琉球王国~その真実の歴史

高良倉吉&上里隆史の歴史修正主義に反対します!琉球王府の悪行を語り継ぎます!

上里隆史妄言集

山野光正氏「武術の奥義」に感動!

UFCとかが流行ってるこのご時世にまだこんな純情な人がいるんだなぁ~と感動する。
http://kousyou.cc/archives/14463

これが「武術」の真実である。↓「呉陳比武」
https://www.youtube.com/watch?v=Cf0VKuUJPMc

まるで子供の喧嘩である。
ここから分かる事は、

・スパーリングしないと強くなりません。

という単純明快な事実である。
「体の使い方を質的に変える」とかいう屁理屈などバカバカしくてしょうがない。

強い弱いという観点を離れれば、武術にも素晴らしい点は一杯あると思う。私は八卦掌で長年の腰痛が解消した人を知っている。しかし強くなりたければ、体を少しは壊してでもスパーリングするしかないのである。今時のジムでは、安全対策は徹底しているので、パンドラになることはまずないが、それでも頭を打撃する以上、極めて微小な脳損傷は確実に生じる。打ち身とかは日常茶飯事である。たかだが殴り合いで強くなりたいがために、そういうリスクをあなたは感受できますか?というのが問題である。別にそこまで強くはなりたくはない、型稽古や筋トレで達成できる範囲でいい、という考え方は、当然あって然るべきである。


>例えば武術で筋力を軽視する傾向が強いのは、ルールが決まっている一般的なスポーツと違って、武術の場合どんな状況にも対応できる武術的な身のこなしが求められる、

今時、武術家であっても、筋力を軽視している人を私は知らないが、確かに一昔前にはこういう戯言を本気で言う人がいた。無論、筋力はあった方が良いのは当然である。筋力があって困る事はない。たまに「使えない筋肉」がある、とか言う人がいる。確かにオリンピアビルダーは筋肉があり過ぎて関節の稼働域が制限されているが、あれは超人的な節制と栄養学・薬学の知識の賜物で、一般人の筋トレで「使えない筋肉」がつく心配はいらない。むしろ筋トレが足りない心配をした方がよい。

また、脳内であれこれ妄想するよりも、大人しくルールを決めて、ある程度安全性を確保した上で、どんどんスパーリングした方が、実際にはいろんな状況に対応できるようになる。

山崎行太郎氏、先人を中傷す!~伊波は帝国主義者!外間守善は古い!

山崎行太郎氏は筆致が非常にヒステリックだが、心の病を抱えていないか心配である。


・伊波ふゆうは帝国主義者だからダメ!
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20151005/1443975138

伊波ふゆうは帝国主義の植民地主義者だ!との事だが、だったら何か問題あるの?何が問題?高良倉吉や紙屋敦之は帝国主義者でも植民地主義者でもないが、連中の琉球史に対する知見は、事実上、数百年前に喜安や市来孫兵衛や「球陽」編纂委員会が達成した水準から、むしろ後退している。倉吉や紙屋は沖縄史に害しかもたらしていない。連中はいなくてよい。倉吉や紙屋は社会に不要である。伊波がいない場合、伊波文庫が利用できなくなるので非常に困るが、倉吉や紙屋がいなくても私は一切困らない。こいつらが生きていて地球に何か役に立った事を一つでも知っている人がいたらどうか教えてほしい。個人的には、この二匹はむしろ目障りである。倉吉は脳みそもお粗末だが、第一に顔がブサイクすぎて正視にたえない。ヒトに進化し損ねましたという顔をしている。

倉吉しかり、山崎しかり、なぜ、カス文系はやたら他人様の思想信条にこだわるのだろうか?関係ないでしょ。仕事内容には。他人に迷惑かけなければ帝国主義者だろうがコミュニストだろうがどうでもいいです。他人に思想を押し付けたりせず、職場で波風たてず、同僚と仲良くやり、仕事をちゃんとやる限り、共産主義だろうが学会だろうが幸福の科学だろうが好きなものを信じてもらって全然構いません。土日に辺野古でシュプレヒコール挙げてても全然構いません。あなたの時間ですからどうぞ好きなように使って下さい。

