「とある魔術の電脳戦機(バーチャロン)」発売前に知っておきたい。ゲーセンと対戦ゲームに新風を吹かせた「バーチャロン」の歴史を辿る
2016年5月には小説版「とある魔術の電脳戦機」が電撃文庫から刊行されている。それぞれの作品の世界を巧みに融合させており,ゲーム版における設定のベースとなっている。
古株のゲーマーには知らぬ者はないであろう「バーチャロン」シリーズだが,「禁書」ファンの中には詳しくないという人も多いはず。そこで,アーケードシーンと対戦ゲームに新風を吹かせた同シリーズが辿った歴史と魅力を伝えていきたいと思う。
「電脳戦機バーチャロン」シリーズ 公式サイト
「電脳戦機バーチャロン×とある魔術の禁書目録 とある魔術の電脳戦機」公式サイト
ロボット同士の戦いを描いた“夢のゲーム”
「電脳戦機バーチャロン」(以下,初代バーチャロン)がゲームセンターに初めて登場したのは1995年の冬だった。当時,ゲームセンターは「ストリートファイターII」(カプコン/1991年)が生み出した対戦格闘ゲームブームの真っ只中にあり,前年には「バーチャファイター2」(セガ)や「ザ・キング・オブ・ファイターズ」(SNK)などが稼働している。対戦格闘ゲームは爛熟期を迎えていた。
2D/3D対戦格闘ゲームが圧倒的な人気を誇る一方,そのほかのジャンルは多くのゲームが苦戦を強いられていた。また,対戦格闘ゲームにおいても人気を集めるスタイルは似通っていたと言える。
プレイヤーはそれまでに楽しんでいたゲームと比較して,新作に対する評価を出すものだ。そのため,新しすぎるものは最初に否定されやすく,いつの時代も冒険は難しい。
そんな時代に颯爽と現れた初代バーチャロンは,あらゆる面で新しく,異彩を放つ対戦ゲームだった。しかし,誰もが心のどこかで望んでいた“夢のゲーム”であったことも間違いない。極めて斬新だが,何を目的として開発されたのかが明快だった。シリーズ誕生から20年以上が経過したが,その点が今もなお,多くのファンに愛されている大きな理由だろう。
“ロボット対戦”という浪漫を追求したゲーム達
手塚治虫氏の「鉄腕アトム」をはじめとするエンターテイメント作品の影響により,日本人は人型ロボットに対して親しみを覚える人が多い。そして,「機動戦士ガンダム」シリーズにおいて構築されたSF考証はロボットのリアリティをさらに高め,多くの“ロボット好き”を生み出した。その後,彼らは漫画やゲーム,アニメといったさまざまなクリエイティブ業界に進出することになる。
このような背景があるためか,1980年代には早くもゲームセンターで対戦可能なロボットゲームが生まれている。例えば,コナミの「ギャラクティックウォーリアーズ」(1985年)は,3種類のロボットから1体を選んで対戦できるモードが搭載されていた。また,ロボット同士がプロレスの試合を繰り広げる「ロボレス2001」が,セガから発売されたのも同時期だ。
こうしたゲームは意欲作ではあったが,ゲームセンターでヒットしたとは言いがたい。もしかすると,ロボットものは一般に広く受け入れられる題材ではないのかもしれない。しかし,ロボットの魅力を余すところなく表現するには,当時のハードがスペック不足だったという見方もできる。
ゲームの可能性を広げた“3Dポリゴン”
1980年代後半から90年代にかけて,ビデオゲームでは「3Dポリゴン」と呼ばれる技術の研究が進んだ。それまではスプライト機能を使って,絵をアニメーションのように切り替えて表現していたが,3Dポリゴンではゲーム内のフィールドに立体として描画し,3Dモデルを動かせる。
初代バーチャロンが誕生した1995年頃のビデオゲームは,2D表現と3D表現が拮抗していた。いずれは3Dポリゴンが主流になると予想されていたが,まだ技術的に足りていない部分があったのだ。
3Dポリゴンで表現するときに,最も簡単なジャンルはドライブゲームである。箱の形状をしたクルマがサーキットを走れるなら,それでゲームとして成立するからだ。
