石井ゆかり@筋トレのブログです。
『星読み』もよろしく!

ひとこと。

先日のラジオ、聴いてくださった皆様ありがとうございました!
※詳細は以下に。
iyukari.hateblo.jp


上の記事の中で
「貴重な一言」ということを書きました。

私は自分の出たラジオは今回に限らず、
恥ずかしくて、今までただの一度も聞いたことがないので(爆)
オンエアの中に出てきたかどうかわからないのですが
西田さんの脚本家としてのお仕事に関して
少しだけ話していただいた時に


「物語のゴールよりも
感情のゴールを目指そう、
という思いがある」


というようなことを伺いました。


このことを
もうすこしつっこんで伺いたかった・・・・!

あとでしみじみ後悔したのですが
それでも
意図するところはわずかに
受け取れたような気がしたのです。


「感情のゴール」。


たとえば、ものすごくベタな例で行けば
「シンデレラ」や「白雪姫」の
「そして、王子様と結婚し、二人はずっと幸せに暮らしました。」
というような「物語のゴール」が存在します。
ですが、ごく現実的には
結婚生活はそこからスタートしたのであり
その先に様々な「感情のドラマ」が展開していたはずです。
物語が終わっても
感情は終わらない。
そういうことが、あるはずなのです。


人間が生きている限り感情があるとするなら
感情のゴールは、人生の終わりで、すなわち、死
というふうにも考えることができます。
でも、西田さんがおっしゃっていたのは
たぶんそういうことではないと思います。


「物語」は、別に
登場人物全員が死ぬまで終わらない
ということはありません。
物語には物語のおわりがあります。
では、
「感情」は、どうか。
感情に終わりはあるか。
むずかしいところですが
ブログの中でずいぶん前に
「それをしたからといって現状が変わるわけではないけれど
敢えてそうすることで、私の気持ちが成仏する」
というようなことを話してくださった方のことを書きました。
気持ちが成仏する
ということと
感情のゴール
ということは
どこか、似ている
という感じがしました。


ドラマの受け取り手である私たちは
ドラマの物語としてのゴールと同時に
ドラマの中に生まれるある膨大な感情のゴールをもまた
たどっているところがあります。
たとえば
「火曜サスペンス劇場」みたいな2時間ドラマでは
事件の経緯と犯人が判明するところで物語は一応「ゴール」します。
でも、そのあとに
犯人がたんなる悪党ではなく
悲しみや愛をいっぱいに抱いていたことや
場合によっては被害者のほうが結構な加害者だったかも
みたいな整理がなされます。
人情味のある刑事や探偵が、物語全体の感情をくみ取って
断崖絶壁に砕ける波の風景に
悲しくもやさしい音楽(たいてい単調から少し明るくなっていくような曲調)が流れます。


悪い人が悪い人で
いい人がいい人
というだけでは収まりきらない人生の複雑さを
私たちは自分の人生の不条理と重ね合わせながら、そこでかみしめて
感情が一つのゴールに到達する
ということなのかなと思います。
星占いの世界では、感情は「水」です。
現実という岸壁のような冷たく険しいものに
海の波は際限もなく打ち付けてはくだけ、打ち付けては砕けていきます。
激しく荒ぶる波が、現実の前でもがきまわるような風景に
私たちは主人公たちの胸に吹き荒れる激しい感情の波を透かし見ます。
水は、断崖絶壁の前には無力です。
でも、長い長い時間の中で
波は少しずつ岩を削り、いつか、海岸線はその姿を変えていきます。


物語が完結しなくとも
感情はちゃんとゴールできている
ということだって
ありうるだろうと思います。
あるいは、物語は終わっているけれど
感情が宙に浮いたままで
モヤモヤしてしかたがない
ということもあるかもしれません。


これはものすごく乱暴な例ですが
占いをするうえで
たとえば
「結婚できますか」
という問いがあるとして
これはいわば「物語のゴール」です。
一方
「幸せになれますか」
という問いは、「感情のゴール」といえるかもしれません。


