということは、より守護神の身許に近づくということ。それがすなわち、死だ」
「どうして兄上には?」
「ド・メディシス家の当主となる者には、知識と伝承のために教えるのだ。教えるが、使うってはならぬと命じた。パッレもまだ、その言いつけを守っておるはずだ」
(兄上とエレンが禁術を使ったことは、父上は知らないようだな。そして母上も報告していない、……と)
事実を知っているはずのベアトリスの口の堅さには恐れ入る。
「そういうことでしたか。父上、私にも禁術を教えていただけませんか。兄上の立場を揺るがすようなことは誓っていたしません」
「今、話を聞いておったのか?」
「しかと」
「ならば、死の道を歩む愚を犯すと申すのか」
「禁術は本来、人間のための術ではなく守護神らの術であるとお伺いしました」
「なんだと? それはどういう……」
誰かの犠牲を常に払い、この世界の人々が守護神の術を模して禁術の開発を続けてきたのは、連綿と続く悪霊との闘いが終わらないからだ。
終わらせなければいけない。ファルマは拳を固く握りしめた。
(終わらせないと、またどこかで誰かが禁術を使い、誰かが歯車の中に溶かされ続ける)
禁術であろうと、秘宝であろうと、切り札は一つでも多く持っておきたい。
ファルマは両親に告白した。
「不本意なことですが、私は今、神聖国にて正式に現今の守護神、薬神として列せられました」
一呼吸おいて、彼らの衝撃を和らげる。
「サン・フルーヴ帝国では公表されていません。心は人間でありますが、立場上、私はもう人間ではありません。帝国からファルマ・ド・メディシスの戸籍はすでに抜かれ、神籍に入れられてしまいました」
伝統的に、正式に神殿に守護神だと認められたものの戸籍は廃され、神籍というものに入る。人間から守護神となった者はたいていは拘束され、殺されてしまったのだが、ファルマはひとえに聖帝の一存で、自由な行動を許してもらっている。
聖帝の後ろ盾がなければ今頃、彼を拘束できるかはさておき、ファルマは牢の中に収容される予定だった。
ブリュノとベアトリスから、言葉は返ってこなかった。
これまで曖昧になっていたが、今度ははっきりと、
人間、ファルマ・ド・メディシスは死んだのだと、そう告げられたのだから。
「お前はあの落雷の日に、すでにそうなっていたのだな」
今ここにいるファルマという存在は、ファルマ・ド・メディシスの記憶を一部有する、まったく別の存在である。それを、両親は明確に受け入れるときがきた。
「こんなことになってしまいましたが、父上と母上にはこれまでと変わらず、親子として接してくださるとありがたいです。もちろん、あなた方にとって私は異形の存在であり、この頭の中には落雷以前の記憶も断片的にありますが、親子の縁は、あるのかどうかわかりません。勘当されても仕方がないと思っています」
ファルマはだんだんとうなだれてくる。拒絶されることは承知していた。
だから最低限の要望にとどめる。
「ですが、どのような関係となっても、お願いです。禁術は教えていただきたい。私は禁術はおろか、神術を知ることすらなくこの世界に来てしまいました」
「……お前には、私たちの息子であったころの面影はない。だが……この三年間を共に過ごし、お前が私たちの息子を演じようとしていた努力も知っている。実の息子ではなかったと知り親子の縁を切ってしまうのは、野暮というものだ」
ブリュノは立ち上がり、神殿の正式な作法にのっとってファルマの前に傅き、薬神に対する正式な拝礼を行った。守護神が薬神である場合に限り、ファルマの神力と共鳴し、加護を授けることができる。初めて加護を受け取ったブリュノの体はほんのりと輝きを持つ。
ブリュノは立ち上がると、その効果に浴しているようだった。
「これが薬神の加護というものか。神脈が脈動するのを感じる。神術を使ってみたくなるな」
「それは命取りですので、しばらくお控えください。禁術の解析が進めば、父上の呪いも解けるかもしれません」