一方,曲線的で柔軟に動く人体を3Dポリゴンで表現するのは難しい。その難題をクリアしたのが,セガの「バーチャファイター」シリーズである。当時,セガの技術力は世界でも最高峰だった。
人体が3Dポリゴンで表現できるなら,当然,ロボットも可能だろう。むしろ技術的にはロボットを表現するほうが容易なので,こちらが先に実現していてもおかしくなかった。
しかし,3Dポリゴンの技術を使って,それまでに存在しなかったタイプのゲームを作ることは大きな冒険である。すでに存在しているゲームを3Dポリゴンに置き換えるほうがリスクは小さく,結果を予測しやすい。実際,世に出てきた作品の多くはそういうタイプだったと思う。
それでもリスクを恐れず,新たなゲームの可能性を切り開いたのが,初代バーチャロンだったのだ。
3D表現で成り立つロボットゲーム
ロボット好きにとって,平面のイラストと3Dモデルでは受ける印象に大きな違いがある。人間のキャラクターであれば,2Dゲームとイラストを組み合わせることで,キャッチーな表現が可能だ。しかし,ロボットというものは,むしろ3Dモデルでこそインパクトを発揮する。
ロボットの魅力は,そのフォルム(形状)に潜んでいる。人間のように顔の造作や衣装のディテールではなく,全体のデザインで個性を表現するというわけだ。大雑把に言えば,イラストとフィギュアの違いを想像してほしい。ロボットの魅力を最大限に押し出すには,3D表現が非常に重要である。
「バーチャロン」シリーズは,バーチャロイドのデザインをカトキハジメ氏に依頼している。氏は模型雑誌の連載企画「ガンダム・センチネル」にて,キャラクターおよびメカニックデザインを手がけたことで,一躍注目を集めた人物だ。従来の無骨なイメージのロボットとは異なる,現代的なデザインはエンターテイメント業界に旋風を巻き起こした。
ただし,カトキハジメ氏によるメカニックデザインがいかに優れていようと,3Dモデルとして動かすには,開発デザイナーの手腕が問われる。セガのスタッフに立体物を把握するモデラーとしての感覚があったからこそ,高いクオリティの3Dモデルに仕上がったのだろう。この部分が「バーチャロン」シリーズを支える土台になっている。
立体フィールドを広く使う“対戦ゲーム”の難しさ
当時,絶大な人気を誇っていた対戦格闘ゲームと比べて,初代バーチャロンはゲーム性に大きな違いがあった。それは「3D空間を高速で移動しながら戦える」という点だ。
1990年代に誕生した3D対戦格闘ゲームは,良くも悪くも「ストリートファイターII」の影響を色濃く受けていた。キャラクターを真横から見た画面構成になっており,ほとんどの戦いが直線に近い長方形のフィールドで繰り広げられる。
せっかく立体表現が可能であるならば,前後だけでなく上下左右にも動けたほうが面白いはずだ。実際,21世紀の3Dポリゴンゲームではそれが当たり前になった。しかし,それを最初に実現させるのは簡単ではない。
初代バーチャロン以前にも,3D空間で戦えるゲームは存在した。専用施設で運営されていた大型アトラクション「バトルテック」(FASA/1990年)や,3Dポリゴンで制作された戦車ゲーム「サイバースレッド」(ナムコ/1993年)などである。
これらに共通していたのは「自機の速度が遅い」という点。もっさりした動きで弾を打ち合う,リアル志向のスタイルだった。もちろん,これはこれでアリだが,対戦格闘ゲームのような“激しい攻防”は生まれにくい。対戦格闘ゲームの“熱い戦い”を再現するには,互いに手数を多く出し合い,自機の高速移動が欠かせない。
しかし,そのようなゲームが生まれなかったことには理由がある。
広い3D空間を高速で動けるということは,互いの攻撃が非常に当たりにくくなる。序盤に初弾を当てたら,「あとは時間切れまで空中を逃げ回って勝利を狙う」といった状況も起こりうるだろう。これでは盛り上がらない。
また,高速移動が可能なゲームでは簡単に敵を見失い,密度の高い対戦に発展しないという問題もある。そこで,初代バーチャロンでは攻撃の当たり判定と誘導性能を調整し,互いの攻撃が当たりやすくなっている。さらにジャンプして索敵するといった行動時には,自動的に敵の方向を向くという仕様になっており,ゲーム側がうまくフォローしていた。
