女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

困ったら、助けてと言えること

 

■今日は、はてなーの嫌いな、改行と句読点の多いポエミーな文章です。

 

夫と一緒に暮らすまで、

私は

何でも自分でやらなければいけないと思っていた。

 

やや、注意欠如多動性障害(ADHD)ぎみで

ひどい精神病なのに、全てを自分で抱え込んでいた。

 

家の中で、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、と、

ひとりでパニックになっていると、

夫に聞かれた。

 

「なんで、助けてって言わないの?」

と。

 

そんな発想がなかった。

気が付いたらひとりだったから、

少なくとも、家の中ではひとりだったから、

家の中で困ったときに、

人に、

「助けて!」と頼む、

そういう発想がなかった。

 

それからは、

困ったことがあったら、

夫に

「助けて。」

と言うようになった。

そうすると、夫が助けてくれる。

 

私が、夫に、

「 なんでそんなに優しくしてくれるの?」と聞くと、

「家族だから。」

という答えが返ってきた。

 

私は家族というものがどんなものだか知らない。

だから、正直、私にはよくわからない感覚だ。

 

夫は私に

「ららちゃんは俺に無償の愛をくれた。

 だから俺は絶対にららちゃんを裏切らないし、

 裏切れない。」

と言う。

 

だけど、私には

「夫に無償の愛を与えた。」

という感覚がない。

 

今、ふと思った。

 

私の夫に対する

「何でそんなに優しくしてくれるのか分からない。」という感覚と

夫の私に対する

「ららちゃんが俺に無償の愛を与えてくれた。」という感覚は

同じものなのかもしれないと。

 

たぶんだけど、

お互いに、もらっている感覚はあっても

与えているという感覚が薄いんだと思う。

 

もしかしたら、これのことを

「家族愛」

って呼ぶのかな?と思った。

 

おわり