明治期に少女雑誌が刊行され始めた頃、一番はじめに少女読者に歓迎されたのは、少女や美しい女性が活躍する冒険小説だった。その人気は連載小説を楽しみに待つ少女読者という一群をつくり出したが、残念ながら少女小説の主流にはなりえなかった。女性の自由な外出もままならなかった当時のイエ制度のもとでは、馬に乗って幽霊城で戦う男装の麗人などという新しすぎるヒロイン像は受け入れがたかったのかもしれない。
大人にとって望ましい少女像とは、たとえば『少女世界』創刊号のこんな論説に現れている。
「少女時代」三輪田眞砂子
父母の命令に従ふとは女徳の基であります。 亦少女は愛らしきを以て妙と致します、即ち心の愛らしきを尊びます。であるから家庭に於て父母より愛せられ亦兄弟姉妹相互(あひたがひ)に愛する和気藹々の空気中に育ちたる少女は最も幸福であります、蓋し之は自ら一人幸福なるのみならず、斯(かか)る境遇に成長せし少女は、友人にも他人にも社会一般にも能く當ることが出来ます。要するに少女は愛らしき動作あると共につねに快活なる動作あるを望まねばなりません、
三輪田真砂子は、儒学者の娘として幼い頃から四書五経に親しみ、女ながらに学者を目指して女子教育家となった人物だ。その思想は儒学ベースの「国家主義的良妻賢母」だが、女性の書き手らしく、「従順さもなくば死」と少女を脅していた旧来の婦徳に女性自身の欲望を吹き込んだ。「愛されたい」だ。
この時点での「愛され」の対象は男性ではなく家族であり、容姿ではなく内心と動作を縛る規範だった。しかしイエ制度の維持と少女の欲望を同時に満たす「愛され」は、少女文化の中でじょじょに拡大していく。
『少女世界』は創刊の翌年、初代の巖谷小波に代わって沼田笠峰が主筆を担当する。彼は巻末に、こんな激アツな意気込みを少女読者に向けて送った。少し長いが引用しよう。
少女諸君(みなさん)! 昔から少女は、世にも愛らしいものとして、詩や歌などにも、しばしば歌はれて居るのあります。
(…)なぜ、斯やうに少女は愛らしいのでせうか? これは、先達て巖谷先生がお述べになりましたやうに、『愛の光』がひらめいて居るからであります。少女自身に、愛の心があるので、自然外からも愛らしく見えるのであります。
併し皆さん、愛は殊更に拵へられるものではありません。いくら愛らしく見せたい!と思ひましたも、顔や姿ばかりで、俄かに愛が出来るのではありません。『どうぞ、私を可愛がつて頂戴!』と言ひましても、人は却つて嫌がります。 それならば、愛らしくするには、どうすれば宜しいのでせうか。
(…)世の中には、顔にお化粧をしたり、立派な衣服(きもの)を身に纏うたりして、それで愛らしく見える、と思つていらツしやるお方があるやうです。また、いやにハイカラぶり、道路をあるくにもシヤナリシヤナリと、様子を作つて、よろこぶ人もあります。併し、まことの愛は、決してそんな軽薄なものではありません。それかと言つて、子供の癖に、大人のやうな言葉づかひをしたり、みだりに高ぶツたりするのも、また愛らしい少女と言ふことが、出来ないのです。それで、私が思ひますには、少女らしくして居るものこそ、眞に愛らしいのである、と。 (…)
読めもせぬ書物を買つて、読むふりをしたり、知りもせぬことを、知つたやうに装うたり、或はまた、自分より遥かに年上の人と交際したり、とかく大人らしくしたがるものも、往々(まま)見受けるのでありますが、これ等は皆、少女にして、少女にあらず、厭ふべくして愛すべきにあらず、笑ふべくして褒むべきにはあらざる少女であります。
少女諸君! 『少女らしくない』といふことは、右に述べた所で分りましたらう。されば、皆さんは、赤ん坊らしくもなく、また大人らしくもなく、どこまでも少女のやさしい、あどけない、ハキハキした心を失はずして、至るところで、愛せられるやうにならねばなりませんよ。
「少女教室」(『少女世界』明治40年第2巻3号)
家の中で従順に務めを果たす存在から、鑑賞され、かわいがられる対象へ。少女が女学生という形で外に出るようになったことで、その規範も移り変わっているのがわかる。愛されるようにふるまいなさい、しかし愛されようなどという自意識はもたずに無垢なままでいなさい。現代にも通じるややこしい願望が、明治の少女たちにふりかかってきたのである。しかし少女としても、軍人になれない女は家の中にこもって裁縫をしろと強制されるよりは、君たちは愛らしいのだから「至るところで」つまり家の外で「愛せらる」ようにかわいくしててね、というメッセージのほうがまだしも受け入れやすかっただろう。沼田笠峰は読者欄でも「沼田の叔父ちやま」などと呼ばれ親しまれており、少女の庇護者として信頼を得ていたことがわかる。
主筆の沼田笠峰は、少女の価値の擁護者として「愛され」をプッシュし続けた。女性の学問とキャリアを特集した『少女世界』「少女と立志」(三巻2号増刊)でも、「女だからとて、何も男子に負けて居るには及ばないのです」「併し今後の女子は、どうしてどうして、學問をせずに居られませうぞ」と少女の立志を鼓舞しながら、やはり「愛らしく」あれと説いている。
