駅乃みちかの話題から始まった表現規制の話を纏めて追っていくと、いつもの流れで、最終的に公共性と表現の自由のすり合わせではなく、アルファツイッタラーに煽られた人々の皮肉と揶揄と罵声の叩きつけになって何一つ前向きで生産的な話になっていない。うん、知ってた。
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でも、公的な場にある下着ポスターはそんなに過激ではないよね。それは下着ポスターの多くは公共性のある場に提示することを考慮して、配慮してるからで。
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そろそろオタク(この名称好きじゃないですが)も差別の中から市民権を得てきたのだから、狭い業界内でウケてきた産物が広い公共の場に提示される際に、市民権を持つ者として公共性と表現の自由のすり合わせや公的な場での配慮が求められるようになってきたんじゃないかなと。被害者意識が先行しがち。
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そうじゃないと内輪ネタを押し出してくる所謂ウェーイな人々と変わらんと言われてきて厳しいよね
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もう一つのハイライトは、表現規制の話に、よりにもよってブルカを持ち出してきて揶揄したり皮肉ったりしてた人々なんですが、これはちょっとお昼にする話(すでに飯がおいしくなくなる話だ)ではないので後々にしよう……あれは呆れたというか軽蔑した。
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お昼の話の続きで反規制側がブルカを持ち出して揶揄したり皮肉ったりっていうのがあったけれどこれは単にちゃぶ台ひっくり返して議論をストップさせて「言ってやった」っていうパフォーマンスでしかない。ついでにブルカは単純に女性の行動・表現を規制するだけのものっていう偏見に溢れている。
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確かにイスラーム圏においてサウジアラビアや原理主義的傾向の強い国々や地域では女性に対してブルカを強制されるケースもありますが、ブルカ(あとヒジャーブやニカブといった類)が全て強制的なわけではない。宗教的、民族的アイデンティティとして望んで着用している女性もいるので。
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それを(それも恐らくは単に敵対的な人間、規制側への攻撃や賛同者へのパフォーマンス目的で)「行き過ぎた表現規制の象徴」としてブルカを持ち出したのはイスラーム圏文化への無神経さと無知の表現、つまるところ偏見であるし、当事者たる女性を無視したミソジニー&宗教差別なんですが。
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ブルカを着せて「もうこれしかないだろ!」っていうのは極端から極端への思考であって、元々の議論の根本で焦点である「公共性と表現の自由のすり合わせ」の話には何ら寄与していない。
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勿論、ブルカを持ち出したアルファなツイッタラーやそれを「言ってやったぞいいぞ」と持て囃す側に(規制側反規制側両方から)批判や疑問がきたわけですが、彼らはそれらに対し「皮肉もわからないのか」「マジレス乙」などと開き直り、さらに嘲笑や揶揄をするだけだった。
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これと全く同質の表現で宗教差別と皮肉をやった出版社がフランスにおりましてね。彼らは銃撃を浴びましたよ。「シャルリー・エブド」っていうんですけどねつい一年前のことなんですが。
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フランスをはじめとした一部の欧州圏のイスラムフォビアにはブルカやヒジャーブ、ニカブと言ったものを「女性差別の象徴」「後進性の象徴」として揶揄したり、排除を求めたり、蔑視したりする人々がいるんですが、その彼らとスタンスと認識が全く同じなんだよなぁ。
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(また、フランスでは公的な場におけるブルカやブルカと水着を組み合わせたブルキニといったものの着用を禁止する法があってこれが自由の課題として泥沼の議論が起きている)
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