トマス・アクィナスというと「スコラ哲学の大成者」として多くの人は名前を知っているが、実際に読んだことのある人はほとんどいないという哲学者だと思います。
この本のはじめに「カトリック教会の伝統的な教えを正当化するために数多くの体系的な著作を残した権威主義的な神学者」(2p)という世間一般の人が抱くトマス・アクィナスのイメージが紹介されていますが、自分も以前はそんな印象を抱いていました。
そんなトマス・アクィナスのイメージを打破し、トマスの思想がある種のチャレンジであり、今なおアクチュアルであることを示そうとしたのがこの本。
少し前に同じ岩波新書から出た出村和彦『アウグスティヌス』は、その生涯と思想のポイントをまとめたものでしたが、本書はトマスの生涯についてはほんとうに簡単に触れるだけで、紙幅のほとんどを『神学大全』を中心としたトマスのテクストの読解にあてています。
そのため入門書としてはややハードに見えるかもしれませんが、著者の粘り強い解説によってトマスの思想が1つずつ見えてくるような内容になっています。
目次は以下の通り。
トマス・アクィナスは13世紀半ばに活躍した人物で、彼の思想のポイントを一言で表すとしたら、「キリスト教とアリストテレスの統合」ということになるでしょう。
アリストテレスのギリシア語の著作は、一部の論理学的著作を除いては西ヨーロッパには伝わっていなかったのですが、12世紀にイスラーム世界を通じてアリストテレスの著作が伝わってくることになります。
これは単純に良いことにも思えますが、「動物論・自然学から倫理学・政治学を経て形而上学や宇宙論に至る体系的な世界観を提示するアリストテレスのテクストは、キリスト教に取って代わりうる、もう一つの知的世界の可能性を示唆して」(8p)おり、キリスト教世界に緊張をもたらすものでもありました。
このアリストテレスの思想に対して大きく分けて3つの態度がありました。キリスト教と衝突しない部分のみを受け入れる「保守的アウグスティヌス主義」、「信仰の真理」と「哲学の真理」を区別してキリスト教信仰に反する部分も受け入れる「急進的アリストテレス主義」や「ラテン・アヴェロエス主義」、そしてアリストテレスの思想を使ってキリスト教神学をより理性的な仕方で構築し直す「中道的アリストテレス主義」の3つです(8ー11p)。
そして、「中道的アリストテレス主義」を代表する思想家がトマス・アクィナスです。
トマス・アクィナスは49歳で亡くなっていますが、それまでに驚異的な量の著作を残しました。日本語訳で45巻ある『神学大全』も彼の全著作の1/7を占めるにすぎません(26p)。
また、その著作は多くの引用によって成り立っており、それぞれの著作は密接な関連を持っています。しかも、これらの著作を「読解不能な文字」(40p)と言われるほど崩れた字を使いながら信じられないようなペースで書いたと考えられます。
この本ではトマスの思想を「徳」という概念から読み解いています。
「徳」というと、日本語では社会から求められる徳目やあるいは人柄のようなものを想定しがちですが、ラテン語のvirtus(ヴィルトゥース)は「力」または「徳」と訳される言葉で、「徳」には人生を切り開いていく「力」でもあるのです(50p)。
ピアノを習う子どもが、最初はつまらなく感じるものの「技術」を身につけるにしたがってピアノが楽しくなってくるように、「徳」を身につけることによって人生はより生きやすく充実したものになっていくのです。
トマスが提唱する徳として、まずアリストテレスの提唱した「賢慮」、「正義」、「勇気」、「節制」の4つの「枢要徳」があります。
その内容についても基本的にアリストテレスの説明を受け継いでいるので、アリストテレスを読んだことのある人にはトマスの議論はわかりやすいと思います。
ただ、アリストテレスが4つの徳の間の関連性を特に述べなったのに対して、トマスはその徳の関連性も考察しています。トマスによれば徳には理性によって身につく「知的徳」と習慣によって身につく「倫理的徳」があり、この2つの徳をつなぐのが「賢慮」です。そして他者の善に的確に配慮する力が「正義」であり、この2つの徳を補うのが「勇気」と「節制」です(59-61p)。
ただし、こういった関連性についての考察はあっても、「枢要徳」の基本はアリストテレスの考えです。この本の77p以下で行われている「節制」と「抑制」の違いを巡る議論も興味深いものですが、基本的にはアリストテレスの枠内のものです。
では、トマスのオリジナリティはどこにあるかというと、「枢要徳」に付け加えられた、「信仰」、「希望」、「愛」の「神学的徳」です。
本書では「アリストテレスの理論に洗礼が施される」(99p)という表現が使われていますが、トマスはアリストテレスの徳をキリスト教によって整理し、拡張するのです。
まず、「信仰」ですが、この「信仰」において知性のはたらきを重視しているのがトマスの思想の特徴です。トマスは「信じる」ことと「知る」ことが互いに補い、支えあうと考えています。
