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日本のZINEについて知っていることすべて 同人誌、ミニコミ、リトルプレス―自主制作出版史1960~2010年代
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2018年1月27日
小さいけれど強い力を持つ
互いに影響しあい反発しあってひとつのムーブメントをつくる自主制作出版物
日本のZINEについて知っていることすべて 同人誌、ミニコミ、リトルプレス―自主制作出版史1960~2010年代著 者:ばるぼら、野中 モモ
出版社:誠文堂新光社
評者:南陀楼 綾繁(編集者)
本書のサブタイトルが「同人誌、ミニコミ、リトルプレス 自主制作出版史1960~2010年代」というところに、すでに本書が対象とするものの捉えがたさ、範囲の広さが反映されているようだ。
まえがきによれば、ZINEとは、「インディペンデントで、独立した、『誰にも頼まれていないけど自分が作りたいから作る自主的な出版物』」のことである。アメリカでコピー機やパソコンのDTPの普及を背景に広がったZINEは、日本では2000年代に入って知られるようになった。本書の共著者で、この言葉を日本で紹介した先駆者である野中モモが云うように、「どこか浮ついて洒落た印象を与えてしまう」という「不幸な誤解」はあったにせよ、いまでは自主的な出版物を指す代表的な言葉になっていることは間違いない。
ちなみに、串間努(B級文化研究雑誌『日曜研究家』発行人)が編者で、野中や私が共著者だった1999年刊の書名は、『ミニコミ魂』(晶文社)だった。あのときは、発行者の自称も含めさまざまな言葉があるなか、あえて「ミニコミ」を選んだのだった。
本書は、1960年代から2010年代までは5つのブロックに分かれ、各部の冒頭では著者2人の対談でその時期を概観している。そして、「若者たちのタウン誌」「安保闘争」「リブとフェミニズム」「ポスト・ニューウェイブ」などのキーワードを付して、これでもかというほど多くのタイトルの図版とデータを掲載している。それらを眺めると、ガリ版、簡易オフセット、コピーなどの印刷、活版、写植、DTP、手書きなどの組版、ホチキス止めや変わった判型などの造本といった、出版物制作のテクノロジーの進化を実感することができる。
これら自主制作出版物は、互いに影響しあい反発しあって、ひとつのムーブメントをつくっていった。上の世代の「ミニコミ」に古臭いものを感じた人たちが「インディーズマガジン」を選ぶように、言葉やデザインにその関係性が反映されている。
巻末には、ミニコミ研究の第一人者である田村紀雄や、中野の書店〈タコシェ〉の中山亜弓ら20人のインタビューが収録されている。京都で書店〈誠光社〉を営む堀部篤史は、次のように述べる。
「数字って相対的なもので、規模が小さいってことは制限があるってことじゃなくて、逆に可能性があるんですよね」
書店についての言だが、自主制作出版物にも通じるだろう。全国流通せず、一般の書店にも置かれないものの中に、小さいけれど強い力を持つ表現を見つけることがしばしばある。
日本でのZINEの認知の背後には、「インターネットが一段落したということも影響がある。オンラインを経てオフラインが選択肢のひとつになってきた」とばるぼらは指摘する。ネットが当たり前のものになってから、音楽のライブの人気が高まったように、そのときに手に入れるしかないZINEには「現場の体験」があるという指摘にも、納得できる。
ZINEが一般名詞になりつつあり、若い世代の紙や印刷への接近も一段落したように見えるが、今後、どのような自主制作出版物の流れが生まれ、それがどんな言葉で呼ばれるのかを見守っていきたい。
この種の本に「あれがない」「これがない」とあげつらうのは生産的ではないと判っている。その意味で、本書のタイトルは正直だ。それでも、たとえば『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』などの地域雑誌のように、本書で取り上げられなかったものを軸にすると、また別の自主出版物の流れが描けるだろう。本書に刺激を受けた人たちにも、自分なりの「知ってることすべて」を語ってほしいと思う。
まえがきによれば、ZINEとは、「インディペンデントで、独立した、『誰にも頼まれていないけど自分が作りたいから作る自主的な出版物』」のことである。アメリカでコピー機やパソコンのDTPの普及を背景に広がったZINEは、日本では2000年代に入って知られるようになった。本書の共著者で、この言葉を日本で紹介した先駆者である野中モモが云うように、「どこか浮ついて洒落た印象を与えてしまう」という「不幸な誤解」はあったにせよ、いまでは自主的な出版物を指す代表的な言葉になっていることは間違いない。
ちなみに、串間努(B級文化研究雑誌『日曜研究家』発行人)が編者で、野中や私が共著者だった1999年刊の書名は、『ミニコミ魂』(晶文社)だった。あのときは、発行者の自称も含めさまざまな言葉があるなか、あえて「ミニコミ」を選んだのだった。
本書は、1960年代から2010年代までは5つのブロックに分かれ、各部の冒頭では著者2人の対談でその時期を概観している。そして、「若者たちのタウン誌」「安保闘争」「リブとフェミニズム」「ポスト・ニューウェイブ」などのキーワードを付して、これでもかというほど多くのタイトルの図版とデータを掲載している。それらを眺めると、ガリ版、簡易オフセット、コピーなどの印刷、活版、写植、DTP、手書きなどの組版、ホチキス止めや変わった判型などの造本といった、出版物制作のテクノロジーの進化を実感することができる。
これら自主制作出版物は、互いに影響しあい反発しあって、ひとつのムーブメントをつくっていった。上の世代の「ミニコミ」に古臭いものを感じた人たちが「インディーズマガジン」を選ぶように、言葉やデザインにその関係性が反映されている。
巻末には、ミニコミ研究の第一人者である田村紀雄や、中野の書店〈タコシェ〉の中山亜弓ら20人のインタビューが収録されている。京都で書店〈誠光社〉を営む堀部篤史は、次のように述べる。
「数字って相対的なもので、規模が小さいってことは制限があるってことじゃなくて、逆に可能性があるんですよね」
書店についての言だが、自主制作出版物にも通じるだろう。全国流通せず、一般の書店にも置かれないものの中に、小さいけれど強い力を持つ表現を見つけることがしばしばある。
日本でのZINEの認知の背後には、「インターネットが一段落したということも影響がある。オンラインを経てオフラインが選択肢のひとつになってきた」とばるぼらは指摘する。ネットが当たり前のものになってから、音楽のライブの人気が高まったように、そのときに手に入れるしかないZINEには「現場の体験」があるという指摘にも、納得できる。
ZINEが一般名詞になりつつあり、若い世代の紙や印刷への接近も一段落したように見えるが、今後、どのような自主制作出版物の流れが生まれ、それがどんな言葉で呼ばれるのかを見守っていきたい。
この種の本に「あれがない」「これがない」とあげつらうのは生産的ではないと判っている。その意味で、本書のタイトルは正直だ。それでも、たとえば『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』などの地域雑誌のように、本書で取り上げられなかったものを軸にすると、また別の自主出版物の流れが描けるだろう。本書に刺激を受けた人たちにも、自分なりの「知ってることすべて」を語ってほしいと思う。
この記事の中でご紹介した本
2019年1月26日 新聞掲載(第3224号)
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