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芸術家であることと芸術家でないこと ジョン・カサヴェテス論
ジョン・カサヴェテスの映画を見る経験は、何ものにも代え難い。カサヴェテスの映画を良いとも言いたくないし、悪いとも言いたくない。面白いとも言いたくなければ、面白くないとも言いたくない。美しいとも言いたくなければ、美しくないとも言いたくない。
ジョン・カサヴェテスの映画は、そのような単純な判断から隔絶したところにある。スクリーンの向こうに写っている映像が、単に自分の外部にある別の世界だとは思えない。そこにあるのは自分自身の魂の延長である、自分の人生の一部である。自分の人生を振り返り距離を置いて反省しつつある時ならともかく、今まさに生きられている自分の人生は、良くも悪くもなく、面白くも面白くなくもなく、美しくも美しくなくもない。それは単に、生きられている。
だがもちろん、それでは何も言ったことにならない。私は、カサヴェテスの映画の価値は分析不可能であるなどと言いたいのではない。言葉にできないほど素晴らしいなどと言いたいのではない。むしろ、カサヴェテスの映画についてとめどもなく饒舌に語りたい。そこにある何もかもを語り尽くしたい。カサヴェテスの映画が凡百の映画とは異なる――いや、およそありとあらゆる映画から隔絶した唯一の映画であるということが、誰の目にも明らかになるまでに説得的に論じたい。……言い換えれば、それは、カサヴェテスの映画について述べる私自身の言葉が読まれるということが、カサヴェテスの映画を見ることによって私の内に引き起こされた感情と同等のものを再現しうるものにまでならなければならないということだ。
とはいえ、映画を見終えた後で改めてどれほど言葉を積み重ねようとも、実際に映画を見る行為との距離はどこまでも離れてゆくばかりだ。あのどこまでも不可思議な、作品そのものとの一体感は失われる。新たに積み上げられた言葉の全ては、作品との間にある距離を確認することにしかならない。
私はなにも、映画について述べられてきた従来の映画批評なり映画理論なりを否定したいのではない。もちろんそれらは有効である。とりわけ映画という分野は、様々な要素が複合して織り成されているのだから、全ての要素を同等の水準で一人の人間が把握するのは非常に難しい。映像はいかに撮影され、どのように照明がなされるのか。脚本はいかにして書かれ、俳優はいかにそれを解釈して演技をなすのか。音響はいかにして作品に奉仕するのか。撮影された映像はいかにして編集され、最終的な作品が構成されるのか。
ただ一本の映画だけについてさえ、様々な分野の専門家が自分の見地からなす様々な発言は多種多様であり、常に学ぶべきことがある。そして、それらを真摯に受け止めた上でなされる、優れた映画批評や映画理論の成果もまた、存在する。……しかし、それでもなお、ことカサヴェテスの映画に関しては、部分部分の技術論だけでは何も語ったことにはならないとしか思えなくもある。
カサヴェテスの映画を構成する様々な要素を分解する。各ショットの成り立ちについて分析する、ショットを組み合わせる編集について分析する。ショット内での空間の構成について記述し、人物の動きを追い、そこでなされるアクションと演技との関連について考察する。……もちろん、その作業をすることによって初めて、作品のそれまで気づけなかった側面に気づくということはある。……しかし、そんな論理的な分析を積み上げれば積み上げるほど、カサヴェテスの映画の核心からは離れるばかりだという思いが強まっていくのは、いったいどういうことなのか。
だが、その思いは、カサヴェテスの映画について分析を放棄したいということではない。論理的に分析をし実証する言葉を積み上げる行為が、どこまでも作品から離れるばかりだという思いを抱き続けながらも、全く同時に、作品について述べ尽くしたい、理解しきりたいという衝動もまた、どこまでも強まる。
ジョン・カサヴェテスの映画について具体的に検討することをなんらなしていない現段階で、私は既に一つの確信を得ている。……そのような思いを人に抱かせる作品こそが、芸術と呼ばれるべきものであるのだと。そして、芸術の経験の内にありつつ、自分の足どころが不確かなままに、そのことを誤魔化すことなく、作品と対峙する行為こそが批評なのだと。
私は、自分の力の及ぶ限り、ジョン・カサヴェテスの映画とはいかなるものであるのかを論じよう。だがそれと同時に、あらかじめ予告しておこう。議論が進む過程で、どのような発見が得られようとも、新たな認識に到達しようとも……それら全ては、カサヴェテスの映画と対峙する経験を確認するためになされるものだ。
だから、どのような道を辿ろうとも……最終的に私が戻ってくるのは、今まさにいるのと全く同じ、この場所である。
私は芸術家なのだと、ジョン・カサヴェテスは言う。
その言葉をごく皮相にとらえる限り、カサヴェテスの作品は非常に語りやすい。……ハリウッド映画の製作システムに反逆し、インディペンデント作家として活動した男。製作資金を監督自身が調達してまで監督された映画。従来の方法論から大幅に逸脱した演出、俳優たち自身の即興を中心として成り立つ演技。
カサヴェテスの映画を語るための手がかりは至る所にある。その意味では、これほど語りやすい、批評の対象としやすい監督も滅多にいないとすら言いうるかもしれない。例えば、カサヴェテスの代表作の一本たる『こわれゆく女』もまた、そのような映画である。
前作たる『ミニー&モスコウィッツ』の時点で既にハリウッドの大手会社との軋轢が強くなっていたカサヴェテスは、自宅を抵当に入れてまでして資金の半分を調達する。残りの半分は、主演男優たるピーター・フォークが『刑事コロンボ』のギャラから支払うことになる。常識的な発想を持つ撮影スタッフとの衝突。撮影のまっただ中でのスタッフの追放。手持ちキャメラを自らまわす監督。映画の完成後も、公開の目処が立たない状況。そんな中での、映画祭での成功。にもかかわらず見つからない配給先。映画館と直接話をつけてなされる、完全な自主配給。自主配給の映画にもかかわらず、アカデミー賞に監督賞と主演女優賞でノミネートされる。自身が監督した『アリスの恋』の主演女優エレン・バースティンが受賞しジーナ・ローランズを破ってしまった事実に狼狽し、泣き始めるマーティン・スコセッシ……。
『こわれゆく女』という一本の映画をめぐる状況は、あまりにも劇的だ。傑出した「芸術家」によるこの映画に関して語りうることは無数にある。……しかし、作品をめぐる状況をどれほど物語化してみたところで――部分部分の技術的分析についてそう思えたのと全く同じく――この映画から自分が受け取った印象からはどこまでもかけ離れていくという思いだけがつのる。
その周囲を取り巻く状況があまりにも劇的なものであり、極めて独創的なインディペンデント作家の代表作と見なされているのにもかかわらず、実際に『こわれゆく女』の作中で描かれているのは、ごくありきたりの平凡な出来事でしかない。工事現場で監督を勤める肉体労働者のニック・ロンゲッティは、妻のメイベルと三人の子供たちとともに暮らしている。メイベルは、精神的に不安定な状況にある。『こわれゆく女』という映画が語る物語は、主にこの家族の内で起きる、あくまでも家族の問題としての小さな短期間の出来事にすぎない。
メイベルの精神の失調が限界を超え精神病院に入院することになり、ニックが三人の子供たちと暮らすことになった時、映画は「六ヶ月後」の字幕によってその間の出来事を省略する。そして、メイベルが退院し自宅に戻ってくる日の出来事は、いっさいの省略がなく、そこで起きた出来事を全て描くことによって映画が成立する。
『こわれゆく女』という映画を見直すたびに、この最後の四十分ほどの場面において、私はいつも奇妙な感覚にとらわれる。既に述べたように、この場面にはいっさいの時間的省略がない。その意味で、映画内の時間は鑑賞者の現実の時間と完全に同期するという意味でのリアルタイムのはずである。しかし、いざ映画が終わってみると、この最後の四十分ほどの時間は、あたかも時間そのものが完全に消失でもしていたかのような感覚に陥るのだ。
半年ぶりの妻の帰宅を祝うためにサプライズ・パーティを企画したニックは、仕事仲間を初めとする大勢の友人・知人を招待し、自宅の内はすし詰めの喧噪状態となる。精神病院から退院するメイベルにそのような刺激を与えようとする行為に呆れた近親者はニックを説得し、招待された人々に帰ってもらう。喧噪がひけ静寂に移行しつつある中、メイベルの帰宅が重なり、帰りつつある招待客の幾人かにつかまり、応対することを強いられてしまう。やがて、改めて近親者のみの小さなホームパーティが開かれ、どうやらメイベルにも平均的な主婦としてそつのない振る舞いができているように見えるが、徐々にメイベルの安定状態は崩れ初め、やがて、身内の中での修羅場が延々と展開されることになっていく……。
作中で描かれるニックとメイベルの四十分は、映画を見る者にとっての四十分と全く同じである。にもかかわらず、この四十分は、なぜ時間が消失でもしてしまったかのように感じられるのか。
もちろん、その一つとして、映画の最後の四十分にありったけの出来事が詰め込まれているからということもあるだろう。寝室の準備を整え一日を終わらせる日常の作業に回帰するニックとメイベルの二人だけの空間、その静寂の中で映画が終わるとき、作中の時間でも現実の時間でもわずか四十分前に存在していたパーティの喧噪ははるか彼方のものとなってしまっていること、その間にあまりにも多くの出来事が起きたこと、それらのもたらすギャップによって、一連の出来事が完全に一つながりのこととして起きたなどとは到底実感がわかないほどに、一つの場所で起こる一つの場面が巨大なものになってしまっている。
あるいは、映画における時間の処理に関する技術の問題も、ここにはあるだろう。なるほど、作中の四十分の時間がそのまま現実の四十分の時間と重なっており、作品を進行させていく過程で時間の流れを調整するような技法は全く何も使われていない。そしてまさに、その種の技法が使われていないということこそが、「映画を見ている時間」に逆説的に失調をもたらすということは考えられる。
一本の映画が語る物語の内部で進行する時間は、その上映時間よりは長いものとなることがふつうである。二時間の映画がきっかり二時間の物語を語ることはあまりない。多くの出来事を決められた時間の内部で語りきるために、描かれる出来事は省略され、時間は飛び飛びになり、場面をまたぐ時間の省略はフェードアウトやディゾルヴなどの技法によって表現され、時間の前後関係を整頓して物語に見通しを立てるためにフラッシュバックやフラッシュフォワードが用いられる。
ハリウッドで確立した古典的な映画の文法で語られる映画に習熟した鑑賞者は、そのようにしてなめらかに整理されつつ要所要所が巧みに省略されて構成された、フィクションとしての論理に則った時間を「自然な」もしくは「リアルな」ものと感じさえすることになる。……だからこそ、撮影した映像をリアルタイムで発生した順番で単純につなげていくだけで、何一つ編集上の時間処理の技法を用いていない『こわれゆく女』の終盤の場面が、かえって時間が失調した感覚を呼び起こしてもおかしくはないということになる。
だが、作中の時間がそのようなものになっている映画は、なにも『こわれゆく女』に限られるわけではない。アルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』やアレクサンドル・ソクーロフの『エルミタージュ幻想』などになると、作中の全ての内容をワンカットで撮り上げてすらいる。
厳密に言うと、『ロープ』の場合は、製作当時の技術的な制約から、完全なワンカットを実現することはできなかったため、表面上は観客にそう見せているというだけの「疑似的なワンカット」にとどまっている。しかし、作中の時間と上映時間との関係という意味では、それが作品全体で見ても完全に重なる、という映画になっているのである。……既に私は、ある映画の作中の時間は上映時間よりは長いのが「ふつうである」とは述べたが、逆に言えば、映画史をひもといてみればその種の映画はぽつぽつとではあるが製作されてきたということも事実ではあるのだ。……だが、それらの映画のいずれを見てみても、『こわれゆく女』の終盤で私が感じたような感覚が呼び起こされるようなことはなかった。
奇妙に歪んだ時間の感覚と言えば、『旅芸人の記録』を初めとするテオ・アンゲロプロスの映画を引き合いに出すことはできるかもしれない。しかし、アンゲロプロスの映画における特異な時間のあり方は、逆に、高度な技術的な達成の成果として全て説明できるものだ。なぜ作中に特異な時間感覚が導入されるのかと言えば、一本の映画の内に、各個人の生活の時間と、ギリシャの政治的状況の変容に基づく歴史的な時間とが同時に描かれ、同じ場面で交錯することが企まれているからだ。個人の時間と歴史の時間が同居するために、カットされていない一つのショットの内部だけで、時間の扱いが変化するような、極めて複雑な操作がしばしばなされている。
