まず、前提とする事実から順に申し上げます。

 
1.私の父は、20114月に再選を果たした日本共産党川崎市議会議員です。もう7期目か8期目とのこと。市議団長ですが、健康上の問題から今期が限度でしょう。しかし、彼の後継者が見つからないのですが。

2.当然、母も日本共産党員であり、父が議員となる前は、横浜市職員である母が家計を支えていました。

3.私は、一生治らないアルコール依存症患者であり、実家を離れ、だいぶ回復したというものの、いぜん不眠症をかかえています。二つのメンタル疾患をかかえ、定期的に通院せねばならず、毎晩睡眠導入剤の服用が必要な精神病患者です。自立支援法の「長期かつ継続的」に当てはまり、精神疾患に関するかぎり、一割負担の医療費です。

4.私がなぜこの二つの精神疾患をかかえなければならなかったかという理由は、べつに添付いたします文章にくわしいのですが、簡潔に申しますと、私は彼らの第一子であり、彼らの日常のストレスや、彼らがかかえる矛盾をひとりで吸収して育ち、その過程でこのふたつの病を得たのです。

5.別添の文章をお読みいただければお分かりになると思いますが、それは、まさに「精神的レイプ」でした。レイプというものが、自分の快楽やストレス発散のために相手の人格を破壊することであるならば、私は自我を持って以来、彼らの矛盾やストレスを発散させる手立てとして、毎日毎晩レイプされてきたのです。多くが、彼ら二人がそろい、二人で晩酌をしている最中に起きたことですが、父か母が私をレイプしていても、片方はそれを傍観するだけで、その配偶者が娘をレイプしているのを容認していました。

6.私は現在失業中です。
  201010月に神奈川労連へ非正規職員として勤め始め、20113月末で雇止めに遭いました。この神奈川労連での経験が、私が表題にあるような思いをいだく原因のひとつとなっています。

7.20119月からは、湘南民商へ正規職員として、今年の11月に定年退職予定の職員の補充として入局したのですが、その彼が今年の3月に自宅で急死しました。
 事務局長が、無能な人なのですが(民主団体であるからこそ勤められたような人間です)、その事務局長に急死した彼の持っていた業務を全部任され、過労死しそうになり(通勤は、湘南民商会員のやっている中古自動車屋で買わされた自動車で通勤していたのですが、過重労働が原因で前日に睡眠導入剤を服用しすぎたため、翌朝の通勤途中に居眠り運転による事故を起こし、廃車にしました)、それでもがんばって仕事を続けていたのですが、ある日前事務局長(前事務局長なので、権限はないにもかかわらず、仕事が一番できるので実権は彼が握っています)に人格を否定される文言でパワハラをうけ、自律神経失調症を病み、やむなく退職しました。
 私は、首都圏青年ユニオンの組合員でもあるので、経済的に有利に退職できるよう交渉しようか迷ったのですが、精神科主治医の判断で事業者都合の退職を選択しました。退職日は今年の
520日です。

8.話が前後しますが、神奈川労連では、私を雇止めにする理由や事情があったのでしょうけれども(正式には訊いておらず、その雇止めのアカウンタビリティは果たされないままです)、雇止めのあとの就職先を探すようなことは一切せず、すべて私の自己責任でこの不安定かつ再就職が困難な労働市場に放り出しました。神奈川労連事務局にいた人のひとりが、湘南民商の就職口を紹介してくれましたが、私の雇止めに責任がある役員や上層部の人達は何も動きませんでした。それどころか、神奈川労連では、
2011年初頭から、いま労連が中心となって起こしている「最賃裁判」の準備をしていたのですが、私にまんがを描くスキルがあると分かると、宣伝物担当の生協労組の福田さんが最賃裁判のための学習資料としてのまんがパンフを企画しているから、それを作成してくれと議長の水谷さんに頼まれました。それが、2011年1月です。以来、最賃制度を勉強するための学習会へは、神奈川労連からその時間分だけの時給をもらいながら出席し、最賃裁判のための準備会議には毎回出席しました。

