組織信仰者は、言います。
「師匠の居る組織でなければ、正しく信心し成仏することは出来ない。」
それは、御本仏日蓮大聖人の教えなのでしょうか?
それとも、組織教団の指導者達の造った組織教団に都合の良い邪義なのでしょうか?
御本仏日蓮大聖人の金言に正義を求めましょう!
御本仏日蓮大聖人曰く
■教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給いてこそ仏にはならせ給いしか、されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり、而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り・梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり、而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく善知識は爪上の土よりもすくなし■
釈尊のような正しい師匠(仏)を善知識としてこそ成仏することが出来たと仰せです。
しかし、善知識となる正しい師匠に逢うのは、一番難しくキセキ的な事なのです。
「今、自分は、正しい師匠に逢っている」と思い込むのは、御本仏日蓮大聖人の金言に反する危険なことです。
自分の宗派教団の師匠が、御本仏日蓮大聖人の金言と道理によって「善師、正師」であるのか「悪師、邪師」であるのかを見極めることが、なにより優先されることです。
御本仏日蓮大聖人曰く
■正しく末代の凡夫の為の善知識を明さば、(中略)
末代に於て真実の善知識有り所謂法華涅槃是なり、問うて云く人を以て善知識と為すは常の習いなり法を以て知識と為すに証有りや、答えて云く人を以て知識と為すは常の習いなり然りと雖も末代に於て真の知識無ければ法を以て知識と為すに多くの証有り■
これが、御本仏日蓮大聖人の結論です!
「師匠の居る組織でなければ、正しく信心し成仏することは出来ない。」
は、「人」を善知識とする一般的な宗派の考えであり、
御本仏日蓮大聖人の仏法においては「法華涅槃」の「教法」が真実の「善知識」となると仰せです。
御本仏日蓮大聖人曰く
■四十余年の諸経並に涅槃経を打ち捨てさせ給いて法華経を師匠と御憑み候へ■
さらには、涅槃経をも打ち捨て、「法華経」を師匠とすべきと仰せです。
それでは、凡夫である我々が、「法華経」を正しく解釈し、正しい信仰の指針を示す師匠、善知識とするには、どうすれば良いでしょうか?
御本仏日蓮大聖人曰く
■いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁え候べき、ただ経経の文字を引き合せてこそ知るべき■
「法華経」の文字を引き合せて、その整合性の上から仏意を判断すべきなのです。
御本仏日蓮大聖人曰く
■此の経は相伝に有らざれば知り難し■
しかし、釈尊から直接相伝を受けた御本仏日蓮大聖人でなければ、正しく理解し難いのが法華経なのです。
ゆえに、釈尊から直接相伝を受けた御本仏日蓮大聖人によって説かれた「御書」こそが、末法の凡夫である我々にとっての「法」であり、師匠であり、真の善知識となるのです。
それでは、我々凡夫が、御本仏日蓮大聖人の御書を正しく拝読するには、どうすれば良いのでしょうか?
それは、先に上げた御文の通り
■文字を引き合せてこそ知るべき■
であり、上記のように、例えば「法華涅槃」の一つの御文にとらわれるのではなく、それを別しては「法華経」と判断し、さらに相伝ある御本仏の「御書」と結論判断したように、御書全体との整合性の上から判断すれば良いのです。
以上から結論されるのは、我々末法の衆生は、人師や組織ではなく、「南無妙法蓮華経日蓮」の御本尊と御本仏の金言を師匠とすべきであり、御本尊と御本仏の金言さえあれば、成仏が可能なのです!
御書には、以上をさらに証明する多くの金言があります。
■法に依つて人に依らざれの金言■
御本仏日蓮大聖人は、釈尊のこの遺言を「金言」(不滅の教え)とされています。
仏(御本仏日蓮大聖人)の教法(御書)を基準とし、人師や組織の教えを基準にしてはならないのです。
■悪師を信ずる失に依つて必ず三悪道に堕す可きなり■
誰が善師で、誰が悪師なのか判断できないのが、末法の衆生です。
だから、悪師を信じて不幸になるのです。
■私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし■
■仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず■
天魔波旬とは、第六天の魔王の事です。
御本仏日蓮大聖人が説かれていない教えを説く師匠は、その身に第六天の魔王が入った我々を無間地獄に巻き沿いにする恐るべき悪師なのです。
■設い徳は四海に斉く智慧は日月に同くとも法華経を誹謗するの師をば悪師邪師と知つて是に親近すべからざる者なり■
■邪悪の師とは今の世の法華誹謗の法師なり■
悪師邪師の特徴は、なにより法華(御本尊)根本の御本仏の教えに真っ向から違背する「法華(御本尊)誹謗」の教えを説くことです!どのように素晴らしい人格を持った師匠であろうとも近づいてはならないのです!