それはそれで非常に優れた映画であるわけだが、これに比べると、単に個人の小さな生活とその周辺を描き出しつつ、編集の面で特異なことなど何もしていない『こわれゆく女』という映画に時間の変容の感覚があるというのは、極めて不可解なことだ。
もちろん、これは、あくまでも私の個人的な感覚である。映画の時間処理の技術の観点から見ても、そこに何かの秘密があるようには思えない。ならば、そんな感覚などというものはただ私一人だけが感じているということも十分にありうるわけだ。
映画館で映画を見るときに、他の観客がその時ごとに何を感じているのかなどということはわからない。実際、私がこれまで映画館で映画を見てきた中でも最も不愉快であったことの一つは、他ならぬ『こわれゆく女』を見ているときにあった。それほど人で埋まっていたわけでもない劇場で、観客の中にいた一人の男が、精神に失調をきたしつつあるメイベルが奇矯な振る舞いをするたびに、声を出して笑い続けていたのだ。
たとえ全く同じ時間に同じ場所で同じ映画を見ていようとも、苦しみに満ちた中でもなんとか生き延びようともがくメイベルの表面上の奇妙さが「笑うべきもの」と思えるような観客とは、私は何一つ共有する感覚はない。……だが、逆に言えば、『こわれゆく女』という映画を見て奇妙な時間の失調の感覚に襲われている私の方こそが、他の誰一人として感じていない感覚にとらわれているという可能性もあるということでもある。
あるいは、一つの場面に、鑑賞者が一望して把握できないほどに詰め込まれた内容の巨大さということが、カントの美学で言うところの「崇高」の概念を実現していると言えるのかもしれない。しかし、やはりその説明も私の感覚からすると納得がいくものでもないし、何より、その説明はむしろジャック・タチの『プレイタイム』のような映画にこそうまく当てはまるようにも思える。
『こわれゆく女』という映画に存在しているのは、一つの逆説である。その終盤にあるのは、なんら特殊なことなどない、現実がそのまま再現されているだけの通常の時間である……しかし、それと同時に、そこでは時間の概念そのものが失われている。
この逆説は、ただこの私のみが感じている逆説であるのにすぎないのかもしれない、にもかかわらず、この逆説がそこに存在していることを私は信じる。……ならば、その徹底して個人的・主観的なものにすぎないのかもしれない体験は、いかにして語りうるのか。
私は、ここで、ジョン・カサヴェテスの映画そのものを論じることから大幅に飛躍し、全く異なる文脈を導き入れようと思う。……というのも、既に述べたような逆説に関して参照しうるような議論を考え抜いた人物は、私の知る限り、映画と全く無関係なところまで含めてもただの一人しか存在していないからだ。
どこからどう見ても明確な矛盾、巨大な逆説を逆説のままに信じるためには、通常の言葉による通常の理解が全く及ばないということ――そのことを徹底して考え抜いた希有の存在が、セーレン・キルケゴールである。
神であると同時に人であるイエス・キリストは、一つの逆説である。では、逆説を逆説のままに信じるとは、いかなることなのか。あるいは、逆説を逆説のままに伝達するとはいかなることなのか。「人はキリストについて、歴史から何事かを知り得るか」という自ら立てた問いに自ら答えて、キルケゴールは次のように書く。
否、知り得ない。それはなぜか。それは、「キリスト」については、一般に何事も「知り」得ないからである。彼は逆理(パラドクス)であり、信仰の対象である。彼は「信仰」にとってのみ、そこに在す。ところが、一切の歴史的伝達は、「知識」の伝達である。従って歴史からは、キリストについて何事も知り得ない。(『キリスト教の修練』、新教出版社版、井上良雄訳、p.30)
あるいは、次のようにも書く。
一人の人間が神であるというようなことを、証明しようなどという矛盾よりも馬鹿げた矛盾が、一体考え得るであろうか。(同、p.31、傍点は省略)
「証明する」ということは、言うまでもなく或る事物を、それがその姿である理性的・現実的なものに変ずるということである。ところで、このような一切の理性に逆らうものを、理性的・現実的なものに変じ得るであろうか。そのようなことは、もし人が自己矛盾に陥るまいと思うならば、思いもよらぬことである。人が証明し得るのは、ただそれが理性に逆らう、ということだけである。(同、p.31)
矛盾を理性によって認識することはできず、逆説を歴史的な知識として伝達することはできない。言われてみれば、それは当然のことだ。……しかし、キルケゴールの議論は、ゆえにキリストを信じることなどできないなどということに帰結するのではない。通常の理性、通常の認識、通常の言語によっては補足不可能な逆説を、それでも信じるということ、キリスト者になるということは、キルケゴールにとってはいかなることなのか。
すなわち、神と人間との間には、無限に裂けた区別が存している。従って、キリスト者になるということは(神との相似性にまで、作り変えられるということは)、人間的に言えば、最大の人間的な呻吟と苦痛よりももっと大きな呻吟と苦痛であり、またさらに、同時代人の眼には一つの犯罪であるということが、同時性の状況においては明らかにされる。そしてこのことは、「キリスト者になる」ということが、「キリストと同時的になる」ということと同じ意味になる場合、常に明らかにされることである。そして、この「キリスト者になる」ということが、このような意味に達しない場合には、キリスト者になるということについての、これらすべての饒舌は、痴けであり、妄想であり、空虚であり、また神冒瀆であり、律法の第二誡に対する罪であり、最後に、聖霊に対する罪である。
なぜなら、絶対的なるものとの関係においては、ただ一つの時間――すなわち、現在があるのみであるからである。絶対的なるものと同時的でない者――そのような人にとっては、絶対的なる者は全く存在せぬのである。そして、キリストは絶対的なる存在であり給うゆえに、彼に対する関係においては、ただ一つの状況――すなわち、同時性の状況があるのみであるということは、見易い道理である。三百年、七百年、千五百年、千八百年は、それから減じもせねば、それに加えもせぬ。(同、p.82~84)
歴史的知識の伝達という経験によっては記述できない逆説をそれでも信じるということは、その対象がどれだけ離れた存在であろうとも、同時的であること、対象とともにただ一つの「現在」の中で生きることなのだと、キルケゴールは言う。
歴史については、君は、それを過去のもののように、読みまた聞くことができる。歴史においては、もし望むならば、君はそれをその結末によって判断することもできる。しかし、地上におけるキリストの生は、なんら過去のものではない。それは当時(千八百年前)にあっても、結末の助けを待ち望んではいなかったし、また今もそのような助けを待ち望むものではない。歴史的キリスト教とは妄語であり、非キリスト教的錯乱である。なぜなら、各時代に生きている真のキリスト者は、キリストと同時的であって、それ以前の時代と何の関係もないが、同時的なるキリストとは、あらゆる関係を持つ。地上におけるキリストの生は、全人類と共に歩み、しかも永遠の歴史として、特定の個々の民族と共に歩む。地上における彼の生は、永遠の同時性を持っているのである。(同、p.84~85)
これに反して、世界は進歩するというあのおしゃべり――それによって人が同胞と自分自身におもねるあのおしゃべりは、虚偽なのである。なぜと言って、世界は、進歩もしなければ、退歩もしない。それは根本的に同一のままである。ちょうど海のように、また空気のように――つまりは一つの元素のように。すなわち世界は元素であり、また元素でなければならない。この世界においては常に戦闘の教会の一員であるキリスト者たるべしということを験すに適した元素であり、また元素でなければならない。これが真理である。(同、p.291)
逆説を逆説のままに信じるということは、対象との同時性を生きるということであり、そこには現在という時間しか存在しない。以上のようなキルケゴールの議論は、私が『こわれゆく女』という映画に感じる時間を失調させる感覚をうまく説明しうるように思える。
しかし、注意しなければならないことがある。既に引用した『キリスト教の修練』は、キルケゴールの著作の中でもそれほど読まれていないものであるのだが、そのこと自体が、なかなかに問題含みのことであるのだ。
一八四八年、キルケゴールは、キリスト教に関する自分の思考を練り上げる著作を執筆したとされている。しかし、翌一八四九年に出版した『死に至る病』は、その原稿の前半部分のみでしかなかった。既存の教会に対する厳しい批判をも含むゆえに出版が躊躇されたとも言われる後半部分は、一八五〇年になってようやく、『キリスト教の修練』として出版された。
つまり、『死に至る病』と『キリスト教の修練』とは、もともとはひとまとまりの著作なのである。にもかかわらず、この二つの著作の扱われ方はかなり異なるものとなっている。
日本語での出版という状況だけを見てみても、『死に至る病』は何度も繰り返し別人の手によって翻訳され、異なる出版社から異なる版で出版され、手に取りやすい文庫本で流通していることも多い。それに比べれば、『キリスト教の修練』は翻訳されること自体が数少ないことでしかない。……これは、言い換えれば、キルケゴールの読者と言っても、『死に至る病』は読んでも『キリスト教の修練』は読まないことの方が圧倒的に多いということだ。
『死に至る病』と『キリスト教の修練』とがもともとひとまとまりの著作だったことを考えれば、これは奇妙な状況である。……では、逆に、なぜ『死に至る病』は読まれるのかと言えば、この著作を単独のものとして読む限りでは、キリスト教以外の問題にも転用できるようにも思えるからだろう。
『死に至る病』においてキルケゴールが論じるのは、人間が陥っている絶望のさまざまなあり方である。そして、人間がどのような状況においても絶望することしかありえないことが網羅的に論じられたその後だからこそ、『キリスト教の修練』に移行し、信仰の必要性を説くことにつなげることができるわけだ。
『キリスト教の修練』にあるのは、純粋にキリスト教の内部の問題だからこそ、より広い文脈での読解も可能な『死に至る病』よりも広く読まれた――なるほど、それもまた、一つの答えではあるだろう。しかし私には、『キリスト教の修練』がそれほど読まれていない原因は、それのみにとどまるとも思えないのだ。
キルケゴールの著作は、キリスト教の問題にとどまらず、その後の哲学史の多くの領域で参照され、キルケゴール自身とは異なる文脈の議論にも転用されてきた。……しかし、『キリスト教の修練』を最後まで通読すれば、キルケゴール自身がそんなことを許すはずもないことは明らかなのだ。
イエス・キリストを題材として芸術作品を制作するとは、キルケゴールにとってはいかなることだったのか。……『キリスト教の修練』の末尾に近い部分で、キルケゴールは次のように書いている。
