>冊封=属国という批判は的はずれです。
いやいや属国でしょwwww同じ冊封国の朝鮮ははっきり認めてるしwww
>中国は朝貢国に対し実効支配することはありません。あくまでも形式的なものに近い。
竹島は南朝鮮が実効支配しているが、竹島は南朝鮮の属国だ、という表現は全く成立しない。実効支配することと、属国であることは、全く質の違う問題である。
そもそも実効支配という言葉は、主権国家体制を前提として、主権国家と認められない勢力による領域支配を表現した言葉である。つまり、国家政府でもないのに、国内において国家政府に優越する支配力を確立したり、国家政府でもないのに軍事力を所有する行為。あるいは国家政府であっても、全く別の国においてその国の国家政府に優越する支配力を確立したり軍事力を行使する行為を表現するための用語である。全く現代的な用語なのである。
主権国家体制のもとで、主権国家によらない領域支配を表現するのに、このような用語が必要とされたのである。もちろん、主権国家というのは自然に存在するものではなく、人間同士の約束事に基づいた観念的な存在なので、しばしば現実とは一致しない。現代においては反政府ゲリラだか自由の戦士だかにより「実効支配」される地域はますます増えてきており、この言葉の存在意義は薄くなる一方である。主権国家体制が21世紀にも存続できるかどうかは怪しいところである。
>これらの批判に総じて言えるのは、「歴史に対する無知」です。それに現在の沖縄を批判したいがために、歴史を材料に持ってきています。
批判者が述べている「中山王は中国からのたんなる使者にさえ土下座していた」「琉球は中国から属国扱いされている」これらはいずれも事実であり、上里隆史の反論は反論になっていない。
>>冊封=属国という批判は的はずれです。中国は朝貢国に対し実効支配することはありません。
> と
>>足利義満の勘合貿易と同様です。日本史ではあれを「貿易」としていますが、実際は「朝貢」で、すなわち「属国」化です。
> の2つの文は矛盾してますけど。あなたは朝貢=属国だと思ってるの?違うの? どっち?
この批判者の指摘は的を射ている。これに対する上里の反論はしどろもどろである。
>そもそも朝貢は貴兄のイメージする「属国」化ではないです。
「貴兄のイメージする属国化」というのは完全に上里の妄想の産物である。批判者は、琉球は属国か否か、という二者択一を問うているに過ぎない。
>琉球は南西諸島を領域として国王が絶対の権力を握っていた前近代国家です。
琉球征伐時、大島の首里大屋子たちは勝手に薩摩に降伏している。徳之島で掟兄弟が戦ったのも勝手な行動で、王府の指示によるものではない。王府は何も指示していない。それができる王府役人は「一戦の力もないから」と言い訳して自分だけ山中に逃げ込んでいた。琉球征伐から分かることは、国王の権力は絶対的でも何でもないし、国王自身がそんな権力は期待していない、という事である。
高良倉吉は辞令書研究を通じて、王府の絶対的権力を証明したいようである。琉球征伐から分かることは、紙切れは所詮紙切れ、という至極当たり前の事実である。社会経験の欠如がもたらす悪影響だろう。戚継光の紀効新書には、強い軍隊を作るためのアドバイスとして「真面目な人を雇いましょう」「賞罰は公正にやりましょう」「えこひいきは絶対にやめましょう」「将軍だからといって個人戦闘の練習をしないのはもってのほか。将軍はいつでも兵士の見本でなければなりません」などとは書かれているが、紙切れを発行しろとか、ナントカ体制を確立しろとは一言も述べられていない。高良倉吉の辞令書研究は、木を見て森をみず、の典型である。
上里の表現は、西洋史の前近代における絶対王政を念頭においているようだが、絶対王政自体、実際には絶対的な権力を有していたわけではない。「絶対的な権力が欲しいなぁ」と王様たちが言い出したのでそういう名前で呼ばれているだけである。
尚家の誰もそんな事は一切言ってないし、どっちみち金がないので絶対王政なんぞ実現不能である。上里隆史らは、アジア(笑)の視点からどうの等々、言うことは壮大だが、実際に東洋のことを理解しているわけではない。ルイ14世とかグスタフアドルフのように、ゾウさんみたいにおっきな国の偏差値の高い王様が、大金かけても実現できなかった「絶対的権力」を、琉球みたいな金もスキルもない上に偏差値も低い片田舎のハナクソみたいにちっちゃーな国家が実現できるわけないじゃん?
いずれにせよ、絶対王政をキーワードにすると、上里隆史らが「琉球には常備軍があった!」などと頻りに主張している事実も説明できる。常備軍は絶対王政の一要素だからである。なぁ上里君。琉球の「常備軍www」の駐屯地はどこかね?市来孫兵衛も喜安も肝付兼篤も常備軍なんぞは影すらみかけていないんだが、1609年の4月1日にはいったいどの辺に「常備」されていたのかね?