さまざまな工夫によって,初代バーチャロンでは迷うことなく接敵し,互いに激しい攻撃を繰り出し,相手を長時間にわたって見失うことがない。こうした密度の高い対戦をどこよりも早く実現したことが,当時として非常に画期的だったのだ。
伝説の始まり――「電脳戦機バーチャロン」
初代バーチャロンは大型筐体を採用していたため,それほど出回りは多くなかったが,都市部の繁華街にあるゲームセンターでは対戦を楽しめる環境が整っていた。
プレイヤーが操縦するバーチャロイドの個性的なデザインも,プレイヤーから大いに支持されたポイントだろう。スピードに優れるが装甲が薄いタイプ,とにかく近接攻撃が強いタイプ,まるで女性のような外見のタイプなど,各機体の特徴が明確に表現されていた。その反面,機体の相性が勝敗を分ける大きなウェイトを占めていたが,フィールドの地形を活用することで,ある程度ならカバーできるようになっていたと思う。
「ロボット同士の熱い対戦が楽しめる」。このコンセプトに共感したプレイヤーは,ゲームセンターで大いに対戦を楽しんだ。しかし,初代バーチャロンは非常に斬新なゲームだったため,最新の知識を得ているか否かが勝敗に大きく影響した。現代であればインターネットによって,公式や非公式の情報が一斉に広まるが,当時はまだ雑誌や口コミが情報を得る主な手段だったという理由もある。
こうしたテクニックの1つに「漕ぎ」がある。ベルグドルとバルバスバウの固有テクニックで,操縦桿の入力によって機体を加速させるというものだ。驚くほど速くなるが制御しづらく,どこまで実戦で使いこなせるかは不透明なところもあった。
とはいえ,プレイヤーの研究から編み出されたさまざまなテクニックは,驚きと共に対戦シーンに刺激をもたらした。見慣れていた2D/3D対戦格闘ゲームとはまるで違い,多くのプレイヤーが新鮮な気持ちでゲームに取り組めたことは間違いない。
操作性を突き詰めた第2弾「オラトリオ・タングラム」
鮮烈な印象を残した「電脳戦機バーチャロン」から2年後(1998年3月),待望の続編がゲームセンターに登場した。それが「電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム」(以下,オラタン)である。
オラタンは初代バーチャロンがベースになっているものの,そのプレイフィールはかなり異なる。大まかにまとめるなら,「できうる限りの技を追加し,機動力を大幅に上げて自由度を高めた」というものだ。
例えば,初代バーチャロンではダッシュに使われていたボタンをトリガーと同時に押すことで,「ターボショット」と呼ばれる攻撃を繰り出せるようになっている。また,二段ジャンプや空中ダッシュをはじめとする移動テクニックも追加され,高速での立体機動が可能になっている。
しかし,その反面,技や操作が複雑になり,使いこなせるまでには時間がかかるようになったことも確か。プレイヤーのテクニックが存分に発揮されれば,プレイヤー間の実力に格差も生まれやすい。そのため,周囲のプレイヤーについていけなくなり,途中で諦めてしまったプレイヤーも少なからず存在した。
とはいえ,これはシリーズ作品に共通の宿命のようなものだ。人によって好みはあるだろうが,1つの方向を極めてみせたという点でオラタンの意義は大きい。
初代バーチャロンと比べて,オラタンはかなり多くの台数が出回ったように思う。大型筐体だけでなく,通常の対戦台のような形で設置されるゲームセンターもあり,幅広いプレイヤーに親しまれた。
セガの主催による全国大会が開催されたことも特筆に価する。当時はまだ「e-Sports」という言葉は使われていなかったが,全国大会の存在によってプレイヤーは対戦への意欲を大いに刺激された。
ゲームメーカーが発売後のゲームをフォローしてくれれば,プレイヤーはやり込むモチベーションがだいぶ変わるものだ。このような経緯もあってか,「バーチャロン」シリーズではオラタンを支持するファンが一番多いのではないかと思う。