キリストを描こうとして、或いは彼の姿を彫刻しようとして、画筆を絵具に浸したり、鑿を取り上げたりすることが、私にできるだろうか。(言いかえれば、そういうことに服し得るだろうか。そういうことをする気になれるだろうか)。そういうことが私にできないということ(言いかえれば、私が芸術家でないということ)は、事の本質に関することではない。私が問うのはただ、私にそういうことができるという前提が仮りにあるとしても、そういうことが私にできるかどうかということである。そして、それに対して、私は、否、そういうことは自分には絶対に不可能だと答える。もちろん私は、そう言ったからといって、それで自分の感じたことを表現したなどとは考えない。なぜかと言えば、そういうことがどうして人には可能であったか分からないほどに、私にはそういうことが不可能だからである。人殺しが坐って、彼がそれで他の人を殺そうと思っているナイフを磨いでいられる、そういう平静さが自分には分からないと、人々は言う。そういうことは、私にも分からない。しかし芸術家がどこから平静さを得たかということも、私には実際分からない。或いは芸術家が、キリストが描かれることを望み給うかどうかと言うことも考えずに――たとえそれがどのように理想的に、彼の手腕によって描かれるにしても、御自身の肖像を望み給うかどうかということも考えずに、年々歳々キリストを描く仕事に孜々として従事してきたということも、私には分からない。芸術家がキリストの不興に気づかないということが、私には分からない。キリストはただ「信従者」だけを求め給うたのだということ――また、キリストがこの世では枕するところもなく、貧しさと卑賤の中に生き給い、従ってみずから他の境遇を望み給いつつ、運命の過酷さの中を生き抜き給うたのは、偶然ではなく、むしろ永遠の決定に従う自由な選択によるものだということ――また、キリストは御自身の死後に誰か一人の人間が御自身を描くことで時間を失い、おそらく祝福をも失うというようなことを、ほとんど望み給わなかったし、また望んでも居給わないということ――これらのことを突然に理解して、芸術家が突然すべてのものを放棄しないということ、(ちょうどユダが銀三十を投げ棄てたように)画筆や絵具を遠く放棄しないということが、私には分からない。そういうことは、私には不可解である。私が描こうと思うその瞬間に、画筆は私の手から落ちるであろう。そしておそらく、それ以上生き存えることもなかったであろう。私には、そういう仕事に従事している時の、芸術家の平静さというものが分からない。宗教の与える宗教的印象に対する無感覚にも似た、また恐ろしい我儘の残酷な快楽にも似た、この芸術的無関心が分からない。それはちょうど、あの暴君が、拷問を受ける人々の悲鳴から、快い響きの楽しみを味わったのに似ている。すなわちこの暴君にとっては、彼らの悲鳴は彼の残酷さを満足させることによって、全く別のものを意味したのである。芸術家は無関心に、最初淫楽の女神を描き、それから十字架につけられた方を描く。彼は第一の絵も、第二の絵と同じように夢中で描いたのである。今これら二つの絵は、美しい調和をなして並んで掛かっている。このようにして、人々は聖なるものと交わるのである。しかもこの芸術家は、自分自身を讃美している。そしてすべての者も彼を讃美している。この絵を鑑賞する人は、それが成功しているかどうか、傑作かどうか、色調の変化や陰影が正しいかどうか、血が血らしく見えるかどうか、苦悩の表情が真実かどうか、とかいう風に、この絵を美術通として眺めるのである。しかし彼はそこに、信従への要請を見出さない。真の苦悩であったもの、実に聖なるものの真の苦悩であったものを、芸術家はほとんど金や讃美に変えてしまったのである。それはちょうど、俳優が乞食の役をして、ほんとうの貧乏こそ当然受けるにふさわしい同情を獲得し、人々が本当の貧乏に対しては、冷酷な態度で尻込みして、やがては、貧乏はこの俳優の演技に較べれば虚偽だと思うに至るのに似ている。そうだ。そういうことが、私には分からない。もう一度言おう。そういうことは私には分からない。それはおそらく芸術家が、そういうことが聖なるものに対する犯罪だということを、一度も思いついたことがないからである。そして私には、そのことはさらに一層不可解なことである。しかしそれゆえにこそ、私は不正を犯さぬために、あらゆる批評を差し控える。(同、p.322~324)
私は芸術家であるのだと、ジョン・カサヴェテスは言う。
カサヴェテスが自作の中でキルケゴールの著作から直接引用したことがあったわけではない。私が知る限りでは、キルケゴールに関して何らかのことを語ったという記録もない。したがって、カサヴェテスはおそらくはキルケゴールを読んではいなかったと考えておく方がいいのだろう。……しかし、仮にカサヴェテスがキルケゴールを読んでいたところで、事態は何も変わりはしなかっただろう。
カサヴェテスがキルケゴールの著作を読み込んだところで、芸術家として「とつぜん全てを放棄」するなどということはありえなかっただろう。しかしそれは、カサヴェテスがキルケゴールの言葉を真に受けはしないだろうなどということではない。
なるほど、世の中で芸術家と呼ばれる人々の大多数は、キルケゴールが非難するような存在であるだろう。しかし、キリストに限らずいかなる対象を取り上げるのであれ、あらゆる芸術家が常に「芸術家の平静さ」や「芸術的無関心」とともにあるなどとは、カサヴェテスは認めなかっただろう。
カサヴェテスが、自分は芸術家であるとわざわざ述べるのは、どのような時なのか。マーシャル・ファインによるカサヴェテスの評伝'Accidental Genius: How John Cassavetes Invented The American Independent Film'によれば、『こわれゆく女』の配給を苦労しつつも全て自分たちの手で直接やり終えた後で、カサヴェテスは次のように述べたという。
「こんな映画をもう一度作れるなどとは私には思えない。あまりに難しすぎる。今の私の望みは、この映画が極度の成功を収めることだけだ。そして、もしそうはならないのなら、私は他の映画は作らない――それまでだよ。そのこと自体は、大した悲劇だというわけでもない。」
彼が劇作家のミード・ロバーツに語ったように、「私は芸術家だ、いまいましいセールスマンなんかじゃあない」ということなのだ。(Accidental Genius: How John Cassavetes Invented The American Independent Film, 拙訳、p.307)
なるほど、これは、ごく一般的な認識としての「芸術家」の姿から何も逸脱しないイメージであるだろう。……しかし、いざ実際に映画を撮影しているまさにその渦中においては、カサヴェテスは、例えば次のように述べるのだ。
ローラ・ジョンスンは、撮影現場でのカサヴェテスのお気に入りの言葉の思い出について語ってくれた。「さあ、正視するんだ」と、カサヴェテスは言ったものだった、「我々はみな、芸術家になろうと取り組んでいる中産階級の一味でしかないのさ」と。(同、p.348)
ジョン・カサヴェテスは芸術家であるのか、それとも、芸術家になろうとし続けただけの人物だったのか。ここには、「芸術家」とはいかなる存在なのかについての揺れ動きがある。
さらに言えば、カサヴェテスが他人の映画に関して「芸術」という言葉を使うときには、一般的な理解とはさらに異なる齟齬が見られる。カサヴェテスが他の監督の映画に俳優としても出演し続けたのは、自身が製作する映画の資金を調達するためだったのだが、そうは言いつつも、映画製作の方針について意見が合致するのは、ドン・シーゲルでありロバート・オルドリッチなのであった――つまり、世間一般の認識では「娯楽映画の職人監督」と見なされていた人物こそ、カサヴェテスが評価する映画監督であったのだ。
『フェイシズ』の製作中、カサヴェテスは、オルドリッチの戦争映画『特攻大作戦』と、ロマン・ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』に出演している。その両作品に関して、カサヴェテスは次のように述べている。
カサヴェテス自身はと言えば、ハリウッド向けのグラン・ギニョールを創造するためにポランスキーは映画監督としての前途有望な芸術的なキャリアを売り渡したのだと考えていた。
「(ポランスキーの初期作品には)意味があり独創的にして情熱的な、そんな躍動を見出すことができる」と、カサヴェテスは述べた。「彼が芸術家であるという事実には議論の余地はないが、『ローズマリーの赤ちゃん』は芸術ではないとも言わなければならないだろうね。私の考えでは、『特攻大作戦』の方が、その作品なりに芸術的であるんだ、というのも、あの作品はやむにやまれぬ衝動とともに前進し、成り行きがわかりきっているような方法をあらかじめ定めておくこともなしに、特定の瞬間から何ものかを産みだそうと試みているからだ」(同、p.173)
映画配給の金勘定をしなければならない状況においては自分は芸術家なのだと躊躇なく述べるカサヴェテスは、作品を制作するその渦中においては、芸術家になろうとしているだけだと述べる。誰もが芸術だと認める映画を芸術ではないと断言する一方で、職人監督による戦争映画を芸術だと断言する。
カサヴェテスにとって、芸術とはいったいなんなのか。
キルケゴールは、いかなる対象を取り上げても「平静さ」「無関心」を保てる芸術家の態度を非難する。しかし一方で、自らが芸術家であるのだと述べるカサヴェテスの中では、「芸術」という言葉の定義さえもがはっきりと定めることすらできず揺れ動いている。
私には、芸術に関するキルケゴールの激越な怒りをなかったことにしてやり過ごすことはできない。なるほど、世の中に存在する大半の芸術にはキルケゴールの非難が当てはまるだろう。しかし、キルケゴールの怒りを受け止めつつもそれでもなお放棄することができないものこそが真の芸術であるのだと私は言いたい。そして、キルケゴールが「あらゆる批評を差し控える」、まさにその地点から始めらなければならないものこそが批評であるのだとも言いたい。
キルケゴールに反駁するためにできることとは、キリストを題材としながら、それでもなお「平静さ」にも「無関心さ」にもいっさい陥ることなく、技巧におぼれることも全くないままにキルケゴール本人ですら認めたであろうような芸術を提示することだろう。
映画において、時間を消失するかのような感覚を私が覚えた唯一無二の存在がカサヴェテスであるのだとは既に書いた。……しかし、映画ではなく小説においては、ただ一人だけ、同様の経験をした作家が存在する。そしてその作家は、キルケゴールと同時代に生きながらもキルケゴールを知らなかった者、そして、キルケゴールを一読するや激しく肯定していたに違いなかったはずの人物である。
フョードル・ドストエフスキーの五大長篇の一つ『白痴』は、作家自身の言葉によれば、無条件に美しい人間を描くために書かれた小説である。そしてまた、現実世界でのただ一人の無条件に美しい人間とは、キリストのことであるのだという。
キリストを題材として芸術をなそうとするドストエフスキーの態度は、キルケゴールからは全面的に否定されるはずのものだ。実際、ドストエフスキーは、キリストを題材とした絵画についての言及を作中に盛り込みすらする。……だが、「無条件に美しい人物」であることを目指されたムイシュキン公爵が、ホルバインの絵の模写を眺めたことを述懐する言葉は、以下のようなものだ。
ぼくがそのあと、自分でドアに鍵をかけようとして立ちあがったとき、ふと一枚の絵が脳裏に浮んだ。それはさきほどロゴージン家で見てきたもので、そのいちばん陰気くさい広間の扉の上にかかっていたものである。通りがかりに、彼がみずから指さしてくれたのであった。ぼくは五分間ばかり、その前にじっと立っていたような気がする。その絵は芸術的に見て、すこしもいいところはなかったが、しかし何かしら奇妙な不安を、ぼくの心の中に呼びさました。
その絵には、たったいま十字架からおろされたばかりのキリストの姿が描かれていた。画家がキリストを描く場合には、十字架にかけられているのも、十字架からおろされたのも、ふつうその顔に異常な美しさの翳を添えるのが一般的であるように思われる。画家たちはキリストが最も恐ろしい苦痛を受けているときでも、その美しさをとどめておこうと努めている。ところが、ロゴージンの家にある絵には、そのような美しさなどこれっぽっちもないのだ。これは十字架にのぼるまでにも、限りない苦しみをなめ、傷や拷問や番人の鞭を受け、十字架を負って歩き、十字架のもとに倒れたときには愚民どもの笞を耐えしのんだあげく、最後に六時間におよぶ(少なくとも、ぼくの計算ではそれくらいになる)十字架の苦しみに耐えた、一個の人間の赤裸々な死体である。いや、たしかに、たったいま十字架からおろされたばかりの、まだ生きた温かみを多分に保っている人間の顔である。まだどの部分も硬直していないから、その顔にはいまなお死者の感じている苦痛の色が、浮んでいるようである(この点は画家によって巧みに表現されている)。そのかわり、その顔はすこしの容赦もなく描かれてある。そこにはただ自然があるばかりである。まったく、たとえどんな人であろうとも、あのような苦しみをなめたあとでは、きっとあんなふうになるにちがいない。キリストの受難は譬喩的なものではなく、現実のものであり、したがって、彼の肉体もまた十字架の上で自然の法則に十分かつ完全に服従させられたのだと、キリスト教会では初期のころから決定していることを、ぼくは知っている。この絵の顔は鞭の打擲でおそろしく打ちくだかれ、ものすごい血みどろな青痣でふくれあがり、目を見開いたままで、瞳はやぶにらみになっている。その大きく開かれた白眼はなんだか死人らしい、ガラス玉のような光を放っていた。ところが、不思議なことに、この責めさいなまれた人間の死体を見ていると、ある一風変った興味ある疑問が浮んできた。もしかりにこれとちょうど同じような死体を(いや、それはかならずやこれと同じようだったにちがいない)、キリストのすべての弟子や、未来のおもだった使徒たちや、キリストに従って十字架のそばに立っていた女たちや、その他すべて彼を信じ崇拝した人たちが見たとしたら、こんな死体を眼の前にしながら、どうしてこの受難者が復活するなどと、信じることができたろうか? という疑問である。もし死というものがこんなにも恐ろしく、また自然の法則がこんなにも強いものならば、どうしてそれに打ちかつことができるだろう、という考えがひとりでに浮んでくるはずである。(『白痴』、木村浩訳、新潮文庫版(下)p.160~161、傍点は省略)
