『お客様は命の恩人』
当時お世話になった会社の教えでお客様は命の恩人と朝礼でも唱和し
事あるごとにその言葉が耳に入ってきました。
お客様は神様ですというのは昔の某有名演歌歌手の有名な言葉ですが
命の恩人とはいまでこそどんな商売でもお金の入り口はお客様でお客様からお金を
頂いて自分の生活が成り立つまさに命の恩人ですが
18歳の私にはそういう実感があまりありませんでしたが
本当にお客様はありがたい!命の恩人だ
そんな事を身をもって実感したのは入社した年の秋でした。
昭和62年10月のある日の夜テレビニュースを見ているとそれは報じられました。当時在籍していた乳業メーカーで主力商品ではなかったが現在はコンビニエンスストアなどで数多く目にするプラスチックの容器の上部にアルミの蓋とプラの上蓋がありそこにストローを刺して飲めるスタバのラテとかでよく見る商品、当時は森永さんと在籍していた企業2社でしか扱いがない商品でした。その飲料のカップ内を消毒する工程で消毒に使用する過酸化水素がノズルの不良から規定以上の量が噴出されその後の乾燥工程でも乾燥しきれずにそのまま商品が充填され過酸化水素が混入した商品が市場に出回るという食品事故が起こったことが報じられ翌日からは大きな騒ぎとなりました
。
スーパーや個人商店の売り場に残る該当商品を一軒一軒お詫びして回収するという毎日で大手の流通チェーン当時日本一の小売業であったダイエーでは、いち早く取引の停止と該当商品以外の取り扱い全納入アイテムの引き上げを迫ってきました。
その動きに呼応するように他のチェーン店も同様の処置を取りはじめ、営業所のプラットホームにはうず高く返品商品が積まれ工場も返品商品の山となり毎日慣れない2トントラックでお詫びと回収に走りました。朝礼では、また新たなチェーンスーパーでの取引停止が報告され現場はその指示に従い回収に走る中、ある日の朝礼で今度はイトーヨーカ堂から連絡があるとの事でした、当時の流通スーパーは西のダイエー東のヨーカ堂と言われるくらい大きな存在で先に取引停止となったダイエーに続きイトーヨーカ堂の取引停止は当時新入社員の私でも危機的状況である事を理解し遂にイトーヨーカ堂も取引停止かと思い話を聞いていると
今回の事態に対するお見舞いの言葉の次に発せられたものは、「取引業者が困っている時に助けるのがヨーカ堂の伝統です。」そしてその後に激励のお言葉まで頂きました。18歳の私は初めてそこで心の底からお得意様の有難さを感じました。
正に命の恩人です。
事態が収束すると社長によるお得意様各社のお詫び行脚の中、伊藤社長(当時)からはカタログは持ってきたか何を取引して欲しいとありがたいお言葉を頂き1アイテムも取引停止にならず増やしていただけるというご配慮でした。当時から社長はじめ全社を挙げてのイトーヨーカ堂様に対しての尽くしの精神があったにしてもなかなか出来る事ではありません。その後にイトーヨーカ堂、IYグループはセブンイレブンが日本のインフラを変え小売りの文化、流通を変革させ日本一の小売業となられました。