「他にも手術を受けた人は全国にたくさんいる。今回の訴訟をきっかけに名乗り出てほしい」--。旧優生保護法下で強制的に不妊手術を受けた宮城県の60代女性が30日、全国初の国家賠償請求訴訟を仙台地裁に起こしたことを受け、同じく手術を強制された同県内の70代女性が訴えた。県に自身の手術記録の開示請求をしたが「破棄されていた」とされ、裁判を起こせなかった。女性が悲しみの半生を振り返った。
女性は県沿岸部の出身。中学3年の時、仙台市内の知的障害児の教育施設に入所し、卒業後は生活の保証人となる「職親」に預けられた。
しかし、待っていたのはつらい仕打ちだった。「ばかなんだから、それ以上食べるともっとばかになる」。そうののしられ、十分な食事も与えてもらえなかった。
16歳の時、宮城県の知能検査を受けた。「精神薄弱者、内因性軽症魯鈍(ろどん)」と診断され、すぐに市内の診療所に連れて行かれた。何も知らされず、麻酔注射を打たれた。気がついた時はベッドの上。自宅に戻った後、両親の話を偶然耳にし、不妊手術されたことを知った。
女性は就職などで県内外を転々とした。職場の同僚や友人にも手術のことは打ち明けられなかった。子どもがほしいとの思いを捨てきれず、20代で養子をもらった。
「なぜ、私は不妊手術を受けなければならなかったの?」。女性は知的障害者に交付される療育手帳も持っていなかった。父に問いただすと、「民生委員や職親に無理やり(優生手術を承認する書類に)はんこを押せと言われた」と力なく言った。悔しさとやりきれなさで胸が張り裂けそうになった。
女性は、県に手術の記録を開示するよう求めた。しかし、答えは「既に破棄されている」だった。女性は「証拠となる資料があれば裁判に加わりたい。同意なしに、人を産む能力を奪っておきながら、資料を処分したで済まされるのでしょうか」と問い掛ける。
女性は約20年前からこれまでの経験を手記にしたり、国へ補償を要望したりするなどの活動を続けてきた。「ずっと悩みの中にいた。苦しみはこれからも消えない」が、一人でも多くの被害者が救済されるよう国に働き掛けていく覚悟だ。【遠藤大志、写真も】