キリスト教において神は究極の知をもつ存在です。そしてその神の「知」を人間に伝えたのが預言者や使徒です。預言者や使徒による神の言葉を信じることは、思考の放棄ではなく、まさに思考を究極後に向かって確実に前進させるために必要不可欠なものなのです。
では、このような「信仰」はどのようにもたらされるのか? キリスト教ではそれが「恩寵」によってもたらされるのか、「自由意志」によってもたらされるのか、という点で大きな議論があります。
ペラギウス派は信仰の原因として人間の自由意志のみを考え異端とされました。一方、トマスよりも後の時代のマルティン・ルターは「恩寵のみ」と主張し、『奴隷意思論』を著しました。「ルターは、人間が救われるのは「恩寵のみ」「信仰のみ」「聖書のみ」によるのであって、「自由意志」とか「哲学」や「理性」などは無用の長物だと主張した」(146p)のです。
これに対して、信仰は恩寵と自由意志の協働によってもたらされると考えるのがトマスの立場です。
トマスは「我々の行為は、神によって恩寵を通じて動かされた自由意志から出てくるものである限りにおいて功徳あるものである」(151p)と述べています。友人から説得され自殺を思いとどまった人が、「友人の説得」+「本人の決断」で自殺を思いとどまったのと同じように、信仰も「恩寵」+「自由意志」によって成り立つというのです。
次に「希望」です。「トマスによると、キリストには「信仰」も「希望」も存在しなかった」といいます(171p)。これだけ聞くと、「トマスはキリストが誰にも理解されない絶望の中をさまよっていたと考えていたのか?」と思ってしまいますが、そうではなく、キリストはすでに完全な存在であったため、「信仰」も「希望」も必要なかったのです。
「「希望」の概念のうちには、「自分のまだ所有していないものを獲得することを期待する」という意味が含まれて」(171p)おり、キリスト教における「永遠の至福」を目指すための原動力となるものが「希望」です。
最後に説明されるのが「愛徳」です。「愛徳」とはラテン語のcaritasという言葉の翻訳で、この本では「愛徳」、「愛」、または「カリタス」と訳されています。「愛徳」とは一時の「感情」ではなく、持続的で安定的な神学的な徳を表すときに用いられてきた表現です。
キリスト教の愛というと隣人愛が思い浮かびますが、この本ではトマスの意外な見方が紹介されています。
このことから、「トマスは愛の根源に自己愛を置いた」(187p)と主張されることがありますが、著者に言わせるとこれは一面的な理解です。
トマスによると自分自身が一致していること、つまり自己愛のあることが愛の根源にあり、それが神への愛へとつながっていきます。
このあたりのことを著者は次のように述べています。
スコラ哲学というとなんとなく陰気な印象を持つ人も多いと思いますが、こうしたトマスの思想を読み解いていくと、実はかなりポジティブなものだということがわかります。
著者は「トマスのカリタス論を理解すると、キリスト教を「自己犠牲」の宗教と捉える通念がいかに一面的なものであるのかが見えてくる」(225p)と書いていますが、この記述は、第5章でとり上げられる「善の自己伝達性・自己拡散性」という考えを見るとさらに納得できるものとなるでしょう。神は自らの善性を伝えるためにこの世界を創造したのです(236ー238p)。
このようにこの本は、多くの人が小難しいイメージしか抱いていなかったトマス・アクィナスという思想家の生き生きとした面を、丁寧なテクストの読解を通して取り出してみせます。また、この本を読むとマルティン・ルターがスコラ哲学を嫌った理由も明確にわかると思います。
個人的には、全体を通して非常に明快な説明がなされている中で、猛スピードで著作を書いていたトマスが晩年に「私が見、私に示されたことに比べると、私が書いたすべてのことは藁屑のように見えるのだ」という言葉を残し、『神学大全』の完成も放棄して沈黙したことについて説明した部分(39ー41p)だけは、ややレトリックでごまかされているような気もするのですが、その他の部分はできるだけ明解であろうとする粘り強い説明がなされており、トマス・アクィナスを知らなかった人でもあってもかなり深い部分まで連れて行ってくれる本だと言えるでしょう。
トマス・アクィナス――理性と神秘 (岩波新書)
山本 芳久
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この本のはじめに「カトリック教会の伝統的な教えを正当化するために数多くの体系的な著作を残した権威主義的な神学者」(2p)という世間一般の人が抱くトマス・アクィナスのイメージが紹介されていますが、自分も以前はそんな印象を抱いていました。
そんなトマス・アクィナスのイメージを打破し、トマスの思想がある種のチャレンジであり、今なおアクチュアルであることを示そうとしたのがこの本。
