上杉周作
ゆるい世界の旅を終えて、30歳になりました
2017年2月から2018年1月のあいだ、30歳になる3日前まで、シリコンバレーでエンジニアとして働いていた会社を辞め、ゆるく世界を放浪していました。
ゆるくというのは、11ヶ月間のうち実際に旅をしていたのは7ヶ月だけで、残りの4ヶ月は諸事情により日本とアメリカにいたから。また世界を「一周」したわけではなく、アメリカと世界各地、日本と世界各地を往復する形をとりました。日本の国内旅行も少しだけしましたよ。
というわけで今回は、「世界を旅していた」と言うとよく聞かれる質問と答えを書きたいと思います。
何ヶ国/何都市を訪れたのか?
35ヶ国75都市です。訪れた順に挙げます。
- 🇧🇷 ブラジル: リオデジャネイロ / サンパウロ
- 🇧🇴 ボリビア: ラパス / ウユニ
- 🇵🇪 ペルー: クスコ / マチュピチュ / リマ
- 🇨🇱 チリ: サンティアゴ / プエルト・ナタレス (パタゴニア)
- 🇦🇷 アルゼンチン: エル・カラファテ (パタゴニア) / ブエノスアイレス / タンディル / プエルト・イグアス
- 🇺🇾 ウルグアイ: モンテビデオ
- 🇹🇭 タイ: バンコク / チェンマイ
- 🇻🇳 ベトナム: ホーチミン
- 🇲🇾 マレーシア: クアラルンプール / ジョホールバル
- 🇸🇬 シンガポール
- 🇮🇩 インドネシア: ジャカルタ / ジョグジャカルタ / バリ
- 🇵🇭 フィリピン: セブ / マニラ
- 🇨🇳 中国: 深セン / 上海 / 杭州 / 北京 / 🇭🇰 香港 / 🇲🇴 マカオ
- 🇫🇷 フランス: パリ
- 🇬🇧 イギリス: ロンドン / オクスフォード / セント・アンドリューズ / グラスゴー / エディンバラ
- 🇩🇪 ドイツ: ハンブルク / フランクフルト / ミュンヘン
- 🇩🇰 デンマーク: コペンハーゲン
- 🇫🇮 フィンランド: ヘルシンキ
- 🇪🇪 エストニア: タリン
- 🇱🇻 ラトビア: リーガ
- 🇵🇱 ポーランド: クラクフ
- 🇭🇺 ハンガリー: ブダペスト
- 🇦🇹 オーストリア: ウィーン
- 🇮🇹 イタリア: ローマ / フィレンツェ / ミラノ
- 🇻🇦 バチカン
- 🇪🇸 スペイン: バルセロナ / サンティアゴ・デ・コンポステーラ (カミーノ・デ・サンティアゴ)
- 🇮🇱 イスラエル: テルアビブ / エルサレム (死海)
- 🇹🇷 トルコ: イスタンブール
- 🇲🇦 モロッコ: マラケシュ / ワルザザート (サハラ砂漠)
- 🇰🇭 カンボジア: プノンペン / シェムリアップ (アンコールワット)
- 🇧🇩 バングラデシュ: ダッカ
- 🇲🇲 ミャンマー: ヤンゴン / バガン
- 🇦🇺 オーストラリア: シドニー (ブルーマウンテン) / メルボルン
- 🇮🇳 インド: バンガロール / パトナ / ブッダガヤ / ヴァーラーナシー / アーグラ / ニューデリー / ムンバイ
- 🇦🇪 アラブ首長国連邦: ドバイ / アブダビ
また、🇹🇼 台湾(台北・九份)も訪れましたが、台湾は日本政府が国家承認していないので、国の数にはカウントしていません。
🇯🇵 日本国内では、伊勢、白川郷(五箇山)、飛騨高山、京都、大阪、神戸、和歌山、瀬戸内海(直島・犬島)、宮島、福岡、沖縄(沖縄島)、筑波、水戸、軽井沢、富山、御殿場などを訪れました。
写真/動画は?
こちらのページに写真/動画付き旅行記ツイート集を載せています。全部で209ツイートあるので、読み込むのに時間がかかります。インスタグラムにも何枚か写真をあげています。
行って良かった都市ベスト15をあげるとしたら?
