つい最近、東ヨーロッパに行ってきた。スイスでシンポジウムに参加した後、まだ行ったことがなかったブルガリア、ルーマニア、モルドバを回った。
そして最後に訪れたモルドバで印象的なことがあった。この国はロシアとの間の領土問題を抱えている。ロシアが、国土の一部を実際に占拠している状況だ。
地元の大学で尖閣問題に関する講演を行ったが、そこで、50代の研究者にあった。大学の学科長だった。彼は英語が得意ではなく、長くソ連圏の教育を受けていたような人なのだろう。アメリカ人である私を警戒しているようだった。
しかし、講演の後、その態度は全く変わった。まず「ありがとう」のあと、「大変ためになった。示唆を受けた。感謝します。参考にします」といってきたのである。講演中、一所懸命メモを取っていた姿が印象に残っている。彼は彼なりに、自分の国、超大国に隣接する小さな国の国益を考えているのだと思った。
そこで改めて認識したことは、いったん、領土を隣の大国に占領されてしまうと、もう取り戻すことが出来ないということだった。この形は、北方領土の事例とよく似ている。
東欧に行く直前、中国の潜水艦が、尖閣諸島の接続水域を潜水したまま航行した。これまでにない挑発行為であり、尖閣問題が日本にとっていま最も緊張度の高い領土問題であることが改めて示された。ところが、日本政府をはじめ、政治家、国民のほとんどは無関心である。
この尖閣諸島もまた、中国に奪われてしまったら、還ってこない。そして、日本の戦後の領土問題は、北方領土に加え、韓国が1954年に武力によって獲った竹島のすべて日本にとって不幸な形で決着することになってしまう。
領土の一部でもとられると、その相手と隣接している以上、その国の主体的な外交はできなくなる。モルドバ国内では、NATO加盟を希望している声が多いが、それはロシアが絶対許さないし、その現実に、その意思を強要している。
つまり、尖閣諸島を奪われてしまうと、日本は対中国外交で主体性がなくなってしまう。中国の顔を一層立てなければならなくなるからだ。このことが歴史や他地域の国際政治に学ぶべき教訓なのである。日本は、北方領土問題と竹島問題からだけでも分かるはずだ。
日本の尖閣政策は、一言で言うと、「奪われるようなことがあったら取り返す」につきる。しかし、占領されると還ってこない、という教訓から考えると、意味のない非現実的な原則に立っていることになる。まず奪われないようにすることを考えなければならないはずだ。
つまり日本は尖閣問題に政策も持っていないし、戦略もないのである。それゆえ私は「尖閣無策」とよんでいる。
もう一つ、今回の東欧訪問で学んだことがある。
これも歴史的なロシアの手法だが、影響力を及ぼしたい国や地域に、まずロシア人を送り込むのである。ロシア民族、ロシア語話者の人たちが、そこでコミュニティを形成している。これら「在外ロシア人」を守るというのが、対外政策の言い訳になるのである。
ロシアが2014年にウクライナのクリミアに侵攻して自治共和国として編入したことが、その直近の例となる。
ドイツも、第二次世界大戦前に同じやり方をした。「ドイツ系住民を守るため」が、オーストリア、チェコスロバキア、ポーランドへの軍事行動や領土併合の表向きの理由となった。
中国もまた、沖縄へ多くの中国人を送り込み、日本国内に多くの中国人が在住している。日本だけではない。南アジアやアフリカにも万人単位で送り込んでおり、東南アジアには歴史的に多くの中国系住民が実際に生活している。
このことが、例えば、沖縄で独立運動などが本格的になった場合や、そのほかの地域でも何かの問題が起きた場合、中国が口を出し、さらにそれだけではなく、手を出す理由になる。世界の歴史がそれを証明している。
現時点で、尖閣問題は、あくまで隣国間の領土問題、外交問題だが、中国人の住民の人口が、日本国内、特に南西諸島に増えれば増えるほど、別な次元の問題が起きてくる。
以前から議論になっていることだが、中国には在外中国人を有事の際にあらゆる形で動員することが出来る「国防動員法」という法律がある。だから、中国人が送り込まれれば込まれるほど、内側と外側からの圧力が高まることになる。
このように、領土問題を甘く見てはいけない。一部でも主権を失うと、主体的な外交はできなくなるし、内政も妨害を受けるからである。
日本は政策がないから、海上保安庁と自衛隊という現場に任せっぱなしになる。海上保安庁には大変な負担がかかっているし、航空自衛隊もスクランブルで振り回されている。
去年、その回数が減ったことから、中国は平和を望んでいると評価する人たちがいた。これは昨秋の共産党大会があったので控えただけだ。あれから、また、回数は増えており、主張も激しくなっている。
最近、自民党政府も、中国といい関係を築くことが出来ると思っているようだが、すごく甘く極めて危険というしかない。