「当家の地下礼拝堂を取り壊して禁術の研究室にするか! お前の顔を見ずしての礼拝も意味がないからな!」
ブリュノの行動を見て呆然としているベアトリスにも、ファルマは声をかける。
「あの、母上も。そういういきさつですので」
「……なんてことなの」
ベアトリスは言葉に詰まっていた。息子を奪われてしまったのように感じたのだろうな、と察したファルマが言葉を選びながら話しかける。
「やっぱり、戸惑いますよね」
「おめでとう! 息子が守護神様になっただなんて、もう大出世も大出世じゃないの! 母としても鼻が高いわ! さっそくお祝いしなきゃ! ああ、内緒なのかしら? でも私はお前に祈ったりはしないわよ、だってお前は私の息子なのですからね! 叱ったり、おしりをペチペチしたりもするわ!」
ベアトリスはファルマと一切距離をおくことなく、遠慮もなくぎゅっと抱きしめた。
彼女の愛情に窒息しそうになりながら、ベアトリスがこういう性格で助かったとファルマは思う。夫婦の反応は違うが、受容してもらえたということは伝わってきた。
「お前が使えるかもしれない禁術がいくつかある。お前が神殿に正式に神性を認められ、神となったのなら、禁術はお前にとっては禁断の術などではなく、ただ神術を習得するのと変わらんだろう」
確かに禁術は人間にとっては命を代償とする闇そのものだが、守護神が扱う場合は代償は一切なかったとされている。これまでブリュノは、ファルマを薬神の加護を受けた人間だと思っていたので、禁術を教えようとも考えなかった。
禁術に再び手を染めようとするブリュノの眼光は鋭く、そして昏い輝きを持っている。
「なんと愉快だ。神薬が現界するかもしれんとは!」
ブリュノは久々に声を出して笑っていた。
ちょっとこわい、とファルマはその悪役然とした笑顔に引いた。
◆
湖に面した森の中にたたずむモスグリーンの、苔むした魔女の屋敷のような趣のある隠れ家風の屋敷、それが医療火炎技術師、メロディ・ル・ルー尊爵の別邸であった。
緑に囲まれた庭に出てきた一団は、ド・メディシス家の面々だ。
ファルマとベアトリスは予告通り、ロッテやブランシュを含むド・メディシス家の人々を、疎開先へ迎えに行った。ファルマは彼らをランブエ市の別荘へ迎え入れてくれたメロディに感謝し、ついでにと統合失調症の定期カウンセリングを行って薬を持ってきた。
荷造りを終え、使用人たちに荷物を運び出させながら自宅を出たメロディは、つばの広い帽子をかぶりおっとりと微笑む。
「ド・メディシス、ボヌフォワ両家とご一緒できたおかげで楽しく過ごせましたわ」
「メロディ様、お取り計らいどうもありがとうございました」
ファルマとベアトリスがお礼を述べ、ベアトリスはメロディに礼金と礼状を手渡した。
「あら、奥様。これはいただけませんわ、何もお構いしておりませんのに」
「いいえ。大変お世話になったようですし、当主からの言いつけですので、お受け取りいただかないと叱られますわ」
「そうですか、ではありがたく」
メロディとベアトリスのやりとりが終わったあと、ロッテが屋敷の中から荷物を持って出てきた。ロッテを見たメロディが、彼女の両肩にぽんと手を置いてロッテの特訓の成果を述べる。
「シャルロットさんともたくさんお話しましたし、彼女も随分と神術が上達したのよ」
「えへへ、楽しかったですね。ご指導ありがとうございました、また沢山教えて下さい」
ロッテは悪霊を退けるための炎術をメロディから教わった。
ロッテの得意とする作画と神術陣の組み合わせは、天性のものを感じさせるというメロディの話を聞き、ファルマはうなる。
「どんな感じの神術なんでしょう。神力に依存せず神術が使えるなんて画期的ですね」
「ふふ。シャルロットさん、薬師様に神術陣を見せて差しあげたら?」
「あっ、はいっ、喜んで。ご覧になりたいですかファルマ様⁉」