75都市を訪れたのですが、最も印象に残った2割(15都市)を紹介します。
15位: 🇨🇳 中国 / 深セン
中国のショーウインドー。昨年末、深センを取材した日本の方が書いた記事「日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと」が話題になり、ぼくも呼応して「人工知能(AI)の分野において、中国は日本に比べてどれほど進んでいるのか?」という記事を書きました。
深センでは、起業家の人たちとファーウェイの最大下請けの工場を見学したり、スタートアップインキュベーターを訪問したり、電気街を歩いたりしました。「ハードウェアで起業したいのなら、深センの工場を攻略せねばならない」というのはもはや西側諸国の起業家にも常識になっているそう。
街はとても発展していながらも(今のところは)大都会すぎず、上海や北京より暮らしやすそうな気がしました。
14位: 🇩🇪 ドイツ / ハンブルク (ミニチュアワンダーランド)
今回の旅で訪れた(歴史以外の)博物館で最もすごいと思ったのが、ハンブルクのミニチュアワンダーランド。世界中の風景・情景を1/87スケールで再現しているジオラマテーマパークで、世界最大の鉄道模型レイアウトです(Wikipediaより)。
中国の深センに行っても「ハードウェアは面白いかもしれないけど、ぼくはあまり興味ないなあ」と思っていたのですが、ここに来て、ミニチュア模型というハードウェアの底知れぬ表現力に大興奮してしまいました。「こんなところまでこだわるのか」という仕掛けが数え切れないくらいあり、「神は細部に宿る」的なデザインが大好きなぼくにはどストライクでしたね。
13位: 🇮🇩 インドネシア / ジョグジャカルタ (ボロブドゥール)
ジョグジャカルタはインドネシアの古都。ここでは世界最大級の仏跡「ボロブドゥール遺跡」を見てきました。(ちなみに今回の旅行では、同じく有名なカンボジアのアンコールワット遺跡群、ミャンマーのバガン遺跡群も訪れました。)
ほんわかエピソードをひとつ。なぜかこの日はインドネシアの小学生が群れをなして修学旅行に来ており、ぼくが外国人だと分かると「ミスター、一緒にセルフィー撮って」と声をかけられまくったので、ドヤ顔をして撮ってあげました。
すると、ひとつの子たちのグループから「名刺がほしい」とせがまれたので、SNSに子どもたちとの写真をアップすることを許可してもらうかわりに、たまたま持っていたぼくの名刺を渡すことに。
そして数日後、子どもたちとの写真をSNSにアップしたら、その写真を転載しているインドネシア人のおばさんをFacebookで発見しました。コメントはインドネシア語で書かれていたので翻訳してみたところ、
私の息子が日本人の歌手から名刺を貰っていた!
と書かれていました。どうやらぼくの名前でFacebookを検索して写真を見つけてくれたそうなのですが、なぜ「歌手」なのか。一瞬わからなかったのですが、自分の名刺を見返してみて、「ああ、なるほど」と思いました。
これが名刺のオモテ面で、使ったのはどこかで講演したときの写真です。どうやらマイクを持っていたので、歌手と勘違いされたもよう。おばさん、勘違いさせてごめんなさい。仏教にも輪廻の考え方がありますが、生まれ変わったら歌って踊れるアイドルになりたいです。
12位: 🇮🇳 インド / パトナ
パトナは初めて訪れた北インドの都市で、南インドのバンガロールから仏教最大の聖地・ブッダガヤに移動する際に経由した都市なのですが、「これが噂の北インドか」と、混沌とした街並みに圧倒されました。動画はこちら。
カオスさではガンジス川のほとりのヒンドゥー聖地・ヴァーラーナシーも引けを取らなかったのですが、パトナで北インドの洗礼をはじめて受けた衝撃は忘れられません。
パトナはビハール州の州都で、Wikipediaによると世界で6番目にPM2.5汚染がひどい街だそう。そしてパトナが属するビハール州はインド最貧州のひとつで、一人あたりのGDPではインドで下から二番目(32位)です。邦人女性が3週間監禁され集団レイプされた事件が起きたのも、ビハール州でした。
しかし当たり前ながら、そこで暮らしている人たちのなかには立派な人もたくさんいるのです。
ローカル鉄道で移動する際、ホームの隣で待っていたインド人の男性(写真)と友達になったのですが、彼はパトナの専門学校で学び、国境警備隊の資格を取ったとのこと。最終試験には陸上の長距離走も含まれているらしく、ぼくも高校のころ陸上をやっていたので、お互いのタイムを自慢しあったりしました。そして、こんな会話も。
— ぼく: こないだ、ビハール州でエンジニアの男性が誘拐され、どこかの村に連れて行かれ、拳銃を突きつけられて「この子と結婚しなさい」と脅されたニュースを見たよ。
— 友人: 詳しいね。
— ぼく: インドでは女性側が多大な持参金の負担をする習慣があるけど、ビハール州は貧しいから、それを払えない女の子の家庭が犯行に及ぶんだってね。年間平均三千件とか。本当にこういうことって起きるの?