あるいは、伊波の研究していた中山王府は、まさに帝国主義や植民地主義の極みなのだから、丁度いいんじゃないかwww帝国主義を単純に膨張主義、覇権主義と捉えるならば、まさに中山王府のポリシーそのままである。

王府は、際限のない支配欲に駆り立てられ、本島各地や離島を侵略し、郷土防衛のため立ち上がった勇敢な八重山島民、喜界島民、大島島民を虐殺し、文化を破壊し、極悪非道な搾取体制を築いた。八重山ではマラリア猖獗地帯に強制移民させ、無辜の民を大量虐殺した。

これは、薩摩や大日本帝国の行いとは、比較にならないほど卑劣である。薩摩は、逆らった王府を懲らしめはしたが、謝名以外は全員助命、文化・伝統も保全した。また、大日本帝国は植民地を搾取するどころか、むしろ資本投下して産業を振興し豊かにした。

ペリー提督がはっきり述べていることだが、中山王府の統治は世界的に見てもトップクラスの悪政である。


・外間守善の沖縄認識は古い!
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20151007/1444167826

いやいや、歴史学って古いのを研究する学問なんですがwww昔の沖縄を認識するのに、古い認識を用いるのは、何か問題ありますか?

外間守善は、子供の養育費も払わず東京に高跳びした不倫野郎の伊波と異なり、特に経歴の瑕疵も知られていない。私生活では、戦争にもいき、天皇陛下へのご進講係も務めた。何より歴史学者としては、球陽、琉球圀由来記、おもろさうしに注釈を付けて公刊したことで、沖縄県史に極めて大きな貢献をした人物である。高良“X庫裡”倉吉とは比べてはいけない。

沖縄県史は、外間の業績なしにはまともに研究できない。このため、仮にも沖縄県史に興味を抱くものが、ここまであからさまな中傷を外間に浴びせるのは普通は理解しがたいことである。しかし、山崎は決して沖縄県史専門ではない事を我々は理解して思いやる必要があるだろう。ブログをみれば分かるとおり、山崎はバカで短絡的で無知である。脳みその容量が少ないのだろう。専門の哲学ですらまともに出来てるか怪しいのに、ましてや沖縄県史を良く知らない、外間がどういう人間か知らない、というのは自然なことである。

おそらく山崎は、高良倉吉みたいな、近年の恥知らずで能無しのゴミ学者の尻馬に乗っているだけだろう。そちらの方が問題である。倉吉は知ってのとおり、島袋源一郎や仲松弥秀をヒステリックに誹謗中傷している。オランウータンみたいな顔のくせに生意気である。沖縄県史の研究でメシを喰うものが、メシの種を作ってくれた先輩を否定するのは、自分自身を否定するようなもので論理的・倫理的に理解し難い。いずれにせよ、倉吉の尻馬に乗って、このように沖縄県史に真に貢献した先達を中傷するものが実際に出てきていることは、極めて憂慮すべき事態である。

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山崎氏のブログ全般を概観しての感想だが、山崎氏は明らかに知的でないのにもかかわらず、やたら知的アピールをしたがるのはどういうわけだろうか。これは倉吉にも言えることである。

文学部は、一般的に言って、バカのたまり場である。医学部よりは確実に頭が悪い。たぶん工学部や法学部よりも悪い。頭のいい人は基本的に文学部にはいかない。文学部は就職率が悪いので、優秀な学生に選ばれないのは当然のことである。バカなこと自体は悪い事ではない。人間は配られた札で勝負するしかない。文学部にバカしか来ないのは当たり前なので、バカ同士協力してやりくりしていく必要がある。いくらでも方法はあると思う。現状の文学部はやってないが。ねぇ倉吉君。喜安日記の校訂をほっぽり出して毎晩コザに繰り出してたんだって?