少し前に同じ岩波新書から出た出村和彦『アウグスティヌス』は、その生涯と思想のポイントをまとめたものでしたが、本書はトマスの生涯についてはほんとうに簡単に触れるだけで、紙幅のほとんどを『神学大全』を中心としたトマスのテクストの読解にあてています。
そのため入門書としてはややハードに見えるかもしれませんが、著者の粘り強い解説によってトマスの思想が1つずつ見えてくるような内容になっています。
目次は以下の通り。
第1章 トマス・アクィナスの根本精神
第2章 「徳」という「力」―「枢要徳」の構造
第3章 「神学的徳」としての信仰と希望
第4章 肯定の原理としての愛徳
第5章 「理性」と「神秘」
トマス・アクィナスは13世紀半ばに活躍した人物で、彼の思想のポイントを一言で表すとしたら、「キリスト教とアリストテレスの統合」ということになるでしょう。
アリストテレスのギリシア語の著作は、一部の論理学的著作を除いては西ヨーロッパには伝わっていなかったのですが、12世紀にイスラーム世界を通じてアリストテレスの著作が伝わってくることになります。
これは単純に良いことにも思えますが、「動物論・自然学から倫理学・政治学を経て形而上学や宇宙論に至る体系的な世界観を提示するアリストテレスのテクストは、キリスト教に取って代わりうる、もう一つの知的世界の可能性を示唆して」(8p)おり、キリスト教世界に緊張をもたらすものでもありました。
このアリストテレスの思想に対して大きく分けて3つの態度がありました。キリスト教と衝突しない部分のみを受け入れる「保守的アウグスティヌス主義」、「信仰の真理」と「哲学の真理」を区別してキリスト教信仰に反する部分も受け入れる「急進的アリストテレス主義」や「ラテン・アヴェロエス主義」、そしてアリストテレスの思想を使ってキリスト教神学をより理性的な仕方で構築し直す「中道的アリストテレス主義」の3つです(8ー11p)。
そして、「中道的アリストテレス主義」を代表する思想家がトマス・アクィナスです。
トマス・アクィナスは49歳で亡くなっていますが、それまでに驚異的な量の著作を残しました。日本語訳で45巻ある『神学大全』も彼の全著作の1/7を占めるにすぎません(26p)。
また、その著作は多くの引用によって成り立っており、それぞれの著作は密接な関連を持っています。しかも、これらの著作を「読解不能な文字」(40p)と言われるほど崩れた字を使いながら信じられないようなペースで書いたと考えられます。
この本ではトマスの思想を「徳」という概念から読み解いています。
「徳」というと、日本語では社会から求められる徳目やあるいは人柄のようなものを想定しがちですが、ラテン語のvirtus(ヴィルトゥース)は「力」または「徳」と訳される言葉で、「徳」には人生を切り開いていく「力」でもあるのです(50p)。
ピアノを習う子どもが、最初はつまらなく感じるものの「技術」を身につけるにしたがってピアノが楽しくなってくるように、「徳」を身につけることによって人生はより生きやすく充実したものになっていくのです。
トマスが提唱する徳として、まずアリストテレスの提唱した「賢慮」、「正義」、「勇気」、「節制」の4つの「枢要徳」があります。
その内容についても基本的にアリストテレスの説明を受け継いでいるので、アリストテレスを読んだことのある人にはトマスの議論はわかりやすいと思います。
ただ、アリストテレスが4つの徳の間の関連性を特に述べなったのに対して、トマスはその徳の関連性も考察しています。トマスによれば徳には理性によって身につく「知的徳」と習慣によって身につく「倫理的徳」があり、この2つの徳をつなぐのが「賢慮」です。そして他者の善に的確に配慮する力が「正義」であり、この2つの徳を補うのが「勇気」と「節制」です(59-61p)。
ただし、こういった関連性についての考察はあっても、「枢要徳」の基本はアリストテレスの考えです。この本の77p以下で行われている「節制」と「抑制」の違いを巡る議論も興味深いものですが、基本的にはアリストテレスの枠内のものです。
では、トマスのオリジナリティはどこにあるかというと、「枢要徳」に付け加えられた、「信仰」、「希望」、「愛」の「神学的徳」です。
本書では「アリストテレスの理論に洗礼が施される」(99p)という表現が使われていますが、トマスはアリストテレスの徳をキリスト教によって整理し、拡張するのです。
まず、「信仰」ですが、この「信仰」において知性のはたらきを重視しているのがトマスの思想の特徴です。トマスは「信じる」ことと「知る」ことが互いに補い、支えあうと考えています。
キリスト教において神は究極の知をもつ存在です。そしてその神の「知」を人間に伝えたのが預言者や使徒です。預言者や使徒による神の言葉を信じることは、思考の放棄ではなく、まさに思考を究極後に向かって確実に前進させるために必要不可欠なものなのです。