— 友人: そうかもしれない。ビハール州は全国的に見ても保守的だから、よくメディアに叩かれる。しかし、ビハールの教育水準は上がってきているはずだ。みなが良い教育を受けれるようになったら、こういう悪習は無くなると思うよ。
ビハールの識字率は2011年で64%とインド最低でしたが、2001年の47%からは大きく前進しました。いつかは困窮から抜け出してほしいと願います。
11位: 🇬🇧 イギリス / エディンバラ (ミリタリー・タトゥー)
スコットランド軍楽隊が伝統衣装を身にまとい、バグパイプを演奏しながらパレードするイベント「ミリタリー・タトゥー」を見てきました。僕が卒業した米カーネギーメロン大学では、創立者の鉄鋼王・アンドリュー・カーネギーがスコットランド生まれだったことから、似たようなパレードが毎年キャンパスで行われていたのですが、本家はスケールが違いました。
スコットランド首都のエディンバラも、丘の上からの眺めがとても美しい街でした。J・K・ローリング氏がハリポタを書いたカフェもありましたので、ファンの方はぜひ。
10位: 🇦🇷 アルゼンチン / プエルト・イグアス (イグアスの滝)
世界最大の滝。旅の醍醐味は、「写真や動画で何度も見た景色なのにも関わらず、実際に行ってみたら想像以上にすごかった」という経験ができることだと思うのですが、イグアスは最も今回の旅で「想像以上にすごい」と思った景色でした。いつかはVRでイグアスを完全再現できる日が来るのでしょうか。
9位: 🇩🇪 ドイツ / ミュンヘン (オクトーバーフェスト)
毎年秋にミュンヘンで開催される世界最大のビアガーデン、「オクトーバーフェスト」に参戦してきました。早朝からテントが開かれ、参加者の殆どは昼前には完全に出来上がっており、多くの残党たちが芝生の上にぶっ倒れる有様。おもむろに誰かがテーブルに立って一気飲みをはじめると、テント中から沸き起こるコールの嵐。まさにVRでは体験できない盛り上がりでした。
8位: 🇧🇴 ボリビア / ウユニ (ウユニ塩湖)
ウユニ塩湖の鏡張りの景色の中、下の写真のようにMacbookで仕事をしていました。まさに究極のインスタ映え。ツアーは7人だったのですが、そのうちの一人がたまたま同じ日に日本から来ていた友達だったという奇跡も。夜のツアーも満天の星空の鏡張りが見れるのでオススメです。
7位: 🇲🇦 モロッコ / ワルザザート (サハラ砂漠)
パウロ・コエーリョの名著「アルケミスト 夢を旅した少年」に憧れて、サハラ砂漠に行ってきました。夜はテントの外で寝て、自分の友だち全員の願いを一つずつ叶えても、まだ余りあるほどの数の流れ星を見ました。ちなみに今回、イスラエル・モロッコ・UAEの3国でラクダに乗ったのですが、モロッコのラクダが最も乗るのがラクだった気がします。
6位: 🇵🇭 フィリピン / セブ
日本の友人の多くが語学留学でセブに留学していたので、以前から気になっていたセブ島。語学学校のサウスピークやNexSeedを見学したり、隣のボホール島ツアーに参加したり、セブ日本人会が年に一度行う盆踊り大会に参加したりしていました。
しかし何より最も心に残っているのは、スラムに暮らす子どもたちと楽器を演奏したこと。ぼくはカホンと13年ぶりのトランペットを担当しました。動画はこちら。
セブンスピリットという日本のNPO団体がスラムの子どもたち向けに音楽教育を行っていて、貧しくても音楽を通じて人間的に成長することができるようにと奮闘されています。昨年の5月頭には、子どもたちが日本に来て公演を行ったそうです。クラウドファンディングで集めたお金で来日し、ディズニーにも行っていたとのこと。
「やっぱり音楽は素晴らしいな」と思いました。ちなみに去年書いた記事「シリコンバレーのエンジニアが語る、誰にも悪気はなかった話」でも、東北の被災地の子どもたちに向けた音楽教育について触れています。
5位: 🇧🇩 バングラデシュ / ダッカ
2017年11月に、国際協力機構(JICA)がダッカに職業訓練校を設立しました。ダッカのトップ校卒のIT技術者に日本語などを学んでもらい、人材が不足している日本の地方企業に仲介するというプログラムです(詳細はこちら)。すでに宮崎県の企業で受け入れがはじまっているようです。
この職業訓練校で今回少しだけお話させてもらい、バングラデシュの若者の熱量を感じることができました。日本の地方を、これから優秀なバングラデシュ人が盛り上げてくれる予感がします。
ダッカでは2016年のテロでJICA関係者の日本人7人が亡くなっており、ぼくが訪問する前日には、トランプ大統領のエルサレム首都宣言反対デモがダッカで勃発していたため、治安が心配だったのですが、引き返さなくて良かった。招待して下さったe-Education代表理事の三輪開人さんに感謝です。
4位: 🇮🇱 イスラエル / テルアビブ
マイケル・ルイスの「かくて行動経済学は生まれり」を読んで絶対行こうと決意した、ユダヤ人のハイテク国家・イスラエル。
「イスラエルのテルアビブは、シリコンバレーよりシリコンバレーらしい都市だ」と聞いていましたが、まともな産業がテックスタートアップしかないという点以外にも、物価が異常に高く、先進国な割にはインフラがしょぼく、ビーチが綺麗であるという点もシリコンバレーらしいと思いました。下はスタートアップカンファレンスに参加したときの写真。
ハイテクとは関係ありませんが、Ben Yehuda通りを南下する10番線のバスに乗っていたら、ベラルーシ出身の女性が日本語で声をかけてくれて、すぐに友達になりました。彼女はロシア語・ヘブライ語・英語・日本語・韓国語がペラペラな芸術家で、アートセラピーを学んでいるそう。こんな会話をしたことを思い出します。
— 友人: イスラエルには、小さいころ義父に連れてこられたんだ。なんでこんなカオスな国に連れてこられたのか・・・
— ぼく: カオスだよね。そういや、イスラエルでは女性にも2年の兵役があるんだよね。軍では何をしてたの?
