- シリーズ 日本語が通じない?日本人
- SNS上で起きる日本語のすれ違い:「言葉が通じない」のはどんな人?
- [2018.01.31]
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で、やりとりが全くかみ合わないことがある。同じ言語を使用しながら、「話の通じない人がいる」と感じてしまうのはなぜか? どういう人に対して「通じない」と思うのか? 国語辞典編さん者の飯間浩明氏に聞いた。
ツイッターなどで日本語ネイティブ同士なのに、まるで宇宙人と会話しているような違和感を持ったことがある人は多いのではないだろうか。
例えば、耳新しい単語が出てきた場合、その意味を調べる前に「知らない」という不満を発言者にぶつけたり、文脈を全く無視した見当違いの返信を投げつけたり……。そんな不可解なことをしているのはこういう人たちなのかもしれない。
この「言葉が通じない人」の特徴を4つに分類したツイートは、あまりにも的を得ていたことで話題になった。ツイートの主は飯間浩明氏。国語辞典編さん者という「言葉のプロ」だ。
「言葉が通じない人」の実例
さて、ここまでの文章で「的を『得る』は誤用で、正しくは的を『射る』だ。プロのライターなのに間違っている!」と感じたあなたは、もしかしたら「言葉が通じない人」になりかけているかもしれない。なぜなら、飯間氏が「言葉が通じない人」の存在に気がついたきっかけとなった出来事の一つが、まさにこの「的を得る」に関するやり取りだったからだ。
「的を射る」という慣用句がある。これは実は「的を得る」でも正解なのだ。飯間氏が編さんに携わる三省堂国語辞典では、1980年代の版で「的を射る」の説明に「〔あやまって〕的を得る」と記述した。このことがきっかけとなり、世間に「『的を得る』誤用説」が広まってしまった。しかし、再検討の結果、「得る」には「うまく捉える」という意味があり、「『的を得る』誤用説」そのものが成立しないという結論になった。2014年発行の第7版では、「得る」の意味の説明を詳しくし、「的を得る」の誤用扱いをやめた。
この経緯について、飯間氏はたびたびツイッターで触れ、これまでの記述を撤回、おわびしていた。ところが、読者の反応の中には「本来誤っている言い方を容認することには反対だ」という意見が根強いという。
「誤用説を広めた当事者が、『本来誤りではなかった』と、経緯を説明しておわびしていることがなかなか理解されないんです。ツイッターの短文で意を尽くせない面もありますが、前後の関連するツイートも合わせて読んでくれればいいのに、と思います。『かみ合わない感じ』はありますね」
ここで起こっている行き違いは、飯間氏による分類「ことばが通じない人(2′)文脈的意味を理解しない」の例に当たる。
こうした行き違いは、SNS上だけでなく現実生活でも起こりうる。飯間氏は大学で講義をもち、例題として「『全然』の使い方」をよく取り上げている。「全然」は「〜ない」という打ち消しの助動詞とセットで使うものだと教えられることが多い。筆者も、日常生活でつい「全然オーケー」などと言ってしまい、そのたびに後ろめたい思いをしていたが……。
「実はそうなったのは戦後のことで、明治時代には打ち消しではない言葉にも用いていました。夏目漱石や芥川龍之介の小説にも普通に『全然悪いです』『全然支配されている』などと出てきていて、否定の意味を持たない『全く』『すっかり』と同義語なんです。今は日本語学の分野でも、『全然』の下は、本来は打ち消し」というのはデマで、むしろ戦後に一般化した用法というのが通説になっています」
講義でこう説明しても、講義後のアンケートの回答を読むと、結構な数の学生がなぜか「『全然』は『〜ない』とセットで使うものだということがわかりました」と書いてくるという。飯間氏は「どこをどう聞いていたらこうなるんだと、がく然とすることが何度もありました」と話す。
このような学生は、飯間氏による分類では「ことばが通じない人 (2)語句の意味の理解が不正確」、つまり「言ってないことが言ったことになる」例に当たる。