グローバル企業の労働組合は、グローバル化しているか?
生活経済政策研究所の機関誌『生活経済政策』2月号が届きました。
http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/
特集は「2018年度政府予算の分析と課題」なんですが、そっちじゃない方の記事を紹介します。それは、
連載 グローバル化と労働[4]
グローバル企業の労働組合は、グローバル化しているか?/首藤若菜
という見開き2頁ほどの短いエッセイです。でも、中身は濃いです。
冒頭いきなり「万国の労働者の団結は難しい」という台詞が出てきます。
海外にいくつもの工場や事業所を抱え、国内以上に国外でより多くの従業員を雇用している日系企業は数多くある。そうした企業の組合に、「海外事業所の従業員や組合と会ったり、情報交換したりしていますか」と尋ねてみても、怪訝な顔をされるばかりである。・・・
グローバル企業の本社で働く労働者・労働組合と、その海外の工場や事業所の労働者とは、同じ企業若しくは同じグループで働く者同士である。・・・だが、そこに[仲間]意識は湧きにくい。・・・
そこで首藤さんは大手スーパーのイオンの例やドイツのフォルクスワーゲンの例を示すのですが、それがそれだけに終わらないのが首藤さんの味わい深いところです。
・・・もちろん、こうした活動の道のりは平坦ではない。グローバルな活動を展開しようと取り組む組合の中には、そうした活動が果たして望ましいのかと、頭を悩ませている。
何が悩ましいというのでしょうか?
例えば、途上国では実質的に団結権が禁止されている国が少なくない。そして団結権が禁止され、組合が結成されないことが、その国の「国際競争力」の一つを構成し、雇用創出につながっている場合がある。その時に、先進国の労組や国際社会が「国際標準」であることを理由に、この国に団結権を認めさせることは、その国の労働者にとって、民主化という利益を付与する一方で、過渡的に雇用を失う恐れをもたらす。
本社労組が、本社の労組であることを理由に、途上国に自国のルールを押しつけて良いのか。それは先進国が作り出したルールを「国際標準」として、世界各国に適用するべきなのかという議論と似ている。・・・・
首藤さんは、本ブログで紹介したとおり、労働関係図書優秀賞を受賞した『グローバル化の中の労使関係』を書かれた方ですが、この言葉は実はかつての日本自身にも跳ね返ってくる面があるのです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-b6d0.html
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