Webディレクターって名前やめようぜ的なブログを見て、それについて書いてたけどまだまとまっておらず、そんなことしてたらこんな記事を見つけて。
基本的には概ね同意なんだけど、「気づいた人がやる」が害悪なわけではないはずなんだよね、という。そんなことを思っていたら、昔の上司を思い出して。
罵詈雑言は毎日言うし、朝令暮改は当たり前。部下に対してはどうふるまっても自分は役職が上だからOK、みたいな人でしたね。だから、資料チェックなどの予定すら合わせない。「俺はお前のおもり役じゃねぇんだよ」といってスケジュールすら抑えられない不思議な上司でした。 ※そういう人に限ってやれユーザ中心だ、ペルソナだ、情報デザインだ、とかいうもので、不思議な話ですね。
そんなわけで、うぇぶぎょうかいのむめいでぃれくたーのお時間です。
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あるとき部長(上司)はこう言いました
「こぼれ球を拾う文化のない組織はダメだ。お前らはそういう意識が低いからダメなんだ」
会議室の管理がおざなりになっていて、誰もがすぐに空室状況を一覧できる状況になかったり、鍵の場所もパッとわかるようになっていなかった。それに対して10人強のチームのトップが全員に向かってそう言い放った。
聞いていた僕は心の中でこう思いました。
( ´_ゝ`)プッ
それはアナタの仕事だよね
こぼれ球を拾うのは誰の役目か
これは、そのこぼれ球がどういうものなのかによると思います。よるとおもいますが、まあ、ぶっちゃけそんなの誰でもいいよね。それで組織がうまくまわってみんながハッピーならそれで良いわけですよ。何にも問題はない。
だが「みんながハッピーなら」というところが崩れがち。
なぜそれが崩れるかというと、こぼれ球を拾うことがハッピーにつながらないから。
なぜハッピーにつながらないかというと、それをやっても給料が上がらないから。
なぜそれをやっても給料が上がらないかというと、経営層やマネジメントがそれを評価していないから。
件の記事には"「気づいた人がやる」は害悪でしかない"と書いてあったけど、実は気づいた人がやることが害悪ではないんですよね。それをしている人をちゃんと評価せず、やった人が損をするからやらなくなる。要するにこれは1~10までマネジメントの話なんですよね。
ここで大事なのは「こぼれ球を拾った人はちゃんと評価するよ」っていうことにとどめないことなんですよね。その「こぼれ球」の質によるから。
たとえば、オフィスにある電気ポットがあまり洗われずしばしば汚れがち、というのを見つけて定期的に掃除する人がいたとして。これも立派な「こぼれ球」であり「気づいたこと」になるんだけど、じゃあこの人のその作業に年収一千万を出すかというと、まあ出せないですね。たぶん、注意してれば誰でも気づくことだから。
たとえば、プロジェクトの受発注において、見積もり条件の細かい部分や、プロジェクトオーナーを明確化したエビデンスをサクッと取っておける人。これも、割と漏れがちという意味では「こぼれ球」であり「気づいたこと」だけど、プロジェクトを安全にまわすためには非常に重要なところで、プロジェクトというものにはこの手の重要ポイントが無数にある。これに気づける人には年収一千万もありえますよね。注意していてもそういうスキルや観点、経験がないと気付けないから。
「こぼれ球」の考え方にはその組織のコンセプトや思考が如実に表れるべきだし、表すべき
上記の「たとえば~」で出した二人の例は極端だけど、でもこれがビル清掃会社の話で、「凡人は見落としがちなところをきちっと拾える清掃担当」だったら、一千万円とはいかずとも高い査定をもらえるかもしれないですね。
そう、だから「こぼれ球」というものにはその組織や会社の「大切にしていること」が如実に表れるし、表れるようなマネジメントをすべきだと思うんですね。
いくら、開発会社のなかで「私はオフィスの衛生面を守っているのに!」と言ったところで、さすがにその会社の主軸である大型システム開発を安全にまわせるスキルのある人と同様に評価するわけにはいかないですから。
これはつまり「選択と集中」という意味でもあって(っていうか同じか)、それこそがマネジメントなのだと思います。残念ながら、「電気ポットの掃除を評価してほしい!」という人は、開発会社で評価されるというのはなかなか難しく、それはもう清掃サービスの会社に行った方が良いのでは、という話になるけど、むしろそうあるべきで。
叩かれるべきは経営者でありマネージャー
そういう意味で「こぼれ球を拾う文化のない組織はダメだ。お前らはそういう意識が低いからダメなんだ」って言い放った部長というのは、本当に滑稽な話ですね。
それが自分の仕事だということにすら気づいてない。
一方で、どうも同じ目線の人に目が行きがちなのか「こぼれ球を拾わない人」「気づいているのにやらない人」を憎む傾向にある、という人が会社という組織の中にはたくさんいますが、これもおかしいんですよね。
「気づいているのにやらない人」がそのままでいられるのは、「自分で気づいてやる人をプラス査定せず、やらない人を(相対的に見て)マイナス査定にする」ということが無いからそうなっているのであって、お金を貰って仕事をしている以上、これはある意味当たり前のことです。
つまり、悪いのは「気づいているのにやらない人」ではなく、それを放置している経営者やマネージャーのはずなんですよね。「気づいているのにやらない人」は会社から「それでいい」と言われてるんだから、何も悪くない。(ちなみにこれは産休制度にも言えますね)
現場レベルにおいては、僕はみんながいま一度「自分は何を価値に、どう経営に貢献し、誰からお金を貰っているのか」を考えることが大事だと思います。
そうすれば、「ああ、これはマネジメントがアホなんだ」と気づくので。