寺院名: 佐白山 正福寺(さしろさん しょうふくじ)
通 称: 佐白観音
宗 派: 普門宗(真言宗系単立寺院)
本 尊: 十一面千手観世音菩薩
本尊ついて、詳しくはこちら
開 基: 粒浦氏
創 立: 白雉2年(651年)
真 言: おん ばざら たらま きりく
詠 歌: 夢の世に ねむりもさむる 佐白山
たえなる法や ひびく松風

主な法要行事 : 節分会、四月十七日春例大祭
(本尊が開帳されます)
付近の名所旧跡 : 城址公園、つつじ園、あじさい園、芸術村
茨城県立陶芸美術館、日動美術館
宿泊施設: なし(市内、ホテル旅舘多し、問い合わせ可)
拝観料 : 拝観について参照の事

納経時間: 4月~10月: 午前8時~午後5時
11月~3月 : 午前9時~午後4時
※午後12時~1時
※事前に電話してからお越し下さい。いない時があります。

坂東23番霊場の
観世音寺平成24年9月18日付で古より続く
「正福寺」という名称に変更させて頂きました。



 笠間市の常陽銀行から笠間城址の方へ道をとりますと、笠間市営無料駐車場が見えて来ます。
駐車場の道路はす向かいには「観世音寺」というシルバーの柱が・・・。
柱を右に見ながら参道を入って行くと、春には山頂に続く沢山のつつじが出迎えます。
住所 〒309-1611 茨城県笠間市笠間1056-1
電話番号 0296-72-1332
FAX番号 0296-72-1332
交通(車) 北関東自動車道友部IC15分
駐車場 日動美術館の隣に市営大駐車場あり
『佐白山縁起』によれば、白雉二年(651年)狩人の粒浦氏が白馬・白鹿・白雉がその傍で護る霊木をもって千手観音像を仏工に刻ませ、安置した事にこの寺は始まりました。

山号は三白山。やがて孝徳天皇の勅願所となり、
のちに「誠に尊徳日々に新たなれば、
漸妨舎繁栄して既に一百余宇の僧坊有り、
今の土民の家宅は古へ皆僧坊の跡と申し侍り」
と『縁起』は往時の盛況を記しています。
実に鎌倉時代初頭までには、既に関東における有数な観音霊場になっていたのであります。

ところが近隣の徳蔵寺との寺領の争いがきっかけとなり、宇都宮頼網の命をうけた宇都宮氏が
正福寺を襲って堂宇を破却し、そこに築城、笠間氏を名乗り徳佐二山の寺領まで占有してしまいました。
時に建保二年(1214年)でした。
佐白山 観世音寺写真

頼網は時朝の伯父にあたり、
平安中期から戦国時代におけるこの辺の豪族です。
しかも笠間氏の宗家にあたっているので、
その命には従わざるを得なかったのでしょう。
時朝はその後、戦没僧侶の亡霊に悩まされ、
悪業の恐ろしさに観音の宝前で懺悔、
忠円阿閣梨を招いて観音堂を再建しました。
しかも幕府に無断で用兵、築城した咎により罰せられましたが、
観音さまの霊験によって助けられ、それより「佐く」(たすく)の文字を使って、
三白を佐白とあらため山号としました。
そして六ヶ坊を建てました。

因みに、時朝は鎌倉初期の歌人で『後選集』に名をつらねています。
それもそのはず、父の朝業は将軍実朝に仕え、その死去にあたって出家、「信生」を名のって、
のちに「信生法師集」を残している有名な歌人です。
佐白山 観世音寺の写真
かくて笠間氏は約400年の間、代々がこのご本尊に崇敬の誠を捧げ、
七堂伽藍をそなえる霊場としていきました。
永禄8年(1565年)笠間高広は三重塔の第一層を、
その子の広直が第二層を寄進しているなどがそれであります。

しかし、天正18年(1590年)宗家である宇都宮氏により亡ぼされ、
時朝より18代で笠間氏は絶えました。
以来この寺は衰亡に向かい、わずかに宥明上人がご本尊を一坊舎に移して<衆庶の参詣にこたえる有様でした。

現在の地に仮本堂が建てられたのは昭和5年のことで、
遷座をよぎなくされきた本尊を迎え、寺名も正福寺と改められました。


































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