ロッテはじらすように荷物の入った袋をのぞいて開け閉めしている。披露したいんだろうなと気づいたファルマはロッテに促した。
「危なくなければ見せてもらえるかな」
「よろこんで!」
ロッテは下草の刈られ少し開けた場所に立つと聖油を小瓶から取り出し、地面にふりかけるように火焔神術陣を大きく書きつけ、メロディから譲り受けた神術の種火を使って着火した。地上に咲く花のような美しい神炎が立ち上り、確かにそこは神術陣としての形式を成立させていた。ロッテの手際には迷いがなく、隅々まで丁寧で陣も見栄えが良い。
極彩色の色合いとともに複雑な神術陣が浮かび上がり、悪霊を寄せ付けない領域は、人を燃やさず、悪霊に対してのみ効果を発する。
神力を持たないロッテが神術を披露し、安定的に神術結界が維持されている光景は驚異的だった。
「できましたっ!」
「すごいよロッテ。これは立派な神術陣だ、ちゃんとできてるよ」
「ありがとうございますっ。メロディ様の神力をお借りしています! これで、次に悪霊が出ても大丈夫ですかね?」
ロッテの特訓の成果を目の当たりにしたファルマは拍手を送る。
「ちゃんと持ちこたえられると思うわ。もうすこし大きく描いてもいいですよ。中央の図柄は最後にして。帝都に戻ったらまた特訓しましょ」
メロディからの細やかな指導が入っていた。
ふと思いついて、ファルマは疑問を呈する。
「もしかして、この方法でほかの属性の神術陣もできたりします?」
「ほかの属性は着火などができないから難しそうですわ、実際にこのテクニックは神力切れを起こした際に神術使いが使うものですが、炎属性以外にはほとんど知られていませんの」
「確かにそうですね、私もエレンから聞いたことがありません」
メロディの話によれば使えるのは火焔神術陣のみではないかという意見だ。
しかしファルマは、例えばソフィの雷などを蓄電して、電気回路を神術陣として利用する方法や、光エネルギーに変換して平民が利用するのはありなのではないかと考えた。
(面白いことになりそうだ)
ファルマは思わぬ利用法の示唆を受け、ぞくぞくと好奇心が持ち上がってくる。
その顔を見たメロディは、期待を込めたまなざしを送る。
「また、面白いことを思いつきましたね?」
「ええ。そうだといいのですが、それではまた、帝都で」
メロディと別れの挨拶をした後、ファルマとロッテ、ブランシュは同じ馬車に乗り込んだ。道中、カードゲームなどで暇をつぶしつつ、ファルマはバッグから菓子箱を取り出してロッテとブランシュに見せる。
「あにうえー、それなに?」
「神聖国のお土産のチョコクッキー、二人ともいる? 包み紙に星占いがついている神聖国の名産品なんだって」
「えっ、包み紙に星がついていてかわいいです! いただけます?!」
「それから、神聖国の名画のイラストカードをあげるよ」
「わーきれいです。神聖国はやっぱり宗教画の本場ですねえ」
神聖国から戻るときに、神官たちにお土産をたくさん持たせてもらった。
どうも神聖国は神術の総本山であると同時に宗教芸術が栄華を極めている文化財の密集する場所でもあり、ファルマはそれなりに興味と感心をもって神聖国の文化風習を受け入れつつあった。
建築物の形状は異なるが、地球におけるヴァチカンのような国家と形容すればしっくりくる。ブランシュが馬車の振動で眠りこけてしまうと、ロッテが思いつめたように話しを切り出した。
「はい、あのファルマ様。私、エレオノール様とパッレ様に大変なご迷惑をおかけしてしまいました、私の命と引き換えに、あのお二人が呪いにかかったとお聞きしまして。パッレ様には笑われましたが、エレオノール様にはまだお会いできていません。どのように償いをすればいいと思いますか?」
ロッテはかなり気に病んで、肩を落としていた。
エレンの父母も、まだ娘が呪いにかかっているということは知らない。
ファルマは馬車に揺られ外を眺めながら、さりげなくロッテを慰めるように告げた。
