HALクリニックの診察室から

Human Active Life…新潟で心臓血管外科のクリニックを開設した医師のひとりごと

亡き娘のために医療機器を作るという話しは現実に…

2015-11-25 14:17:35 | 日記
 好調の>「下町ロケット」ですが、いよいよ第二部に入り、
人工弁開発の「ガウディ計画」が始まりました。


http://www.tbs.co.jp/shitamachi_rocket/


「傾斜円盤弁」から「二葉弁」への進化は歴史的事実ですが、
残念ながら日本の会社が作ったのものでも町工場が考案した
ものでもありません。
「人工弁」については、人工臓器学会が一般向けに出版した本で
僕自身が担当させていただきました。





写真に写っている手は僕の手です 
なんとネットに全ページが載っていたので、人工弁に興味がある人は
ご一読ください。
http://www.harushobo.jp/files/jinko-zoki.pdf

「下町ロケット・ガウディ計画」をもっと楽しめるのではないでしょうか?

ところで、ドラマの中で「重い心臓弁膜症を抱えていた娘の死を契機に
人工弁開発に没頭するようになった町工場の社長」が登場します。
いかにも小説やドラマのような設定のように思われるかもしれません。
でも、現実の話しがモデルになっています。

愛知に「東海メディカルプロダクツ」という会社があります。
http://www.tokaimedpro.co.jp/index.html

大動脈バルーンパンピングを作る小さな会社ですが、その設立には
初代社長筒井宣政・陽子ご夫妻のお嬢様の先天性心疾患という病気が
発端になっています。
東海メディカルプロダクツのホームページに紹介されていますので
ぜひお読みいただきたいと思います。
http://www.tokaimedpro.co.jp/company/story.html

お嬢さんの手術は不可能と診断され、手術費用として貯めていたお金で
大動脈バルーンパンピングを医療の素人の筒井社長が独力で勉強して
開発を進めて、患者さんに使えるような製品を作られました。
大変なご苦労があったと思われます。
まさしく下町ロケットの佃航平社長と同じだったのでは?

そんな筒井宣政社長(当時)ですから、先天性心疾患の手術をしてしていて
困った僕に力を貸してくださいました。
人工心臓が一般的に使えなかった当時、心不全の患者さんに
大動脈バルーンパンピングが用いられた時代でした。
大人用にはいろいろなバルーンがありましたが、小児用バルーンを
作っていた東レが撤退して、子どもに使えるバルーンがなくなりました。
子どもに使えるバルーンが欲しくて、さらに効果を高めるために
サイズの変更を考えていたのですが、日本も外国も大企業は
僕の声を聞いてもらえませんでした。
諦めかけたときに、東海メディカルプロダクツの筒井社長(当時)が
人肌脱ぎましょうと引き受けてくださいました。
今思うと、お嬢さんと同じ先天性心疾患のこどもを救うためにという
僕の気持ちに共感されたのではないでしょうか。

心カテ室にこもって、いろいろな体格の川崎病の心臓カテーテル検査の
シネフィルムを見ながら、ひとつひとつ計測しながら日本人のこどもの
大動脈の正常値を出して、それを基にバルーンおデザインを決めました。



「小児用IABP めだか」
http://www.tokaimedpro.co.jp/product/2008/000025.html

作っていただいた小さなバルーンが上手く動くかどうか、実験室の中で
条件を変えながら駆動実験を繰り返すという地味なデータ取りを繰り返して
実際に使えるという自信がでたところで、医療用器具として申請されました。

「めだか」というネーミングは、「小さくてもスイスイ動く」というめだかを
イメージして筒井宣政社長(当時)がつけられました。
添付文書をみると、最後の文献に僕の実験結果の論文が載っているのも
懐かしいです。
http://www.tokaimedpro.co.jp/product/images/iabp_めだか_20140601.pdf
1995年、1996年の論文なので、もう20年以上も前に悪戦苦闘して
小児用IABPバルーンを開発していた若いころを懐かしく思い出します 


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