日蓮正宗の根本義は、御書に一片も無き「戒壇本尊」の特権によって、『戒壇本尊と直結していない大聖人御真筆本尊を含む他の本尊は、「絶対に功徳が無い」「ニセ本尊」「魔の本尊」』などとしていることです。
これは、まさに「天魔波旬の其の身に入り替」った者による「法華誹謗」そのものであり、日蓮正宗の法主が悪師邪師魔師であるなによりの証拠です!
そして、その教えを教義の基礎としている創価学会その他も悪師邪師魔師の宗派教団であることに変わりありません!
御本仏日蓮大聖人曰く
■師なりとも誤ある者をば捨つべし■
■菩薩常に当に諸の悪知識を遠離すべし■
御本尊誹謗の教義を根底にもつ師匠を捨て、すぐに悪知識の宗派教団から遠く離れるべきなのです。
そして、我慢偏執の心をすて御本尊と御本仏の御書を師匠とすれば、個人信仰で成仏は可能なのです。
しかし、このように理路整然と御本仏の金言と道理で証明し、末法における凡夫の正しい信心のあり方を示しても、それに素直に従えないのが、悪師邪師の宗派教団に居る者の罰の思考状態なのです。
御本仏日蓮大聖人曰く
■邪師の法を信じ受くる者を名けて毒を飲む者なりと天台は釈し給へり汝能く是を慎むべし是を慎むべし■
■毒気深く入つて本心を失えるが故に此の好き色香ある薬に於て美からずと謂えり■
■毒気深入とは権教謗法の執情深く入りたる者なり、之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり服せしむると雖も吐き出だすは而謂不美とてむまからずと云う者なり■
■毒気深く入つて禁じても改むること無く偏に欲楽を嗜んで自ら止むこと能わず■
■依法不依人の経文・毀謗此経の文をば如何に恐れさせ給はざるや、悪鬼入其身して無明の悪酒に酔ひ沈み給うらん■
■悪鬼入其身是なり、悪鬼と悪酒とは同じ事なり悪鬼の鬼は第六天の魔王の事なり悪酒とは無明なり無明即魔王魔王即無明なり、其身の身とは日本国の謗法の一切衆生なり、入ると呑むとは同じ事なり、此の悪鬼入る人は阿鼻に入る■
恐ろしい事に、邪師の教えを信じてしまったことは、麻薬や悪酒を飲み続けている状態に等しく、自身の御本仏の金言と道理を示されてさえも、素直に判断し実行することは極めて難しい事なのです。
では、どうすれば良いのか、
御本仏日蓮大聖人曰く
■元品の無明は第六天の魔王と顕われたり■
■元品の無明を対治する利剣は信の一字なり■
■元品の無明の大良薬は南無妙法蓮華経なり■
■兼兼申せしが如く日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず■
邪法邪師の大悪魔の呪縛を離れ成仏するためには、自身が、他の誰でも無く、日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ信仰者であることを忘れず、我が己心の御本尊に題目を唱えながら、これまで示した御本仏日蓮大聖人の金言を信じ切り実行する勇気しか無いのです!
■我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ■

以上、随時加筆訂正いたします。
2013.6.11加筆訂正しました。
「師匠の居る組織でなければ、正しく信心し成仏することは出来ない。」
それは、御本仏日蓮大聖人の教えなのでしょうか?
それとも、組織教団の指導者達の造った組織教団に都合の良い邪義なのでしょうか?
御本仏日蓮大聖人の金言に正義を求めましょう!
