埼玉県朝霞市の女子中学生誘拐監禁事件。2年ものあいだ、少女を自室に閉じ込めたのは、アニメ・ゲーム好きの千葉大工学部生の男だった。このニュースを聞いて、16年前の新潟少女監禁事件を思い出した方も多いのではないか。あのときは9歳の女子が9年2か月にわたって監禁されたので、衝撃を持って報道に接した記憶がある。実は、一宮むすび心療内科に受診する男性も17年間“監禁”された過去を持つ。今日は本人の了解を得て、ありのままを記す。[固有名詞は仮名]。

室田居留男さん(23歳)。昨年9月、「眠れない」と訴えて、当院を訪れた。もちろん、「じゃあ、睡眠薬ね」で返すはずもないが、治療のためこれまでのいきさつを聴いて耳を疑った。それほど常識では推し量れない人生を送ってきたのだ。彼が話した内容をまとめると――
もっとも古い記憶は2、3歳頃のもの。両親?との食卓を囲む風景だ。次の記憶は4歳頃。知らない家に預けられ、「おじさん」との2人暮らしが始まった。
ある年の8月某日。おじから突然言われた。「お前は今日で5歳だ」。下の名前はおじから教わったが、名字は知らされなかった。後に脱出したとき、家の表札を見てわかったのが室田姓だ。外出しようとすると烈火のごとく怒られた。一戸建ての2階部屋に幽閉されて育ち、小学校も通わなかった。
歌手のつのだひろに似た長身のおじは自宅でコンピューター関係の仕事をしていたらしく、1階居間にはパソコンが並び、時々関係先の男女が家を訪ねてきた。ずっと2階にいたので、気づかれたり不審に思われたりといったことはなかった。勉強はおじから渡された参考書やドリルで独学した。話し方はおじの目を盗んで観たTVニュースで学んだ。実際、診察でのやり取りに全く齟齬(そご)はない。

なぜ、逃げなかったのか?ぶしつけな問いかけに、ゆっくり答えてくれた。
「暴力はなかったし、食事は出してくれました。なにより、物心ついてからずっと住んでいたようなもので、違和感を感じなかったのかもしれません」。
そんな室田さんだが、一昨年の夏、”誕生日”を前に思い切って家を出た。おじの外出中に、おじの財布から少しずつ抜き取って貯めた金を手に脱出。野宿放浪し、ただひたすら歩いた。熱中症にかかったのだろう、愛知県のある街のショッピングセンターで気を失った。行き倒れとして入院。治療を受け、警察・役所の職員に話をしたときは「そんなことがありうるのか」と驚かれた。その後、生活保護を受けながら、受け皿としてNPO法人を紹介され、現在は法人事務所に仮住まいの日々だ。
もう一回、ぶしつけな質問を投げかけた。なぜ、逃げたんですか?
「夜中にテレビで幼児虐待のニュースをみました。家に閉じ込められ、自分と境遇が似てるなって。別の日に違う虐待ニュースをみて、このままの生活はおかしい、ここにいたら危ないと、、、」。
だから、今回の埼玉監禁事件で、(最近は鍵の外せる部屋にいた)少女は逃げ出すチャンスはあっただろう、といぶかる世間にたいし、室田さんはこう言い切る。「2年間もずっと”縛られて”きて、急に放される瞬間があったとしても、逃げられない。その気持ちは痛いほどわかります。マインド・コントロール?まさにそれです」。

「おじ」が室田さんを監禁した目的はわからない。ひょっとしたら、世間には言えない仕事をしていて、その後継として彼を育てていたのかもしれないが、推測の域を出ない。はっきりしているのは、本名もわからないひとりの人生が、そのかけがえのない時間が失われたという事実だ。

最後にひとつ。室田さんには戸籍がない。両親も本名もわからないのだから当然といえば当然で、だとしたら救済措置が取られるべきだろう。[いま、行政手続き中という]。わが国の無国籍者は公式には533人(法務省2015年)だが、それは氷山の一角で実際は1万人規模だ、という見方もある。室田さんのような人がカウントに入っていないのだから、ありうる数字だ。

つらい内容ばかり書き連ねてきた。いっぽうで良いことがある。室田さんは定期的に当院を受診し続けてくれ、不眠は改善し、薬は不要になった。仕事もアルバイトを続けている。なにより表情に生き生きとしたものがある。
希望を捨てないこと――17年間監禁されても、こころの扉は閉じなかった彼にエールを贈ってあげてください。