大森靖子がバンド編成で臨んだ昨年7月20日のZepp Diver Cityのライブには、途中でずっこけた、というか脱力してしまった。なにがって、MC一切なしの完璧な構成で演劇的な様相すら呈していた本編と、良く言えばアットホーム、悪く言えばグダグダなアンコールの落差に、である。この構成への評価と意味合いは後述するが、筆者は中野サンプラザで1月20日に行われた弾き語りツアー『超歌手大森靖子 MUTEKI弾語りツアー』のファイナルライブにも、同じような感想を抱いたのだった。
ライブはピアノ弾き語りからスタート。幼少期にピアノを習っていた大森はピアノも達者で、最新作『MUTEKI』収録の「他人の人生」には即興で弾いたピアノが収められている。メジャーデビュー前に行った渋谷クアトロワンマンでも、ギターの弦が切れてしまい、その場でピアノ弾き語りに切り替えたこともあった。ほぼ全編弾き語りのアルバム『MUTEKI』では、ギターで弾きそうな曲をあえてピアノでやったものもあると言っていたが、この日もこれまでギター弾き語りで聴き慣れていた「夏果て」をピアノで演奏したのが新鮮。「オリオン座」の曲の途中でピアノからアコギにスイッチする展開もスリリングだった。
前半は13曲目の「みっくしゅじゅーちゅ」までMC一切なし。先述のZepp公演と同様、このままノーMCで終われば伝説のライブと化すだろう、などと妄想しながら見ていたのだが、そんなことはやはりあるはずもなく……。MCに入ると「私としゃべりたい人いる?」など観客に気さくに話しかけ、ファンの直近の出来事を細かく訊いたり、自由そのもの。その飾らないくだけた雰囲気はファンクラブ限定イベントやインディーズ時代のライブを思わせる。これをファンクラブ限定イベントでやればいいじゃん、と批判するのは簡単なのだが、僕はそうは思わない。50分近いMCには意義と必然性があったと思うからだ。
大森の意図はたぶんこうだ。まず、インディーズ時代のようにファンと密にコミュニケーションをとることは、普通メジャーに行ってライブ会場が大きくなると難しくなる。実際、インディーズ時代は気軽に接触できてよかったけれど、メジャーに行ってからは遠い存在になってしまった、と色々なバンドやアイドルのファンが嘆いている。だが、だからこそ大森はメジャーならではの規模である中野サンプラザでライブをやりながらも、インディーズ時代のようにあくまでも全員をちゃんと見ているよ、ということを示したかったのではないか。以前、大森は筆者が行ったインタビューで、「メジャーのいいところとインディーのいいところを両方やりたい」と言っていたが、まさにこのMCはそういうことだろう。
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