御本仏日蓮大聖人曰く
■教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給いてこそ仏にはならせ給いしか、されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり、而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り・梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり、而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく善知識は爪上の土よりもすくなし■
釈尊のような正しい師匠(仏)を善知識としてこそ成仏することが出来たと仰せです。
しかし、善知識となる正しい師匠に逢うのは、一番難しくキセキ的な事なのです。
「今、自分は、正しい師匠に逢っている」と思い込むのは、御本仏日蓮大聖人の金言に反する危険なことです。
自分の宗派教団の師匠が、御本仏日蓮大聖人の金言と道理によって「善師、正師」であるのか「悪師、邪師」であるのかを見極めることが、なにより優先されることです。
御本仏日蓮大聖人曰く
■正しく末代の凡夫の為の善知識を明さば、(中略)
末代に於て真実の善知識有り所謂法華涅槃是なり、問うて云く人を以て善知識と為すは常の習いなり法を以て知識と為すに証有りや、答えて云く人を以て知識と為すは常の習いなり然りと雖も末代に於て真の知識無ければ法を以て知識と為すに多くの証有り■
これが、御本仏日蓮大聖人の結論です!
「師匠の居る組織でなければ、正しく信心し成仏することは出来ない。」
は、「人」を善知識とする一般的な宗派の考えであり、
御本仏日蓮大聖人の仏法においては「法華涅槃」の「教法」が真実の「善知識」となると仰せです。
御本仏日蓮大聖人曰く
■四十余年の諸経並に涅槃経を打ち捨てさせ給いて法華経を師匠と御憑み候へ■
さらには、涅槃経をも打ち捨て、「法華経」を師匠とすべきと仰せです。
それでは、凡夫である我々が、「法華経」を正しく解釈し、正しい信仰の指針を示す師匠、善知識とするには、どうすれば良いでしょうか?
御本仏日蓮大聖人曰く
■いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁え候べき、ただ経経の文字を引き合せてこそ知るべき■
「法華経」の文字を引き合せて、その整合性の上から仏意を判断すべきなのです。
御本仏日蓮大聖人曰く
■此の経は相伝に有らざれば知り難し■
しかし、釈尊から直接相伝を受けた御本仏日蓮大聖人でなければ、正しく理解し難いのが法華経なのです。
ゆえに、釈尊から直接相伝を受けた御本仏日蓮大聖人によって説かれた「御書」こそが、末法の凡夫である我々にとっての「法」であり、師匠であり、真の善知識となるのです。
それでは、我々凡夫が、御本仏日蓮大聖人の御書を正しく拝読するには、どうすれば良いのでしょうか?
それは、先に上げた御文の通り
■文字を引き合せてこそ知るべき■
であり、上記のように、例えば「法華涅槃」の一つの御文にとらわれるのではなく、それを別しては「法華経」と判断し、さらに相伝ある御本仏の「御書」と結論判断したように、御書全体との整合性の上から判断すれば良いのです。
以上から結論されるのは、我々末法の衆生は、人師や組織ではなく、「南無妙法蓮華経日蓮」の御本尊と御本仏の金言を師匠とすべきであり、御本尊と御本仏の金言さえあれば、成仏が可能なのです!
御書には、以上をさらに証明する多くの金言があります。
■法に依つて人に依らざれの金言■
御本仏日蓮大聖人は、釈尊のこの遺言を「金言」(不滅の教え)とされています。
仏(御本仏日蓮大聖人)の教法(御書)を基準とし、人師や組織の教えを基準にしてはならないのです。
■悪師を信ずる失に依つて必ず三悪道に堕す可きなり■
誰が善師で、誰が悪師なのか判断できないのが、末法の衆生です。
だから、悪師を信じて不幸になるのです。
■私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし■
■仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず■
天魔波旬とは、第六天の魔王の事です。
御本仏日蓮大聖人が説かれていない教えを説く師匠は、その身に第六天の魔王が入った我々を無間地獄に巻き沿いにする恐るべき悪師なのです。
■設い徳は四海に斉く智慧は日月に同くとも法華経を誹謗するの師をば悪師邪師と知つて是に親近すべからざる者なり■
■邪悪の師とは今の世の法華誹謗の法師なり■
悪師邪師の特徴は、なにより法華(御本尊)根本の御本仏の教えに真っ向から違背する「法華(御本尊)誹謗」の教えを説くことです!どのように素晴らしい人格を持った師匠であろうとも近づいてはならないのです!