ムイシュキン公爵の回想に、それを作品として書くドストエフスキーの内に、そしてまた、ここで言及されるホルバインがキリストの死体を描く行為の内に、果たして本当に、キルケゴールが言うところの「芸術家の平静さ」や「芸術家的無感動」などというものが存在したのだろうか。
注意しなければならないのは、ムイシュキンはホルバインの模写について「芸術的に見て、すこしもいいところはなかった」とまで述べていることだ。つまり、ムイシュキンは、そしてそれを描くドストエフスキーは、通常の芸術の通常の意味での美しさの基準では「最も美しい人物」に到達し得ないことを認めた上で、それとは異なる芸術としてホルバインを提示し、自らの小説もまたそのようなものとして組織しているということだ。明らかに、ここで用いられている「美しさ」や「芸術」という言葉の意味は多義的なものであり、キルケゴールがしたように一義的に弾劾できるものではない。
通常の意味での芸術と、自分が目指すものとしての芸術の違いについては、ドストエフスキーは、『未成年』の結末近くにおいても率直に書き込んでいる。
それは労して功なき仕事で、美しい形式に欠けています。のみならず、これらの典型はいずれにしても、まだ流動せる現在の現象であり、したがって芸術的完成みを有しえないのです。重大な誤謬もありうることですし、誇張も見落としも十分にありうるのです。とまれかくまれ、多くの事柄を洞察しなければなりません。とはいうものの、ただ歴史体の小説のみを書くことを欲しないで、流動せる現在に対する悩みにとらわれた作家は、いったいどうしたらよいか? それはただ推察することです……そして誤ることです。(『未成年』、米川正夫訳、岩波文庫版(下)p.447)
「歴史体の小説」を放棄し、「芸術的完成み」を持つことのできない作家がとらわれた、「流動する現在」――これは、キルケゴールが述べていたキリストとの「同時性」と、全く同じことではないか。ただ一つの違いはと言えば、ドストエフスキーは、それもまた「芸術」の範疇に含まれると考えているということだ。
ドストエフスキーにせよ、カサヴェテスにせよ、世間一般の常識がそうであると見なす芸術とは全く異なることを自分がなしていることを自覚しながら、そして、自分のなすことが確固たる完成形には到達し得ない状況で揺れ動き続けながら、それでもなお、それこそが芸術であるのだと信じている。
だから、私は、自分は芸術家であるのだと見なすドストエフスキーやカサヴェテスと、自分は芸術家ではないのだと見なすキルケゴールの間に、絶対的な境界線などというものを引きたくはない。「芸術家であること」と「芸術家でないこと」とは、「あれか/これか」のどちらかを選択しなければならないことではない。一見すると正反対であるその言葉は実は同じことである……だから、通常の意味での芸術を排撃せずにはいられない激越な怒りに満たされたキルケゴールの言葉は、それもまた、一つの芸術であるのだ。
理性を行使することによって伝達することのできる歴史的な知識を放棄し、対象への無関心によって可能になる美しい形式による芸術的な完成度を打ち捨てる――そして、ただ対象との同時代性の内にのみ生きるとき、そこでは通常の意味での時間は消失するだろう。
では、時間が消失する経験とは、具体的にはいかなることなのか。そして、なぜその経験こそが芸術であると言えるのか。最後に問われるべきなのは、そのことである。
キルケゴールが芸術家のあり方を厳しく批判しなければならなかったことには、キルケゴール自身が置かれていた文脈の問題もある。それは、キルケゴールに大きな影響を与えたドイツ・ロマン派やヘーゲルに対していかにして批判的立場を取りうるかということだったはずだ。
例えば、キルケゴールは、芸術における「天才」とキリスト教における「使徒」との間の厳密な区別を論じたことがある(「天才と使徒との相違について」)。芸術的な「天才」と宗教的な「使徒」とは、いずれも、世界に存在する矛盾を縫合する存在である――しかし、一般社会の中で芸術に関する矛盾を解消する機能を持つ「天才」と、イエス・キリストの逆説を保持し続ける「使徒」とは決定的に異なるのだと、キルケゴールは述べる。……もちろん、キルケゴールがそのようなことを論じなければなかったのは、芸術家こそが世界の矛盾を統合する存在であるとする議論があったからであり――あるいは、イエス・キリストの存在を合理的な体系の内部に整合的に位置づけるような議論があったからだ。それこそがドイツ・ロマン派やヘーゲルがなしたことであったのだが、ここでは、そこよりさらに遡行し、その基底にあるはずの問題を見てみたい。
ドイツ・ロマン派にせよヘーゲルにせよ、カントの批判哲学を批判的に継承することこそがその出発点であった。そして、カントによる三批判書、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』は、大ざっぱに言うならば、「真ー偽」「善ー悪」「美ー醜」に関する認識をそれぞれ自律的な別の領域の問題として確立したのだと言える。
ある意味では、ヨーロッパが主導で形成された近代というシステム、そのシステムの内部で生きる主体の標準的なモデルを確立したのがカントの批判哲学なのであった。そして、そのように考えてみると、カントの批判哲学に内在する問題点は、単に哲学の内部の問題にとどまることではなく、より巨大な文脈に接続しうるものではないかとも思える。
人間がいかにして「真ー偽」「善ー悪」の認識に理性を行使しまたいかなるところにその限界があるのかについて、カントの議論は整合性のある体系を確立している。しかし、「美ー醜」の判断、芸術的な趣味の判断に関する『判断力批判』の議論にだけは、矛盾や混乱がそのままに内包されているのだ。
美しさに関する趣味判断は個人の主観から出発するものとしてしかありえない、にもかかわらず、そこで下される趣味判断は普遍的な同意を要求する。カントのそのような議論は言われてみればもっともなことではあるが、この矛盾が解消しうるものであるとも思えない。……あるいは、芸術において行使される技術は「自然」を模倣することを目指すものだが、「自然」とは何なのかといえば、人為的な技術の入る余地のないもののことである。したがって、自然の美しさを模倣し再現する美しい芸術などというものは、存在自体が矛盾したものであるということになる。
以上のような問題がなぜ存在するのかを、異なる角度から考えてみることはできないだろうか。……つまり、近代というシステムの内部に存在する主体の標準的なモデルを確立しようとするとき、形式化しきれない矛盾・混沌が集中して奔出してしまう領域こそが芸術に他ならないのだ、と。
カントの批判哲学には、あからさまなまでに、体系化・形式化しきれない混沌が投げ出されている――この矛盾を解消し、完璧に整合的な体系を生み出すことに向かったのがドイツ・ロマン派でありヘーゲルであるのだった。とりわけドイツ・ロマン派においては、完璧に整合的な、統合されロマン化された世界を生み出しうる特権的な存在が芸術家であったことは、以上のような文脈において理解できることだろう。そして、『判断力批判』におけるカントの時点で、芸術制作における矛盾を解消しうる存在として既に「天才」の概念は用いられていたのだった。
しかし――改めて考えてみれば、その矛盾は解消しうるのかどうかを云々する以前のことがあるように思える。……そもそも、その矛盾はなぜ解消しなければならないのか。自分たちがその内部に生きるため、完璧に整合的な体系を求めるなどということは、本当に必要なことなのか。
現在においては、「近代」の概念はむしろ評判が悪く、批判されることの方が多いようなものだ。なるほど、それは虚構にすぎないのかもしれない、どこまでいっても未完のプロジェクトであるしかないものなのかもしれない。そして、それを虚構だと言おうが未完だと言おうが、ここで私が書いてきたことと本質的な違いはないだろう。近代というシステムの標準的なモデルはその根幹部分に混乱を備えているがゆえに、失調した部分や機能不全の部分を排除することはできない。
近代というシステムの機能不全は、本質的に排除できない。しかし「近代」は現に我々の周囲を取り巻いており、それとともに生きるしかない。そして、そんなシステムの欠陥が噴出した時にその場をともにすることのできるものこそが、芸術であるということだ。
何のために自分がそこにいるのかわからない。目指すべき目的や目標があるのかわからない。何かの行動をしてみても、その帰結がわからない。自分にいかなる影響を及ぼすのかわからない。それが良いことだったのか悪いことだったのかもわからない。
そのような逡巡を経験したことのない者は幸いである。近代というシステムが正常に機能しているその渦中にのみ身を置く限り、そんな混乱を経験することはない。しかし同時に、この混乱を近代社会から根本的に廃絶することも、原理的にできない。
なるほど、卓越した芸術作品を創造する芸術家は「天才」であるのかもしれない。しかしそれは、その人物を、既に芸術作品が創造されてしまった事後の視点から見た時にのみ用いられる言葉だ。芸術作品を創造する渦中にある者は、逡巡とともに生きるしかない。
社会の矛盾を解消し統合する存在としての芸術的な「天才」というドイツ・ロマン派の理念に反発したキルケゴールは、逆説を保持し続ける存在を「使徒」と呼んだ。しかし、私は、キルケゴールにとっての「使徒」こそが、芸術家のことであるのだと言おう。
自分のなす表現は正しいのか。それをある方法で修正するとして、それはいかなる効果をもたらすのか。新たな技術を学び異なる段階に進もうとしたところで、それは本当に前進なのか。踏み出した一歩が正しい方向に向かっているのかわからない。前進なのか後退なのかもわからない。だからと言って、その場に停止することもできない……
そのような場所に居続けるということこそが、芸術家であるということだ。逡巡し続けることによって明確な基準を失う、無時間的な場所。……「救いのないこと自体が救いである」という坂口安吾の言葉をふまえて言うならば、答えのないこと自体が答えである。
ジョン・カサヴェテスという男は、芸術家としてのみ生き、芸術家として死んだ。
ひとたび芸術家になった者が、その後もずっと芸術家であり続けるわけではない。むしろ、そのようなことの方が稀なのであろう。しかしカサヴェテスの場合は、最後まで芸術家としてのみ生き、芸術家として死んだ。……近代において芸術の経験を生きる者にとって、社会のシステムの内部に流れる時間が失調するなどという経験は、むしろ当たり前のことと見なさなければなかったのだろう。
だから、カサヴェテスの映画を見るときに時間が消失するのは、何も『こわれゆく女』の終盤に限った話ではなかったのだ。例えば、新しくできたガールフレンドの家族に会いに行った若い男が、その見た目から白人だとばかり思っていたガールフレンドの家族を目にして黒人との混血だと気づいて狼狽し、その場に居合わせた全員が凍り付くのを目にしたとき……平凡な日常が続いていたはずが何の前兆もないままに夫から唐突に離婚を言い渡された主婦が不倫に走った翌朝に、衝動的に自殺しようとするのを目にしたとき……享楽的に生きる作家が別々に暮らしてきた息子と新たな絆を築きこそしたものの全てが遅すぎたことに気づき、停止したタクシーから降りることもできずにその場で沈黙するしかなかったとき……その全ての経験で、時間などというものは消失していたのだ。
我々は誰もが、近代というシステムの内部で、正常に運行している世界を目にし、規則正しく流れる時間とともに生きている。しかし、ひとたびその気になりさえすれば――そのシステムに空いた穴、原理的に解消できない欠陥をなかったことにするのをよしとしなければ――時間の感覚など、いつでも消失させることができる。
ドストエフスキーの小説を評して、プルーストは、その全小説が『罪と罰』という一つの題名になりうると書いた。それをふまえて言えば、カサヴェテスの映画の総体に一つの題名をつけるとすれば、それを『ラヴ・ストリームス』とする以外のことは考えられない。
だから、カサヴェテスの映画、それを見るときに感じざるをえない不可解な経験までをも記述することを試みる私の文章は、それ自身もまた『ラヴ・ストリームス』と冠することもできる文章でなければならない。……それが実際に達成できたのかどうかを私自身が判断することはできないが――しかし、一つ確実に言えることは、芸術を鑑賞する経験を突き詰めれば、芸術を創造する経験との間に根本的な境界を認めることはできなくなるということだ。
カサヴェテスの映画を見るとき、そこで語られる何ものからも目を逸らさず全てを受け取ろうと試みるならば、鑑賞する側もまた、創造者とともに、近代の正常な空間から己の身を引き剥がし、芸術の経験の内部に身を置くしかできなくなる。
だからこそ、言わなければならない。私がここまで書いてきた文章が批評であるのだとしても、私は、カサヴェテスの映画を外部から裁断し客観的に判断できる存在、そのような意味での批評家として書いてきたのではない。