>琉球王国は中国から 一切の内政干渉を受けた事実はない。それは朝貢していた時代の日本だって同じではないでしょうか。僕は属国化を認めたくないとかそういう感情レベルで言っ ているのではない。歴史研究界で琉球はそのような評価をされているから言うのです。
中国の承認がなければ国王になれないのは上里の脳内では内政干渉では無いのだろうか。まあそれがなくとも、薩摩には内政干渉されまくってるので薩摩の属国である事実は変わらない。そもそも内政干渉という言葉自体が適当かどうか。薩摩の意向を伺うのは王府にとってはむしろ大前提だからである。干渉されるような「内政」自体が存在しないと考えられるのである。
また、上里はどうみても感情的になっている。歴史研究界ではどーのこーの、というのは上里隆史の常套句である。私の感想は一言につきる。知るかボケ。
>全部はあげませんが、一例をあげます。「明治政府の近代化政策に反対し、結果として沖縄の近代化を遅らせたDQNのいるあの県。」という批判です が、琉球が反対したことによって近代化が遅れた事実はありません。琉球の近代化を遅らせたのは明治政府の政策です(旧慣温存策といいます)。
>上杉県令が近世末から続く沖縄の窮状を救おうとしたのは事実です。しかしその改革の動きは明治政府によって潰され、彼はすぐさま更迭されました。近代化を遅らせた政府に対し異議を申し立てたのは沖縄の人々でした。
この辺は嘘まみれである。近代化が遅れたのは士族層の反対を県庁が容れたからである。
「而して各村総代五名宛、私等に委任状を渡さんとて調印することを、官吏役員等耳にするや、百万脅迫して調印せしめざらんと企てしも・・・(ここでいう官吏は内地の役人、役員が在地士族の役人を指す。当時の宮古の情勢は、人頭税を巡り、中村と城間により権利意識に目覚め団結した百姓と、これに反対する士族とが、しばしば街頭で徒党を組んで睨みあう騒然たる有様であった)」
いわば琉球と県庁の合作である。上杉県令の改革を潰したのも同様である。「政府に対して異議を申し立てた」というのは全く事実に反する。
「伏て願くば、博愛至公なる衆議院議員各位、某等の不幸沈淪を仁察せられ、某等の願意を採択して、以て院議となし、之を其筋に要せらるる所ありて、何分の御詮議被下度、」
これに異議申し立てをしている部分があるのならば、逐一引用して欲しいものである。島役所、県庁に請願しても梨のつぶてで話しにならないので、衆議院議員の皆様よ、どうか正義を行ってくださいお願いします、というのが趣旨である。上里は人頭税廃止請願書を読んだことがあるのか?
そもそも沖縄の人々ガーというのは、中村十作の御厚恩を完全に無視した物言いである。この人はリーダーだぞリーダー。お前は中村が何だと思ってんだ。うけた恩義に感じないとは、上里隆史は畜獣にも劣る外道である。まあコイツの先祖は士族かも知れないが。考えてみると、徳之島の戦いに見られるように、他人の手柄を盗むのは上里隆史の得意技である。
元・帝国海軍軍人の実業家という経歴は、中村十作が士族どもを全く恐れない胆力と、組織化の才を兼備していた理由をよく説明するだろう。沖縄の人でも何でもない人が、義侠心のみで、結構な経済的損失を甘受しつつ、運動のリーダーから請願書作成の監督から東京滞在のコーディネイトから、要するに何から何までやってくれた、というのは、この運動で最も感動的なことの一つである。中村十作は人頭税廃止運動以外は一実業家として生きた、特段の思想的背景も認められない人で、ただただ、人類普遍の正義の心から運動の指揮という重責を引き受けられたのである。
私がここで思いを馳せるのは、徹頭徹尾税金に寄生してきたくせに碌な仕事はせず(X庫裏www)コザの飲み屋で毎晩飲み歩いていたと聞いてもいないのに自慢するあの高良倉吉である。特技は人のせい。やれ県民はバカだ、やれ日本国民は沖縄の事を重視しろ・・・お前、誰の金で生きて来れたのか分かってんのか?