日蓮正宗の根本義は、御書に一片も無き「戒壇本尊」の特権によって、『戒壇本尊と直結していない大聖人御真筆本尊を含む他の本尊は、「絶対に功徳が無い」「ニセ本尊」「魔の本尊」』などとしていることです。
これは、まさに「天魔波旬の其の身に入り替」った者による「法華誹謗」そのものであり、日蓮正宗の法主が悪師邪師魔師であるなによりの証拠です!
そして、その教えを教義の基礎としている創価学会その他も悪師邪師魔師の宗派教団であることに変わりありません!
御本仏日蓮大聖人曰く
■師なりとも誤ある者をば捨つべし■
■菩薩常に当に諸の悪知識を遠離すべし■
御本尊誹謗の教義を根底にもつ師匠を捨て、すぐに悪知識の宗派教団から遠く離れるべきなのです。
そして、我慢偏執の心をすて御本尊と御本仏の御書を師匠とすれば、個人信仰で成仏は可能なのです。
しかし、このように理路整然と御本仏の金言と道理で証明し、末法における凡夫の正しい信心のあり方を示しても、それに素直に従えないのが、悪師邪師の宗派教団に居る者の罰の思考状態なのです。
御本仏日蓮大聖人曰く
■邪師の法を信じ受くる者を名けて毒を飲む者なりと天台は釈し給へり汝能く是を慎むべし是を慎むべし■
■毒気深く入つて本心を失えるが故に此の好き色香ある薬に於て美からずと謂えり■
■毒気深入とは権教謗法の執情深く入りたる者なり、之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり服せしむると雖も吐き出だすは而謂不美とてむまからずと云う者なり■
■毒気深く入つて禁じても改むること無く偏に欲楽を嗜んで自ら止むこと能わず■
■依法不依人の経文・毀謗此経の文をば如何に恐れさせ給はざるや、悪鬼入其身して無明の悪酒に酔ひ沈み給うらん■
■悪鬼入其身是なり、悪鬼と悪酒とは同じ事なり悪鬼の鬼は第六天の魔王の事なり悪酒とは無明なり無明即魔王魔王即無明なり、其身の身とは日本国の謗法の一切衆生なり、入ると呑むとは同じ事なり、此の悪鬼入る人は阿鼻に入る■
恐ろしい事に、邪師の教えを信じてしまったことは、麻薬や悪酒を飲み続けている状態に等しく、自身の御本仏の金言と道理を示されてさえも、素直に判断し実行することは極めて難しい事なのです。
では、どうすれば良いのか、
御本仏日蓮大聖人曰く
■元品の無明は第六天の魔王と顕われたり■
■元品の無明を対治する利剣は信の一字なり■
■元品の無明の大良薬は南無妙法蓮華経なり■
■兼兼申せしが如く日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず■
邪法邪師の大悪魔の呪縛を離れ成仏するためには、自身が、他の誰でも無く、日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ信仰者であることを忘れず、我が己心の御本尊に題目を唱えながら、これまで示した御本仏日蓮大聖人の金言を信じ切り実行する勇気しか無いのです!
