https://twitter.com/mangaryukyu/status/694064848057954304
>「屈辱の日」という言葉は2、3年前に登場した」という事実誤認を
>明明白白な証拠を挙げて指摘したら、
>「私の周りでは見聞きしたことがない」という論点 ずらしの反論。
>イデオロギーや左右の思想は関係ない。
>数十年前から「屈辱の日」の言葉が存在し認知されていたことは厳然たる事実。
無論、ここで論点をずらしているのは上里隆史である。
ここで重要なのは、「屈辱の日は2~3年前に登場した」
と容易に勘違いされるくらい、「屈辱の日」という言葉は
全く認知されていない、という点である。
また、琉球新報は誰がどう見てもまっかっかなので、
イデオロギーの左右が関係ない、
という上里隆史の主張については、私は正気を疑う。
なお、「屈辱の日」が全然認知されていない、
という諸氏の意見に私も完全に同意する。
「屈辱の日」という言葉については、私は今、初めて聞いた。
その意味もググって初めて知ったが、
主権回復の日を「屈辱の日」と表現する心性は
一日本国民、一沖縄県民として、あまりにも理解し難い。
>そもそも保守派こそ、日本の一部である沖縄が
>祖国から強制的に分断されてしまったことを「屈辱」ととらえるべきではないのか。
>沖縄の人々が「祖国へ帰りたい」という強い願いを込めた言葉であるとなぜ感じないのか。
私は沖縄の人々の一人として明言するが、私がこの言葉を聞いて感じるのは
「ブサヨはそう感じてるんだな」という事だけである。
純粋に言葉の使い方から言っても、
降伏の日を「屈辱の日」と捉えるのは十分に理解できるが、
降伏した状態が変わらず続いているある一日に、
何故、改めて屈辱を感じるのかがさっぱり分からない。
まあ要するに、降伏の日を屈辱と感じない所がブサヨのブサヨたる所以なのだろう。
~~~~~~~~~~
高良倉吉や上里隆史は、やたら「ウリはイデオロギーや左右の違いを超越しているニダ!」
と主張したがるが、
私からみると、彼らほど偏っている人間はいない。
彼ら王府絶対主義者であり、
沖縄には伝統的に、王府と関係ない伝統や文化が存在する、
ということに気付かない。
特に、高良倉吉がしょっちゅう、
「ウリは実証主義者で賢いニダ!郷土史家はバカニダ!」と主張しているのはお笑い草である。
上里隆史もこの尻馬に乗っているが、
高良倉吉にそんな知能があったら
国費じゃなくても史学科に受かってるとおもいまーす。
琉球大学の史学科ごときにすべってないと思いまーす。
ちなみに郷土史家の稲村賢敷は東京高等師範学校にいってまーす。
ていうか頭いい人は文学部みたいなクソ学部にはいかないと思いまーす。
個人的には、高良倉吉はバカにしかみえませーん。
ていうか大卒なんだから発酵の仕組みくらい理解してくださーい。
ウチの小学校すら卒業してないおばあちゃんですら
発酵の仕組みくらいわかりまーす。
ていうか自分で発酵食品作ってましたー。
あと「薩摩軍は6時間で運天から浦添まで到達した!」という寝言とか
キチガイなのかな?とおもいまーす。
小学校レベルの「常識」がなくても史学科の教授になれるんだなって思いまーす。
レベル低すぎでーす。
>「屈辱の日」という言葉は2、3年前に登場した」という事実誤認を
>明明白白な証拠を挙げて指摘したら、
>「私の周りでは見聞きしたことがない」という論点 ずらしの反論。
>イデオロギーや左右の思想は関係ない。
>数十年前から「屈辱の日」の言葉が存在し認知されていたことは厳然たる事実。
無論、ここで論点をずらしているのは上里隆史である。
ここで重要なのは、「屈辱の日は2~3年前に登場した」
と容易に勘違いされるくらい、「屈辱の日」という言葉は
全く認知されていない、という点である。
また、琉球新報は誰がどう見てもまっかっかなので、
イデオロギーの左右が関係ない、
という上里隆史の主張については、私は正気を疑う。
なお、「屈辱の日」が全然認知されていない、
という諸氏の意見に私も完全に同意する。
「屈辱の日」という言葉については、私は今、初めて聞いた。
その意味もググって初めて知ったが、
主権回復の日を「屈辱の日」と表現する心性は
一日本国民、一沖縄県民として、あまりにも理解し難い。
>そもそも保守派こそ、日本の一部である沖縄が
>祖国から強制的に分断されてしまったことを「屈辱」ととらえるべきではないのか。
>沖縄の人々が「祖国へ帰りたい」という強い願いを込めた言葉であるとなぜ感じないのか。
私は沖縄の人々の一人として明言するが、私がこの言葉を聞いて感じるのは
「ブサヨはそう感じてるんだな」という事だけである。
純粋に言葉の使い方から言っても、
降伏の日を「屈辱の日」と捉えるのは十分に理解できるが、
降伏した状態が変わらず続いているある一日に、
何故、改めて屈辱を感じるのかがさっぱり分からない。
まあ要するに、降伏の日を屈辱と感じない所がブサヨのブサヨたる所以なのだろう。
~~~~~~~~~~
高良倉吉や上里隆史は、やたら「ウリはイデオロギーや左右の違いを超越しているニダ!」
と主張したがるが、
私からみると、彼らほど偏っている人間はいない。
彼ら王府絶対主義者であり、
沖縄には伝統的に、王府と関係ない伝統や文化が存在する、
ということに気付かない。
特に、高良倉吉がしょっちゅう、
「ウリは実証主義者で賢いニダ!郷土史家はバカニダ!」と主張しているのはお笑い草である。
上里隆史もこの尻馬に乗っているが、
高良倉吉にそんな知能があったら
国費じゃなくても史学科に受かってるとおもいまーす。
琉球大学の史学科ごときにすべってないと思いまーす。
ちなみに郷土史家の稲村賢敷は東京高等師範学校にいってまーす。
ていうか頭いい人は文学部みたいなクソ学部にはいかないと思いまーす。
個人的には、高良倉吉はバカにしかみえませーん。
ていうか大卒なんだから発酵の仕組みくらい理解してくださーい。
ウチの小学校すら卒業してないおばあちゃんですら
発酵の仕組みくらいわかりまーす。
ていうか自分で発酵食品作ってましたー。
あと「薩摩軍は6時間で運天から浦添まで到達した!」という寝言とか
キチガイなのかな?とおもいまーす。
小学校レベルの「常識」がなくても史学科の教授になれるんだなって思いまーす。
レベル低すぎでーす。