ジョン・カサヴェテスの映画を見ること――そして、自分にとって可能な限り、その作品が内包するものを汲み尽くし、作品とともに生きるために書いたこと――そうすることによって、私自身もまた、芸術家としてこの文章を書いた。
ジョン・カサヴェテスの映画は、そのような単純な判断から隔絶したところにある。スクリーンの向こうに写っている映像が、単に自分の外部にある別の世界だとは思えない。そこにあるのは自分自身の魂の延長である、自分の人生の一部である。自分の人生を振り返り距離を置いて反省しつつある時ならともかく、今まさに生きられている自分の人生は、良くも悪くもなく、面白くも面白くなくもなく、美しくも美しくなくもない。それは単に、生きられている。
だがもちろん、それでは何も言ったことにならない。私は、カサヴェテスの映画の価値は分析不可能であるなどと言いたいのではない。言葉にできないほど素晴らしいなどと言いたいのではない。むしろ、カサヴェテスの映画についてとめどもなく饒舌に語りたい。そこにある何もかもを語り尽くしたい。カサヴェテスの映画が凡百の映画とは異なる――いや、およそありとあらゆる映画から隔絶した唯一の映画であるということが、誰の目にも明らかになるまでに説得的に論じたい。……言い換えれば、それは、カサヴェテスの映画について述べる私自身の言葉が読まれるということが、カサヴェテスの映画を見ることによって私の内に引き起こされた感情と同等のものを再現しうるものにまでならなければならないということだ。
とはいえ、映画を見終えた後で改めてどれほど言葉を積み重ねようとも、実際に映画を見る行為との距離はどこまでも離れてゆくばかりだ。あのどこまでも不可思議な、作品そのものとの一体感は失われる。新たに積み上げられた言葉の全ては、作品との間にある距離を確認することにしかならない。
私はなにも、映画について述べられてきた従来の映画批評なり映画理論なりを否定したいのではない。もちろんそれらは有効である。とりわけ映画という分野は、様々な要素が複合して織り成されているのだから、全ての要素を同等の水準で一人の人間が把握するのは非常に難しい。映像はいかに撮影され、どのように照明がなされるのか。脚本はいかにして書かれ、俳優はいかにそれを解釈して演技をなすのか。音響はいかにして作品に奉仕するのか。撮影された映像はいかにして編集され、最終的な作品が構成されるのか。
ただ一本の映画だけについてさえ、様々な分野の専門家が自分の見地からなす様々な発言は多種多様であり、常に学ぶべきことがある。そして、それらを真摯に受け止めた上でなされる、優れた映画批評や映画理論の成果もまた、存在する。……しかし、それでもなお、ことカサヴェテスの映画に関しては、部分部分の技術論だけでは何も語ったことにはならないとしか思えなくもある。
カサヴェテスの映画を構成する様々な要素を分解する。各ショットの成り立ちについて分析する、ショットを組み合わせる編集について分析する。ショット内での空間の構成について記述し、人物の動きを追い、そこでなされるアクションと演技との関連について考察する。……もちろん、その作業をすることによって初めて、作品のそれまで気づけなかった側面に気づくということはある。……しかし、そんな論理的な分析を積み上げれば積み上げるほど、カサヴェテスの映画の核心からは離れるばかりだという思いが強まっていくのは、いったいどういうことなのか。
だが、その思いは、カサヴェテスの映画について分析を放棄したいということではない。論理的に分析をし実証する言葉を積み上げる行為が、どこまでも作品から離れるばかりだという思いを抱き続けながらも、全く同時に、作品について述べ尽くしたい、理解しきりたいという衝動もまた、どこまでも強まる。
ジョン・カサヴェテスの映画について具体的に検討することをなんらなしていない現段階で、私は既に一つの確信を得ている。……そのような思いを人に抱かせる作品こそが、芸術と呼ばれるべきものであるのだと。そして、芸術の経験の内にありつつ、自分の足どころが不確かなままに、そのことを誤魔化すことなく、作品と対峙する行為こそが批評なのだと。
私は、自分の力の及ぶ限り、ジョン・カサヴェテスの映画とはいかなるものであるのかを論じよう。だがそれと同時に、あらかじめ予告しておこう。議論が進む過程で、どのような発見が得られようとも、新たな認識に到達しようとも……それら全ては、カサヴェテスの映画と対峙する経験を確認するためになされるものだ。
だから、どのような道を辿ろうとも……最終的に私が戻ってくるのは、今まさにいるのと全く同じ、この場所である。
私は芸術家なのだと、ジョン・カサヴェテスは言う。
その言葉をごく皮相にとらえる限り、カサヴェテスの作品は非常に語りやすい。……ハリウッド映画の製作システムに反逆し、インディペンデント作家として活動した男。製作資金を監督自身が調達してまで監督された映画。従来の方法論から大幅に逸脱した演出、俳優たち自身の即興を中心として成り立つ演技。
カサヴェテスの映画を語るための手がかりは至る所にある。その意味では、これほど語りやすい、批評の対象としやすい監督も滅多にいないとすら言いうるかもしれない。例えば、カサヴェテスの代表作の一本たる『こわれゆく女』もまた、そのような映画である。
前作たる『ミニー&モスコウィッツ』の時点で既にハリウッドの大手会社との軋轢が強くなっていたカサヴェテスは、自宅を抵当に入れてまでして資金の半分を調達する。残りの半分は、主演男優たるピーター・フォークが『刑事コロンボ』のギャラから支払うことになる。常識的な発想を持つ撮影スタッフとの衝突。撮影のまっただ中でのスタッフの追放。手持ちキャメラを自らまわす監督。映画の完成後も、公開の目処が立たない状況。そんな中での、映画祭での成功。にもかかわらず見つからない配給先。映画館と直接話をつけてなされる、完全な自主配給。自主配給の映画にもかかわらず、アカデミー賞に監督賞と主演女優賞でノミネートされる。自身が監督した『アリスの恋』の主演女優エレン・バースティンが受賞しジーナ・ローランズを破ってしまった事実に狼狽し、泣き始めるマーティン・スコセッシ……。
『こわれゆく女』という一本の映画をめぐる状況は、あまりにも劇的だ。傑出した「芸術家」によるこの映画に関して語りうることは無数にある。……しかし、作品をめぐる状況をどれほど物語化してみたところで――部分部分の技術的分析についてそう思えたのと全く同じく――この映画から自分が受け取った印象からはどこまでもかけ離れていくという思いだけがつのる。
その周囲を取り巻く状況があまりにも劇的なものであり、極めて独創的なインディペンデント作家の代表作と見なされているのにもかかわらず、実際に『こわれゆく女』の作中で描かれているのは、ごくありきたりの平凡な出来事でしかない。工事現場で監督を勤める肉体労働者のニック・ロンゲッティは、妻のメイベルと三人の子供たちとともに暮らしている。メイベルは、精神的に不安定な状況にある。『こわれゆく女』という映画が語る物語は、主にこの家族の内で起きる、あくまでも家族の問題としての小さな短期間の出来事にすぎない。
メイベルの精神の失調が限界を超え精神病院に入院することになり、ニックが三人の子供たちと暮らすことになった時、映画は「六ヶ月後」の字幕によってその間の出来事を省略する。そして、メイベルが退院し自宅に戻ってくる日の出来事は、いっさいの省略がなく、そこで起きた出来事を全て描くことによって映画が成立する。
『こわれゆく女』という映画を見直すたびに、この最後の四十分ほどの場面において、私はいつも奇妙な感覚にとらわれる。既に述べたように、この場面にはいっさいの時間的省略がない。その意味で、映画内の時間は鑑賞者の現実の時間と完全に同期するという意味でのリアルタイムのはずである。しかし、いざ映画が終わってみると、この最後の四十分ほどの時間は、あたかも時間そのものが完全に消失でもしていたかのような感覚に陥るのだ。
半年ぶりの妻の帰宅を祝うためにサプライズ・パーティを企画したニックは、仕事仲間を初めとする大勢の友人・知人を招待し、自宅の内はすし詰めの喧噪状態となる。精神病院から退院するメイベルにそのような刺激を与えようとする行為に呆れた近親者はニックを説得し、招待された人々に帰ってもらう。喧噪がひけ静寂に移行しつつある中、メイベルの帰宅が重なり、帰りつつある招待客の幾人かにつかまり、応対することを強いられてしまう。やがて、改めて近親者のみの小さなホームパーティが開かれ、どうやらメイベルにも平均的な主婦としてそつのない振る舞いができているように見えるが、徐々にメイベルの安定状態は崩れ初め、やがて、身内の中での修羅場が延々と展開されることになっていく……。
作中で描かれるニックとメイベルの四十分は、映画を見る者にとっての四十分と全く同じである。にもかかわらず、この四十分は、なぜ時間が消失でもしてしまったかのように感じられるのか。
もちろん、その一つとして、映画の最後の四十分にありったけの出来事が詰め込まれているからということもあるだろう。寝室の準備を整え一日を終わらせる日常の作業に回帰するニックとメイベルの二人だけの空間、その静寂の中で映画が終わるとき、作中の時間でも現実の時間でもわずか四十分前に存在していたパーティの喧噪ははるか彼方のものとなってしまっていること、その間にあまりにも多くの出来事が起きたこと、それらのもたらすギャップによって、一連の出来事が完全に一つながりのこととして起きたなどとは到底実感がわかないほどに、一つの場所で起こる一つの場面が巨大なものになってしまっている。
あるいは、映画における時間の処理に関する技術の問題も、ここにはあるだろう。なるほど、作中の四十分の時間がそのまま現実の四十分の時間と重なっており、作品を進行させていく過程で時間の流れを調整するような技法は全く何も使われていない。そしてまさに、その種の技法が使われていないということこそが、「映画を見ている時間」に逆説的に失調をもたらすということは考えられる。
一本の映画が語る物語の内部で進行する時間は、その上映時間よりは長いものとなることがふつうである。二時間の映画がきっかり二時間の物語を語ることはあまりない。多くの出来事を決められた時間の内部で語りきるために、描かれる出来事は省略され、時間は飛び飛びになり、場面をまたぐ時間の省略はフェードアウトやディゾルヴなどの技法によって表現され、時間の前後関係を整頓して物語に見通しを立てるためにフラッシュバックやフラッシュフォワードが用いられる。
ハリウッドで確立した古典的な映画の文法で語られる映画に習熟した鑑賞者は、そのようにしてなめらかに整理されつつ要所要所が巧みに省略されて構成された、フィクションとしての論理に則った時間を「自然な」もしくは「リアルな」ものと感じさえすることになる。……だからこそ、撮影した映像をリアルタイムで発生した順番で単純につなげていくだけで、何一つ編集上の時間処理の技法を用いていない『こわれゆく女』の終盤の場面が、かえって時間が失調した感覚を呼び起こしてもおかしくはないということになる。
だが、作中の時間がそのようなものになっている映画は、なにも『こわれゆく女』に限られるわけではない。アルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』やアレクサンドル・ソクーロフの『エルミタージュ幻想』などになると、作中の全ての内容をワンカットで撮り上げてすらいる。
厳密に言うと、『ロープ』の場合は、製作当時の技術的な制約から、完全なワンカットを実現することはできなかったため、表面上は観客にそう見せているというだけの「疑似的なワンカット」にとどまっている。しかし、作中の時間と上映時間との関係という意味では、それが作品全体で見ても完全に重なる、という映画になっているのである。……既に私は、ある映画の作中の時間は上映時間よりは長いのが「ふつうである」とは述べたが、逆に言えば、映画史をひもといてみればその種の映画はぽつぽつとではあるが製作されてきたということも事実ではあるのだ。……だが、それらの映画のいずれを見てみても、『こわれゆく女』の終盤で私が感じたような感覚が呼び起こされるようなことはなかった。
奇妙に歪んだ時間の感覚と言えば、『旅芸人の記録』を初めとするテオ・アンゲロプロスの映画を引き合いに出すことはできるかもしれない。しかし、アンゲロプロスの映画における特異な時間のあり方は、逆に、高度な技術的な達成の成果として全て説明できるものだ。なぜ作中に特異な時間感覚が導入されるのかと言えば、一本の映画の内に、各個人の生活の時間と、ギリシャの政治的状況の変容に基づく歴史的な時間とが同時に描かれ、同じ場面で交錯することが企まれているからだ。個人の時間と歴史の時間が同居するために、カットされていない一つのショットの内部だけで、時間の扱いが変化するような、極めて複雑な操作がしばしばなされている。
それはそれで非常に優れた映画であるわけだが、これに比べると、単に個人の小さな生活とその周辺を描き出しつつ、編集の面で特異なことなど何もしていない『こわれゆく女』という映画に時間の変容の感覚があるというのは、極めて不可解なことだ。