■我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ■
以上、随時加筆訂正いたします。
2013.6.11加筆訂正しました。
呼ばわり、本山の日顕の非を咎めれば、法華講は法謗呼ばわり、然し共に、御本尊を第一義、日蓮大聖人を仏と仰ぐ、双方物怪の如し、確か鎌倉時代に有った現証、自界叛逆と又天変地妖と平成の今日大聖人の金言に符合する厳しき指導、今は良し、後をご覧ぜよ、しかし学会の池田氏は既に、死に体、日顕は下座、この責任何人が正すや、側近は池田氏怖くて、又生活が有るので、耳なし法一の如し、大聖人から観れば日顕も池田も、題目三遍の一学会員、一講員と竹膜と言われるに違いない、いや未だ下劣かも知れないよ、彼ら二人を作り上げたのは、学会員であり、法華講員の責任と断ずる者である。早く出て来い、御本尊に帰依する平成の指導者よ。
罰など有るはずがない、大聖人一生成仏抄に曰く
文理真正の経王なれば文字即実相なりと、私字が下手なので、書写した事なし、釈迦は語る五種法師とね。釈迦は功徳有りて、大聖人は法謗の根拠ありや、否や。其処が知りたし、弥三郎
全て諸仏の言に偽りなし、巧みに一人の身体を以て,六万のガンジス河の数え切れない砂と説く、
其の一人の身体の中のガンジスの砂その一つ一つの中に又ガンジスの砂有りと説く、数え切れない程の想像絶する、天文学的数で形を形容を示す
此の砂が一人の身体を形成している。生命有るもの草も木も、60兆の細胞の事です。其の細胞の中に又60兆。此れミトコンドリヤ、人ゲノム。吾人は医学には無知であるがなっとくしたよ。コンマmm以下の如来、如、如として来たる。如来其のミクロ゜より小さい細胞の中に遺伝子その他の智慧が詰まってるんだ。方便品、諸仏智慧甚甚無量と、細胞を諸仏と語る。生命の姿不思議だね全ての細胞使命を受けて体内へ早いのは一日で死ぬように指令が繰りこまれている。一生死なない細胞心臓、忘れたが脳神経細胞か定かでなし一生と言っても千年では無いのです。どうも百五十年が限度らしい。心臓細胞は、
故に人は百五十歳以上は生きられないのです。意味不明かな、その全体細胞を仏法では多宝如来と名付けたのです。又ガンジスの砂と
長くなると支離滅裂なる恐れ、故に法とは我が当体、其の我を護る善なる細胞、如来と我、妙成る心と法とは一体不二として、生きている、法去れば死、妙去らねば生。臨死体験をした人なら、意味解るはず。しかし、
此の如来は我しか護らぬ善知識法自ら働かず。此の如来の事(本質)利他を他に実行し病気をしても如来が護る、法理を他に進め折伏して行きなさい、行きますと誓ったのか゛有名な四菩薩です。如来の使いとして如来の事を現ずる。吾人馬鹿だから四六゜時中、金にならないこんな事ばかり学んでる。
其のうち生命永遠の原理でも、説く、師釈迦は二五歳
弟子は百歳の細胞は、瞬間瞬間年をとる。説く師智慧の釈迦心は永遠にして年を取らない、また、意味不明かな 管理人様宜しく校正取捨して結構です。共に御本尊に帰依している善男子仲間集まれ。管理人に迷惑でも座談会のようにしたいね。
創価学会の本尊カラーコピーだから、偽本尊とか、偉そうに、真に受ける法華講の人達も、オウムの如し、学会を脱会して、法華講勿論其れは自由です、しかし、其の輩がつい数年前に、会合で、池田先生、池田先生と絶叫して、池田さんの、正義を訴えていたんですよ。面白いものだ、人の心は移ろいやすし、決して、其れが悪いとは思わない、その人の心の有りのままでしょう、
しかし、樋田さんとか云う人、御書抱えて、話す言葉は、縦板に水の如し大したものです。彼得意になって、譬諭品、過去の謗法により、次に生受け、駱駝に生まれ、驢馬に生まれ、釈迦は説いている。私
お前は馬鹿かと言いたいよ。過去の舎利佛、知識に溺れる論語読みの論語知らず。私我見です。此の説は、謗法に依って縁あって、生まれ来たなら、一生
苦しむ人生と驢馬だ、駱駝と説いたと心得る。又池田大明神は、二処三会の儀式、迷いの現実、宇宙を貫く生命の宝塔悟りの現実ですと、学会の教学部長とか肩書の有る人との対談で、私脳みそ、痛くなるんですよ。利養の為に法を説く、名ずけて、悪人という。私の家の十畳間、釈迦の云う悪人の本だらけ、妻は読みもしないのに、学会の供養の為、広宣流布の為と買い続け、私思うよ、読まない本なら