— 友人: ただのOLをしてたよ。
— ぼく: OLって、なんでそんな和製英語知ってるの(笑)。
— 友人: まだ日本には行ったことないんだけどね。いつか行きたいよ。
ちなみにイスラエルでは、スタートアップカンファレンス以外にエンジニアのカンファレンスにも参加し、参加者たちとエルサレムや死海にも行きました。
3位: 🇵🇱 ポーランド / クラクフ (アウシュヴィッツ)
ずっと行ってみたかった、ポーランド・クラクフ近郊のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。最低110万人が亡くなったとされる殺戮工場です。
ガイドの方の説明の多くが、いかにナチスはPDCAを回し効率を追求したかでした。
- ガス室は少人数から実験開始、何人同時に殺せば損益分岐点を超えるか。(コストはガス代)
- どう人をリサイクルすればペイするか(髪が高付加価値)。
- 射殺時は全裸にさせ服の洗濯を省く。
- 射殺時には遺体の前で親衛隊に自撮りさせる。忠誠心の証拠となり戦後にボーナスを約束。
- 高圧電線は自殺に使われるようになり、遺体処理が非効率だったが、近づいたら射殺する方針にピボットしたらなぜか、近づく人が減少。
- ビルケナウ収容所には組み立て式の馬小屋を利用しコスト削減。
アウシュヴィッツは「残酷な過去と向き合って悲しむ場所」というよりは、「殺人ビジネスの経営論を学びながら、歴史の反省をする場所」と言えます。
また、ガイドの方(下の写真一枚目)と帰りの車で雑談して友達になりました。彼も親族の一人がアウシュヴィッツで犠牲になり、「どうしてここで死ななければならなかったんだ」と調べていくうちにガイドになったとのこと。
車の中でこんな話をしたのを覚えています。
— ガイド: きみは、日本人かい?
— ぼく: 日本生まれですが、国籍はアメリカ人です。たまに、自分が何人かわからなくなりますね。日本人としても中途半端だし、アメリカ人としても中途半端です。
— ガイド: それは違うな。きみは日本人よりも良い日本人で、アメリカ人よりも良いアメリカ人だと思うよ。
— ぼく: なぜですか?
— ガイド: きみがふつうの日本人よりも日本人の悪いところを知り、ふつうのアメリカ人よりもアメリカ人の悪いところを知れる立場にいるからだよ。自分が属するグループの悪い部分に気づけるってことは、やっぱり大事なんだ。でないと、歴史は繰り返されるから。
アーリア人種至上主義の成れの果てを歩いたあとで、「日本人より良い日本人」という彼の言葉をそのまま受け取ることはできませんでした。それでも「自分が属するグループの悪い部分」には、これからも目を光らせていたい。
余談ですが、以前アムステルダムにあるアンネ・フランクの家を訪れたときにも、「タンポポ丘・アンネの家・任天堂」に置いてきたものという記事を書きました。お時間あればぜひ。
最後に。ナチスは「極右」の殺人集団でした。いっぽう「極左」の殺人集団だった、カンボジアのポル・ポト政権による虐殺の記録を残した、プノンペンの「キリング・フィールド」にも行ってきました。多くの赤ん坊も、ハンマーのように木に打ち付けられて殺されていましたが、2番目の写真にあるのがそれに使われた木です。
2位: 🇧🇷 ブラジル / リオデジャネイロ (カーニバル)
2016年のオリンピックが行われた、ブラジルのリオデジャネイロ。昨年の2月下旬〜3月上旬に開催されたカーニバルに行ってきました。リオに住む友人に案内してもらい、連日「ブロッコス」と呼ばれるストリートフェスティバルで踊っていた記憶があります。この時期は街中がお祭り騒ぎになり、地下鉄がダンスクラブ状態になります。
もちろんサンバも見てきましたよ。パレードなので、スタジアムがとても横長だったのを覚えています。
サンバチームはそれぞれの地域ごとにあります。ぼくが行ったときは、Portelaというサンバチームが33年ぶりに優勝したのですが、なんとそれが友人の地元チームでして、夜にはそのサンバチームの本拠地で優勝パーティーに参加しました。
その地域のファヴェーラ(巨大なスラム)からも大勢の方々がパーティーに参加していて、チームのテーマソングをひたすら歌って踊り狂った夜でした。ファヴェーラを取り仕切っているマフィアもサンバが大好きだそうで、かなりの資金をサンバチームに提供しているとか。
1位: 🇪🇸 スペイン / サンティアゴ・デ・コンポステーラ (カミーノ・デ・サンティアゴ)
今回の旅で文句なしに一番良かったのは、スペイン巡礼の旅「カミーノ・デ・サンティアゴ」です。スペイン北西部で、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」というキリスト教の聖地まで続く道を歩く旅。最低100kmは歩く必要があり、本格的な人は1000km以上歩いたりするのですが、ぼくはスケジュールにたまたま空きができて、準備なしで5日間(114km)だけ飛び入り参加しました。
たった5日間だけでしたが、最高の思い出になりました。百聞は一見にしかずということで、適当に作った動画を貼っておきます。
今回の旅で最も強く「絶対にまた来る」と思った場所でした。次は2ヶ月弱かけて約1000kmの道に挑戦したい。
ちなみに、カミーノ・デ・サンティアゴを知ったのは小野美由紀さんの「傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」という本です。
他の60都市はどうだった?