「そのことなら俺とエレンで何とか呪いを解こうとしていて、必ず解明して見せるから、ロッテは悩まなくていいよ。禁術に手を出したのはエレンと兄上だ、その勇気には敬服するけど、その結果何が起こったとしても絶対に君が気にする必要はない」
「ですが……私にはどうすることもできなくて。悔しいです」
「手がかりは得られているし、治療法もわかってる。あとはアプローチを検討しているところだ、解決するよ」
罪悪感に耐えられないといった顔をするロッテを、ファルマは励ました。
根拠のない約束はしたくない。それでも、手ごたえを感じているからこその言葉だった。
また、ブリュノが候補として出してきた神薬の中にも呪いを解く効果のあるのものがある。持てる知識と技能を使って、エレンとパッレを霊薬の呪いから解き放つ。
「ファルマ様とエレオノール様は、本当に強いお方ですね」
「ロッテが今、俺をどんな風にみているかわからないけど、俺もエレンも誰もがそれぞれ自分と戦っているんだ。みんな強くて、どこか弱い。だから、弱い部分を支えあっていくんだよ」
「私は誰かをお助することが、少しでもできるのでしょうか。いつも皆さんに助けていただいてばかっりで……」
「そんなことはないよ」
かじかむ両手をこすり合わせるロッテの手を、ファルマは優しくとりあげた。
久しぶりに見た彼女の手が、あかぎれに覆われていたのを見たからだ。
「手当していい?」
「だめです、がさがさで恥ずかしいです……」
「いいから、まかせてよ」
もともと皮膚の弱いロッテだが、メロディの別邸で過ごし、神術の訓練をしているうちに、手荒れがひどくなったのだろう。ファルマは持ち合わせの軟膏を指にとると、体温でとかしながら、彼女の手をいたわるように指先に塗りこんだ。
ロッテは恐縮して、ファルマのすることに任せてたまま言葉を失っていた。そんな彼女にファルマは話しかける。
「三年前。落雷で死にかけたあと記憶がなくなって途方に暮れていた時に、最初に手を差し伸べてくれたのは君だったよ」
「ファルマ様……そんな、昔のこと」
「君がいなかったら、神術を忘れていた俺はどこかで野垂れ死んでいたかもしれない。俺が一番弱っていた時に、君は助けてくれたよ」
「……っ、……はい」
ロッテは感慨深そうに口をつぐんだあと、言葉に詰まったままこくんと首肯した。
目じりには宝石のような涙がきらきらとぶらさがっていた。
手をお互いに預けたまま、ロッテと額をこつんとやる。
「その時からずっと、俺たちはちゃんと助け合ってる」
二人は掌を合わせて、不器用に微笑みあった。
あの頃からずっと、ファルマはロッテと秘密を分かち合い、心を通わせていた。
それを、二人は確かめ合ったのだ。
◆
1148年、1月になった。
サン・フルーヴ帝国では1月1日が年の変わり目となる。
異世界薬局はエレンが附属病院から退院し職場復帰する頃には、徹底的に除霊を行い、神聖国より持ち帰った秘宝を核とし、対悪霊神術陣を半永久的に起動できるよう店舗をリニューアルしていた。その完成を見届けながら、ファルマとエレンは薬局のベンチで細かい指示を飛ばしていた。
「今のところ、俺がいなくなった時に発動する三重の神術陣を敷いているんだけど」
「なんでファルマ君がいなくなるのよ、店主なのに」
「俺がいなくなったとしても、市民のシェルターになるようにしないとと思って」
「どうしてそんなに、いなくなった時のことばかり考えてるの」
彼女は甘ったるい声を出した。眼鏡が不要となり、裸眼になった彼女は垢ぬけて見える。今回、いなくなりそうだったのは彼女のほうだ。
そのことを思い出したファルマは、一つ息をついてエレンに微笑みかけた。
「死を思う(memento mori)より、今日という日の花を摘むか(Carpe diem)」
「え、何て?」
「エレンが知らない国の言葉」
「は、はぁ……」
エレンは困ったようにちょびっと眉をしかめた。
