【1月28日 AFP】中国の指導者は、一生懸命働き大きな夢を抱けと市民たちを鼓舞する。だが、ミレニアル世代の中には、ずっと十人並みであり続けることを宣言する若者たちがいる。

 この若い世代は「仏(ほとけ)系」の若者たちと呼ばれている。何も経を読むわけではない。穏やかで、なるように任せるという姿勢で人生に臨むその様子からそのように呼ばれているのだ。

「人生はとても疲れる」と語る23歳のグオ・ジアさんは「仏系」について、「自分の力で変えられないことを受け入れ、流れに従っていく」人のことだと説明する。

 中国の若い努力家たちの多くと同様、グオさんは自分自身に課した大きな期待に応えるために首都・北京にやって来た。しかしその当初から、就職した金融関係の仕事から地下鉄での通勤まで、あらゆることに不安を覚えていたという。

 それから1年以上を経て、グオさんは物事をあるがままに任せることに安らぎを見出すようになった。「最近はほぼ穏やかで平静です。人生に満足を感じれば、それで十分です」と心情の変化について明らかにした。

「中国の夢」なる理念の周りに、特に若者を結集させようと習近平(Xi Jinping)国家主席が奮闘している中国で、このような発言が聞かれるのはなんとも奇妙ではある。

 中国ミレニアル世代の仏僧のようなユニークな姿勢に注目が集まるようになった背景には、メッセージアプリ「ウィーチャット(WeChat)」で人気のアカウント「Ways of the 21st Century」の存在がある。ここではさまざまなタイプの「仏系」が描写されていた。

 例えば「仏系の乗客」は、配車サービスの「滴滴(Didi)」の運転手に自分がいる場所を説明するよりも自ら歩いて車両のある場所まで行くこと選び、「仏系のネット通販利用者」は嫌いなものでも送り返さず、「仏系の労働者」は「職場に無事到着し、静かに家に帰る」ことを何よりも望んでいる、といった具合だ。

「仏系」の人々は何も欲しない。なぜならば何も期待しないからだ。勝っても負けても不運でも幸運でも、すべてを受け入れる。

 長年の一人っ子政策と経済の急成長は中国の若者らに、学業で成功を収めて社会で出世しろと多大な圧力をかけてきた。表面的には彼らは「普通」の生活を送っている。同僚とランチを食べ、週末にはスポーツに興じる。でも「仏系」の若者たちは何事につけても、やり過ぎることを警戒している。

 グオさんは数か月前に突然、自己改善しようと思い立った。定期的にジムに通ってテニスをし、ビジネススクールの入試勉強を始めた。だがその1か月後、頭痛と鼻水に悩まされるようになった。

「すぐさま食べたいものを食べて、好きな時だけ運動をする元のやり方に戻しました。そうしないと疲れすぎるから」 (c)AFP/Yanan WANG