新婚旅行中に結婚したことを激しく後悔して絶望する人もいれば
長い調停を経て離婚が成立し、涙を流して喜ぶ人もいます。
「何が起こるか」と、私たちがどういう感情を生きるか、ということは
必ずしも、そのイメージが一致しません。
周囲から「おめでとう!」と祝われながら心の中が闇のような場合もありますし
みんなに「かわいそう」「大変だね」と慰められているのに
内心が歓喜で沸き立っている、ということもあり得るわけです。


占いで「それはいいことですか、わるいことですか」とよく聞かれます。
これは正確には「うれしいことですか、いやなことですか」ということなのだろうと思います。
でも、たとえば注射は嫌なことでも、それで病気の症状が治まるのは、うれしいことでしょう。
最愛の恋人から捨てられるのは胸が敗れるほど苦しいことですが
その相手が人間として尊敬しがたいような人物であったなら
人生全体としては、「よかったこと」に分類できるかもしれません。
私たちが生きる感情は
表面的なものと、もっと深いものと、何層にも分かれていて
表面の感情がちゃぷちゃぷ波立っているときでも
深海のような感情はどっしりと変わらない
ということだってあるはずです。


深い深い感情の世界で、
どんなゴールに到達することができるのか。
そういうことを
私はこのところ、
少し忘れていたかも、、、と思いました。
それは、多くの占いの読み手からは
必ずしも求められるところではないのですが
私として、書いていきたいことがあるとすれば
それは、人がどういう感情を生きていくか、
その感情がどんなに大きく深いものか、
ということだったんじゃないかな、、、
ということを
ふと、思い出した気がしました。


もちろん、明日、明後日、どんなことが起こるのかを
正確に当てることを
占いは求められているのだろうと思います。
いいことがあるか、わるいことがあるか、
誰もがそれを心のどこかで、気にしています。
自分の意志や力ではどうにもならないことが、人生を埋め尽くしていて
その「どうにもならないこと」がどのように動いていくのか
それを早めに知りたい、という思いに応える道具が
占い、というものなんだろうと思います。


でも
私はそういうことにはあまり
コミットしてきていなくて
むしろ、私たちが、
「自分ではどうにもならないこと」
に出会った時に
どんな思いを生きることができるのか
というその可能性を
無責任な星のつまみ読みで
三題噺のように考えてきたんだなと思います。
ただ
「もとめられること」がそれとは違うので
どこかで少し、ずれてきてしまったのかもな、、と
西田さんのこの言葉を聞いて
思い当った、ということでした。

特にオチはないのです、すみません(爆
あの興奮という感情を
なにかしら「成仏させたい!」
みたいな思いが
このブログになったのかと思います。


そんなかんじで


ひとまず、このへんで。




って
なんだこの終わり方は(汗(汗汗

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  • ホシヲトモス

    始めまして。ラジオ聴きました!
    いつも楽しく読んでいる星占いの石井さんが、まさか大好きなタイバニの脚本家の、西田さんの番組に出るなんて!さらにタイバニお好きだとは!と、二重に驚きました。
    物語の結末と感情の結末、本当にそう思います。
    客観的には悲劇に見舞われながら、実はそれこそが自分を救い出してくれた幸運だったという事を幾つも経験しています。

    ところでタイバニって、一つのサクセスストーリーが、ハピエンで終わったあとのお話、ですよね。
    NEXT能力が出てコンプレックスを抱える少年が、レジェンドと出会いヒーローになり、支えてくれた恋人と結婚して娘も産まれ…そこで一旦エンドマーク出て、しかしココデオワルハズガナかったわけです、人生は続き、別離や衰えもある。
    不可逆な流れの中で、虎徹さんが紡ぐのは、まさに感情の物語なんですよね。

  • くみ

    目にみえてる「物語」のことばかりに囚われて
    苦しくなってました。「感情」のこと、すっかり忘れてました。。
    ありがとうございます!