ともあれ、文学部より明らかに優秀な医学部や工学部や法学部は、このような知的アピールは全然しないのに、なぜ、文学部みたいなゴミ学部がここまで知的知的連呼するのだろうか。何かコンプレックスでもあるのだろうか。文学部の皆さんは、社会に対してあれこれ思索を巡らすより先に、まず自分を客観的にみつめる事から始めた方がよい。自分の暗雲立ち込める将来の心配をした方がよい。

三山は実在したのか?

http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2009/06/post-9bac.html

三山は中国の認識の内には実在するが、同時代の沖縄人の中には存在しない。三山に対応する用語は、同時代の沖縄には存在しない。そのような概念は、当時の沖縄人は想像だにしないものであった。明が勝手に作った言葉なのである。実体としては、当時の本島のいろいろな地方豪族=按司の中で、特に目立ったのが、今帰仁按司、浦添按司、大里按司だった、というだけの話であろう。

問題となるのは、「琉球、国分かれて三となり、中山、其の中に都す」という表現である。尚巴志自身が言っているからと言って、真に受けるわけにはいかない。第一に、中山という言葉自体が明からの借用語だからである。第二に、尚巴志自身、佐敷按司時代から独立勢力として振舞っているからである。正史の記述を真に受ける限り、尚巴志が誰かの配下だった気配は全くない。そもそも彼の同時代の「南山王」が誰かなのが不明である。この事自体、「南山王」の権利・領土が実際には非常に限られていた証拠である。まあおそらく島添大里なのだが、正史の記述によるならば、彼もまた尚巴志の事を家来とはみなしていない。

宮古島旧記によれば、目黒盛は、与那覇原を打ち破りながら、これを滅ぼすことはしなかった。止めは刺さなかった。島添大里もまた、台頭する尚巴志を叩くよりも、これと誼を通じようとしていた。島添大里にとっての戦争とは、恐らく西洋中世の騎士同士の遊戯的な決闘と似ていた。しかし尚巴志の戦争は明らかに異なっていた。彼は己に屈服しない奴には容赦しなかった。おそらく、尚巴志以前の按司は、既得権益が侵されなければ、自分に従わない奴がその辺にいようがどうでも良かったのだが、尚巴志は、全島に完全な屈服を要求した最初の一人だったのである。


勝連按司が朝貢してないから勢力が弱いとか、中山の勢力下にある有力按司だった、とか言うのは笑止である。事実として、もちづき按司が誰かの配下だった、という証拠は全くない。また、朝貢を基準として力量を図るのは非常にバカげた事である。何故なら、朝貢していた武寧は、朝貢していない尚巴志より遥かに弱く、一方的にボコボコにされたからである。

龍柱は沖縄の文化か?

翁長知事「龍柱は沖縄の文化」 中国の象徴否定
https://www.okinawat...rticle.php?id=135874
沖縄県の翁長雄志知事は5日の県議会9月定例会の一般質問で、那覇市が市若狭に建設を進める龍柱について、
「首里城にも龍がある。もし中国のもの(という象徴)ならば、あの時代から沖縄は中国のものだと言われても
しょうがないという話になる。アジアの国々とつき合う中から生まれた沖縄独自の文化だ」と、服従の象徴ではないとの
認識を示した。照屋守之氏(自民)への答弁。


首里城には守礼門があるが、これは中国への服従の象徴である。首里城には中国への服従の象徴が山ほどある。これは明白な事実である。

王府が中国へ土下座していたのは事実である。土下座は王府の文化である。しかしだからと言って、他の人々まで土下座すべきだろうか?守礼門も龍柱も首里城にしかない。今帰仁城や中城城にはそんなものはない。

ましてや現代の我々が第二、第三の守礼門や龍柱を建てるいわれはないのである。

翁長は、中国への服従の象徴という言葉と、沖縄独自の文化を、対比的に用いている。これは完全な誤りである。中国に土下座するのは、明白に、王府の文化である。王府が沖縄ではない、というなら話は別だが。

しかし同時に、王府が中国に土下座していたかといって、他の御先祖様まで土下座していたと考える必要はないのである。組踊は沖縄の文化だという人もいる。しかしあんなの見ていたのは王府の人間だけである。組踊は沖縄の文化かも知れないが、だからと言って県民全体に共有されているわけではない。歴史的に言って、組踊の存在すら知らない人が大半で、文化的wwマスゴミがいかに宣伝しても誰も見にいかない。つーか今時若いのは新聞なんてよまない。青年会のヤンキーが勝手に自分の金でやってくれるエイサーと、税金で保護しなければならない組踊とでは、文化は文化でも普遍性が全く違うのである。