長すぎて全都市について書けないのですが、一言でまとめるなら、「うわさを聞いていても、実際に行ってみないと分からない」ことが多かったです。
たとえば、🇦🇺オーストラリアのメルボルンは7年連続「世界一住みやすい街」に選ばれたそうですが(エコノミスト調べ)、オーストラリアのネット速度はカンガルーどころかコアラ並で、その遅さを痛感したり、
「未来国家」と言われもてはやされているIT先進国🇪🇪エストニアも、たしかにIT先進国だったものの(電子住民票の登録現場を見学してきた)、首都のタリンですら超ど田舎で、ぼくが若者だったら同じEU圏の他の都会に行くだろうなと想像したり、
いっぽうで、パッとしないと言われていてスルーしかけた、エストニア隣国の🇱🇻ラトビアで素敵な出会いがあったり、
日本では「財政破綻でハイパーインフレが起きる」と言われていて、それがあたかも絶望のように語られていますが、20世紀中盤の先進国でハイパーインフレを経験した唯一の国・🇦🇷アルゼンチンのブエノスアイレスは、ヨーロッパほどではないものの、南米で最も栄えている街でした。
何事も先入観をもつのはよくないなあ、と思った次第です。
ちなみに「ここは移住したい」と思った街はふたつ。ひとつめは、🇦🇹オーストリアのウィーン。街並みが綺麗で治安もよく、物価もそれほど高くなく、ヨーロッパでは最も「ちょうどいい感じの都会」です。
もうひとつは、🇮🇩インドネシアのバリ。年中暖かく、物価が安く、世界中からデジタルノマドやサーファーが集まり、海と山が綺麗で、ヒンドゥー教の独特な雰囲気があり、ぼくの好みにぴったりでした。
行かなかった国、行けなかった国は?
2014~2016年に以下の国/都市(ヨーロッパ・北中米)を訪れていたので、今回は行きませんでした。
- 🇸🇪 スウェーデン: ストックホルム
- 🇩🇪 ドイツ: ベルリン
- 🇮🇹 イタリア: ヴェネツィア
- 🇬🇷 ギリシャ: サントリーニ
- 🇨🇿 チェコ: プラハ
- 🇨🇭 スイス: チューリッヒ / ルツェルン
- 🇳🇱 オランダ: アムステルダム / ロッテルダム / デン・ハーグ
- 🇧🇪 ベルギー: ブリュッセル
- 🇲🇽 メキシコ: ティファナ
- 🇨🇦 カナダ: バンクーバー
最も悔やまれるのは、予算と時間の都合でサハラ以南のアフリカに行けなかったこと。現在、アフリカの人口は世界の16%ですが、2100年には世界の40%までに上昇し、アジアの人口に並ぶそうなので、近いうちに行ってみたい。
その他の旅行関連の質問
予算は?: まだ最終的な費用は計算していませんが、移動費やツアー代なども込みで平均1日1万円以下になるようにおさめていました。シリコンバレーの生活コストより安いくらいです。
役に立ったアプリは?: UberやGrabなどのタクシー配車アプリです。ぼったくられる心配がない。しかし、Uberは運転手も乗客を5段階で評価するのですが、南米など言語が通じない国でUberに乗ると、よく低い評価をつけられて自分のスコアが下がったりしました。「いまは言葉が通じない国にいる」ことを考慮するようなプロダクト設計が求められますね。
持っていって良かったものは?: カナダ発、すすぎのいらない手洗い用洗剤である「Soak」です。下の動画のように、服を漬けて干すだけで綺麗になります。日本では手編みコミュニティーでよく使われているそう。
他の持ち物は、NYTの子会社メディア「The Wirecutter」の記事「The Best Gear for Travel」が参考になりました。
いちばん困ったことは?: 一部の国の出入国の審査で必要な書類を「紙にプリントして」用意する必要があり、プリンター探しに戸惑ったこと。ホテルなら大丈夫なのですが、AirBnBだとプリンターがない家が多い。空路なら出発前に職員さんに印刷してもらえたりするのですが、陸路や水路だと難しい。アルゼンチンのブエノスアイレスからウルグアイのモンテビデオに水路で移動する直前に、インターネットカフェを探しに走り回ったのはいい思い出です。
怖い思いをしたことは?: よく「南米は危ない」と言われているのですが、一ヶ月以上いて一度も怖い思いはしていません。いちばん目に見えて治安が悪かったリオデジャネイロでも、サンバ大会を夜中の2時に出て地下鉄2本→バス2本→徒歩20分で滞在先に無事帰還したりしていました。もちろんぼくが男性であり、運が良かっただけかもしれませんが、必要以上に南米に怯えることはないと思います。チリのサンティアゴなど、治安が良い大都市もありますよ。
インドでは大丈夫だったのか?: よく「インドではお腹を壊す」と言われますが、10日いて一度もお腹を壊しませんでした。「一度開けられた可能性があるペットボトルの水を避ける、できれば細工しにくい炭酸水を買う」「カレーの香辛料はお腹を刺激するので、できれば焼きそば等を食べる」など心がけました。インドではそれよりも、ヴァーラーナシー→アーグラーの本来12時間かかる列車移動に32時間かかったのがつらかった。
また、インドではぼったくりが多いですが、途上国を旅行する際の常識である、「基本的に、Yesと言わずNoと言う」ルールを守れば大丈夫です。メルカリ会長・山田進太郎さんの記事もご一読ください。
日本の国内旅行でいちばん良かったところは?
去年は日本国内も各地をまわったのですが、いちばん良かったのは瀬戸内海の犬島です。有名な直島からフェリーで行ける犬島は、家をモチーフにしたギャラリー・「家プロジェクト」などがあるアートの島です。
犬島には犬島精錬所美術館という、犬島に残る銅製錬所の遺構を保存・再生した美術館があります。その近所には犬島で生まれ育った次田智恵子さんという名の、当時83歳の名物おばあさんが住んでいて、たまたま彼女に呼び止められ、美術館について説明を受けました。(写真一枚目)
犬島精錬所美術館は、銅の精錬時に排出された鉱滓で作られた「カラミ煉瓦」の熱を保つ特性を活かし、それに地下水で冷えた空気や太陽熱を吸収させ、夏も冬も自然エネルギーだけで館内の温度を保っています。次田おばあさんは、小さい頃にカラミ煉瓦の上で裸足で遊んだ経験で、その特性について学んだそう。こんな言葉が印象的でした。
自分の五感で体得したことがいちばん大事なんじゃ。そういうのがないやつは、これからロボットに仕事を奪われちまうで。
ほかには、長年の念願だったBump of Chickenのコンサートに初めて参戦しました。LEDリストバンドの演出が綺麗だった。
今回の旅行で学んだことは?今後はどうするのか?