もちろん、これは、あくまでも私の個人的な感覚である。映画の時間処理の技術の観点から見ても、そこに何かの秘密があるようには思えない。ならば、そんな感覚などというものはただ私一人だけが感じているということも十分にありうるわけだ。
映画館で映画を見るときに、他の観客がその時ごとに何を感じているのかなどということはわからない。実際、私がこれまで映画館で映画を見てきた中でも最も不愉快であったことの一つは、他ならぬ『こわれゆく女』を見ているときにあった。それほど人で埋まっていたわけでもない劇場で、観客の中にいた一人の男が、精神に失調をきたしつつあるメイベルが奇矯な振る舞いをするたびに、声を出して笑い続けていたのだ。
たとえ全く同じ時間に同じ場所で同じ映画を見ていようとも、苦しみに満ちた中でもなんとか生き延びようともがくメイベルの表面上の奇妙さが「笑うべきもの」と思えるような観客とは、私は何一つ共有する感覚はない。……だが、逆に言えば、『こわれゆく女』という映画を見て奇妙な時間の失調の感覚に襲われている私の方こそが、他の誰一人として感じていない感覚にとらわれているという可能性もあるということでもある。
あるいは、一つの場面に、鑑賞者が一望して把握できないほどに詰め込まれた内容の巨大さということが、カントの美学で言うところの「崇高」の概念を実現していると言えるのかもしれない。しかし、やはりその説明も私の感覚からすると納得がいくものでもないし、何より、その説明はむしろジャック・タチの『プレイタイム』のような映画にこそうまく当てはまるようにも思える。
『こわれゆく女』という映画に存在しているのは、一つの逆説である。その終盤にあるのは、なんら特殊なことなどない、現実がそのまま再現されているだけの通常の時間である……しかし、それと同時に、そこでは時間の概念そのものが失われている。
この逆説は、ただこの私のみが感じている逆説であるのにすぎないのかもしれない、にもかかわらず、この逆説がそこに存在していることを私は信じる。……ならば、その徹底して個人的・主観的なものにすぎないのかもしれない体験は、いかにして語りうるのか。
私は、ここで、ジョン・カサヴェテスの映画そのものを論じることから大幅に飛躍し、全く異なる文脈を導き入れようと思う。……というのも、既に述べたような逆説に関して参照しうるような議論を考え抜いた人物は、私の知る限り、映画と全く無関係なところまで含めてもただの一人しか存在していないからだ。
どこからどう見ても明確な矛盾、巨大な逆説を逆説のままに信じるためには、通常の言葉による通常の理解が全く及ばないということ――そのことを徹底して考え抜いた希有の存在が、セーレン・キルケゴールである。
神であると同時に人であるイエス・キリストは、一つの逆説である。では、逆説を逆説のままに信じるとは、いかなることなのか。あるいは、逆説を逆説のままに伝達するとはいかなることなのか。「人はキリストについて、歴史から何事かを知り得るか」という自ら立てた問いに自ら答えて、キルケゴールは次のように書く。
否、知り得ない。それはなぜか。それは、「キリスト」については、一般に何事も「知り」得ないからである。彼は逆理(パラドクス)であり、信仰の対象である。彼は「信仰」にとってのみ、そこに在す。ところが、一切の歴史的伝達は、「知識」の伝達である。従って歴史からは、キリストについて何事も知り得ない。(『キリスト教の修練』、新教出版社版、井上良雄訳、p.30)
あるいは、次のようにも書く。
一人の人間が神であるというようなことを、証明しようなどという矛盾よりも馬鹿げた矛盾が、一体考え得るであろうか。(同、p.31、傍点は省略)
「証明する」ということは、言うまでもなく或る事物を、それがその姿である理性的・現実的なものに変ずるということである。ところで、このような一切の理性に逆らうものを、理性的・現実的なものに変じ得るであろうか。そのようなことは、もし人が自己矛盾に陥るまいと思うならば、思いもよらぬことである。人が証明し得るのは、ただそれが理性に逆らう、ということだけである。(同、p.31)
矛盾を理性によって認識することはできず、逆説を歴史的な知識として伝達することはできない。言われてみれば、それは当然のことだ。……しかし、キルケゴールの議論は、ゆえにキリストを信じることなどできないなどということに帰結するのではない。通常の理性、通常の認識、通常の言語によっては補足不可能な逆説を、それでも信じるということ、キリスト者になるということは、キルケゴールにとってはいかなることなのか。
すなわち、神と人間との間には、無限に裂けた区別が存している。従って、キリスト者になるということは(神との相似性にまで、作り変えられるということは)、人間的に言えば、最大の人間的な呻吟と苦痛よりももっと大きな呻吟と苦痛であり、またさらに、同時代人の眼には一つの犯罪であるということが、同時性の状況においては明らかにされる。そしてこのことは、「キリスト者になる」ということが、「キリストと同時的になる」ということと同じ意味になる場合、常に明らかにされることである。そして、この「キリスト者になる」ということが、このような意味に達しない場合には、キリスト者になるということについての、これらすべての饒舌は、痴けであり、妄想であり、空虚であり、また神冒瀆であり、律法の第二誡に対する罪であり、最後に、聖霊に対する罪である。
なぜなら、絶対的なるものとの関係においては、ただ一つの時間――すなわち、現在があるのみであるからである。絶対的なるものと同時的でない者――そのような人にとっては、絶対的なる者は全く存在せぬのである。そして、キリストは絶対的なる存在であり給うゆえに、彼に対する関係においては、ただ一つの状況――すなわち、同時性の状況があるのみであるということは、見易い道理である。三百年、七百年、千五百年、千八百年は、それから減じもせねば、それに加えもせぬ。(同、p.82~84)
歴史的知識の伝達という経験によっては記述できない逆説をそれでも信じるということは、その対象がどれだけ離れた存在であろうとも、同時的であること、対象とともにただ一つの「現在」の中で生きることなのだと、キルケゴールは言う。
歴史については、君は、それを過去のもののように、読みまた聞くことができる。歴史においては、もし望むならば、君はそれをその結末によって判断することもできる。しかし、地上におけるキリストの生は、なんら過去のものではない。それは当時(千八百年前)にあっても、結末の助けを待ち望んではいなかったし、また今もそのような助けを待ち望むものではない。歴史的キリスト教とは妄語であり、非キリスト教的錯乱である。なぜなら、各時代に生きている真のキリスト者は、キリストと同時的であって、それ以前の時代と何の関係もないが、同時的なるキリストとは、あらゆる関係を持つ。地上におけるキリストの生は、全人類と共に歩み、しかも永遠の歴史として、特定の個々の民族と共に歩む。地上における彼の生は、永遠の同時性を持っているのである。(同、p.84~85)
これに反して、世界は進歩するというあのおしゃべり――それによって人が同胞と自分自身におもねるあのおしゃべりは、虚偽なのである。なぜと言って、世界は、進歩もしなければ、退歩もしない。それは根本的に同一のままである。ちょうど海のように、また空気のように――つまりは一つの元素のように。すなわち世界は元素であり、また元素でなければならない。この世界においては常に戦闘の教会の一員であるキリスト者たるべしということを験すに適した元素であり、また元素でなければならない。これが真理である。(同、p.291)
逆説を逆説のままに信じるということは、対象との同時性を生きるということであり、そこには現在という時間しか存在しない。以上のようなキルケゴールの議論は、私が『こわれゆく女』という映画に感じる時間を失調させる感覚をうまく説明しうるように思える。
しかし、注意しなければならないことがある。既に引用した『キリスト教の修練』は、キルケゴールの著作の中でもそれほど読まれていないものであるのだが、そのこと自体が、なかなかに問題含みのことであるのだ。
一八四八年、キルケゴールは、キリスト教に関する自分の思考を練り上げる著作を執筆したとされている。しかし、翌一八四九年に出版した『死に至る病』は、その原稿の前半部分のみでしかなかった。既存の教会に対する厳しい批判をも含むゆえに出版が躊躇されたとも言われる後半部分は、一八五〇年になってようやく、『キリスト教の修練』として出版された。
つまり、『死に至る病』と『キリスト教の修練』とは、もともとはひとまとまりの著作なのである。にもかかわらず、この二つの著作の扱われ方はかなり異なるものとなっている。
日本語での出版という状況だけを見てみても、『死に至る病』は何度も繰り返し別人の手によって翻訳され、異なる出版社から異なる版で出版され、手に取りやすい文庫本で流通していることも多い。それに比べれば、『キリスト教の修練』は翻訳されること自体が数少ないことでしかない。……これは、言い換えれば、キルケゴールの読者と言っても、『死に至る病』は読んでも『キリスト教の修練』は読まないことの方が圧倒的に多いということだ。
『死に至る病』と『キリスト教の修練』とがもともとひとまとまりの著作だったことを考えれば、これは奇妙な状況である。……では、逆に、なぜ『死に至る病』は読まれるのかと言えば、この著作を単独のものとして読む限りでは、キリスト教以外の問題にも転用できるようにも思えるからだろう。
『死に至る病』においてキルケゴールが論じるのは、人間が陥っている絶望のさまざまなあり方である。そして、人間がどのような状況においても絶望することしかありえないことが網羅的に論じられたその後だからこそ、『キリスト教の修練』に移行し、信仰の必要性を説くことにつなげることができるわけだ。
『キリスト教の修練』にあるのは、純粋にキリスト教の内部の問題だからこそ、より広い文脈での読解も可能な『死に至る病』よりも広く読まれた――なるほど、それもまた、一つの答えではあるだろう。しかし私には、『キリスト教の修練』がそれほど読まれていない原因は、それのみにとどまるとも思えないのだ。
キルケゴールの著作は、キリスト教の問題にとどまらず、その後の哲学史の多くの領域で参照され、キルケゴール自身とは異なる文脈の議論にも転用されてきた。……しかし、『キリスト教の修練』を最後まで通読すれば、キルケゴール自身がそんなことを許すはずもないことは明らかなのだ。
イエス・キリストを題材として芸術作品を制作するとは、キルケゴールにとってはいかなることだったのか。……『キリスト教の修練』の末尾に近い部分で、キルケゴールは次のように書いている。
キリストを描こうとして、或いは彼の姿を彫刻しようとして、画筆を絵具に浸したり、鑿を取り上げたりすることが、私にできるだろうか。(言いかえれば、そういうことに服し得るだろうか。そういうことをする気になれるだろうか)。そういうことが私にできないということ(言いかえれば、私が芸術家でないということ)は、事の本質に関することではない。私が問うのはただ、私にそういうことができるという前提が仮りにあるとしても、そういうことが私にできるかどうかということである。そして、それに対して、私は、否、そういうことは自分には絶対に不可能だと答える。もちろん私は、そう言ったからといって、それで自分の感じたことを表現したなどとは考えない。なぜかと言えば、そういうことがどうして人には可能であったか分からないほどに、私にはそういうことが不可能だからである。人殺しが坐って、彼がそれで他の人を殺そうと思っているナイフを磨いでいられる、そういう平静さが自分には分からないと、人々は言う。そういうことは、私にも分からない。しかし芸術家がどこから平静さを得たかということも、私には実際分からない。或いは芸術家が、キリストが描かれることを望み給うかどうかと言うことも考えずに――たとえそれがどのように理想的に、彼の手腕によって描かれるにしても、御自身の肖像を望み給うかどうかということも考えずに、年々歳々キリストを描く仕事に孜々として従事してきたということも、私には分からない。芸術家がキリストの不興に気づかないということが、私には分からない。キリストはただ「信従者」だけを求め給うたのだということ――また、キリストがこの世では枕するところもなく、貧しさと卑賤の中に生き給い、従ってみずから他の境遇を望み給いつつ、運命の過酷さの中を生き抜き給うたのは、偶然ではなく、むしろ永遠の決定に従う自由な選択によるものだということ――また、キリストは御自身の死後に誰か一人の人間が御自身を描くことで時間を失い、おそらく祝福をも失うというようなことを、ほとんど望み給わなかったし、また望んでも居給わないということ――これらのことを突然に理解して、芸術家が突然すべてのものを放棄しないということ、(ちょうどユダが銀三十を投げ棄てたように)画筆や絵具を遠く放棄しないということが、私には分からない。