少女の世界だからとて、ナニもお転婆になれとは申しません。威張つてもよいとは言ひません。高ぶるものは憎まれ、威張るものは斥けられるのです。少女は何處までも愛らしく、やさしく、従順でなければなりません。 すでに愛と美を備へた少女は、更に進んで、力を養はなくてはなりません。
「少女の世界」(『少女世界』明治41年三巻2号)
『愛されながら仕事も恋も成功する方法』『可愛いままで年収1000万円』といった現代の女性向け自己啓発本のタイトルが頭をかすめる。実際に同特集で女性の職業として挙げられているのは、「学校教師、保母、女医、産婆、看護婦、音楽教師と割烹教師、裁縫教師と手工教師、文学家と画家、寫眞師と速記者、銀行員と商店員、茶道教師と生花教師」(「少女の職業」)。確かに「愛され」が必要そうな対人サービス系(または芸術系)職種ばかりだ。
それでもこれまでは教育を受けた女性の職業は教師以外には想定されていなかったから、社会に出て愛と美と力を兼ね備えよというメッセージは、少女冒険小説に熱中していた少女をも奮い立たせたに違いない。冒険が社会的に許されない女の子が、それでも主体性を手放さないための武器として、「愛され」は少女規範に組み込まれていった。
ただ、男性目線の「愛され」が称揚されても、少女雑誌に恋愛小説を掲載するわけにはいかなかった。そもそも女学生が小説を読むこと自体がネガティブにとらえられていた時代である。
1899(明治32)年の高等女学校令公布に合わせて開催された全国高等女学校長会議は、「禁止の旨を学校内に掲示し、此方針に依りて教育することとし」と、小説禁止の決議を出している。1908(明治41)年の全国高等女学校長会議でも、「学校ト家庭ト連絡ヲ親密」にして「不正ノ読物ヲ禁止」し、生徒の品格陶冶を図らねばならないという意見が交わされた。東京府立第一高等女学校では、生徒に読ませるべきではない読み物の第一に「男女の関係を記したる人情小説」を挙げていたという(『女学校と女学生―教養・たしなみ・モダン文化 』稲垣恭子)。
当時の教育者たちは、小説、とくに恋愛小説を学生風紀の乱れの原因とみていた。女学生の恋愛は、当時の風紀からすれば堕落でしかなかったのである。子供を立派な日本国民に育てる賢い母を育成したいのに、小説を読んで個人主義に目覚め、恋愛に走られては元も子もない。意に染まぬ相手と結婚させられたからといって、駆け落ちなどをされては一族破滅もありえた時代でもあった。少女雑誌が恋愛を扱ったら最後、購読を禁止されかねない。
そこで沼田笠峰は、少女同士の友愛を描く小説を自ら執筆するようになる。明治42年1月に沼田笠峰が『少女世界』に発表した「心の姉」は、少女友愛小説の嚆矢とされている。ストーリーは、女中として働く14歳の少女・お春が、お使い中に見た憧れの美しいお嬢様と親しくなり、「ねえお春さん、あなたばかりが、独りぽツちぢや無いわ(……)いつまでもいつまでも、死ぬまで親しくしませうね!」「お嬢さん!……あなたは、あなたは私の姉さん!(……)ね、どうぞ、私を妹と思つて……あはれんで、いつまでも可愛がツて頂戴な、ね、ね」と心の姉妹になるというもので、まさに大正から昭和初期にかけて流行したエス(Sisterhood)小説の先駆け的存在といえる。
沼田笠峰は同作を収録した少女友愛小説の短編集『少女小説 姉妹』を出版した際、前書きに「この書物の中にあるお話は」「皆様の心の滋養分になれかしとの考へから、多少の教訓が含ませて」あるため、「小説よりも小話、もしくは訓話と言つた方が適當なのかも知れません」と記した。吉屋信子らによるエス小説の源流ともいうべき少女友愛小説は、男性の女子教育家が少女を望ましい方向に導くために書かれたものだったことは興味深い。
1913(大正2)年10月の『少女世界』第八巻第12号では「愛される少女」という特集も組まれた。自由恋愛は無理でも、兄の友人に見初められて求婚されるパターンが中上流階級では珍しくなくなり、愛されれば階級上昇も夢ではない。「愛され」は、良妻賢母教育と少女自身の欲望がミックスした形で、少女らしさの規範として定着する。
こうして明治末期以降の少女雑誌は、そろって「愛され」に舵を切る。読み物はたおやかな美文が好まれるようになり、読者の投稿文も美しい文章が奨励された。少年雑誌が努力・友情・勝利路線なら、少女雑誌は愛されモテ子路線といったところだろうか。国民道徳と少年少女の欲望がからみあい、日本における少年文化と少女文化ははっきり区分けされ、全く異なる形で進化していくことになった。
参考文献 『「少女」の社会史』今田絵里香 「〈読まない読者〉から〈読めない読者〉へ-「家庭小説」からみる「文学」の成立とジェンダー化過程」飯田祐子 「少女小説——差異と規範の言説装置」久米依子(小森陽一/紅野謙介/高橋修編『メディア・表象・イデオロギ——明治三十年代の文化研究』所収) 「『少女世界』読者投稿文にみる「美文」の出現と「少女」規範―吉屋信子『花物語』以前の文章表現をめぐって―」嵯峨景子 国立国会図書館デジタルコレクション『少女小説 姉妹』沼田笠峰 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169296