『SMAPとそのファンの物語——あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど』
cakes版あとがき
cakesでの連載が始まった頃、母親がふと口にした、私の思い出話がありました。
「幼稚園の頃、大道芸のお祭りに連れて行くと、ピエロの作る犬や花の風船が欲しいからと、最前列で一生懸命拍手をしていた」
今思うと子供なのだから、「欲しい」と正直に伝えた方がピエロはあっさり存在に気づいてくれるだろうし、事実、拍手しているだけの子供が、あの風船をすんなりもらえる確率はそんなに高くなかった気がします。
それでも、私は黙ってずーっと拍手をしているタイプの子供でした。
たぶん、本当の気持ちや願いを一度でも口にだしてしまった後の、急にまとわりつく嘘くささが、子供なりに嫌だったのだと思います。
そして成長する中でもそのスタンスは変わることがなく、学生のときも、社会人になっても、本当の悩みや夢は周囲に一切打ち明けないまま、私はこれまでの人生を生きていました。
それは聞こえのいい言葉であるようで、また一方ではその時々で人様に隠したかった自我の矛盾、言い訳の奥底にたまっていく自分の弱さに目をつぶることでフラフラとここまで生きてきた、そういう人間の最後の防衛手段でもありました。
だから東京での内容打ち合わせで「SMAPの歴史と同時に自分の今までの人生のことも書いてみてほしい」と担当編集に言われたときは、読み物としての面白さ以上に隠しておきたかった自分を売り物にする、それが本当に正解なのかどうか答えが出せず、じゃあよろしくお願いしますと別れた新宿の駅ビルで、トイレに篭ってそのまま一人吐きました。
なんでこんなことになったのかなぁと思いながら、どうにもならないぐちゃぐちゃとした気持ちを黙って吐き出し続けることしかできず、なんとか落ち着いたところでやっと帰りの電車に乗りました。
”全部終わって帰りがけ、一気に自我の渦に飲み込まれる感じがして、すんげ——ゲロ吐きそうになってしまった”
Twitterでやはり微妙に嘘をついて気持ちをごまかした2016年9月8日21時13分、頭上ではSMAPの顔写真に白抜き文字で「大金持ちの四十路のお子様」と添えられた週刊誌の中吊り広告が、やけに大きく揺れて見えました。
前事務所を離れた3人が「新しい地図」という名のプロジェクトを立ち上げたのは、原稿が完成し、それが乗田綾子という名前の初めての著作になって、約3週間後のことです。
今からでもいい、解散しないでほしい、電車の中で黙って中吊りを眺めていた2016年の私の願いは結局叶わずに、SMAPは目に見える形を失い、私の苦しみは作品の一部となり、やがてそれさえもすべて過去となって、記憶は常に新しい今を進んでいきます。
いずれ不特定多数に読まれる原稿を書きながらも迷いを振り払えなかった日々の中で、それでも私が最終的に嘘をつくことをやめたのは、私にとっては時に耐えがたいノンフィクションであったとしても、手を離して違う感情に触れた瞬間にすべてはフィクションに変わる、変えてもらえる。
そのある種の真理に気づき、読み手への信頼をもって書き手としての覚悟ができたからです。
そしてそこにあった救いは、私がアイドルに委ね続けていた救いと、どこか似ているようにも感じました。
家族でもなく、友達でもなく、絶対的な他人であるからこその信頼、肯定。
自分の中だけに秘めておきたい誰かの願いも脆さも全てありのままに受け入れる、アイドルとして生まれた人たちにとってはその最大の手段が人生の究極のフィクション、「笑顔」だったのではないかと、自分が誰かを信頼したときに、初めて実感として思いました。
そしてもう一つ、アイドルも一人の人間となったときは、時に言葉無き自分自身のフィクションに背中を押され、励まされているのかもしれない、ということも思いました。
黙りつづけた私の人生は、連載や書籍という形で、皆さんの目に触れることによって、やっと次の扉にたどり着くことができました。またそれだけでなく、SNSなどでは直接、たくさんの感想、応援のメッセージもいただきました。
この場を借りていろんな場所で読んでくださった皆さんに、そしてこれから読んでくださる皆さんに、心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
そして同じ世界のどこかで、名前を失いながらも今日を一生懸命に生きている、大好きな6人へ。
時に耐えがたい苦しみも伴う自分だけのノンフィクションを生きながら、その中で黙って手を離す勇気を持った皆さんを、私は今も、尊敬しています。
たとえ、あの頃の未来に立ってはいなくとも。