九十六世信海が書きました寺伝『都幾山慈光寺実録』によりますと、天武天皇の二年(六七三年)癸酉、僧慈訓が当山に登り慈光老翁の委嘱を受け、千手観音堂を建て、観音霊場として開基しました。 |
平安時代になりますと、伝教大師最澄が比叡山に天台宗を開教しましたが、その折には道忠教団によって二千余巻の経典が奉納されたと『叡山大師伝』に記されております。 |
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、当寺に崇敬の念篤く、文治五年(千百八十九年)奥州の藤原泰衡追討に際し、戦勝祈願のため愛染明王像を当山に贈りました。また、寺領として千二百町歩を寄進した建久二年(千百九十一年)の源頼朝寄進状が、今に残っています。このためでしょうか、華麗優婉な装飾経として有名な国宝「慈光寺経」がもたらされて伝来しております。これは、後鳥羽上皇を筆頭とする藤原兼実一門が結縁のため書写した「法華経」の一品経であります。 |
戦国の時世では、当山も僧兵を傭し、近隣の城主との抗争に明け暮れましたが、それも太田道灌等によって焼き討ちの憂き目にあい、栄華を誇った寺院も衰運をたどることになりました。 |