- 伊藤条太
- 2018年1月30日(火) 14:00
14歳張本智和(エリートアカデミー)の男子シングルス優勝、決勝が17歳“みうみま”対決となった女子シングルスなど、新しい時代の幕開けを感じさせる結果となった卓球の全日本選手権(全日本卓球)。開幕前から史上最高レベルの戦いになるだろうと予想されていたが、終わってみればそのレベルは予想をはるかに超えるものだった。一方で、入場者数も史上最高の2万8450人を記録し、各種メディアでの取り上げ方もおそらく大会史上最高の盛り上がりを見せた。ここ数年、卓球の注目度は上がる一方という、かつての卓球からは信じられない状況だ。
かつて卓球は「マイナースポーツ」の名を欲しいままにしていた。マイナーだけならまだしも「暗い」「ダサイ」とまで言われ、蔑み(さげすみ)のネタにさえされていたのだ。そのいわば卓球暗黒時代にも全日本卓球は行われていたわけだが、現代とはかなり趣の違うものだった。それがどのようなものだったか、長く卓球界を見つめてきた筆者が、自虐的ユーモアを交えて語ってみたい。
テレビ中継は年に一度
現在の全日本卓球は、毎年1月中旬に開催されているが、2002年度までの約20年間は12月中旬に開催されていた(それ以前は別の時期に開催)。大会は5日ほどかかるため、かなりの確率で大会期間中にクリスマスを迎えた。かつて卓球人にとって、クリスマスは全日本卓球だったのだ。
もっとも、全日本卓球に出られるのは限られた選手だけで、会場まで観戦に行くのもそうそうできることではないから、ほとんどの卓球愛好者にとって、全日本卓球はテレビで見るものではある。
そこで卓球愛好者としては、クリスマスのデート(あるいはその画策)と全日本卓球のテレビ観戦のどちらを取るかの選択を迫られることになる。ハナからその相手がいない場合でも「仮に相手がいたとしても自分は卓球観戦を取る」という無意味な決意をしてテレビの前に陣取った若者も多かったことだろう(いざデートの相手ができると、その決意があったことすら覚えていないことはもちろんだ)。
なぜそうまでしてテレビ観戦をしないといけないかといえば、当時は、テレビで卓球の試合が放送されることは、年に一度、全日本卓球をNHKが1時間半だけ放送するぐらいしか確実なものがなかったからだ。録画し損ねては一大事、見逃せば翌朝の新聞まで結果を知ることはできなかった。ニュース番組で結果が報じられることがなかったからだ。試合を放送をしたNHKですらそうだったし、まして民放が報道するなどということはあり得なかった。
感動の初優勝もニュース番組はスルー
例えば1999年度の全日本卓球で、長く日本の卓球界を牽引(けんいん)してきた渋谷浩が感動的な初優勝を遂げた。渋谷が初めて決勝に出たのはその8年前。たびたび怪我に悩まされ、決勝で敗れること3度の末の優勝であり多くの卓球ファンが涙した。さすがにこれはニュースになるだろうと夜のNHKニュースを凝視したが甘かった。甘すぎた。バスケットボールの高校選抜大会の結果まで取り上げられたのにもかかわらず、全日本卓球の結果は最後まで一言も放送されなかったのだ。全日本卓球は、バスケットボールの高校選抜大会よりも優先度の低い存在なのかと愕然(がくぜん)とした。
NHKが悪いと言いたいのではない。それだけ卓球を見たい人が少なかったのだ。見られないものを放送しろということは、売れない商品を店頭に並べろというのに等しい。誰が悪いのでもない。どうしても悪者を探さなくてはならないのなら、それはメディアでも視聴者でもなく、魅力がない卓球だと言うしかない。それが現実だった。
そういう状態だったから、会場での報道陣といえば、NHKと卓球用具メーカーと新聞各社の他には皆無という寂しいものだった。雑誌記者などいるはずもない。それが今ではフロアはおびただしいテレビ局のカメラでごった返し(今年はNHKだけの独占放送だったが)、新聞その他のメディア関係の人々で溢れかえっているのだから隔世の感がある。
ニュース番組でキャスターが「さて次は卓球です」とさも当たり前のように言うのを聞くと、未だに何とも言えないむず痒いような信じられないような気持ちになるし、タレントが卓球を好きだというのを聞くと「本当はそう思ってないよね?」などと思ってしまう。モテない男や女が急に愛を告白されて、からかわれているのに違いないと疑う心理に似ている。それほど暗黒時代のトラウマは強烈なのだ。