■今日は、はてなーの嫌いな、改行と句読点の多いポエミーな文章です。
夫と一緒に暮らすまで、
私は
何でも自分でやらなければいけないと思っていた。
やや、注意欠如多動性障害(ADHD)ぎみで
ひどい精神病なのに、全てを自分で抱え込んでいた。
家の中で、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、と、
ひとりでパニックになっていると、
夫に聞かれた。
「なんで、助けてって言わないの?」
と。
そんな発想がなかった。
気が付いたらひとりだったから、
少なくとも、家の中ではひとりだったから、
家の中で困ったときに、
人に、
「助けて!」と頼む、
そういう発想がなかった。
それからは、
困ったことがあったら、
夫に
「助けて。」
と言うようになった。
そうすると、夫が助けてくれる。
私が、夫に、
「 なんでそんなに優しくしてくれるの?」と聞くと、
「家族だから。」
という答えが返ってきた。
私は家族というものがどんなものだか知らない。
だから、正直、私にはよくわからない感覚だ。
夫は私に
「ららちゃんは俺に無償の愛をくれた。
だから俺は絶対にららちゃんを裏切らないし、
裏切れない。」
と言う。
だけど、私には
「夫に無償の愛を与えた。」
という感覚がない。
今、ふと思った。
私の夫に対する
「何でそんなに優しくしてくれるのか分からない。」という感覚と
夫の私に対する
「ららちゃんが俺に無償の愛を与えてくれた。」という感覚は
同じものなのかもしれないと。
たぶんだけど、
お互いに、もらっている感覚はあっても
与えているという感覚が薄いんだと思う。
もしかしたら、これのことを
「家族愛」
って呼ぶのかな?と思った。
おわり