そういうことは、私には不可解である。私が描こうと思うその瞬間に、画筆は私の手から落ちるであろう。そしておそらく、それ以上生き存えることもなかったであろう。私には、そういう仕事に従事している時の、芸術家の平静さというものが分からない。宗教の与える宗教的印象に対する無感覚にも似た、また恐ろしい我儘の残酷な快楽にも似た、この芸術的無関心が分からない。それはちょうど、あの暴君が、拷問を受ける人々の悲鳴から、快い響きの楽しみを味わったのに似ている。すなわちこの暴君にとっては、彼らの悲鳴は彼の残酷さを満足させることによって、全く別のものを意味したのである。芸術家は無関心に、最初淫楽の女神を描き、それから十字架につけられた方を描く。彼は第一の絵も、第二の絵と同じように夢中で描いたのである。今これら二つの絵は、美しい調和をなして並んで掛かっている。このようにして、人々は聖なるものと交わるのである。しかもこの芸術家は、自分自身を讃美している。そしてすべての者も彼を讃美している。この絵を鑑賞する人は、それが成功しているかどうか、傑作かどうか、色調の変化や陰影が正しいかどうか、血が血らしく見えるかどうか、苦悩の表情が真実かどうか、とかいう風に、この絵を美術通として眺めるのである。しかし彼はそこに、信従への要請を見出さない。真の苦悩であったもの、実に聖なるものの真の苦悩であったものを、芸術家はほとんど金や讃美に変えてしまったのである。それはちょうど、俳優が乞食の役をして、ほんとうの貧乏こそ当然受けるにふさわしい同情を獲得し、人々が本当の貧乏に対しては、冷酷な態度で尻込みして、やがては、貧乏はこの俳優の演技に較べれば虚偽だと思うに至るのに似ている。そうだ。そういうことが、私には分からない。もう一度言おう。そういうことは私には分からない。それはおそらく芸術家が、そういうことが聖なるものに対する犯罪だということを、一度も思いついたことがないからである。そして私には、そのことはさらに一層不可解なことである。しかしそれゆえにこそ、私は不正を犯さぬために、あらゆる批評を差し控える。(同、p.322~324)
私は芸術家であるのだと、ジョン・カサヴェテスは言う。
カサヴェテスが自作の中でキルケゴールの著作から直接引用したことがあったわけではない。私が知る限りでは、キルケゴールに関して何らかのことを語ったという記録もない。したがって、カサヴェテスはおそらくはキルケゴールを読んではいなかったと考えておく方がいいのだろう。……しかし、仮にカサヴェテスがキルケゴールを読んでいたところで、事態は何も変わりはしなかっただろう。
カサヴェテスがキルケゴールの著作を読み込んだところで、芸術家として「とつぜん全てを放棄」するなどということはありえなかっただろう。しかしそれは、カサヴェテスがキルケゴールの言葉を真に受けはしないだろうなどということではない。
なるほど、世の中で芸術家と呼ばれる人々の大多数は、キルケゴールが非難するような存在であるだろう。しかし、キリストに限らずいかなる対象を取り上げるのであれ、あらゆる芸術家が常に「芸術家の平静さ」や「芸術的無関心」とともにあるなどとは、カサヴェテスは認めなかっただろう。
カサヴェテスが、自分は芸術家であるとわざわざ述べるのは、どのような時なのか。マーシャル・ファインによるカサヴェテスの評伝'Accidental Genius: How John Cassavetes Invented The American Independent Film'によれば、『こわれゆく女』の配給を苦労しつつも全て自分たちの手で直接やり終えた後で、カサヴェテスは次のように述べたという。
「こんな映画をもう一度作れるなどとは私には思えない。あまりに難しすぎる。今の私の望みは、この映画が極度の成功を収めることだけだ。そして、もしそうはならないのなら、私は他の映画は作らない――それまでだよ。そのこと自体は、大した悲劇だというわけでもない。」
彼が劇作家のミード・ロバーツに語ったように、「私は芸術家だ、いまいましいセールスマンなんかじゃあない」ということなのだ。(Accidental Genius: How John Cassavetes Invented The American Independent Film, 拙訳、p.307)
なるほど、これは、ごく一般的な認識としての「芸術家」の姿から何も逸脱しないイメージであるだろう。……しかし、いざ実際に映画を撮影しているまさにその渦中においては、カサヴェテスは、例えば次のように述べるのだ。
ローラ・ジョンスンは、撮影現場でのカサヴェテスのお気に入りの言葉の思い出について語ってくれた。「さあ、正視するんだ」と、カサヴェテスは言ったものだった、「我々はみな、芸術家になろうと取り組んでいる中産階級の一味でしかないのさ」と。(同、p.348)
ジョン・カサヴェテスは芸術家であるのか、それとも、芸術家になろうとし続けただけの人物だったのか。ここには、「芸術家」とはいかなる存在なのかについての揺れ動きがある。
さらに言えば、カサヴェテスが他人の映画に関して「芸術」という言葉を使うときには、一般的な理解とはさらに異なる齟齬が見られる。カサヴェテスが他の監督の映画に俳優としても出演し続けたのは、自身が製作する映画の資金を調達するためだったのだが、そうは言いつつも、映画製作の方針について意見が合致するのは、ドン・シーゲルでありロバート・オルドリッチなのであった――つまり、世間一般の認識では「娯楽映画の職人監督」と見なされていた人物こそ、カサヴェテスが評価する映画監督であったのだ。
『フェイシズ』の製作中、カサヴェテスは、オルドリッチの戦争映画『特攻大作戦』と、ロマン・ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』に出演している。その両作品に関して、カサヴェテスは次のように述べている。
カサヴェテス自身はと言えば、ハリウッド向けのグラン・ギニョールを創造するためにポランスキーは映画監督としての前途有望な芸術的なキャリアを売り渡したのだと考えていた。
「(ポランスキーの初期作品には)意味があり独創的にして情熱的な、そんな躍動を見出すことができる」と、カサヴェテスは述べた。「彼が芸術家であるという事実には議論の余地はないが、『ローズマリーの赤ちゃん』は芸術ではないとも言わなければならないだろうね。私の考えでは、『特攻大作戦』の方が、その作品なりに芸術的であるんだ、というのも、あの作品はやむにやまれぬ衝動とともに前進し、成り行きがわかりきっているような方法をあらかじめ定めておくこともなしに、特定の瞬間から何ものかを産みだそうと試みているからだ」(同、p.173)
映画配給の金勘定をしなければならない状況においては自分は芸術家なのだと躊躇なく述べるカサヴェテスは、作品を制作するその渦中においては、芸術家になろうとしているだけだと述べる。誰もが芸術だと認める映画を芸術ではないと断言する一方で、職人監督による戦争映画を芸術だと断言する。
カサヴェテスにとって、芸術とはいったいなんなのか。
キルケゴールは、いかなる対象を取り上げても「平静さ」「無関心」を保てる芸術家の態度を非難する。しかし一方で、自らが芸術家であるのだと述べるカサヴェテスの中では、「芸術」という言葉の定義さえもがはっきりと定めることすらできず揺れ動いている。
私には、芸術に関するキルケゴールの激越な怒りをなかったことにしてやり過ごすことはできない。なるほど、世の中に存在する大半の芸術にはキルケゴールの非難が当てはまるだろう。しかし、キルケゴールの怒りを受け止めつつもそれでもなお放棄することができないものこそが真の芸術であるのだと私は言いたい。そして、キルケゴールが「あらゆる批評を差し控える」、まさにその地点から始めらなければならないものこそが批評であるのだとも言いたい。
キルケゴールに反駁するためにできることとは、キリストを題材としながら、それでもなお「平静さ」にも「無関心さ」にもいっさい陥ることなく、技巧におぼれることも全くないままにキルケゴール本人ですら認めたであろうような芸術を提示することだろう。
映画において、時間を消失するかのような感覚を私が覚えた唯一無二の存在がカサヴェテスであるのだとは既に書いた。……しかし、映画ではなく小説においては、ただ一人だけ、同様の経験をした作家が存在する。そしてその作家は、キルケゴールと同時代に生きながらもキルケゴールを知らなかった者、そして、キルケゴールを一読するや激しく肯定していたに違いなかったはずの人物である。
フョードル・ドストエフスキーの五大長篇の一つ『白痴』は、作家自身の言葉によれば、無条件に美しい人間を描くために書かれた小説である。そしてまた、現実世界でのただ一人の無条件に美しい人間とは、キリストのことであるのだという。
キリストを題材として芸術をなそうとするドストエフスキーの態度は、キルケゴールからは全面的に否定されるはずのものだ。実際、ドストエフスキーは、キリストを題材とした絵画についての言及を作中に盛り込みすらする。……だが、「無条件に美しい人物」であることを目指されたムイシュキン公爵が、ホルバインの絵の模写を眺めたことを述懐する言葉は、以下のようなものだ。
ぼくがそのあと、自分でドアに鍵をかけようとして立ちあがったとき、ふと一枚の絵が脳裏に浮んだ。それはさきほどロゴージン家で見てきたもので、そのいちばん陰気くさい広間の扉の上にかかっていたものである。通りがかりに、彼がみずから指さしてくれたのであった。ぼくは五分間ばかり、その前にじっと立っていたような気がする。その絵は芸術的に見て、すこしもいいところはなかったが、しかし何かしら奇妙な不安を、ぼくの心の中に呼びさました。
その絵には、たったいま十字架からおろされたばかりのキリストの姿が描かれていた。画家がキリストを描く場合には、十字架にかけられているのも、十字架からおろされたのも、ふつうその顔に異常な美しさの翳を添えるのが一般的であるように思われる。画家たちはキリストが最も恐ろしい苦痛を受けているときでも、その美しさをとどめておこうと努めている。ところが、ロゴージンの家にある絵には、そのような美しさなどこれっぽっちもないのだ。これは十字架にのぼるまでにも、限りない苦しみをなめ、傷や拷問や番人の鞭を受け、十字架を負って歩き、十字架のもとに倒れたときには愚民どもの笞を耐えしのんだあげく、最後に六時間におよぶ(少なくとも、ぼくの計算ではそれくらいになる)十字架の苦しみに耐えた、一個の人間の赤裸々な死体である。いや、たしかに、たったいま十字架からおろされたばかりの、まだ生きた温かみを多分に保っている人間の顔である。まだどの部分も硬直していないから、その顔にはいまなお死者の感じている苦痛の色が、浮んでいるようである(この点は画家によって巧みに表現されている)。そのかわり、その顔はすこしの容赦もなく描かれてある。そこにはただ自然があるばかりである。まったく、たとえどんな人であろうとも、あのような苦しみをなめたあとでは、きっとあんなふうになるにちがいない。キリストの受難は譬喩的なものではなく、現実のものであり、したがって、彼の肉体もまた十字架の上で自然の法則に十分かつ完全に服従させられたのだと、キリスト教会では初期のころから決定していることを、ぼくは知っている。この絵の顔は鞭の打擲でおそろしく打ちくだかれ、ものすごい血みどろな青痣でふくれあがり、目を見開いたままで、瞳はやぶにらみになっている。その大きく開かれた白眼はなんだか死人らしい、ガラス玉のような光を放っていた。ところが、不思議なことに、この責めさいなまれた人間の死体を見ていると、ある一風変った興味ある疑問が浮んできた。もしかりにこれとちょうど同じような死体を(いや、それはかならずやこれと同じようだったにちがいない)、キリストのすべての弟子や、未来のおもだった使徒たちや、キリストに従って十字架のそばに立っていた女たちや、その他すべて彼を信じ崇拝した人たちが見たとしたら、こんな死体を眼の前にしながら、どうしてこの受難者が復活するなどと、信じることができたろうか? という疑問である。もし死というものがこんなにも恐ろしく、また自然の法則がこんなにも強いものならば、どうしてそれに打ちかつことができるだろう、という考えがひとりでに浮んでくるはずである。(『白痴』、木村浩訳、新潮文庫版(下)p.160~161、傍点は省略)
ムイシュキン公爵の回想に、それを作品として書くドストエフスキーの内に、そしてまた、ここで言及されるホルバインがキリストの死体を描く行為の内に、果たして本当に、キルケゴールが言うところの「芸術家の平静さ」や「芸術家的無感動」などというものが存在したのだろうか。