最先端のシステムを導入した「フォース」
2001年10月には「バーチャロン」シリーズの新たな試み,第3作「電脳戦機バーチャロン フォース」(以下,フォース)が発売された。フォースの特徴は,2対2による4人同時対戦が可能になったところだ。さらに磁気カードを利用することで,プレイヤーデータを記録したり,階級を上げたり,新機体を受け取ったりすることができた。時代を先取りした先進的な試みに取り組んだ作品と言える。
通常の対戦格闘ゲームは移動可能なフィールドが狭く,2人(1対1)より多くのプレイヤーキャラクターを同時に表示するのは難しい。一方,「バーチャロン」シリーズのフィールドは立体なので,1対1で戦うには広すぎるくらいだ。それを考えると,多人数対戦に移行したのは,ある意味で必然の流れだっただろう。
とはいえ,こうしたコンセプトは時代的に早すぎたようだ。ゲームセンターで2対2の対戦を行うには,プレイヤー4人を1か所に集める必要がある。1人で遊ぶと乱入された時点で対戦が発生し,「1人+AI」というチーム構成になってしまう。
プレイヤー4人での対戦が可能だったとしても,各々のスキル格差が大きければ白熱した戦いにはなりにくい。猛者が集まる有名店でさえ,完全に平等な立場で対戦を楽しむには,なかなか難しいものがあった。
フォースのコンセプトは,やはりプレイヤー4人による2対2が前提であり,この形で遊んでこそ,深い戦略性が生まれるよう想定されていたと思う。そのため,フォース本来の面白さがプレイヤーに伝わりづらい状況だったかもしれない。
もしも,この当時にオンライン全国対戦のシステムがあったなら,どうだったか。それならば,こうした問題は解消されていただろう。
磁気カードを用いたシステムにも惜しいところがあった。例えば,レア機体が支給された場合,それを使うためには磁気カードのデータを書き換えなくてはいけない。1枚のカードに複数の機体をコレクションして,好きな機体を自由に選ぶということができなかったのだ。
しかし,今なら磁気カードではなくICカードが使われており,そこに保存できる情報量も多い。当時には早すぎた試みだったが,現代の技術があったなら,もっとプレイヤーに対して訴求力のある形になっていたはずだ。
以降の「バーチャロン」シリーズ
そして「とある魔術の電脳戦機」へ
意外に思われるかもしれないが,「バーチャロン」シリーズは4作品しか発売されていない。第4作「電脳戦機バーチャロン マーズ」は2003年5月にPlayStation 2用ソフトとして登場している。つまり,フォース以降にゲームセンター向けの新作は発表されていない。時が過ぎ去るにつれて,ゲームセンターから筐体は撤去されていったが,ごく一部の店には残され,長期にわたってファンに愛された。
2009年にはXbox 360向けにオラタン(最新バージョンの「電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム ver.5.66」)が配信されている。これにより,「バーチャロン」シリーズは再び脚光を浴び,多くのプレイヤーが家庭で楽しめるようになった。その後,初代バーチャロンやフォースも家庭で遊べる環境が整い,ファンを大いに喜ばせたものだ。
しかし,これでシリーズの歴史が終了したわけではなかった。前述のとおり,2017年3月に「電脳戦機バーチャロン×とある魔術の禁書目録 とある魔術の電脳戦機」が発表されたのである。まさに不死鳥は死なず。ファンと開発者の熱い思いが,15年ぶりの新作を実現させたのだ。
「バーチャロン」シリーズは長い歴史を刻んできた。その歩みは偉大だが,まったく知らなかったとしても,最新作を楽しめないということはないだろう。ロボットが好き,もしくは興味があるのであれば,「とある魔術の電脳戦機」に手を伸ばしてほしい。そうすれば,これまで「バーチャロン」シリーズを支えてきた多くの人の“ロボット愛”が感じ取れるはずだから。
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