9.私は、3月末で雇止めに遭うことが分かっていたので、その契約内にまんがパンフを仕上げようとある時は徹夜で仕事をしたのですが、生協労組の福田さんが、そのコンテを弁護団や関係労組にまわし内容を確認する作業を怠ったため、まんが作成は契約期間内には終わらず、抵抗するすべもなく、コンテ(下書き。ネームといいます)を神奈川労連経由で福田さんへ渡しました。そのまんがパンフは、業者の手によって完成しましたけれども、パンフには私の名前は記載されておらず、また、そのパンフが出来上がったことを、福田さんは私に知らせなかったのです。

最賃裁判準備会議で、会議に出ている弁護士や労組の人が裁判に向けて盛り上がっている中、3月末で契約が終わり、そのあとの就職もどうなるのか見当もつかないという状態の私が、最賃をひきあげるためのまんがコンテを考えているというつらさがお分かりになりますか?

その会議のなかで私一人が、最賃どころではない、4月以降の生活がどうなるのか皆目わからない状態でした。そのつらさやくやしさがお分かりになりますか?

そうして、私が血のにじむような思いで書き上げた下書き(コンテ・ネーム)のおかげで、全労連の最賃制度にくわしい方にもほめられる立派な学習パンフが出来上がったと言うのに、それが私の知らないうちに出来上がっていて、そこに私の名前がないくやしさが。あれは、私の作品です。

10.上記の理由から、私はもう民主団体ではたらくのはこりごりです。フェイスブックで知り合ったほかの全労連系の労組の方は、私の仕事先を口きいてあげるよ、と神奈川労連とはまるで違うことを言ってくれるのですけど、もう民主団体では働きたくありませんし、そもそも私は精神疾患の患者です。民主団体であろうと、一般企業であろうと、毎朝定時に出勤せねばならないことが非常なストレスなのです。勤めている時と、こうして無職でいる時の睡眠導入剤の量は3倍から4倍ほども違います。通勤すれば、どのような職場にせよ、睡眠導入剤の量は増えるのです。そして、それを手に入れるために、月に1回から23回は休日を犠牲にせねばならないのです。いまの日本では、医師の処方箋なしに睡眠導入剤を手に入れることは不可能ですから。

11.なので、私の失業手当はもうじき切れますが、今日、母にそのあとは生活保護を申請すると伝えたところ、このタイミングで私が生活保護を受けたら他党からの攻撃材料にされると言われました。

それは、予測されうることなのでしょうか?そして、この文章で私が一番訊きたいことは、私は生活保護を受給できないとなればホームレスになるしかなく、それを避けるためには、私は死ぬしかないのでしょうか。実家には、私の生活資金を出すような金銭的余裕はなく、また、私も、私を毎晩レイプして、その記憶を自分たちに都合よく作りかえるようなアタマのおかしい人たちの世話になりたくなどありません。まだ日本政府の方がマシです。彼らは、自分たちの過去を、少なくとも自分たちに都合よく作りかえたこと自体を忘れてはいないでしょうから。自分の生まれ育った街ですから、川崎を愛していますが、もう川崎には戻れません。第一、実家には、自分の生活が苦しい時に度々盗みに入って現金や預金通帳や保険証書を盗んでいった父の弟が出入りしています。その金額は、一千万に届くとのこと。父たちは、その叔父の存在を党機関には相談せずに放置したまま現在にいたっています。警察機関には届けられませんから、それを承知の上で、叔父は度々盗みに入り、いまは祖母の年金にたかって実家のすぐ近くで生活しているのです。

 

私には、まんがを描く能力があり、それはこの社会の矛盾や不条理さを有効に告発する手段のはずです。その効果については、国民運動委員会の筒井晴彦さんにお聞きして下さい。

だから、私が死ぬのは少なくない損失のはずです。

死ぬのはつらくありません。日々のたたかいから解放されることですから。もう睡眠導入剤を手に入れるために、精神科クリニックの待合で無為に時間を過ごすこともなくなります。私には、私の友人達以外に財産はなく、私が選んだ家庭もありません。なので、私が死ぬのを思いとどまる理由はないですし、私が生きていくための生活保護ですら受けられないとなれば、私は死ぬしかないことになります。

 

 非常に残念です。

 

 

20121014

ちくま くみ