龍柱について私が重ねて確認せねばならないのは、これは中国への服従の象徴だということ、首里城以外の他の城にはないということ、一部の特殊な御先祖様が中国に土下座していたからといって、現代の我々までこれを墨守する必要は全くないこと、以上の点である。

近年の腐れ公僕は、税金が誰のモノか忘れがちのようである。沖縄県の税金は県民の物ある。翁長の私物ではない。白ソンヨプ将軍の自伝には、アメリカの将軍に教えられたとして、次の言葉がある。つまり、皆が納得する方針がいい方針だ、というものである。

これがシーサーだったら、県内業者に発注できるし、県のシンボルとしても、たいして文句も出なかっただろう。あらゆる点から言って、龍柱建設をゴリ押しする翁長の所業は甚だ不審である。

税金については高良倉吉にもはっきり言っておきたいのだが、コイツはどう考えても民間では通用しそうもなく、税金がなければトイレットペーパーも買えない糞ナマポのくせに、やたら偉そうである。コイツは、県民の事を知性がないなどとしばしばけなしている。なあ倉吉よ、お前は知性がないから文学部にいるんだよ?知性のある奴が文学部とか行くわけねーだろバーカwww

日本の一地方史としての沖縄県史

上里隆史は、もちづきという誰がどう見ても内地の標準語である言葉を指して、琉球の在来の美称だい!などと強弁している〈沖縄のどの方言で月をツキと発音するのだろうか?〉

これに限らずつくづく思うのだが、はっきり言って沖縄の文化なんて日本文化の一類型に過ぎないという事実をバカ学者どもは認識して欲しいと思う。羽地なんちゃらだってそう言ってるだろ。沖縄の文化は、おそらく古墳時代に近畿地方の文化から分化したものを基層にしているが、それ以後も、中央の文化の影響を不断に受け続けてきたのである。中山という政体の歴史は、確かに日本とは別に考える必要はあるかもしれない。しかし文化的にはそうではない。両者は区別しなければならない。

このような錯誤は、バカ学者どもが自己抑制ができず、我々にとって常識である国民国家や、民族主義などの近代的概念を、琉球王国論にも何の迷いもなく移入しまくっている事に起因している。

琉球が民族主義国家だった、と信じるのは本人の自由である。アレクサンドロス大王は、俺はヘラクレスの子孫だとか、アルゴス人の子孫だとか主張していたが、それと同じである。事実でなかろうが、人には信じたい事を信じる自由がある。しかしあくまで、これらは事実とは異なる。近代になってから、琉球民族主義に目覚めちゃって、民族主義国家琉球王国というのを妄想したイタい人たちがいる、というのは一つの歴史的事実であるが、実際の中山はそういう形而上的な主義主張とは縁遠かった。

琉球の独自性、をとにかく強調する論調は、フィリピンのカリという武術の歴史を思い起こさせる。これは本来エスクリマといい、スペイン統治時代に、ムスリムの海賊に対抗するため、現地住民の自警団に教授されたスペイン剣術に由来している。エスクリマという言葉も、技の名前も、何から何までスペイン語で、誰がどう見ても起源はスペイン剣術以外の何物でもないのだが、19世紀になりフィリピン民族主義に目覚めた一部の人々が、いきなりエスクリマは元はモロ族のカリという武術だったんだ!と言い出して今にいたる。ちなみにカリの語源は全く不明である。言い出した人の脳内にしかない。

フィリピン人自慢のエスクリマは、その起源からして、フィリピンの物であってほしい、そう思う気持ちは何ら非難すべきものではない。民族主義思想史における一つの事実として受け止めればよい。

しかし21世紀にもなって、琉球の独自性とか、アイデンティティとかの探求を歴史研究に持ち込んで、事実を歪める人たちにまで、寛大であろうとは思わない。