薬局を覆っていた工事の建築幕が取り払われたとき、異世界薬局本店は、25日ぶりに営業を再開する運びとなった。
聖帝のエンブレムが変更になったことにより、真新しい勅許印が二つ、薬局に届けられた。これが営業許可証の代わりとなり、聖帝の庇護の証だ。
神聖国のシンボルである白い獅子とサン・フルーヴ帝国の旗を組み合わせた図柄は、聖帝の権威を知らしめている。
有史以来初の、大神官と皇帝の兼務。
その重責はいかなるものだろう、ファルマは複雑な思いをいだきながら、薬局の玄関にそれを職人に取り付けてもらった。
営業開始日。開店前の薬局では、職員ミーティングが行われていた。
「じゃ、今年もよろしくお願いします。今年のネームプレートをつるすよ」
「わーい。念願の正規職員です」
バイト薬師たちは、希望を聞いて全員正規職員として転換した。
ファルマは真新しい正規職員を示す金のネームプレートを薬局の壁に掲げ、名札を配布する。
宮廷薬師(管理薬師) ファルマ・ド・メディシス
一級薬師(主任薬師) エレオノール・ボヌフォワ
一級薬師 ロジェ・デ・バッケル
二級薬師 セルスト・バイヤール
二級薬師 レベッカ・デュトワ
一般従事者 法務・事務 セドリック・リュノー
一般従事者 庶務 シャルロット・ソレル
連絡人 トム
「薬局の紋章が変わったので、皆さんのユニフォームもリニューアルしました」
ファルマは新しい制服を着て嬉しそうな職員たちに呼びかけた。
「それじゃ、また、1148年もよろしくね。長い挨拶は省略したほうがいいかな。悪霊の発生によって、薬局はこれまで以上に帝都の地域医療の高度拠点のひとつとしての役割が求められてくると思う。需要と要請、そして患者さんのニーズにこたえられるよう、日々研鑽し技術を向上してゆこう」
「これで僕も正規職員ですか。いやぁ、やる気がでてきますね!」
「そうだね、しっかりお願いするよ」
片言だったロジェも、今ではほとんど違和感なく帝国語を話し始めていた。
「お客さんがたくさん来るように、笑顔で接客頑張ろうと思います」
レベッカも対人スキルを磨き、自信をつけはじめていた。
「じゃあ私は、小児と母子医療を頑張ろうかな」
セルストは時短勤務だったのだが、薬局内キッズスペースの開所を増やしたことにより勤務時間を延長した。
そして病み上がりだが、ファルマ譲りの診眼を手にし、まったく新しい世界が見え始めたエレンがしみじみと呟く。
「去年に引き続き今年も色々波乱はありそうだけど、負けずにやっていきましょう。私も今年はファルマ君の代わりが務まるように、みっちり勉強するから」
今年も大門を開け、薬局職員総出で新年の挨拶にたった。
薬局の前には、既に人だかりができている。
「帝都市民の皆様、新年おめでとうございます。異世界薬局 総本店、通常営業再開といたします」
職員全員が、ほどよい緊張感をみなぎらせて新年最初のボウアンドスクレープをする。
ファルマは顔をまっすぐ上げ、声を整えた。
「どなたさまも、いらっしゃいませ!!」
ファルマの発声とともに、市民たちの拍手がまきおこった。
「よっ! 名物の子供店主さんだ。待っていました!」
「何やってたんだい、待ちくたびれたよ!」
「エレオノールちゃんの快気祝いをしないとなあ」
「あら、店舗が爽やかになったわね。また通ってしまうじゃない」
薬局の門をくぐった市民が、あとからあとから押し寄せてくる。
顔なじみの客も、新顔も、老いも若きも。
そこは確かに、帝都市民にとっての癒しの園であるのだろう。
割れんばかりの喝采を浴びながら、ファルマは一人の薬師として期待を受け今この場に立っていることを実感する。
いつまでここにいられるのか分からない、来年はここにいないかもしれない。
尋常ならざる力を持たされた身は、この世界の見えない意思に翻弄されてゆく。
それでも、誰かにとって、頼れる街の薬師でいたいと思った。
目に留まるだけの生に寄り添って、手を差し伸べていきたいと――そう思った。
