恵方巻き食べた。妻は恵方巻きに熱心ではない。おれはとても好きなので、スーパーで買った。
昼過ぎ、おやつ代わりに恵方巻きを食べた。おれの足の長さくらいあった太巻きを半分に切って、南南東を向いて一口食べた。自宅のリビングで南南東というと、ソファーの背もたれに相対することになる。妻は「本当にあっち向いて黙って食べるの?」と怪訝な顔をしていたので、一口食べたらふつうに座って食べよう、とおれは言った。
妻は太巻きを食べにくそうにしていた。
太巻きは「日本のピザ」って感じがする。好きな具を詰め込んで米に巻く。米はピザ生地で、海苔がチーズといったところか。ピザとコーラは合うけれど、太巻きを流し込むのに向いてる飲み物はなんだろう。やっぱりお茶か。来年の節分に考えようか。
夕飯は古くなった米でチャーハンを作って食べた。米ばかり食っている。
チャーハンの量が少なかったので、節分の豆を食後につまんだ。川崎大師で祈願してもらったという豆が近所のスーパーで売られていて、それを買っておいた。おれは本当に節分が好きだ。
今年は豆まきはせず、食べるだけで済ませた。来年は豆まきしようか。でも来年には子供がいる予定なので、床を這う子供が豆を食べるといけないからやっぱり豆まきはしないだろう。
おれが節分を好きなのは、家族の良き思い出と結びついているからだ。
家族4人で、家中の部屋を豆をまいて回る。ふだんは両親が入ってこない子供部屋に両親と共にいる、ふだんは入らない父の寝室に家族みんなで足を踏み入れる。暮らしている家のなか、家族全員で固まって歩くことで、見慣れた景色が非日常になるのが好きだった。
おれの家族はみな出不精で家の中にいることが多かったが、部屋数が多かったから同じ空間に全員がそろうことは稀だった。夕食中、母はキッチンで料理後の一服でタバコをふかし、ビールを飲んでいた。食卓に家族4人そろうことはほとんどなかった。父は夕食が終わるとすぐに自分の部屋に引っ込んだ。父が去ると母が食卓に着く。妹とおれは母と一緒にテレビを見たり話したり、だらだらと時間を楽しく過ごした。
節分の日は各部屋を回ったあとで、鬼の面をかぶった父に豆を投げつける。父は玄関を開け、外階段を降り、庭の門から路地に出る。角を曲がって鬼の姿が見えなくなるまで、おれたちは豆をまきつづけた。鬼は外、鬼は外、鬼は外……。鬼と言われているのに父は楽しそうだった。
我が家が節分をしなくなってからしばらくすると父は「おれをないがしろにするのか!」と母と妹とおれに捨て台詞を吐き、自室に引っ込んだことがある。長年鬼にされて寂しかったのだろう。鬼を外に追いやった気になったおれたち3人は、父を抜きにして楽しいことを楽しんでいた。
歳の数だけ豆を食べるのも好きだった。当時豆は全然好きじゃなかったけど、たくさんの豆を食べなくてはならない父と母がなぜかうらやましかった。母は生きていれば今年56粒食べる。父は59粒食べただろうか。父は豆が好きなのでそれくらいかんたんに平らげるだろう。先日父が送ってくれた食料品の山、やたらとピーナッツのお菓子で構成されていた。
今年は妻とふたりで数えきれないくらい豆を食べた。おれは節分が好きなので、この行事をこれからも大切にしていきたい。妻は太巻きも豆まきもあんまり重視していないようだが、今年は恵方巻きにも豆食いにも付き合ってくれたのでうれしかった。
おれは節分だけ鬼になる夫、父親でありたい。今年の5月、子供が生まれる予定。