では、このような「信仰」はどのようにもたらされるのか? キリスト教ではそれが「恩寵」によってもたらされるのか、「自由意志」によってもたらされるのか、という点で大きな議論があります。
ペラギウス派は信仰の原因として人間の自由意志のみを考え異端とされました。一方、トマスよりも後の時代のマルティン・ルターは「恩寵のみ」と主張し、『奴隷意思論』を著しました。「ルターは、人間が救われるのは「恩寵のみ」「信仰のみ」「聖書のみ」によるのであって、「自由意志」とか「哲学」や「理性」などは無用の長物だと主張した」(146p)のです。
これに対して、信仰は恩寵と自由意志の協働によってもたらされると考えるのがトマスの立場です。
トマスは「我々の行為は、神によって恩寵を通じて動かされた自由意志から出てくるものである限りにおいて功徳あるものである」(151p)と述べています。友人から説得され自殺を思いとどまった人が、「友人の説得」+「本人の決断」で自殺を思いとどまったのと同じように、信仰も「恩寵」+「自由意志」によって成り立つというのです。
次に「希望」です。「トマスによると、キリストには「信仰」も「希望」も存在しなかった」といいます(171p)。これだけ聞くと、「トマスはキリストが誰にも理解されない絶望の中をさまよっていたと考えていたのか?」と思ってしまいますが、そうではなく、キリストはすでに完全な存在であったため、「信仰」も「希望」も必要なかったのです。
「「希望」の概念のうちには、「自分のまだ所有していないものを獲得することを期待する」という意味が含まれて」(171p)おり、キリスト教における「永遠の至福」を目指すための原動力となるものが「希望」です。
最後に説明されるのが「愛徳」です。「愛徳」とはラテン語のcaritasという言葉の翻訳で、この本では「愛徳」、「愛」、または「カリタス」と訳されています。「愛徳」とは一時の「感情」ではなく、持続的で安定的な神学的な徳を表すときに用いられてきた表現です。
キリスト教の愛というと隣人愛が思い浮かびますが、この本ではトマスの意外な見方が紹介されています。
「献身的で自己犠牲的な隣人愛の教え」というキリスト教に対して多くの人が抱いている通念を前提にすると、トマスはかなり意外なことを述べている。それは、自己愛の隣人愛に対する優位というトマスの基本的な見解だ。(184p)
このことから、「トマスは愛の根源に自己愛を置いた」(187p)と主張されることがありますが、著者に言わせるとこれは一面的な理解です。
トマスによると自分自身が一致していること、つまり自己愛のあることが愛の根源にあり、それが神への愛へとつながっていきます。
このあたりのことを著者は次のように述べています。
神が私に直接的に愛(カリタス)を注ぎこんでくれるということは、この世界全体の根源である神が私の存在全体を受容し、肯定してくれているということほかならない。〜私は、自分がいかに不完全で欠点の多い存在であったとしても、その神からの根源的な受容と肯定を原動力とすることによって―愛(カリタス)を分有することによって―自己を自己自身によって受容し肯定することができる。それが自己愛の成立だ。そして、そのような自己肯定力が原動力となってこそ、私は、他者に対しても肯定的な仕方で関与していくことができるようになっているのである。(216ー217p)
スコラ哲学というとなんとなく陰気な印象を持つ人も多いと思いますが、こうしたトマスの思想を読み解いていくと、実はかなりポジティブなものだということがわかります。
著者は「トマスのカリタス論を理解すると、キリスト教を「自己犠牲」の宗教と捉える通念がいかに一面的なものであるのかが見えてくる」(225p)と書いていますが、この記述は、第5章でとり上げられる「善の自己伝達性・自己拡散性」という考えを見るとさらに納得できるものとなるでしょう。神は自らの善性を伝えるためにこの世界を創造したのです(236ー238p)。
このようにこの本は、多くの人が小難しいイメージしか抱いていなかったトマス・アクィナスという思想家の生き生きとした面を、丁寧なテクストの読解を通して取り出してみせます。また、この本を読むとマルティン・ルターがスコラ哲学を嫌った理由も明確にわかると思います。
個人的には、全体を通して非常に明快な説明がなされている中で、猛スピードで著作を書いていたトマスが晩年に「私が見、私に示されたことに比べると、私が書いたすべてのことは藁屑のように見えるのだ」という言葉を残し、『神学大全』の完成も放棄して沈黙したことについて説明した部分(39ー41p)だけは、ややレトリックでごまかされているような気もするのですが、その他の部分はできるだけ明解であろうとする粘り強い説明がなされており、トマス・アクィナスを知らなかった人でもあってもかなり深い部分まで連れて行ってくれる本だと言えるでしょう。
トマス・アクィナス――理性と神秘 (岩波新書)
山本 芳久