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前回のあらすじ)著者は2011年1月に慶太(仮名)を産んだワーキングマザーだ。育休中、認可園、認証園、認可外園など8件に申し込んだが、すべて断られた。諦め切れず区役所に通い続けていたところ、一筋の光が差し込んだように見えたが――。
先輩ママからのアドバイス通り、認可園申込書には上司からの手紙と、「親の手助けを得られないため、保育園がないと働き続けられない」という懇願の直筆の手紙を付けた。12月以降、区役所にも2回足を運び、今更ながら認可外保育園リストをもらった。
A4サイズの再生紙1枚。3度目に訪ねたときに引き出しから出して渡されたもの。こんな重要なものをどうして最初からくれなかったのか、腹立たしく思った。リストの存在さえ知らず、それまではひたすら地名と「認可外保育園」と入れてネットで検索しては電話をかけていたのだ。
■非情に届く「不承諾通知」
そして、4月入園が発表される日。どこかには入れるだろうと信じていた私に届いたのは、またもや「不承諾通知」。しかも、保育室のものと2通。理由は「空きがないため」としか書かれていなかった。一瞬、もう何をしたらいいのか分からなくなった。
気を取り直して、ネットで二次募集を調べ、再び書類を記入。この書類も、半年ごとに新しいものを提出しなくてはならない。たかが書類とはいえ、赤ちゃんの面倒を見ながら必要な書類を集めたり、記入したりするのは胃が痛くなる作業だった。二次募集の応募日、役所が開いた時間に窓口にて提出。家に帰ると、三たび申し込んでいる認証や認可外に電話して空きを聞いて回ったが、ゼロ。
本当に目の前が真っ暗になった。
約1年前から始めている保活とは何なのか? 「保育園選び」なんて存在しないじゃないかと悟った。自分の仕事や生活のスタイルにぴったり合った教育方針に共感できる、保育士の質がいい……、そんな保育園を「選ぶ」ことなど夢のまた夢。最低限の条件をクリアしている保育園に入園すること自体が困難を極める。入れてくれる保育園にすがるしかない、それが現実だった。だまされたような気分と、愛する子どもを安心して預け、普通に働くことがそんなに悪いことなのかという悲しい気分にさいなまれた。
2011年、私が住む区では1歳児300人の枠に1000人以上が申し込んだそうだ。前年の700人を大幅に上回り、フルタイムの共働き家族という満点(入園のための点数制度)に近い家庭が、どこの認可園にも入れないという事態が区内あちこちで起きていた。
■やっとつかんだ入園のチャンスだったが…
二次募集に応募したときに応対した、区役所窓口の“冷徹女性”が「認可外のA園かB園なら空いてるかもしれない」と口にした。既に他の認可外には断られていた私は、帰宅してすぐに電話。B園は満杯だったが、A園にはまだ空きがあり「日曜日に行う説明会に来ていただければ、そのまま入園手続きもできます」との答え。
このとき、既に3月も後半に突入していた。
二次募集は無理だと分かっていたので、わらをもつかむ気持ちで「お願いします」と即答。ネットで調べると、関東に10園以上展開するチェーンのようで、明るい写真と、「保育士は全員正社員」「愛情を持って育てます」といった園の運営に関する言葉が書かれており、ほっと一安心。夫とも「とにかく認可に入れるまで、ここに入れよう」と話し、上司にも連絡を入れた。
説明会では、保育士と運営会社のスーツの男性が現れた。週末だったため園児の様子は見ることができず、かわいいイラストの切り絵が貼ってある保育室を見学し、入園約束金2万円を払って終了した。部屋はマンションの1階にある30畳程度の1部屋。毎日散歩に行き、0~2歳中心。保育士は0歳児クラスでは園児2人につき1人、1歳児クラスでは園児3人につき1人、2歳児クラスでは6人につき1人が配置されると聞き、安心した。