>(1)朝貢=「属国化」と言った場合に具体的にどのレベルを指しているのか。朝貢の歴史的実態をきちんと把握した上で議論しているのか。
属国にレベルがあるとは珍しい考えもあったものである。奴隷が「俺の鎖はお前の鎖より立派だ」と自慢するのにも似ている。そういえば中華秩序の中で、琉球は朝鮮より上だ、と言う話もあった。ただの妄想なのだが、属国同士でさえ見下しあう人の心の貧しさには恐るべきものがある。これが属国根性ということだろう。
>(2)前近代の歴史問題そのものが近代国民国家の領有権の根拠たりえるのか。ということです。
一般に現代の対アジア関係が議論される場合、よく「朝貢」などの歴史問題が引き合いに出されますが、僕は前近代の問題はひとまず峻別して、現代の問題は現代の問題として議論すべきだと考えています(それは日中どちらにも言えることだと思います)。
実際に領有権の根拠とされているのだからしょうがない。上里隆史の個人的願望など誰も聞いていない。上里隆史などのカス文系のたわごとを聞いていると、こいつらは自己中のガキなんだな、という事が良く分かる。現実に適応できていない。文学部のヌルい環境で甘やかされてきたのが原因だろう。
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上里隆史はとにかく琉球が属国だと認めたくないようである。上里は「琉球が朝貢していたから中国の属国だと言うなら、義満も朝貢していたからその時代の日本も属国だ!どうだ!日本も属国だとは認めたくないだろう!だから義満時代の日本も属国じゃない、琉球も属国じゃない、ということにしようじゃないか!」という論法で迫っているが、批判者は冷静であった。
> 日本は古代に朝貢していましたが、中世以降近代に至るまではしていませんでした。義満の時代だけが例外です。義満が朝貢したことは、「中国様に朝貢なん
ぞしやがって」と日本史の中では苦々しく評価されています。しかしこれは、中世以降の長い歴史の中であくまでも一時的なことです。戦国時代以降、江戸時代
もずっとしていません。
> しかし琉球国王は19世紀後半まで、例外でなくずっと朝貢していたでしょうが。それに対する反論として義満を持ってくるのでは、あまりにもパンチ力が弱いといわざるを得ません。
> あなた方は琉球を中国の属国だったと思いたくないようですが(そこんとこが朝鮮人と似てますね)、中国は沖縄を元・属国だと思ってますよ。日本が室町幕
府より後は朝貢してないのに、琉球はつい最近までしていたのだから。だから中国は沖縄を潜在的な中国領だと思っています。2000年のサミットがなぜ沖縄
で行われたかご存じですか? 中国に対し「馬鹿げた領土要求はやめろ、沖縄は日本領だと国際的にも認められているぞ」ということを示すためです。だから中
国首脳は招待されても沖縄サミットには来なかったのです(行けば沖縄が日本領だと認めてしまうことになる)。
確かに朝貢に対する意識の違いは、日本本土と琉球の大きな相違点である。批判者の言うとおり、義満の朝貢貿易は短期間で終わった上に、後世においては否定的にみられている。それに対し、琉球の朝貢への執着は浅ましいことこの上ない。自尊心が全くない。牧志が死んだ際も、「牧志を上国させたらうんたらかんたらでつまりは朝貢もできなくなるかも!」などとほざいている上、廃藩置県の際も、朝貢を続けさせてくれとやたら請願している。お前はそんなに中国に土下座がしたいのか、と問い詰めたくなる。朝貢をやめたところで別段の害も起きてないので、朝貢したがりやさん達は何をそんなに心配してたんだろう、ととても不思議に思うところである。
もっとも、そういう日本にも中国にもすぐ頭を下げて言うことを聞く卑屈な国を、薩摩も求めていたのは事実である。薩摩としては中国に頭を下げることはプライドがあるので嫌だ。従って貿易もできない。琉球みたいな土下座が平気な国を介して初めて貿易ができたのである。しかし、王府を無理やり美化せんとする高良倉吉や上里隆史の浅ましい言い訳の数々と、勇戦敢闘した八重山島民が正々堂々、アカハチを誇っている事実を比べると、薩摩に速攻土下座したのは確かに王府の存続と薩摩の懐、ひいては明治維新にも役立っただろうが、果たして本島人にとっては本当に良かったことなのか、私は疑問に思うのである。
>僕があえて義満をあげた意図はこうです。
>貴兄は中世の日本の朝貢について属国化ではないとの意見でしょうが、同じように琉球の朝貢も属国化ではないことをわかってもらうためです。義満(彼以降にも何代も朝貢してますが)と琉球の朝貢は同じ性格のものです。
上里隆史は批判者の反論が全く読めていない事が分かる。中世の日本の朝貢もまた属国化するものに他ならない。だから長く続かなかったし、悪口も言われるのである。朝貢を続ければどうなったか、と言えばまさに琉球みたいになるであろうから、ああ、朝貢をやめた本土のご先祖様はやっぱり賢かったんだな、と確認できるわけである。
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琉球は属国以外の何物でもない。ではどこの属国であったか、という点については次の2種類の考え方があるように思う。
一、日支両属であったものが、廃藩置県を経て日本に編入された。
これは「我の属国アル!」という中国の立場にも配慮したもので、最も穏当な意見と言えよう。
二、昔から日本のみの属国。シナに朝貢してたのは日本の指示で、日本の属国である事実を隠して嘘に基づいて行ってたことだから無効!
これは日本に最大限有利な考え方であるが、別に事実には反しない。