1. 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
初代ドイツ帝国宰相・ビスマルクのこの言葉は、正確には「愚者は自分の間違いから学ぶが、私は他人の間違いから学ぶ」という訳が正しいようです。
まあそれは置いておいて、旅をすれば当然、いろいろな経験をするので、その経験をもとに考えがちです。先に書いた次田おばあさんも、「自分の五感で体得したことがいちばん大事」と言っていた。
でも、経験だけでは正しい判断ができないかもしれない。
たとえば途上国を歩いていると、投資が盛んで経済成長が感じられるところもあるのですが(インドだと、ムンバイやデリー、バンガロール(下の写真)など)、
遅れている地方を歩いていると(インドだと、ビハール州など)、「ここは一向に豊かになる気がしない」と思えるのですね。
しかし、いまの途上国の期待株都市だって、何十年か前にはそう思われていたところが多いのです。
ものごとを自分の目で見て確かめることが大事だと同時に、自分の目で見たことを歴史と照らし合わせることも大事です。経験したことも大事だけれど、その経験があったからこそ興味を持ったことも、同じくらい大事です。
そして、自分の目に見えていたとしても、気づかないことのほうが圧倒的に多い。
たとえば、旅行の最後にドバイを訪れたのですが(下の写真)、
砂漠ツアーで一緒になった男性は、イギリスでフェンスを作る会社のマネジャーとして働いていました。「フェンスは空港や動物園などにも使えるけれど、テロ対策にも大事。どんなフェンスを作るべきかクライアントと話し合うため、世界を飛び回っている」とのこと。
旅をした一年間、フェンスはそこらじゅうで見てきたのですが、設計・防衛という視点から見たことはなかった。目で見えるものの解像度が、ぼくはまだまだ低いなと思いました。
歴史から学ぶことについて、最後にもう一つ。とくに東南・南アジア諸国では、欧米や中国、日本による「インフラ輸出」が活発です。下の写真は、鎖国解除をした2010年代から投資が活発になったミャンマーのヤンゴンにて。
「先進国が後進国に投資して利益を得る」という話は、インフラや医療に教育など多岐にわたりますが、最近ぼくが注目しているのは「『課題』先進国の成功モデル輸出」です。よく言われているのは、
- 日本は課題先進国で、特に少子高齢化では世界をリードするレベルで課題が山積みだ。
- しかし他の先進国も遅かれ早かれ日本のようになる。アジアの後発国も、急速に高齢化時代を迎える。
- だから日本が高齢化社会の成功モデルを確立し、他の国のロールモデルになろう。
という議論です。起業家・投資家の家入氏のツイートを引用します。
これに加え、最近見かけるのは、
- 日本は労働人口がこれから減少し、移民も多く受け入れるつもりはない。
- だが、ロボットやAIなどが発展すれば労働力不足をまかなえる。
- そしてむしろ、移民を制限するなかで労働人口が減ることで、他国で起こっているような自動化反対・移民排斥の運動が日本では起きにくい。ピンチがチャンスになる。
という議論です。研究者の落合氏のツイートを引用します。
上記の二点は、「シニアビジネス」「AI・人口減少時代の成長戦略」などと呼ばれ、本屋に行けば関連書籍を多く見かけます。
しかし、「歴史から学ぶ」という点で見ると、次のような疑問が浮かび上がります。
- 歴史的に、日本などの先進国が、「先進国のインフラやノウハウ」などを後進国に広めようとしたとき、どのような課題があったのか
- これから、日本などの課題先進国が、「高齢社会の成功モデルやノウハウ」を他の国にどこまで広められるのか (ポイント1との比較)
- 歴史的に、日本などの先進国が、「先進国のインフラやノウハウ」などを後進国に広めたとき、どれほどのリターンを得られたのか
- これから、日本などの課題先進国が、「高齢社会の成功モデルやノウハウ」を他の国に広められたとして、どれほどのリターンを得られるのか (ポイント3との比較)
「カネを出せば口も出せる」ということで、中国はAIIB(アジアインフラ投資銀行)を主導していますね。インフラ投資は金銭的なリターンもあれば、外交的なリターンもある。
それに比べ、日本などの課題先進国が「高齢社会の成功モデルやノウハウ」を確立できたとして、それを百歩譲って他の国に広められたとして、今までのインフラ投資・輸出などに比べて「どれくらいリターンがあるのか」が、とても気になっているのです。
「日本は高齢化社会のロールモデルになれる」というのはバラ色の未来に聞こえるが、ロールモデルになったところで雀の涙ほどしか金が入ってこないのであれば、日本の未来は明るくなる気がしない。さながらユーザー数は無駄に多いけど、薄利で儲かっていないアプリやサービスのようです。
たとえば、日本では介護離職が話題になっているなか、日本式介護センターがアジアに輸出されようとしています。これは、今までのインフラ・ノウハウ輸出の延長に近いから、リターンは計算しやすいでしょう。
他方で、テクノロジーを使った高齢者向けのソリューションが日本でも生まれたとして、それは海外展開できるのか。そして海外展開できたとして、どれだけのリターンが期待できるのか。
たとえば高齢者向けのアプリが日本で成功したとしても、単純にプロダクトとビジネスモデルを「タイムマシン経営」として海外勢にコピーされ、日本側には何もリターンがない、みたいなことはありえますよね。せいぜい、その海外勢にベンチャー投資できていればその見返りがあるくらい。そしてそもそも、日本のソフトウェア企業は海外展開が大の苦手です。