鼻紙のが、未だ価値が有ると、一つお願い有ります。大石寺の御本尊何故、大聖人の最も嫌う黒、塗ったのは誰か、大聖人は、黒は迷いと、衣の色も黒くしては、いけないと、私ね、今後何時の日は知らないが、大石寺にこんな気持ちでは行かれないのです。さりとて千葉の保田妙本寺万年の御本尊しらず。悩むところです。原始仏教では、覚者、仏とは、全てを照らす太陽が真理と聞き及ぶ間違っても、出雲の黒では無いと思う。多分に日興の六本の弟子、日禅彼も大聖人から本尊授与された其れを書写した本尊を、九世、日有が彫ったと私我見でおもう。大聖人の直筆を板に彫刻するなど、尋常な人間ならば恐ろしくて出来ないであろう。余計な寝言書きました。知る人居れば、身延の本尊に、似せた大石寺の黒の御本尊の云われ知りたし弥三郎、何時もお世話に、なります。
創価学会の本尊カラーコピーだから、偽本尊とか、偉そうに、真に受ける法華講の人達も、オウムの如し、学会を脱会して、法華講勿論其れは自由です、しかし、其の輩がつい数年前に、会合で、池田先生、池田先生と絶叫して、池田さんの、正義を訴えていたんですよ。面白いものだ、人の心は移ろいやすし、決して、其れが悪いとは思わない、その人の心の有りのままでしょう、
しかし、樋田さんとか云う人、御書抱えて、話す言葉は、縦板に水の如し大したものです。彼得意になって、譬諭品、過去の謗法により、次に生受け、駱駝に生まれ、驢馬に生まれ、釈迦は説いている。私
お前は馬鹿かと言いたいよ。過去の舎利佛、知識に溺れる論語読みの論語知らず。私我見です。此の説は、謗法に依って縁あって、生まれ来たなら、一生
苦しむ人生と驢馬だ、駱駝と説いたと心得る。又池田大明神は、二処三会の儀式、迷いの現実、宇宙を貫く生命の宝塔悟りの現実ですと、学会の教学部長とか肩書の有る人との対談で、私脳みそ、痛くなるんですよ。利養の為に法を説く、名ずけて、悪人という。私の家の十畳間、釈迦の云う悪人の本だらけ、妻は読みもしないのに、学会の供養の為、広宣流布の為と買い続け、私思うよ、読まない本なら
鼻紙のが、未だ価値が有ると、一つお願い有ります。大石寺の御本尊何故、大聖人の最も嫌う黒、塗ったのは誰か、大聖人は、黒は迷いと、衣の色も黒くしては、いけないと、私ね、今後何時の日は知らないが、大石寺にこんな気持ちでは行かれないのです。さりとて千葉の保田妙本寺万年の御本尊しらず。悩むところです。原始仏教では、覚者、仏とは、全てを照らす太陽が真理と聞き及ぶ間違っても、出雲の黒では無いと思う。多分に日興の六本の弟子、日禅彼も大聖人から本尊授与された其れを書写した本尊を、九世、日有が彫ったと私我見でおもう。大聖人の直筆を板に彫刻するなど、尋常な人間ならば恐ろしくて出来ないであろう。余計な寝言書きました。知る人居れば、身延の本尊に、似せた大石寺の黒の御本尊の云われ知りたし弥三郎、何時もお世話に、なります。
創価学会の本尊カラーコピーだから、偽本尊とか、偉そうに、真に受ける法華講の人達も、オウムの如し、学会を脱会して、法華講勿論其れは自由です、しかし、其の輩がつい数年前に、会合で、池田先生、池田先生と絶叫して、池田さんの、正義を訴えていたんですよ。面白いものだ、人の心は移ろいやすし、決して、其れが悪いとは思わない、その人の心の有りのままでしょう、
しかし、樋田さんとか云う人、御書抱えて、話す言葉は、縦板に水の如し大したものです。彼得意になって、譬諭品、過去の謗法により、次に生受け、駱駝に生まれ、驢馬に生まれ、釈迦は説いている。私
お前は馬鹿かと言いたいよ。過去の舎利佛、知識に溺れる論語読みの論語知らず。私我見です。此の説は、謗法に依って縁あって、生まれ来たなら、一生
苦しむ人生と驢馬だ、駱駝と説いたと心得る。又池田大明神は、二処三会の儀式、迷いの現実、宇宙を貫く生命の宝塔悟りの現実ですと、学会の教学部長とか肩書の有る人との対談で、私脳みそ、痛くなるんですよ。利養の為に法を説く、名ずけて、悪人という。私の家の十畳間、釈迦の云う悪人の本だらけ、妻は読みもしないのに、学会の供養の為、広宣流布の為と買い続け、私思うよ、読まない本なら
