はたしてオンライン対戦はゲーマーを幸せにしたのか|エルケン|note
よくネットで「RPGでその世界の勇者になったと思ったら、すぐオンラインに連れて行かれて自分が末端の雑魚だと気付かせられる」という意見を見かける。
別の表現をするならば地方ローカルでスポーツ上手いとイキッてたらいきなり全国大会に連れて行かれて現実を突きつけられるという現象とも似ている。
とくに今の時代どのゲームも「ガチ化」していて、そのゲームに夢を見て始めたばかりの初心者が行きつく先は経験者との愕然とした追いつけないほどの差でしかない。
(中略)
こういったオンライン対戦の現実を見ると地方ローカルコミュニティでワイワイ身内と対戦して盛り上がってた頃の方が楽しかったよなぁと考えることがある。
私は元々PCゲーマーだけど、この記事に書いてあることはある程度同意できる。
そりゃ確かに、オンライン対戦は殺伐としている。顔も合わせない、下手すれば言葉も通じない人間とゲームを遊んでいれば、必然的に「強さ」だけが求める共通項になる。
一緒にゲームを遊ぶってそういうことだったか?と言われると、彼の言うように人の家で友だちと遊んだり、ゲーセンに行って地元の人間と競い合う楽しさが欠けていると思う。
だけどこれは「贅沢な悩み」だと思う。実は日本のようにローカルなコミュニティでゲームを遊べる国は、そう多くないからだ。
アーケードゲームによる対戦が流行した1990年代の日本では、確かにゲーセンが無数にあった。一方、アメリカや欧州ではPCゲームが主流になりつつあった。
その理由は簡単で、地理的にゲーセンが流行しなかったからだ。日本と比べて、圧倒的にアメリカや欧州は土地が広くまばらで、日常的に一箇所に集まってゲームを遊ぶという事が難しかった。
特に、今でも人口の割にプロゲーマーを数多く輩出するドイツや北欧、東欧では気候が厳しく、一年中雪で覆われる地域もある。だからこそ、ボードゲームを始めとした家で楽しめる娯楽が追求されたし、「自分の家から一歩も出ずに他人と遊べる」オンライン対戦が盛んに行われた。
無論、向こうでもDreamhackやEVOのようなLAN対戦や大会も開かれているけど、練習のために毎日車で何時間も州境を超えて移動したり、雪をかき分ける人は少ない。多くのプレイヤーはオンラインで練習し、極めようという意志のある上級者が、大会に出場したり、ネットカフェに集まって練習する機会が増えた。
もう一つ、オンライン対戦が爆発的に流行した地域がある。それがアジアだ。特に韓国は数多くのゲームで世界的に優れたプレイヤーを輩出し、「eSports大国」とも呼ばれている。
彼らには、北欧やアメリカのような地理的な障害は少なく、日本に近い環境と言える。それでもアーケードゲームよりオンライン対戦が流行したのは、経済的な障害があったからだ。
例えば、韓国バンという韓国の若者で知らぬ者はいないとされる有名なネットカフェがある。利用料金は1時間1400ウォン~(=約140円)。小学生でも入り浸れるほどにお手頃な価格設定だ。一方、アーケードゲームは1プレイ100円が基本。それで1時間遊ぶのは余程の強者でもない限り難しい。
更に、店側にとっても、1台数十万はすると言われるアーケード用の筐体を用意することも相当な負担となる。代わりに簡易的なPCを用意するだけなら、規模の経済もあってその何分の1で済む。韓国で流行しているゲームは低スペックで動くものも多いから、スケールダウンすれば更にコストを浮かせる。
韓国に限らず、中国、東南アジア、いずれもMOBAやFPSのオンライン対戦が流行している国は、日本よりも経済的に苦しく、格差も激しい。そのため、東南アジアや中国においても、安価で楽しめるネカフェでのオンライン対戦が主流になった。
より踏み込んで言えば、こうしたアジア圏ではIP(知的財産)も貧しい。故に、遊ばれているタイトルは大抵欧米のものだ。そんな国にとって、自国で無数のゲームを作れる日本は、贅沢な国であるに違いない。
そして、こうした国で育まれたオンライン対戦が、今世界を圧巻している。
当然といえば当然である。日本のゲーム市場全体はともかく、対人ゲームに関しては、人口・市場の規模共に、アジアや欧米を合わせた分の方が圧倒的に大きい。そうした豊かな土壌で育った作品が、日本に逆輸入されるのも自然だと言えるだろう。
そもそも、日本であっても、先程述べた「地理的な障害」「経済的な障害」がないわけでない。アーケード全盛期であっても、小学生が惜しみなくコインを投入するのは難しかったし、今は子供の防犯意識は高まった。そして過疎化が進んでゲーセンが消えた地方でも、変わらず家でオンラインゲームなら遊べる環境が存在する。
無論、アーケードで遊ぶ体験は得難いものだし、だから今でもゲーセンは一部残っているし、更にオフラインでの大会及び観戦も発達しつつある。日本がガラパゴス化していると言いたいわけでない。
それでも、「日本のように恵まれていない、無数の国」で遊ばれ続け発達したゲームが、同じくローカルで遊ぶ文化が衰退しつつある日本に取り込まれるのは自然だと思う。
アーケード文化は、本来恵まれた文化であり、オンライン対戦文化とは、恵まれなかった国が、それでもゲームを楽しもうと試行錯誤した成果だ。
確かに、オンライン対戦は「ガチ」で殺伐としている。
インターネットという限りなくボーダレスな技術で遊ぶゲームは、数多くの人種、年齢、文化を超えて遊ぶ。同時に、ゲームの目的が純粋に「勝つ」ことに統一化されてしまう。何故なら、一つのゲームをどう遊ぶかという機敏な価値観は、人種や年齢、文化でいかようにも左右されるからだ。
例えば、『Battlefield』などわかりやすい。初期は「バカゲー」として、変な設定を入れてお祭りモードにしてマニアが遊んだりしたが、今のシリーズは純粋な撃ち合いがメインになり、それ前提で制作されている。限られた人間が遊ぶ時代から、色々な人間が遊ぶようになったために、「ガチ」という一つの目的に向けてゲームが作られるようになったのだ。
ただこれも、先程述べたように、北欧や韓国の人たちを含めた、世界中の人間が純粋に誰かとゲームを遊びたいという願いを持っていて、その誰もが納得できる方向性でゲームが作られている、と考えれば私はそれなりに納得している。
楽しかった頃のローカル対戦は、誰かが場所を作ってくれて、自分がそこへ赴くコストがあって、初めて成立したもの。手頃に家で遊べるオンライン対戦とはコストが違う。
もちろん、オフラインやローカルのアナログ文化は尊いものだ。ゲームバーやゲーセンが今も残っているのは、それを大切にする人が守り育ててきたものだし、我々はそれに感謝すべきだろう。
KADOKAWA (2018-02-26)
売り上げランキング: 5,460