注意しなければならないのは、ムイシュキンはホルバインの模写について「芸術的に見て、すこしもいいところはなかった」とまで述べていることだ。つまり、ムイシュキンは、そしてそれを描くドストエフスキーは、通常の芸術の通常の意味での美しさの基準では「最も美しい人物」に到達し得ないことを認めた上で、それとは異なる芸術としてホルバインを提示し、自らの小説もまたそのようなものとして組織しているということだ。明らかに、ここで用いられている「美しさ」や「芸術」という言葉の意味は多義的なものであり、キルケゴールがしたように一義的に弾劾できるものではない。
通常の意味での芸術と、自分が目指すものとしての芸術の違いについては、ドストエフスキーは、『未成年』の結末近くにおいても率直に書き込んでいる。
それは労して功なき仕事で、美しい形式に欠けています。のみならず、これらの典型はいずれにしても、まだ流動せる現在の現象であり、したがって芸術的完成みを有しえないのです。重大な誤謬もありうることですし、誇張も見落としも十分にありうるのです。とまれかくまれ、多くの事柄を洞察しなければなりません。とはいうものの、ただ歴史体の小説のみを書くことを欲しないで、流動せる現在に対する悩みにとらわれた作家は、いったいどうしたらよいか? それはただ推察することです……そして誤ることです。(『未成年』、米川正夫訳、岩波文庫版(下)p.447)
「歴史体の小説」を放棄し、「芸術的完成み」を持つことのできない作家がとらわれた、「流動する現在」――これは、キルケゴールが述べていたキリストとの「同時性」と、全く同じことではないか。ただ一つの違いはと言えば、ドストエフスキーは、それもまた「芸術」の範疇に含まれると考えているということだ。
ドストエフスキーにせよ、カサヴェテスにせよ、世間一般の常識がそうであると見なす芸術とは全く異なることを自分がなしていることを自覚しながら、そして、自分のなすことが確固たる完成形には到達し得ない状況で揺れ動き続けながら、それでもなお、それこそが芸術であるのだと信じている。
だから、私は、自分は芸術家であるのだと見なすドストエフスキーやカサヴェテスと、自分は芸術家ではないのだと見なすキルケゴールの間に、絶対的な境界線などというものを引きたくはない。「芸術家であること」と「芸術家でないこと」とは、「あれか/これか」のどちらかを選択しなければならないことではない。一見すると正反対であるその言葉は実は同じことである……だから、通常の意味での芸術を排撃せずにはいられない激越な怒りに満たされたキルケゴールの言葉は、それもまた、一つの芸術であるのだ。
理性を行使することによって伝達することのできる歴史的な知識を放棄し、対象への無関心によって可能になる美しい形式による芸術的な完成度を打ち捨てる――そして、ただ対象との同時代性の内にのみ生きるとき、そこでは通常の意味での時間は消失するだろう。
では、時間が消失する経験とは、具体的にはいかなることなのか。そして、なぜその経験こそが芸術であると言えるのか。最後に問われるべきなのは、そのことである。
キルケゴールが芸術家のあり方を厳しく批判しなければならなかったことには、キルケゴール自身が置かれていた文脈の問題もある。それは、キルケゴールに大きな影響を与えたドイツ・ロマン派やヘーゲルに対していかにして批判的立場を取りうるかということだったはずだ。
例えば、キルケゴールは、芸術における「天才」とキリスト教における「使徒」との間の厳密な区別を論じたことがある(「天才と使徒との相違について」)。芸術的な「天才」と宗教的な「使徒」とは、いずれも、世界に存在する矛盾を縫合する存在である――しかし、一般社会の中で芸術に関する矛盾を解消する機能を持つ「天才」と、イエス・キリストの逆説を保持し続ける「使徒」とは決定的に異なるのだと、キルケゴールは述べる。……もちろん、キルケゴールがそのようなことを論じなければなかったのは、芸術家こそが世界の矛盾を統合する存在であるとする議論があったからであり――あるいは、イエス・キリストの存在を合理的な体系の内部に整合的に位置づけるような議論があったからだ。それこそがドイツ・ロマン派やヘーゲルがなしたことであったのだが、ここでは、そこよりさらに遡行し、その基底にあるはずの問題を見てみたい。
ドイツ・ロマン派にせよヘーゲルにせよ、カントの批判哲学を批判的に継承することこそがその出発点であった。そして、カントによる三批判書、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』は、大ざっぱに言うならば、「真ー偽」「善ー悪」「美ー醜」に関する認識をそれぞれ自律的な別の領域の問題として確立したのだと言える。
ある意味では、ヨーロッパが主導で形成された近代というシステム、そのシステムの内部で生きる主体の標準的なモデルを確立したのがカントの批判哲学なのであった。そして、そのように考えてみると、カントの批判哲学に内在する問題点は、単に哲学の内部の問題にとどまることではなく、より巨大な文脈に接続しうるものではないかとも思える。
人間がいかにして「真ー偽」「善ー悪」の認識に理性を行使しまたいかなるところにその限界があるのかについて、カントの議論は整合性のある体系を確立している。しかし、「美ー醜」の判断、芸術的な趣味の判断に関する『判断力批判』の議論にだけは、矛盾や混乱がそのままに内包されているのだ。
美しさに関する趣味判断は個人の主観から出発するものとしてしかありえない、にもかかわらず、そこで下される趣味判断は普遍的な同意を要求する。カントのそのような議論は言われてみればもっともなことではあるが、この矛盾が解消しうるものであるとも思えない。……あるいは、芸術において行使される技術は「自然」を模倣することを目指すものだが、「自然」とは何なのかといえば、人為的な技術の入る余地のないもののことである。したがって、自然の美しさを模倣し再現する美しい芸術などというものは、存在自体が矛盾したものであるということになる。
以上のような問題がなぜ存在するのかを、異なる角度から考えてみることはできないだろうか。……つまり、近代というシステムの内部に存在する主体の標準的なモデルを確立しようとするとき、形式化しきれない矛盾・混沌が集中して奔出してしまう領域こそが芸術に他ならないのだ、と。
カントの批判哲学には、あからさまなまでに、体系化・形式化しきれない混沌が投げ出されている――この矛盾を解消し、完璧に整合的な体系を生み出すことに向かったのがドイツ・ロマン派でありヘーゲルであるのだった。とりわけドイツ・ロマン派においては、完璧に整合的な、統合されロマン化された世界を生み出しうる特権的な存在が芸術家であったことは、以上のような文脈において理解できることだろう。そして、『判断力批判』におけるカントの時点で、芸術制作における矛盾を解消しうる存在として既に「天才」の概念は用いられていたのだった。
しかし――改めて考えてみれば、その矛盾は解消しうるのかどうかを云々する以前のことがあるように思える。……そもそも、その矛盾はなぜ解消しなければならないのか。自分たちがその内部に生きるため、完璧に整合的な体系を求めるなどということは、本当に必要なことなのか。
現在においては、「近代」の概念はむしろ評判が悪く、批判されることの方が多いようなものだ。なるほど、それは虚構にすぎないのかもしれない、どこまでいっても未完のプロジェクトであるしかないものなのかもしれない。そして、それを虚構だと言おうが未完だと言おうが、ここで私が書いてきたことと本質的な違いはないだろう。近代というシステムの標準的なモデルはその根幹部分に混乱を備えているがゆえに、失調した部分や機能不全の部分を排除することはできない。
近代というシステムの機能不全は、本質的に排除できない。しかし「近代」は現に我々の周囲を取り巻いており、それとともに生きるしかない。そして、そんなシステムの欠陥が噴出した時にその場をともにすることのできるものこそが、芸術であるということだ。
何のために自分がそこにいるのかわからない。目指すべき目的や目標があるのかわからない。何かの行動をしてみても、その帰結がわからない。自分にいかなる影響を及ぼすのかわからない。それが良いことだったのか悪いことだったのかもわからない。
そのような逡巡を経験したことのない者は幸いである。近代というシステムが正常に機能しているその渦中にのみ身を置く限り、そんな混乱を経験することはない。しかし同時に、この混乱を近代社会から根本的に廃絶することも、原理的にできない。
なるほど、卓越した芸術作品を創造する芸術家は「天才」であるのかもしれない。しかしそれは、その人物を、既に芸術作品が創造されてしまった事後の視点から見た時にのみ用いられる言葉だ。芸術作品を創造する渦中にある者は、逡巡とともに生きるしかない。
社会の矛盾を解消し統合する存在としての芸術的な「天才」というドイツ・ロマン派の理念に反発したキルケゴールは、逆説を保持し続ける存在を「使徒」と呼んだ。しかし、私は、キルケゴールにとっての「使徒」こそが、芸術家のことであるのだと言おう。
自分のなす表現は正しいのか。それをある方法で修正するとして、それはいかなる効果をもたらすのか。新たな技術を学び異なる段階に進もうとしたところで、それは本当に前進なのか。踏み出した一歩が正しい方向に向かっているのかわからない。前進なのか後退なのかもわからない。だからと言って、その場に停止することもできない……
そのような場所に居続けるということこそが、芸術家であるということだ。逡巡し続けることによって明確な基準を失う、無時間的な場所。……「救いのないこと自体が救いである」という坂口安吾の言葉をふまえて言うならば、答えのないこと自体が答えである。
ジョン・カサヴェテスという男は、芸術家としてのみ生き、芸術家として死んだ。
ひとたび芸術家になった者が、その後もずっと芸術家であり続けるわけではない。むしろ、そのようなことの方が稀なのであろう。しかしカサヴェテスの場合は、最後まで芸術家としてのみ生き、芸術家として死んだ。……近代において芸術の経験を生きる者にとって、社会のシステムの内部に流れる時間が失調するなどという経験は、むしろ当たり前のことと見なさなければなかったのだろう。
だから、カサヴェテスの映画を見るときに時間が消失するのは、何も『こわれゆく女』の終盤に限った話ではなかったのだ。例えば、新しくできたガールフレンドの家族に会いに行った若い男が、その見た目から白人だとばかり思っていたガールフレンドの家族を目にして黒人との混血だと気づいて狼狽し、その場に居合わせた全員が凍り付くのを目にしたとき……平凡な日常が続いていたはずが何の前兆もないままに夫から唐突に離婚を言い渡された主婦が不倫に走った翌朝に、衝動的に自殺しようとするのを目にしたとき……享楽的に生きる作家が別々に暮らしてきた息子と新たな絆を築きこそしたものの全てが遅すぎたことに気づき、停止したタクシーから降りることもできずにその場で沈黙するしかなかったとき……その全ての経験で、時間などというものは消失していたのだ。
我々は誰もが、近代というシステムの内部で、正常に運行している世界を目にし、規則正しく流れる時間とともに生きている。しかし、ひとたびその気になりさえすれば――そのシステムに空いた穴、原理的に解消できない欠陥をなかったことにするのをよしとしなければ――時間の感覚など、いつでも消失させることができる。
ドストエフスキーの小説を評して、プルーストは、その全小説が『罪と罰』という一つの題名になりうると書いた。それをふまえて言えば、カサヴェテスの映画の総体に一つの題名をつけるとすれば、それを『ラヴ・ストリームス』とする以外のことは考えられない。
だから、カサヴェテスの映画、それを見るときに感じざるをえない不可解な経験までをも記述することを試みる私の文章は、それ自身もまた『ラヴ・ストリームス』と冠することもできる文章でなければならない。……それが実際に達成できたのかどうかを私自身が判断することはできないが――しかし、一つ確実に言えることは、芸術を鑑賞する経験を突き詰めれば、芸術を創造する経験との間に根本的な境界を認めることはできなくなるということだ。
カサヴェテスの映画を見るとき、そこで語られる何ものからも目を逸らさず全てを受け取ろうと試みるならば、鑑賞する側もまた、創造者とともに、近代の正常な空間から己の身を引き剥がし、芸術の経験の内部に身を置くしかできなくなる。
だからこそ、言わなければならない。私がここまで書いてきた文章が批評であるのだとしても、私は、カサヴェテスの映画を外部から裁断し客観的に判断できる存在、そのような意味での批評家として書いてきたのではない。
ジョン・カサヴェテスの映画を見ること――そして、自分にとって可能な限り、その作品が内包するものを汲み尽くし、作品とともに生きるために書いたこと――そうすることによって、私自身もまた、芸術家としてこの文章を書いた。
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