今日は、終戦記念日ではなく、敗戦記念日だ。
終戦とは戦後処理をすべて終えて初めて終戦と言える。
日本国はまだそのひとつも処理していない。
一方で旧同盟国であったイタリアとドイツはしっかりと敗戦処理をしている。
では8月15日とは何の日か?
昭和天皇裕仁が、太平洋戦線において旧大日本帝国の敗戦を宣言し、
さらに現人神から人間宣言をした日だ。
それから間もなく、極東軍事裁判(いわゆる東京裁判)において当時の主導人がこの裁判により裁かれた。
最高司令官であるダグラス・マッカーサーは、昭和天皇裕仁もこの裁判にて絞首刑にする考えだった。
しかし太古からの天皇信仰と国民によるゲリラ化を恐れ、天皇の裁きは見送り、国民にその裁きを委ねた。
そして彼の指導の下、日本国憲法が発布された。
日本国憲法には、天皇は国民のシンボルであると記載され、第1条より天皇の有り様が綴られている。
しかしここに極東裁判における天皇の裁きが見事に反映されている。
シンボルであるが、その財産や継承に関わる一切の権利は国に管理されている。
という事だ。
まるで罪人を扱うかの如き文面である。
国民の象徴(シンボル)という文字がこれを緩和しているが、実際は何も変わっていない。
昭和天皇裕仁はこの事実をしっかりと受け止め、罪人としてその役を全うし、この世を去った。
彼が亡くなった時点で、天皇への裁きは終えている。
しかし憲法は改正されず今に至っている。
平成天皇明仁は、これを騒がずじっくりと国民がこれに気づくのを待っている。
先に君が代や日の丸を国歌、国旗として定められたがこれは天皇崇拝から来るものであり、
天皇が我等と同じ国民として、人間として人権を得る立場となるなら、
君が代と日の丸は国歌、国旗としてなりえないものと私は考える。
靖国参拝の問題もまだ残っている。
敗戦宣言後、ドサクサにかすみとられた北方領土の有り様についても処理が残っている。
そして、今生天皇は未だ足枷をされたままだ。
これで何故戦後処理がされたと言えるのか?
だから8月15日は終戦記念日ではないのだ。
そして新憲法を発布し、天皇の人間宣言を受け入れ、彼らの足枷を外す。
それにより終戦の処理がなされ、この国は初めて終戦記念日を祝えると考える。
終戦記念日を新たにしっかりと設け、ロシアに対して北方領土返還の真の交渉も出来るだろう。
さて、8月15日にあなたは何を思う。
一句
敗戦の 思いは残れど 費える 年月 残る足枷
(淳風)