昼食は給食センターからの配達で、コンビニ弁当のようなメニュー(揚げ物あり)がプラスチック容器に詰められているものだったため、まだ1歳になったばかりの息子には手製のお弁当を持たせることに決めた。職場復帰と同時に始まる弁当作りは不安だったが、離乳食も完全に終わってないうちから揚げ物を食べさせるよりはいいかと決意。復帰は間近に迫っていたが、やっと安心でき、登園バッグやお弁当袋を縫うなど、少しでも息子に何かしてあげたいという気持ちだった。
そして4月。A園に通い始めて10日目に、連載冒頭の恐怖のシーンを目撃した。
■入園説明会での内容はほぼウソだった。
A園は、入園式も何もなく、1週間の慣らし保育から始まった。いつ迎えに行っても園児(0~2歳)約40人に対して、保育士は2~3人。しかも、常に連絡ノートを記入するのに必死で、子どもたち(ほとんどがまだハイハイか伝い歩きの赤ちゃん)は部屋中に散らばって泣くか、床を這っているか、とぼとぼと歩いているか……。不審に思い「オモチャなどで遊ばないのでしょうか?」と連絡ノートに書いた次の日には、お迎え時にこれ見よがしに床にオモチャが数個散らばっていた。一緒に歌を歌ったり、絵本を読んだりする姿は一度も目にすることがなかった。
■顔や手に黒いべとべとしたものが
慶太を迎えに行くと、いつも顔や手には黒いベトベトしたものが付いていた。汚れが付いたのりのような固まりが何個も。注意して周りを見ると、他の園児たちの顔や手にもこびりついていた。カーペットのフロアは、いつ見ても薄汚れていた。一時期預けていたママはフロアを這うゴキブリを2回見たと言っていた。赤ちゃんたちは毎日そこを這っており、ぞっとした。
また、保育士が保護者の陰口をたたいているのが聞こえてきたこともあった。「E君のお母さんってケバくてびっくりするよね」。E君の耳にも入るであろう音量で話している。0歳だから意味が分からなくても、E君は何かを感じ取り、幼いながらに傷付いているはずだ。そして、先生が膝に乗せて唯一あやしているのは、いつも同じ、クラスでも一番かわいい赤ちゃん。他の子に声をかけている場面は、あまり見られなかった。
■おしゃべりな慶太が、言葉を発しなくなった
息子に持たせた手作りお弁当は、毎日きれいに洗って返される代わりに残飯も捨てられ、食べている量も分からない。着替えをしている様子はなく、別の子の名前の付いたオムツをはいて帰ってくることも3日に1回はあった 。
そんなさまざまな異変を私が感じている間、慶太にも異変が起きていた。まだ言葉はしゃべらないとはいえ、いつもニコニコと笑い、人懐っこくて、「ああー」「ううー」と話すことが大好きだった慶太が、日増しにしゃべらなくなり、笑わなくなった。たった1歳の子が、こんなに変わるのかと親の私が驚くほど、急激に慶太の表情は凍り付いていった。「私の思い込みかもしれない。保育園で初めて親と離れて過ごすせいかも」と思って、家ではいっぱい一緒に遊んだり抱きしめたりしたが、日々悪化。夫も同じことを言い始めた。保育園のノートには、「慶太くんはかわいいですね」という空虚なフレーズが繰り返されるばかり。何をしたかといった活動報告はほとんどなかった。
そして、心配になり、2人で迎えに行くことができたある日。これまでは私たちの顔を見ると泣きながらも走ってきた息子が、私たちを見て絶望したかのようにその場で泣き出した。今までに見たことのない、救いがない泣き方だった。帰り道、息子を乗せた夫の自転車を、涙があふれる目で見つめながら、「もう絶対ここから息子を出す」と決意した。(最終回へ続く)
(ライター 内藤智子)
[日経DUAL2013年12月5日掲載記事を基に再構成]
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