鼻紙のが、未だ価値が有ると、一つお願い有ります。大石寺の御本尊何故、大聖人の最も嫌う黒、塗ったのは誰か、大聖人は、黒は迷いと、衣の色も黒くしては、いけないと、私ね、今後何時の日は知らないが、大石寺にこんな気持ちでは行かれないのです。さりとて千葉の保田妙本寺万年の御本尊しらず。悩むところです。原始仏教では、覚者、仏とは、全てを照らす太陽が真理と聞き及ぶ間違っても、出雲の黒では無いと思う。多分に日興の六本の弟子、日禅彼も大聖人から本尊授与された其れを書写した本尊を、九世、日有が彫ったと私我見でおもう。大聖人の直筆を板に彫刻するなど、尋常な人間ならば恐ろしくて出来ないであろう。余計な寝言書きました。知る人居れば、身延の本尊に、似せた大石寺の黒の御本尊の云われ知りたし弥三郎、何時もお世話に、なります。
脱会して3~4年経ちます、脱会したての頃は、正宗に戻った方が良いのか悩んでいましたが、このブログ(FC2の方)にたどり着き考える人さんの考え方に賛同しました。御書に書かれている通りに、大聖人の仰せの通りに、行動して行こうと思っております。貴方の御書の解読力、理解力が頼もしく思えます。
常にこのブログで勉強させて頂いてます、出来れば御書の一節を引いた後に現代語訳も付けて頂ければ尚理解しやすいと思っております(お手間でしょうが宜しくお願い致します)。
他の処では脱会した連中が、脱会したは良いが信仰自体止めてしまい、挙句の果てには大聖人及び大聖人仏法にまでこぞって誹謗するブログまで出てきています、創価による害毒とは如何に恐ろしいものかと痛感しているるところです。
今、自分は功徳に満ち溢れています。脱会前は経済的にも苦しくやる事なす事裏目に出て、自動車事故は起こすし、どうしようもない状態でした。しかし脱会後は経済面は本当に豊かになり好きな仕事を自由にしております。本当の仏法の力をひしひしと感じて居ります。
これからも宜しくお願い致します。
たまに近況報告がてら投稿致します、では。
貴重なコメント有り難うございます。<(_ _)>
返答が遅くなり申し訳ありません。<(_ _)>
>脱会して3~4年経ちます、脱会したての頃は、正宗に戻った方が良いのか悩んでいましたが、このブログ(FC2の方)にたどり着き考える人さんの考え方に賛同しました。御書に書かれている通りに、大聖人の仰せの通りに、行動して行こうと思っております。
それは、良かったですね!
そうですね。私も大聖人の金言に素直な信心で行動して行きたいと思います。
>貴方の御書の解読力、理解力が頼もしく思えます。
出来るだけ、正しく解釈しているつもりですが、間違いがありましたらご指摘くださいね。
>常にこのブログで勉強させて頂いてます、出来れば御書の一節を引いた後に現代語訳も付けて頂ければ尚理解しやすいと思っております(お手間でしょうが宜しくお願い致します)。
そんな方が何名か本当にいらっしゃるようで、驚きと共に感謝しております。<(_ _)>
正しく現代語訳をするには力不足ですが、努力してみます。
>他の処では脱会した連中が、脱会したは良いが信仰自体止めてしまい、挙句の果てには大聖人及び大聖人仏法にまでこぞって誹謗するブログまで出てきています、創価による害毒とは如何に恐ろしいものかと痛感しているるところです。
「静かに創価学会を〜」でしょうか?^^
まさに、仰る通りです!
創価学会によって不幸になり、創価学会から離れて残った唯一の「成仏の種」まで捨ててしまうとは、愚か過ぎます。
>今、自分は功徳に満ち溢れています。脱会前は経済的にも苦しくやる事なす事裏目に出て、自動車事故は起こすし、どうしようもない状態でした。しかし脱会後は経済面は本当に豊かになり好きな仕事を自由にしております。本当の仏法の力をひしひしと感じて居ります。
すでに読まれたかも知れませんが、私も創価学会時代はトラブルや事故続きで借金も抱え色んな体の不調がありましたが、創価学会を離れてから経済的問題も一挙に解決し、体も学生時代以上に動きます。
スポーツもやってますが、中学生より疲れを知りませんね。^^
謗法無き信心がいかに素晴らしいかを一人でも多くの人々に広めて行きましょう!