ベンチャー投資家のピーター・ティールは著書「ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか 」で、「価値を創造するだけではだめで、その価値を総取りしないといけない」と語っていました。日本が「高齢社会の成功モデル」という価値を創造しても、その価値を海外で総取りできなければ、世界は良くなっても、日本は大してよくならない。むしろアジア諸国など、後発の課題先進国に優位性があるかもしれないのです。
ちなみに、なぜぼくがこの点にこだわっているかというと、大人が若者にたいし「日本で高齢化社会のロールモデルを作ろう」と鼓舞するのをよく見るのですが、それが「日本の若者が、内向きになって日本に留まることへの免罪符」として機能している気がするからです。
高齢化社会にも夢はあるかもしれない。しかし、過去の事例に比べたら、日本が高度経済成長していた時代に比べたら、いま高度経済成長しているアジアに比べたら、高齢化社会にある夢はいったい何%のサイズ感なのか。
これを論理的に若者に示せるようになりたいと、30歳になってオッサンの仲間入りをしたぼくは、世界をフラフラ旅して思ったのでした。
2. 教育は大事だけれど、自分は違う道を行く
ぼくは旅に出るまでの4年とすこしの間、シリコンバレーの教育ベンチャーで働いており、職業柄、よく教育について調べていました。その集大成として、旅に出る一週間前に「シリコンバレーのエンジニアが語る、誰にも悪気はなかった話」という記事を書きました。
今回の旅行でも教育関連の取材をいくつかしており、先に述べたようにバングラデシュの職業訓練校を訪問したり、シンガポール日本人学校・日本人塾の教師の方々にお話を伺ったり(下の写真)、沖縄でイマージョン教育を実践しているインターナショナルスクールを取材してきました。
ブラジルやフィリピンでも、現地の教育関係者に話を聞いたのですが、やはりどの途上国も教育の低迷が深刻なようです。難しいのは、
- 先進国は20世紀に「20世紀型教育」、すなわち良い兵士や工場労働者を作る画一的な詰め込み教育を行った。
- 21世紀になって価値観が多様化し、高度なテクノロジーが世の中に浸透するようになると、自分の頭で考えて新しい価値を創造するための「21世紀型教育」に、先進国はシフトしていく。
- テクノロジーの波は世界を同時に襲うので、途上国にも「21世紀型教育」が求められる。しかし途上国は「20世紀型教育」を確立していないまま、ゼロから「21世紀型教育」を施行しないといけない。
…ということ。
金融を見てみると、先進国は現金決済→カード決済→モバイル決済と移行していったが、後進国は現金決済からいきなりモバイル決済に移行しつつあります。中国を見れば、カード決済のフェーズをすっ飛ばしたことで、モバイル決済が先進国よりも早く広まった。(下の写真はモバイル決済・アリペイを生み出したアリババ本社。)
しかし教育だと、途上国が「20世紀型教育」をすっ飛ばしていきなり「21世紀型教育」を行うのが、うまくいくとぼくは思えません。たとえば、「21世紀型教育」の代表格としてプログラミング教育がよく話題になりますが、「20世紀型教育」で培われるような、ある程度の知的な基礎がないと、プログラミングは学べません。
とはいえ、AIやロボットにより単純労働の価値はこれから下がっていくわけですから、途上国は「21世紀型教育」を成功させないと、人材の需給ミスマッチが激化し、せいぜい中進国になるのが限界になってしまうかもしれません。人口が多いインドやインドネシアが「次の中国になる」とか言われていますが、中国に比べると、両国とも平均的な教育レベルは低い(ソース1・ソース2)。
以上のことから、世界を旅して、「教育はやっぱり大事だ」と再認識しました。
しかし、ぼくは教育に関わるのを一切やめて、次はAIの分野に進みたいと思っています。旅行中も少しずつAIの勉強をしており、Udacityというオンライン学習サイトで、人工知能のコースも修了しました。
誰かと食事をするとその人と話が弾むように、一人旅をすると、自分との会話が弾みます。そして一年間、自分と対話して浮かび上がった本音は、「世の中にあまり貢献できなくてもいいから、知的におもしろいことをやりたい」ということでした。
教育は最も世の中へ貢献できることの一つですが、知的におもしろいかというと、どうしてもAIなどのハイテク分野に軍配があがると思っています。大学でコンピューターサイエンスを専攻していたからというのもありますが、AIは業界の動きが教育とは比べ物にならないくらい速く、業界の動きが速いほど知的に退屈しない。
また今まで、シリコンバレーでエンジニアをしているという立場から、日本の小学生〜大学生に講演することも多かったのですが、正直な子どもたちにとっては、「子どもとかかわる、教育業界のエンジニア」よりも、「ロボットやAI、ゲームのエンジニア」のほうが憧れの対象になるようです。皮肉ですが。
ちなみに11月には、サンフランシスコに一時帰国し機械学習のカンファレンス「MLConf」に参戦しました。ニューラルネットワークでクジラを追跡するという話がとてもおもしろかったので、英語とディープラーニングが分かるかたはこちらの動画をご覧ください。
