発達障害は先天的なもの(=生まれつきの脳みその特性)である。
加えて、親から子へ受け継がれていく「遺伝性のものである」という説がある。
確率の問題であり、必ず遺伝するとは限らない。
その話を聞いて、妊娠・出産のみならず、結婚も躊躇う当事者が少なからずいるらしい。私も第二子を産むかどうかについて、どうするべきか悩んだ時期があった。
赤すぐネットに寄稿させていただいたコミックエッセイ
当然ながら、最終的には本人が自身の責任において考えるべきことであり、他人がどうこういうべきことではないが、現実はそうではないようだ。
いつものようにTwitterを眺めていると、こんなツイートが目に入った。
これは「質問箱」という、匿名で質問を送ることができるWEBサービスを利用したもの。婚活中のまるさん@jbn48が、Twitterで質問を募集したところ、このような誹謗中傷のメッセージが届いたとのことで、そのことについて考えてみた。
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発達障害者は子孫を残すべきではない?
発達障害者は子どもを作るなというのはつまり、子孫を残す権利はないという主張だ。
仮に、人類に害をなすしかない劣等種だとしたら、逆になぜ我々は、こうして今ここに存在できているのだろう。
そもそも全ての人間は、「できそこない」だ。完璧な人間など存在せず、多様性があるからこそ、人類は繁栄してきた。
主張に隠された、おかしな「前提」
質問の送り主の言い分をまとめると、こうである。
- 発達障害者は婚活をするべきではない。
- なぜならば、発達障害は遺伝するからである。
(あくまで一説であり、必ず遺伝するとは限らない) - 子どもを作らないで欲しい。
(質問者は赤の他人であり、直接関わりあいがないが、口を出す必要性を感じている) - 子どもを作らないのだから、結婚をするのもいけない。
(結婚は、子どもを作るためにあり、作らないのなら結婚をしてはいけない。) - 不幸な発達障害者を、増やさないで欲しい。
(発達障害を持って産まれることは不幸でしかないため、最初から生まれてこない方がいい) - 発達障害者は周囲に迷惑を垂れ流すだけの存在なので、社会に出て来ないで欲しい。(多様性の否定。選民思想の持ち主である)
強い言葉の裏には必ず「理由」がある
「弱い犬ほどよく吠える」という通り、大型犬はおとなしく、小型犬は威嚇に必死だ。
攻撃性は不安の表れであるとして、この質問者がここまで強く主張する背景が、どうにも気になった。
質問者は、なぜそこまで言う必要があったのだろうか。
考えられる理由を列挙してみる。
- 普段から発達障害者に迷惑をかけられており、脅威を感じている。
- 自分も発達障害を抱えているが、「子どもに遺伝してしまうかもしれない」のと、「子どもを産めないなら結婚する資格はない」と思っているため、自身の結婚は諦めており、「自分と同じように諦めていない」ことが許せない。
- 劣等感や嫉妬心を抱いており、マウンティングをして安心したい。
- 「自分は自分、他人は他人」という自他の境界線があいまいである。
- 質問者は実在しない。
もちろん、送った本人にしか分からないことではあるが。
私個人の予想としては、2+3+4あたりではないかと思う。仮に5だったとしても、こういうことを言われるのも、よくある話なのが困ったところ。
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攻撃性を抱えた当人の問題
「発達障害者としてどうあるべきか」という定義を、人それぞれ持っていて、そこから外れる人間を攻撃する人もいるが、価値観の問題であり、攻撃されている側の問題ではない。
要は、「あなたはそう思うのね、わたしは違うけど。」で終わる話なのである。
得意分野で活躍する発達障害者たち
全ての発達障害者が天才なわけではないし、こういう話を聞いて「エジソンのような才能がなければ存在価値がないのか」と感じる当事者もいる。
それでも、「個性的である」ということは「おもしろい」ということだ。
誰もが「普通」な世の中は、絶対につまらない。
色んな人がいるから面白いし、刺激的なんだと思う。
言葉通りに受け取ってはいけない。
言葉の裏側には、色んなことが隠れている。
少なくても私は、それなりに苦労もしてきたけども、自分のADHDっぽさを愛しているし、人生おおむねハッピーである。
なあ、みんな。
発達障害を持っていたって幸せになれるっていう、生き証人になっていこうな。
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