>これからも宜しくお願い致します。
たまに近況報告がてら投稿致します、では。
こちらこそ、よろしくお願いします。<(_ _)>
悪知識のブログ等に負けないように勇猛精進してまいります!
が、先日も近所の婦人部が2人「おねがーい、公明党に入れてよ~。」と来たので「池田をお守りする為の党なんか絶対やだね!!現証を見なよ!!○○さんと○○さんは一家離散、○○さんは市議選に当選した直後に倒れて未だに植物人間状態、他にも脳梗塞だの癌でバタバタ倒れている人達沢山いるでしょ!学会の信心には功徳なんか無い証だよ、本当の大聖人仏法は朝晩の題目三唱だけでも凄い功徳があるんだよ!池田は悪師邪師!まだ解らないのか!」と言っても「いや~池田センセイは~あ~で、こ~で」と言うばかり。暖簾に腕押し糠に釘状態、「池田こそが僭聖増上慢」といったところで相手は「いや~センセイは僧侶ではないから~、一般人だから~僭聖増上慢は僧に対してのことよ~」。
バ~カ!!宗教で飯食ってる輩が僧じゃない訳ね~だろ~!!!・・・・・。
まともに行くとダメですね、日目上人までで血脈があっという間に途切れた正宗の歴史から懇々とやさ~しく諭していかないとダメなんですかね~。
諦めず頑張ります、ではまた。
>学会の信心には功徳なんか無い証
と言うより、
「学会の信心には大謗法がある!」
「だから、功徳のような現象があっても、最後は不幸な境涯で終った学会員が大勢いる」
と言った方が、納得するでしょうね。
創価学会員にも他の宗教同様、ご利益を感じている者は沢山いますから、「功徳がない」では通用しないでしょう。
私も、創価学会時代にも病気を治したり会社で認められたり等「功徳と思える現象」はありました。
>本当の大聖人仏法は朝晩の題目三唱だけでも凄い功徳があるんだよ!
そうですね。
謗法の無い信心であれば、絶大な功徳がありますね。
しかし、我々は、すでに創価学会員として極大謗法を犯して来ましたので、積み重なった極大謗法の極罪を消すために、自行化他に題目を唱え三障四魔を乗り越えて行かなければなりません。
>「池田こそが僭聖増上慢」といったところで相手は「いや~センセイは僧侶ではないから~、一般人だから~僭聖増上慢は僧に対してのことよ~」。
ほんとに、創価学会はご都合主義的に御書を解釈してますよね。
都合に合わせて僧を持ち出したり否定したり^^
*僧とは我等行者なり*
大難を受けてもいない池田大作氏を「法華経の行者」って言ってるのは、どこのどいつなんでしょう?^^
「真の弟子の出現を待つ為」と言い訳し【安保法制】【原発再稼働】【沖縄米軍基地建設】にも反対せずに沈黙する置不呵責の池田先生は、仰る通り『僭聖増上慢』です!
>まともに行くとダメですね、日目上人までで血脈があっという間に途切れた正宗の歴史から懇々とやさ~しく諭していかないとダメなんですかね~。
まず、特別な「血脈」なるものが最初からあるのかが問題ですね。
「血脈」とは、妙法蓮華経であり、それは我々衆生の仏性の事であり、仏性には全く差別が無いと信じる心の事です。
その仏性を開く自行化他に亘る南無妙法蓮華経の実践が血脈ではないでしょうか。
その上で、上古において日蓮正宗が主張する「血脈」なるものもズタズタに途切れている訳です。
相手は、池田創価狂信者ですから「血脈」は難しいかも知れません。
出来るだけ解り易いテーマを解り易く短く話す必要があると思います。
戒壇本尊を否定した創価の会員には「一大秘法」問題が、まだ、解り易いかも知れませんよ。
orange0216さんの文章を読んでると、極大謗法教団-創価学会から離れた潔い信心を実践している者の「溌剌とした生命力」が伝わって来て嬉しい限りです。^^
しかし、その生命力にまかせて失言する場合があるかも知れませんので、余裕を持ってゆっくり淡々と話す方が良い場合もあるかも知れません。
以上、最近は、創価学会員も来なくなり、ネット外では破折が出来てない自分を棚に上げて偉そうな話しをしましたが、参考にしてください。^^;;