猫も杓子も「これからはAIだ」という時代ですけれども、ぼくはぼくなりに、AI業界で好きなことをやっていきたいと思います。Kerasの開発者で世界的に有名なAI研究者・François Chollet氏も、以下のように仰っていることですし。
AIは飛躍的に進歩したが、未だにほとんどの問いが未解決だと言っていい。そもそも多くの問いは、正しく問われてすらいないのだ。
3. 知的に正直に生きる
ここから旅行に関係ない話になります。
先にツイートを紹介したFrançois Chollet氏は、このようにも書いています。
科学的に考えるためには、知的正直さが必要である。知的正直さとは真実に近づこうという姿勢であり、たとえば自分の主張が正しくなるようなデータを探すことは、それに反する。
耳障りの良い意見を言う科学者の言葉だけを聞き、他の科学者の言葉を無視するのは科学ではない。それはただの政治プロパガンダだ。
合理的思考とは、全ての証拠に目を通すことである。「自分が間違っていてもいいから、真実が知りたい」という姿勢がないと、合理的思考はできない。
論争に決着がつくには程遠いトピックにたいして、「100%これが正しい」という科学者は、良い科学者とはいえない。
旅行中、テクノロジーと未来についての論争を傍観していて、「知的に正直に生き続けることは難しいのかな」と思いました。
誰とは言いませんが、成功者とされる人たちは、次から次へと論壇で「テクノロジーで未来はこんなに大きく変わる」と宣言したがります。それは別に構わないのですが、「未来がそう大きく変わらないかもしれない理由や証拠」にあえて目を塞いでいる気がするのです。
「未来がそう大きく変わらないかもしれない理由や証拠」をすべて検討し、「それでも変わる」と論破するのなら大いに大歓迎なのですが、その検討のステップを適当にやり過ごしている気がするのですね。
それは、知的に正直だとは言えない気がするのだけれど、「ビジョナリーぽい人」がもてはやされる世の中だと、知的に正直に生き続けることは難しいのかなと思います。
名著「失敗の本質」では、日本軍が「プランAが失敗したときのため、どんなプランBを立てるべきか」という質問が出るたび、「プランAが失敗すると思っていたら勝てない」という精神論で封殺してしまった点が指摘されています。
よく、「未来がそう大きく変わらないかもしれない理由や証拠など、いちいち心配していたら動きが遅くなり、未来は変わらない」という主張を見るのですが、それがぼくには「失敗の本質」と重なって見えてしまうのです。
(さきほど宣伝した、去年のぼくの記事「シリコンバレーのエンジニアが語る、誰にも悪気はなかった話」は、まさにこれが原因で、マーク・ザッカーバーグによる教育改革が失敗した話です。)
今までの「イノベーションのジレンマ」は、「なんらかの技術で成功すると、一見役に立たなそうな新しい技術への対応が遅れ、知らぬ間にその新しい技術のせいで没落してしまう」という話でした。
しかしこれからの「イノベーションのジレンマ」は、「今までの『イノベーションのジレンマ』を防ぐべく、片っ端から新しい技術に張ったものの、『未来がそう大きく変わらないかもしれない理由や証拠』と正面から向き合えず、その新しい技術をビジネス化できなくて失敗する」という話になるかもしれません。
冨山和彦さんの「AI経営で会社は甦る」という本で、著者はこう説明しています。「これからイノベーションの中核となるハイテク医療や自動運転などでは、ここ数年のスマホ革命などで主流になった、『リリースしながらバグを直す』という速度重視の経営方法が役に立たなくなる。医療や自動運転では、バグが人命に直結するからだ」、と。
ぼくは彼の意見に加え、AIを中心としたこれからのハイテク分野では、アプリ時代に比べ「科学的思考」の理解が大事になると考えます。
経営でなく技術の話になりますが、コンピューターサイエンスの素養がないアプリエンジニアが、なかなかAIの分野に流れてこず、むしろ物理学や統計学出身の方々が流れてきているのも、AI開発には科学的思考が求められるから。
そして、科学的思考が大事なときこそ、知的正直さが求められるのだと思います。ぼくもこの点では未熟ですので、精進します。
おわりに
世界を旅して、やはり人生を豊かにするのは「寄り道」だなと思いました。一年間の寄り道から帰ってきて、今日からまた勉学と仕事に励む所存でござります。これからもよろしくお願い致します。
上杉周作と申します。日本とアメリカ育ち。シリコンバレーのエンジニアです。
プロフィール
1988年日本生まれ。カーネギーメロン大学卒。学位はComputer Science学士・Human-Computer Interaction修士。Apple・Facebook・Palantirでエンジニア職、Quoraでデザイナー職を経験。その後半年間日本でニートになり、2012年9月よりシリコンバレーの教育ベンチャー・EdSurgeに就職。2017年1月に退職して1年間、世界を旅する。NHK「ニッポンのジレンマ 2016年元日SP」「クローズアップ現代+」に論客として出演。
- メール: shu@chibicode.com
- Facebook: Shu Uesugi
- Twitter: @chibicode
- GitHub: @chibicode
- 英語プロフィール: Shu Uesugi
- 英語ブログ: blog.chibicode.com
代表作
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